岩田好二裁判長は、1審・大阪地裁判決に続いて元少年の過失を認定し、両親に計約1180万円の賠償を命じた。
岩田裁判長は「校庭からボールが飛び出すのは珍しくなく、注意しながら走行すべきだった」と男性の過失を新たに認定し、賠償額を約320万円減額した。
判決によると、04年2月、元少年が校庭で蹴ったボールが道路にまで転がり出て、男性がオートバイごと転倒。足の骨折などで入院し、その後、生活状況の変化で体調が悪化し、翌年7月、肺炎で死亡した。
これだけだとさっぱりわからないのでさらに調べると、少年の蹴ったボールはサッカーゴールを越え、さらにその先にあった高さ1mの門扉を越えて道路に出たことが分かる。また80代の男性は足を骨折して入院した直後から認知症が進み、そのため約1年半後に、脳の機能低下から“食べ物が誤って気管に入って起きる誤嚥性肺炎”によって亡くなっている。
ただしここまで調べても80代の男性の損害賠償額が5000万円と高額なこと、学校の管理責任が問われていないこと、また小学校5年生のごくありがちな普通の行為に対して、裁判所が1180万円もの賠償金を命じた背景など、分からないことは山ほどある。
こんな判決が次々出るようでは、とてもではないが子どもなど持てない。
さて、まず5000万円の件だが、これには理由がある。
裁判ではいったん係争のテーブルに損害額や慰謝料の一切が乗せられるのだ。その上で全損害額・慰謝料から本人の過失分(この件だと80代の男性がオートバイに乗っていることの可否など)、また(この裁判では訴えられていないが)道路管理者の過失分、学校の過失分などが引かれ、残った金額が被告の支払うべき金額ということになる。
したがって原告も最初から5000万円を獲得できるものとは考えていないし、老人とはいえ、一人の人間の死に対して5000万円は決して高すぎる金額ではない。
事故と1年半後の死亡との因果関係は、難しくなるのでここでは省く。
その上で、学校などの責任が問われていない件については以下のような説明がある。
遺族側は「少年側の責任は明らか。学校の責任を問うことで争点を増やし、審理が長期化するのは避けたい」として、裁判の被告を少年と両親に限定(2011年7月8日 読売新聞)
したのだ。
しかし実は、背景には審理が長期化するのは避けたいとは違った別の理由があった。それは、
訴訟関係者によると、少年側は他人に損害を与えた場合に備えた保険に加入しており、保険会社と男性の遺族間の示談交渉が折り合わず(2011年7月8日 読売新聞)というのだ。
つまり被害者遺族と保険会社の間で、事態がこじれてしまっていた。そこで遺族は保険会社を訴えるわけにはいかないので、加害児童の保護者を訴えるというかたちをとったということになる。
強欲な遺族といった見方もあったが、この人たちも普通の家庭を訴えたわけではなく、裁判になる前に保険会社との心理的軋轢があってこうなったのだ。ここに至ってようやく、事件全体が納得できるものに落ち着く。
世の中、常識外れのできごとはそうは起こらない。報道で何かおかしいと思うときは、必ず隠された別の何かがあるものだ。
しかしもちろん、判決は「保険加入していたので」という限定的なものではない。こうした判決が出た以上、保険の有無にかかわらず、子どもの普通の活動で高額の賠償金が請求される道筋がついたことは確かだ。
大阪市職員113人が入れ墨をしていると回答した全庁調査に絡み、所管の教職員約1万7千人について独自調査を行った市教委は26日、学校園の教 職員10人が入れ墨をしていると申告したことを明らかにした。現業職員9人(管理作業員8人、給食調理員1人)のほか、小学校教諭も1人いた。教諭は人目 に触れる可能性がある部位に入れ墨をしているといい「これまで子供たちに見えないよう留意していた。今後消したい」と話しているという。
市教委は今後、勤務時間中の留意事項として「身体に入れ墨がある職員は、それを市民にみせないこと」などの規定を追加し、「入れ墨の施術」を禁止するよう改正した23日施行の市職員倫理規則について周知を徹底する。
市教委による今回の調査は、記名式だった全庁調査とは異なり、各校長らに教職員から自己申告で入れ墨の有無を聞き取って報告するよう求める形で調査を実施した。
入れ墨をしていると回答した10人のうち、児童生徒の目に触れる可能性がある部位にあるとしたのは、小学校教諭と管理作業員の各1人。目に触れる可能性のない部位に入れ墨をしていたのは職員8人だった。
市教委の担当者は「10人という数字は予想より多く驚いている。特に教員にはいないと思っていたので残念だ」と話した。
橋下徹市長は、入れ墨があると回答した教諭については「反省をして消すという態度に出ている」と理解を示す一方、調査について「管理責任者は市教委なのに、校長に(調査を)丸投げしていいのか」と批判した。
イザヤ・ペンダサンによるとユダヤの立法では100対0の評決は無効である。全員一致はそこに魔力が掛かっている可能性があるからだ。100人いればだれか一人は違っていなければならない。それがユダヤの確信なのである。
大阪市にはは義務教育だけでも1万人近い教員がいる。その中の0.01%が刺青を入れていたということ、それほど意外でもないはずだ。いた!!入れ墨教師…それも小学校というほどの問題でもないだろう。
大阪市の教職員全員で反省するような事柄でもない。
大阪市にはかつて背中の全面に観音と蛇の刺青を入れた助役がいた。弁護士の大平光代その人である。1万人に1人の刺青教師、何を理由に入れたのか、聞いてみたいものである。