キース・アウト
(キースの逸脱)

2012年5月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2012.05.09

小3男児の目に給食の牛乳瓶破片  大阪市、1200万で和解へ


[産経新聞 5月 9日]


 大阪市の市立小学校で2008年、小3男児が給食時間中に牛乳瓶を割り、破片が右目に入り障害が残ったとして、男児と保護者が同市に約3687万円の損害賠償を求めた訴訟で、市は9日までに大阪地裁が示した1200万円を支払う和解案に応じる方針を決めた。
 市教委によると、男児は教室で、両手に持った牛乳瓶2本を目の前でわざとぶつけて割った。当時、教室には教員はおらず、管理上の責任があるとして男児側が10年9月に提訴していた。
 市教委は「教員が教室に誰もいなかったのは、やはり問題があった」としている。



 何か特殊な状況があるのだろう。
 例えばこのお子さんがそうした突飛な行動を起こすと十分予見できたうえに、学校がそれに対する対応を約束していたとしたら、
「教員が教室に誰もいなかったのは、やはり問題があった」
というのもうなづける。
 そうとでも考えないとやりきれない話である。

 学校がこうしたレベルの問題にも責任を負わなければならないとしたら、ひとクラスに一人の担任では少なすぎる。







2012.05.09

小学校から「薬教育」を イラストや模型で飲み方など説明


[産経新聞 5月 9日]


 薬の知識を子供たちに身に付けさせようと、今年度から中学校3年生を対象に「薬教育」が実施されている。市町村単位では、小学校で自主的に薬教育を行っている所もあり、中でも熱心なのは大阪市。市が関連経費を予算化、薬剤師が薬の飲み方などをイラストや模型を使って教えている。(佐々木詩)

早い段階から学ぶ

 医薬品に関する授業は従来、高校で行われていた。平成18年6月公布、21年6月施行の改正薬事法によって、コンビニエンスストアなどでも鎮痛剤や整腸剤などの一般医薬品の販売が可能となり、子供たちにも身近なものとなったため、義務教育で取り入れられることになった。20年に文部科学省が告示した学習指導要領に基づき、今年4月から中学校での授業が始まった。

 大阪市は19年度から小学校6年生を対象に、保健の時間などを使って薬教育を実施している。改正薬事法で薬の飲み方などに関する正しい知識の普及推進が盛り込まれたことを受け、小さいうちから薬の知識を学ばせようと、市のモデル事業としてスタート。実施するかしないかは学校の自由だが、市生活衛生課によると、昨年度末までに市内299の市立小学校のうち、241校で薬剤師による授業が行われた。

「薬剤師ってどんなことをしているか知ってる?」「薬は体内をどうやってめぐるでしょうか」

 大阪府薬剤師会の藤垣哲彦会長は生野区の小学校で6年生を対象に授業を行っている。プロジェクターを使いながら児童に質問。児童とやりとりしながら、錠剤やカプセルなど薬の種類、飲み方や飲む時間など基本的な事柄を中心に、「自然治癒力とは」「薬の働き」などを説明する。

 薬の実験も行う。ビーカーに茶色のうがい薬とビタミンC飲料を入れて混ぜ、無色透明になるところを児童に見せながら、「薬とジュースを一緒に飲むと効き目がなくなることもあります」と警告すると、児童はびっくりした様子。「小学生のお子さんたちは興味を持って熱心に聞いてくれます。早い段階から薬について学ぶことは重要だと思います」と藤垣さん。

薬物乱用防止に

 大阪市が小学校からの医薬品教育に熱心な背景には、薬物乱用防止につなげたいとの思いもある。
 市生活衛生課は「小学生には薬物乱用に関する授業は難しいかもしれないが、身近な薬の正しい使用法を教えることで危険な薬物の存在や使用はいけないことを知ってほしい」と話す。小中高校と連携させ、薬物乱用防止に関する効果的な学習を進めるため、ワーキンググループを立ち上げ、検討を進めているという。
 薬教育は、子供から大人に広がっている。同薬剤師会が小学校で行ったアンケートによると、大多数の児童が「学んだ内容を家族に話してあげたい」と回答。同薬剤師会は保護者向けの冊子も作成し配布しており、「家族で薬の適正な使用について話すきっかけになれば」と話している。




 産経は学力問題で最も厳しく学校を叩いた新聞と記憶しているが、違うか。

 薬物に関する教育が必要なことは分かる。
 3・11以来、これまでを上回る防災教育が必要なこともわかる。
 原子力に関する教育や道徳教育の充実も必要だ。
 以前から問題だった性教育や人権教育、キャリア教育やエイズ・HIV等感染予防教育もおろそかにできない。
 読書教育を中心とした図書館教育や喫煙・薬物を中心とした健康教育、不審者対策や交通安全教育・・・。
 しかしそうした山ほどの追加教育の中で、学校は溺れかけているのだ。

 せめて産経新聞くらいは、
「そんな教育は厚生省に任せて、学校は本来の教科教育に励んでもらいたい」
叫んでほしいものだが、そうはならない。







2012.05.17

中学校の先生、ダンスに奮闘中 授業必修化で教室通いも


[朝日新聞 5月15日]


 今年度から中学校の保健体育でダンスが必修になった。全国の6割超の学校がヒップホップなど現代ダンスを選択し、戸惑っている教員も少なくない。その不安を解消しようと、民間のダンス教室や自治体の講習などが盛んになっている。
 「ヒップホップなんてやったことがない。技術を高めないと授業にならない」
 「生徒の中には、スクールに通う子が多く、指導に自信がない」
 若者がひしめく東京・原宿。4月末、ダンススクール「エイベックス・アーティストアカデミー」のスタジオに集まった中学の体育教諭らは次々に不安を口にした。
 この日は日本ストリートダンス協会(東京都港区)が主催した教員向けの無料ダンス講習会。約50人が参加していた。
 「はい、キックステップ。速くっ!」
 ダボダボのパンツ姿の女性インストラクターが、テンポの速い洋楽に合わせ、笑顔でステップを踏む。
 東京都世田谷区の区立中学教諭、浅野恵実さん(53)はなかなかリズムに乗りきれない。周囲の動きを見ながら、足を振り出す。
 保健体育の教諭で、専門はバスケットボール。ヒップホップは初体験だ。ダンス教室に通う生徒が1クラスに3、4人いて「私よりうまい」。隣で踊る同区の別の中学の女性教諭(51)は、必修化に先立ち、昨年にヒップホップの授業を始めたが、やはり上手な生徒にお手本役を任せてしのいだという




 もともとスポーツができるから体育科の教師になったと思うが、
それにしても50歳過ぎてのヒップホップは苦しいだろう。おまけに柔道もあるし。

 学校に持ち込まれることで悪いことは一つもない。すべて子どもにとって必要なことであり正しいことである。それだけに始末が悪い。
 それが現実的であろうとなかろうと、教師にとって負担であろうとなかろうと、 “正しいこと”はしなくてはならない。“正しいこと”は回避できないのだ。

 記事の講習会は無料だが、今、全国各地のダンス教室には時間外に自腹で通う体育科教師でにぎわっているはずだ。
 教師のいいところはタダでいくらでも働いてくれるし、生徒のためならいくらでも自腹を切るところだ。文科省はそのことをよく知っている。

 
全国の6割超の学校がヒップホップなど現代ダンスを選択し、戸惑っている教員も少なくない。
 もっともヒップホップで生徒が死ぬことはないだろうから、柔道よりはましと言えるが・・・。








2012.05.20

長野県:中学教諭「処刑しちゃうぞ」 生徒と保護者に謝罪


[毎日新聞 5月18日]


 長野県塩尻市の市立丘中学校(清沢龍美校長)の男性教諭が今月9日、歴史の授業中、3年生の男子生徒の顔写真を自分のカメラ付き携帯電話で撮影し、教室のテレビ画面に映した上で「処刑しちゃうぞ」と発言したことが17日分かった。同中によると、教諭は男子生徒らが騒がしかったため「注意を引くためにやった。男子生徒とは普段から仲が良く、悪ふざけという感覚だった」と釈明したという。教諭は既に本人と保護者に謝罪した。
 塩尻市教委によると、教諭は顔写真を画像処理してテレビで1分間ほど映し、11日にも同じ顔写真を本人が居ない別の教室で「注意を引くため」という理由で映した。御子柴英文・市教育長は「『処刑』の言葉はモラルを欠いており、申し訳ない」としている。【小田中大】



 このニュースはネット上で毎日新聞と産経新聞が取り上げたが、面白いことにそれぞれのオンライン記事に着いたツイートに、異なる傾向があった。
 毎日新聞に着いたツイートが「なんでこの程度のことで記事になるのだ」という方向が多かったのに対し、産経新聞のそれは「またもやモラルなき教師の不祥事!」という方向性が強い。それぞれの新聞の読者層が読み取れてその意味でも面白かった。

 しかし、それにしても、だ。
 いったい社会全体は、こうした記事をどういった方向で読んでいるのだろう。

 もしこれきしのことが全国紙で扱うほどの大問題だとしたら、教員は本腰を入れて学校のあり方を考えなくてはならないだろう。
 教師が生徒と軽口を叩き合うような関係は徹底的に排除していかなければならない。軽い口調からは思わぬ言葉が出てきてしまうからだ。
 男子生徒とは普段から仲が良く
というその状況自体が危険を孕んでいる、そのことを心すべきだ。

 もう時代は変わった。教師が生徒と肩を抱き合い、たがいに笑い、互いに泣き、お互いに許し合う時代ではないのだ。そんな牧歌的なロマンに身をゆだねる教員は、皆、刺されてしまうのだから。







2012.05.29

<支援放置>自閉症小6評価せず、通知表に斜線


[毎日新聞 5月28日]


 高機能自閉症を抱える関東地方の当時小学6年の男児(12)が3月、ほぼ全教科の成績を斜線(評価なし)とする3学期の通知表を渡されていたことが分かった。男児はクラスの授業に出られなくなっていたが、ほぼ毎日登校。発達障害児らを支援する「通級指導教室」(通級)は週3時間しかなく、保健室や図書室で過ごしていた。専門家は「学習支援が不十分で、通知表の評価が全くできないほど放置していたのは問題」と批判している。

 母親(41)によると、男児は集団行動や字を書くのが苦手な一方、知能指数は高く、年500冊以上の本を読む。通級では算数や図工、集団行動などを学んだ。通知表は所見欄に「毎日少しでも教室で過ごそうと取り組んだ3学期でした」などと記されたが、国語以外の学科評価は斜線だった。母親は「存在を否定されたようでショックだった」と話す。

 校長は「国語だけ評価材料がそろった」と説明。毎日新聞に対し、校長は「取材は受けられない」としたが、地元教委には「成績をつけない場合は事前に保護者に説明する方針だが、対応が不十分だったなら申し訳ない」と述べたという。

 通級は国の規定で週8時間まで通えるが、男児は週3時間に設定され卒業まで変わらなかった。口頭ならテストを受けられたが、対応はなかったという。文部科学省特別支援教育課は「一般的に保健室での学習や通級による指導も参考に、評価はできる。子どもの状態に応じた支援を検討してほしい」と話す。

 東京都自閉症協会の尾崎ミオ副理事長は「同様の例は他にも聞いたことがある。学ぶ権利を奪っている」。特別支援教育に詳しい東京学芸大の高橋智教授は 「教育の放棄だ。子どもは最大限の多様な支援を受ける権利があり、これを保障するのが特別支援教育。理念が学校に浸透していない典型例だ」と語った。【田村佳子】

 ◇特別支援教育

 障害のある子どもの個別の教育的ニーズを把握し、指導・支援することを掲げ、06年に学校教育法に位置づけられた。肢体不自由、知的障害などのほか、学 習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、高機能自閉症の子らが対象。障害がある通常学級の小中学生を支援する「通級指導教室」はLDやADHD を対象に含めたことで利用が急増し、11年度で6万5360人に上る。



 
 通級指導教室というのは必ずしもすべての学校にあるわけではない。たとえば言語の障害に対応する「ことばときこえの教室」などは市町村に1ないし3教室という形になっていて、週に1回程度通うことになる。そこで学ぶ内容も基本は自立活動(言語の障害の克服など)で、教科の遅れを取り戻すのが目的ではない(しかし教科指導をやってはいけないということではない)。

 記事の児童は「通級では算数や図工、集団行動などを学んだ」とあるから、その意味ではおおむね妥当な内容だったといえる。
 3学期の通知票だけが問題とされている以上、2学期まではそれで良かったのだ。他の教科の評価もできていた。ところが、おそらく3学期になって
男児はクラスの授業に出られなくなっていたという状況が生まれた。
 そして、
「通級指導教室」(通級)は週3時間しかなく、保健室や図書室で過ごしていたということになる。

 なぜ保健室と図書館であって、体育館や図工室でないのか。
 
そこには人がいるからだ。教室にいられなくなった子を養護教諭と図書館司書が面倒を見ていたのである。
 
 その状況すら保護者に知らせなかったとしたら、これは大問題であろう。評価どころではない。しかし問題とされていない以上、たぶん保護者は知っていた。そのうえで、斜線だらけの通知票にショックを受けたのである。
 
 この事件の一番の問題は、市教委の言うとおり、
「成績をつけない場合は事前に保護者に説明する方針だが、対応が不十分だったなら申し訳ない」
 それに尽きる。授業をまったく受けない状況で◎だの△だのをつければそれ自体が問題だろう。成績をつけないことに関する学校の配慮は不十分であった。それで終わるべき事件と思う。

 しかし別の観点からの批判は私たちを別のところに導く。
 文部科学省特別支援教育課の
「一般的に保健室での学習や通級による指導も参考に、評価はできる」
は間違っていない。ただし養護教諭や図書館司書に授業をさせ評価させるわけにはいかないだろう。保健室や図書館が居場所だとしても、通知票で評価できるほどの学習は専門の教員でなければ無理だ。養護教諭や司書の片手間にやらせておいて、評価せよとはいえない。また、本来の担任が自分の学級を放り出して保健室や図書館につき切りということもできまい。

 東京学芸大の高橋智教授の言う、
 
子どもは最大限の多様な支援を受ける権利があり、これを保障するのが特別支援教育。
 も正しい。しかし「理念が学校に浸透していない典型例だ」は言い過ぎだ。
実際に「その子に対応する教員」がいない学校に、できることは少ない。理念が浸透していないのは国や地方公共団体の方だ。
 
 答えは至極簡単である。
 
教室にいられないその子のために、教員を一人配置すればいいのだ。それでこそ
 
子どもは最大限の多様な支援を受ける権利があり、これを保障するのが特別支援教育。
 という理念にかなうものであり、
保健室での学習や通級による指導 が参考にできるレベルに高まろうというものである。
 
 講師だったら一人年間400万円ほどで足りる。通級教室に通う6万5360人全員につけたところで
わずか2600億円。実際にはその10分の1も必要ないはずである。
 
 ところで、
集団行動や字を書くのが苦手 口頭ならテストを受けられたというこの子、なぜ“通級”だったのだろう。
 
 正式に特別支援学級に“入級”するか、特別支援学校に“入学”すれば、週最大8時間などという短い時間(しかも基本は自立活動のみ)ではなく、少人数の中で手厚い教科教育を受け、6年生となれば字を書ける段階まで進めたかもしれないのに、
 なぜ“入級”だったのか。
 
 年間500冊の書籍の読破という高い能力を考えるとなおさら、惜しいことである。