キース・アウト (キースの逸脱) 2012年4月 |
by キース・T・沢木
サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。 政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。 落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。 ニュースは商品である。 どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。 ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。 かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。 甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの、本物そっくりのまがい物のダイヤ。 人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄 。 そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。 |
県立高校の男性教諭が15日、教え子の女子高校生(17)にみだらな行為をしたとして県警に東御市青少年健全育成条例違反容疑で逮捕された事件で、16日、東御市新屋、飛知和(ひちわ)孝容疑者(36)が容疑を認める供述を始めたことが捜査関係者への取材 で分かった。飛知和容疑者は「性行為はしていない」と容疑を否認していた。 事件では同容疑者は昨年9月下旬ごろ、東御市の駐車場に止めた車内で、女子生徒が18歳未満であると知りながら、みだらな行為をしたとしている。捜査関係者によると、当時2人は交際していたという。【福富智】 芸能人の加藤茶やラサール石井の「年の差婚」は羨望や揶揄や疑惑の目で見られても犯罪ではない。しかし年下が18歳を切るとこれは立派な犯罪であり、青少年健全育成条例違反容疑として逮捕されてしまう。 この条例は合意の有無も男女の別も問題としないため、最近ではAKBメンバーの母親が逮捕されたり、また19歳の少年が逮捕されたりといった例もある。ただし青少年には適用されず、18歳未満同士だと処罰の対象にならない(もちろん補導されることはある)。 さて、記事によれば、 同容疑者は昨年9月下旬ごろ、東御市の駐車場に止めた車内で、女子生徒が18歳未満であると知りながら、みだらな行為をしたとしている。捜査関係者によると、当時2人は交際していたという。 つまりこれは、 (年の差は気になるにしても)二人は普通の恋人同士として車内でいちゃついていたのだが、女性の方が18歳未満だったので男性が逮捕された、という事件 なのである。 一年待てば、加藤茶やラサール石井のように、周りからからかわれながらも幸せな二人だったのかも知れない。高校教師と教え子のカップルなど珍しい話ではないし、卒業を待って結婚すれば嫉まれても非難される所以はない。 ところが、この事件、それに先立ついくつかの記事を読み合わせると、意外に奥深く難しい問題を含んでいることが明らかにななってくるのだ。 まずは一日前のこれだ。
注目すべきは、 3月にも同条例違反容疑で男性中学教諭(35)=罰金刑が確定=が逮捕された。同条例での逮捕者は2人目。 そして 女子生徒は3月に逮捕された元恩師の中学教諭にも、みだらな行為を受けたという。 こうなると単なる「幸せなカップルの愚かな勇み足」といった話ではなくなる。同じ35歳だから(最初の記事では36歳)「二人は友人であって、一人の女性を共有した」といった下品な推測もできるが、だとしたら「当時2人は交際していた」はないだろう。 そこでさらに遡って、「元恩師の中学校教諭」について調べると、 こうなる。 なんとここでも「当時2人は交際していた」のである。 つまりこの子、昨年の5月には中学校の元担任と恋愛関係にあり、9月には今通っている高校の教師と恋愛関係に陥っているのである。 さらに事実は、その高校を通して警察に相談されている。この時点で自校の職員がかかわっていると知らなかったのか。はたまた承知の上で、両方とも訴えたのか、このあたりどうなっているのだろう。 三つ目の記事で注目される点はまだある。それは、 長野県は全国で唯一、18歳未満の子供とのみだらな行為を禁止する条例がなく、県内で東御市のみが制定しており、同条例に基づく逮捕は初めて。 という点。 つまり「みだらな行為」が「東御市の駐車場に止めた車内」で行われなければ、これは事件にならなかったのである。 もちろん道義的責任だとか「年の差婚はどのレベルまで認められるか」といった問題はいくらでも議論できる。この二人の一方または双方が既婚者だった場合は、さらに問題は複雑になろう。だがしかし、事実が東御市という聞いたこともないような地方都市で行われなければ、少なくとも「逮捕」はなかった。マスコミに名前が曝されることもなかった。 広い長野県の中で、東御を避けるのはさほど難しいことではなかっただろう。それがなぜよりによって「東御市の駐車場に止めた車内」だったのだろうか。 この極めて狭い、空間的・法的場所で起きた事実(事件)は、二人から職を奪い、退職金を奪い、教員免許も奪うことになる。 なぜ、東御だったのか。 なぜ被害者高校生は二人の教師を訴えたのか。 二人を懲戒免職にまで追い込むのは、何のためなのか。 最後にもう一度、最初の事件に関わる別記事を紹介しよう。地元の信濃毎日新聞なのでより細かな点にまで目が向いているのかもしれない。
要するに女子高校生本人の意思ではなく、親が許さなかったということだ。 *付記 「東御市青少年健全育成条例」 これはもともと有害図書や有害ビデオ・玩具などの自動販売機を取り締まるためにつくられたものである。PDFでおよそ400行に及ぶ条文は、ほとんどが有害図書や自動販売機排除を目的としたもので占められている。その中でいわゆる「淫行処罰規定」はわずか2行だけだ。
この2行に気づいた保護者というのも、なかなか優れ者である。 ふしだらな娘の乱行には気づけなかったみたいが・・・。 政府は27日、平野博文文部科学相が提出した「学校安全推進計画」を閣議決定した。災害時などに学校での子供の安全確保を目指す計画で、全ての学校で安全教育の時間を設けるよう求めた上、将来的に教科に位置づける検討もする。国が学校安全についての計画を策定したのは初めて。 計画は、東日本大震災で600人以上の児童・生徒が亡くなったことを受け「学校安全の対策が喫緊の課題」と指摘。現在は、けがの応急手当て(体育)や消防署の仕組み(社会)を学ぶ授業はあるが、体系的でなく時間も不十分なため、新たにホームルームや特別活動の時間を充てることを求めている。 授業内容は(1)地域や保護者とともに行う警察・消防への通報訓練(2)学校を避難所に想定した防災キャンプ(3)原子力災害に備え関係機関から情報を入手し避難訓練をする??などを想定。子供が自ら危険を予測し回避できるようにする「主体的に行動する態度」の育成を目指す。 計画は5年後に見直すが、安全教育の時間数を定めておらず、どう確保するかが課題となる。災害時のほか交通安全や学校施設への外部からの侵入への対策も求めた。【石丸整】 こうした「以前はなかったが新たに必要から学校に持ち込まれる教育」を「追加教育」という。正式な言い方ではないが、いつの間にかそう言われるようになってきた。 東日本大震災の反省と成果から、 子供が自ら危険を予測し回避できるようにする「主体的に行動する態度」の育成 の必要性は分かる。しかし「新たなもの」が入ったからと言って「古いもの」が削られるわけではない。「必要なもの」がすべて持ち込まれると、学校は身動きできないのだ。 安全教育の時間数を定めておらず、どう確保するかが課題となる というのはそういう意味である。 学校のカリキュラムはぎゅうぎゅう詰めなのに、「子どもにとって必要」という魔法の言葉ひとつで新たなものがねじ込まれる。そしてその「新たなもの」への対応に追われていると、突然、「学校は子どもの学力保障をしていない」とかで本来教育の質を問い直される。 「これだけ大量の追加教育があるともはや算数・国語ではないだろう」とは、正義に反するのでとても言えない。 最終的には「教師の質が落ちた」というところに話は落ち着くわけだが、明治・大正の学校は、こんなことはしていなかったはずだ。 もちろん「安全教育」は必要である。そのために国語や数学が「世界一」でないくらいはあきらめたらどうなのか、というのが趣旨である。 一番でなければだめなんですか? 二番ではいけないんですか? と、いつかどこかで聞いたセリフ |