男子生徒の自殺をめぐっては、警察は同級生3人が男子生徒に暴行していた疑いがあるとして、先月、学校や教育委員会を捜索。夏休みに入ってからは、同級生らおよそ300人から事情を聴いています。
関係者によりますと、警察は今後、暴行があったとされる教室やトイレなどを実物大の模型で再現して検証を行うということです。いじめの目撃証言の中には伝聞情報なども含まれていて、証言をより詳しく調べることが目的とみられます。
警察は来月をめどに立件できるかどうか、判断する方針です。(03日12:23)
キース・アウト![]() 2012年8月 |
by キース・T・沢木
サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。 政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。 落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。 ニュースは商品である。 どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。 ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。 かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。 甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの、本物そっくりのまがい物のダイヤ。 人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄 。 そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。 |
去年10月、滋賀県大津市でいじめを受けていた中学2年の男子生徒が自殺した問題で、警察は学校の教室などを実物大の模型で再現し、いじめの検証を行うということです。
男子生徒の自殺をめぐっては、警察は同級生3人が男子生徒に暴行していた疑いがあるとして、先月、学校や教育委員会を捜索。夏休みに入ってからは、同級生らおよそ300人から事情を聴いています。 関係者によりますと、警察は今後、暴行があったとされる教室やトイレなどを実物大の模型で再現して検証を行うということです。いじめの目撃証言の中には伝聞情報なども含まれていて、証言をより詳しく調べることが目的とみられます。 警察は来月をめどに立件できるかどうか、判断する方針です。(03日12:23) さすが警察。捜査というのはこういうものだ。 そこまでやらなければやはり真実は分からない。 “加害者”には取るべき責任を取ってもらわなければならない。しかしそのことは「取る必要のない責任まで取らなくていい」という意味で、加害者を守ることでもある。その意味でも、調査は絶対なのである。 幸い、学校には教室やトイレがある。その点では警察よりも有利と言えよう。 大津の某中学校も、ほんとうはそこまでやらなければならなかったはずだ。 同級生から受けたという、壮絶ないじめ。生徒の腕には、「根性焼き」と言われる、たばこを押しつけられた痕が、20カ所以上残されていた。さらに、学校側は、被害生徒に自主退学を求めてきたという。 被害生徒は「『根性焼きやらないと、もう友達やめるぞ』とか。『お前が根性ないこと、ばらしてやる』とか、そういうこと言われて。そいつが、一番仲良かったので、裏切られるのがすごく怖いなって」と語った。 「根性焼きが友達の証し」だと言われ、腕を押さえつけられたという16歳の男子高校生。 その腕を覆っていたガーゼの下には、火のついたたばこを押しつけられた無数のやけどの痕が残されていた。 この根性焼きは、全部で23カ所にも及んでいた。 被害生徒の母親は「(根性焼き)19個までは入れたんですね、1回。そのあとに、『たばこがなくなった』と言って、その子(加害者)が買いに行って、また4カ所入れて」と語った。 被害生徒は「痛かったですね。正直、やりたくなかったです」と語った。 2011年11月ごろ、宮城・仙台市の私立高校に通う男子生徒が、複数の同級生から、殴るけるなどのいじめを受けるようになった。 その様子を目撃したという生徒は、「肩パンチとかされているところは、見たことあります。ちょっと一方的だった。(被害生徒は)笑ってましたけど、作り笑い」と語った。 そして2012年5月、1人の加害生徒の家に呼び出された男子生徒は、腕に根性焼きを入れられたという。 その後、精神的にも肉体的にも学校に行けなくなったという男子生徒と両親は、6日、警察に被害届を提出した。 受理した警察は、傷害容疑などで捜査を始めている。 そして、男子生徒の母親によると、この根性焼きに関し、学校側が驚きの対応を見せていた。 学校側は、被害生徒に自主退学を求めた。 その理由は、「腕の傷がほかの生徒に動揺を与える」というものだった。 被害生徒の母親は「わたしは『撤回してください』って言ったのですが、(学校側は撤回を)『いやあ、ちょっと今、決められない』と」と語った。 いじめ被害を受けた男子生徒に対して、自主退学を求めてきたという学校側。 学校の関係者は、この対応について「クラスの中で、(被害生徒が傷を)見せびらかす。それについて、不快な思いをしたという生徒も多数います。『自主退学を勧めます』。そういうふうに伝えました」と語った。 7日、FNNの取材に応じた男子生徒の母親は、こうした学校側の対応について、「(学校側は)『この件については、意見は受け付けません』と。ただ、退学届を8月6日に持ってきてくださるのであれば、自主退学ということになりますが、退学届を持ってこなければ退学、強制退学ですね、そういうふうに言われたんです。正直言いまして、理不尽すぎますし、隠蔽(いんぺい)かなって」と語った。 いじめを受けた側が退学を迫られるという学校側の対応に、専門家は「私立校では、よくある対応だ」と批判している。 教育評論家の尾木直樹氏は「(退学を求めた対応は?)これは、あり得ないですよ。天地がひっくり返ったほどの論理であって、被害者を守るのが基本線です」と語った。 また、これまで尾木氏のもとに寄せられたいじめの相談は、圧倒的に私立校からのものが多いと話している。 尾木氏は「いじめの相談に乗ってきて、90%以上が私学です。公立と私学のいじめ問題で、どちらが根深いかと言ったら、私学です、明らかに。(一般に)経営優先。その学校が守らなきゃならない名誉などがある場合、被害者を転校させるというのは、はっきり言ってざらにあります」と語った。 学校側は、取材に対し、今後、調査委員会を立ち上げ、いじめの可能性を否定せず、再検討したいと話している。最終更新:8月7日(火)19時33分 よく分からない事件だがカッコ付きで生徒・保護者・学校関係者の発言を時系列にまとめるとこうなる。 2011年11月ごろ、 「肩パンチとかされているところは、見たことあります。ちょっと一方的だった。(被害生徒は)笑ってましたけど、作り笑い」 2012年5月、 「『根性焼きやらないと、もう友達やめるぞ』とか。『お前が根性ないこと、ばらしてやる』とか、そういうこと言われて。そいつが、一番仲良かったので、裏切られるのがすごく怖いなって」 「痛かったですね。正直、やりたくなかったです」 「クラスの中で、(被害生徒が傷を)見せびらかす。それについて、不快な思いをしたという生徒も多数います。『自主退学を勧めます』。そういうふうに伝えました」 「(学校側は)『この件については、意見は受け付けません』と。ただ、退学届を8月6日に持ってきてくださるのであれば、自主退学ということになりますが、退学届を持ってこなければ退学、強制退学ですね、そういうふうに言われたんです。」 「わたしは『撤回してください』って言ったのですが、(学校側は撤回を)『いやあ、ちょっと今、決められない』と」 自主退学の通告がなされたのは「退学届を8月6日に持ってきてくださるのであれば」から逆算して7月中下旬といったところか。 これだけ読むと、 「ちょっと一方的」な感じはするものの、「一番仲良かったので、裏切られるのがすごく怖い」といった強い絆に結ばれた仲間の中で、二十数か所に及ぶ“根性焼き”が行われ、その痛みに耐えた男子生徒はそれを「クラスの中で、見せびらかす」。 そんな、ヤクザがクリカラモンモンを見せびらかすような事をされてはかなわないので、学校は退学措置にしようと思ったがそれでは経歴に傷がつく。そこで「退学届を8月6日に持ってきてくださるのであれば、自主退学ということになります」ということにした。もちろん処分そのものについては交渉事にすると面倒なので、『この件については、意見は受け付けません』、 という話に見えるがどうか。 他の読み取り方がないとは思わないが、テレビや他の新聞記事にみるように、「一方的にいじめられつくした上に学校に訴えたら“傷が恐怖感を与える”から自主退学をしてほしいと言われた」といった話にはとても思えない。 実際、一方的な被害者が退学を求められたとなれば、まったく尾木言うとおり、「これは、あり得ないですよ。天地がひっくり返ったほどの論理」である。私の経験から言って、「あり得ないこと」は普通は起こらない。 いずれにしろこの問題が警察に預けられたのは良いことだと思う。刑法には“いじめ”の規定がないから、傷害容疑などで捜査されることになる。 ある事象が「いじめ」かどうかは常に争点になる。しかし傷害かどうかの認定はさほど難しいものではないだろう。 続報を強く求める。 ところで、 2012年5月、1人の加害生徒の家に呼び出された男子生徒は、腕に根性焼きを入れられたという。その後、精神的にも肉体的にも学校に行けなくなったという男子生徒と両親は、6日、警察に被害届を提出した。 の「その後」というのはいつのことなのだろう。 根性焼きを入れられて以降学校に行けなくなったとすると、学校の言う「見せびらかす」時間はなかったはずだ。また警察に被害届を出した日が退学届の締め切り日と重なっているのも解せない。 さらに尾木が「これは、あり得ないですよ」と言うのに対し、「私立校では、よくある対応だ」と言った専門家は誰なのだろう。その点も気になる。 群馬県桐生市の工事現場で、栃木県足利市立西中3年、石井誠人さん(14)が死亡した事故で、石井さんをアルバイトとして雇っていた群馬県太田市内の建設会社社長(45)が9日、取材に応じた。社長は「約8年前から足利市内などの中学生約20人を雇った。約5000円の日当を払い、学校や保護者も把握していたはず」と話し、学校側も工事現場のアルバイトを容認していたと説明した。 社長によると、石井さんの両親と校長や担任が今年5月、同社を訪れ「面倒を見てほしい」と要請を受けたという。しかし同校は他の生徒のアルバイトについて同社を訪問したことは認めているが、石井さんについては訪問前だったといい、認識が食い違っている。足利市教委は同校から他生徒がアルバイトをしているとの報告を受け、了承していた。 社長は同校卒業生。約8年前から、足利市内の4中学のほか太田、桐生市の中学から不登校などの生徒を受け入れていた。生徒たちは空き缶やペットボトルの仕分けなどの仕事が中心だったが、工事現場に派遣されることもあったという。 私自身は扱ったことはないが、中学生の就労という話は耳にしないわけではない。それはいわば最後の“希望ある切り札”なのだ。 いったい教育の目的とは何だろう。これは教育基本法の第一条にある。 (教育の目的) 第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 しかし学校教育において、様々な事情によってこの目的が十全に達成されない場合がある。例えば不登校、例えば非行である。 世の中のすべての子が勉強に向いているわけではなく、集団行動に適応できるというわけでもない。すると様々な努力にも関らず、学校教育の枠から漏れ落ちてしまう子も出てくる。 かつて“落ちこぼれ”と呼ばれたこの子たちは、以前はほぼ放置されたまま就学年齢を終えてしまった。あとは家庭の責任だった。 ところがある時期から、その部分にも学校が責任を果たそうという動きが出てくる。その決め手が、中学生の就労だった。 「学校教育で果たせなかった人格形成を、社会なら果たせる、少なくともその可能性がある」 誰でも知っているそのことを、現実化しようとしはじめたのである。 最初は問題を抱える生徒の親族が、無給のバイトとして子どもを引き受けた。それがうまく行くとしばらくして、学校や別の保護者がそこをアテにし始める。いわば昔の親方の元で、徒弟が成長していくような仕組みである。 もちろん無給で始めるのだが、事業者としてはよき働きには報酬を出したくなる。働く側も、“収入”は重要なモチベーションとなる。そして今のような仕組みができたのである。 法律違反を承知で、足利市教委は同校から他生徒がアルバイトをしているとの報告を受け、了承していた。というのはそういう事情である。 解決の糸口のない不登校や非行は山ほどある。その中に“就労“という一筋の光明でもあれば、それにすがりつきたくなるのが学校と保護者だ。だから石井さんの両親と校長や担任が今年5月、同社を訪れ「面倒を見てほしい」と要請を受けたという。ことになるのだ(記事ではこの部分に学校側との認識の差があるが、それは本質的な問題ではない)。 労働基準法では修学時間内に15歳未満の者を就労させることを禁じている。したがって明確な違法行為である。しかし今回の事件を機に、法令順守が徹底されるとその子の将来はなくなる。 そんなことを言うと、「法令は法令。順守する中でその子の将来を考えるべきだ」といった声が聞こえてきそうだ。しかし(法令を)「遵守する中でその子の将来を」考えているうちに無為に時を過ごして児童生徒を放置してしまったのが、以前のやり方だった。 そこに事態を戻してはいけない。 上海交通大学の世界一流大学研究センターが2012年の「世界大学学術ランキング(ARWU)」を8月15日に発表した。総合第1位は、10年連続となるハーバード大学。スタンフォード、マサチューセッツ工科大学(MIT)がそれぞれ第2位と第3位に入った。 上海交通大学の世界一流大学研究センターが2012年の「世界大学学術ランキング(ARWU)」を8月15日に発表した。総合第1位は、10年連続となるハーバード大学。スタンフォード、マサチューセッツ工科大学(MIT)がそれぞれ第2位と第3位に入った。 ARWUは、英国の高等教育専門週刊誌が公表する「THE世界大学ランキング」と英国の大学評価機関が公表する「QS世界大学ランキング」に並ぶ主要大学ランキングのひとつ。留学生比率や、外国人教員比率など、大学の国際性を指標に入れず、科学研究の業績で世界の大学をランキングしていることが特徴だ。 ARWUが評価指標としているのは、ノーベル賞やフィールズ賞を受賞した卒業生や教員の数、論文の被引用率が高い研究者の数、ネイチャー誌とサイエンス 誌に発表された論文数、被引用論文数など。評価されるのは、研究機関としての貢献度であり、大学での教育面は評価対象となっていない。 今回のランキングでは、上位15大学に変化がなく、米国の13大学と英国のケンブリッジ大学とオックスフォード大学がランクインした。東京大学は2011年の第21位から第20位にランクを上げ、第27位だった京都大学も第26位に上げた。 東大が評価されたのは、物理と化学の分野。分野別ランキングでは、物理で第7位、化学で第11位と非常に高いレベルの研究を行っていることが明らかになった。その一方で、数学分野では50位以内に入れず、コンピューターサイエンス部門では100位以内にもランクインされなかった。京大も化学分野でのランキングがよく、世界で第9位にランクインされている。 同ランキングは、論文発表による業績が重視されるため、英語圏の大学が有利だと言われてきた。その中で、英語圏外で唯一20位以内にランクインした東大は健闘したといえるだろう。 2012年のQSアジア大学ランキングで第1位だった香港科学技術大学は、500位以内に入れずランク外。そのほか、第2位だったシンガポール国立大学 は101?150位、第3位だった香港大学は、151位?200位の間となった。評価指標が異なるとランキング順位が大幅に変化することが改めて明らかに なった。 《湯浅 大資》 「世界大学学術ランキング(ARWU)」については毎年扱っているが、今年初めて「東大・京大の健闘」という記事に出会った。 また、この記事では30位以内のすべての大学が出ているので様々に考えやすい。 さて、 同ランキングは、論文発表による業績が重視されるため、英語圏の大学が有利だと言われてきた。その中で、英語圏外で唯一20位以内にランクインした東大は健闘したといえるだろう。 まことに正論である。 しかしその正論がマスメディアでは通らなかった。例えばNHKですら大学ランキングを扱う場合には1位から5位くらいまでをパネルに示し、以下を「・・・」で省略して20位以下の東大を示すといったやり方をした。これだと視聴者は東大までの間に、パリ大学だとかボン大学だとか、はたまた北京大学やらソウル大学など各国のトップエリート校が入り、その末端に東大があるような錯覚にとらわれる。 まさか「・・・」の部分のすべて英米の大学だとは思わない。ここに汚い作為がある。日本の教育を貶せば視聴率が取れるのだ(これを私は産経新聞の言う「日教組を中心とする学校教育の『自虐歴史観』」になぞらえて、「マスメディアを中心とする日本全体の『自虐教育観』」と呼んでいる)。 しかしRBB TODAYのように30位まで示されると、特別な事情があることが分かる。その範囲で英語で授業をしない大学は20位の東大と26位の京大、そして23位のチューリッヒ工科大の3大学しかないのだ。もっともチューリッヒ工科大は卒論指導をすべて英語で行うから、100%母国語で済む大学は東大・京大の2大学しかない。 ではどこまで下れば英語・日本語以外でランキングに入る大学にあたるかというと、実に37位の「パリ11大学」まで行かないと出会わないのである。 有名なミュンヘン大学は53位、フランス高等師範学校は73位でしかない。小中学生の学力世界一のフィンランド、ヘルシンキ大学は73位である。 アジアに目を向ければ、101位〜150位の枠に台湾大学とソウル大学が、151位〜200位の枠内に北京大学など中国の5大学がある。しかもその200位以内には日本から、大阪大学(83位)、名古屋大学(96位)、など、全部で9大学が入っているのだ。これで「日本の大学のレベルの低さ」というのはあまりにも不当だろう(ARWUの500位までの全ランキングはココにあるので参考にされたい)。 ただし、だから日本の大学は世界最高水準というのも間違いだ。 このRBB TODAYの記事で一番いいところは次の部分だ。 2012年のQSアジア大学ランキングで第1位だった香港科学技術大学は、500位以内に入れずランク外。そのほか、第2位だったシンガポール国立大学 は101?150位、第3位だった香港大学は、151位?200位の間となった。評価指標が異なるとランキング順位が大幅に変化することが改めて明らかになった。 大学ランキングなど、そもそもその程度のものなのである。 いじめを受けていた大津市の中2男子が自殺した問題で、対応にあたった学校の閉鎖的な姿勢が批判されるなか、地域住民に学校運営について一定の権限を与える「コミュニティ・スクール(CS)」(地域運営学校)の必要性を指摘する声が教育界で高まっている。文部科学省は全小中学校での導入を促しているが、学校側の抵抗もあり進んでいないのが実情だ。 CSに指定された小中学校は、教育委員会に任命された地域住民ら10人程度からなる学校運営協議会を設置する。「学力を上げる」などの基本方針の了承や、運営や人事について校長や教委に意見を述べる権限が認められている。 全国コミュニティ・スクール連絡協議会会長を務める東京都三鷹市教育長の貝ノ瀬滋氏は「子供の問題は複雑化しており、学校だけで対応するのは限界がある。地域住民の多様な価値観を学校教育の中に入れていくことで、学力向上やいじめ、不登校などの問題解決にもつながる」と話す。 ただ、CSの指定は、各市町村教委の判断に委ねられている。文科省によると、4月1日時点で指定された公立小中高校などは昨年より394校増え、38都道府県の1183校。文科省は全小中学校での導入を促しているが、現在はわずか3・6%にとどまる。 背景には、学校運営や人事に地域住民ら外部の人間が関与することを嫌う学校の閉鎖性がある。大津市で自殺した生徒が通っていた中学校と市教委も当初、「自殺の練習をさせられていた」と記された生徒アンケートを公表しないなどの閉鎖的な対応をとり、批判を浴びた。 貝ノ瀬氏は「教師以外の大人の目が、学校に注がれていることが重要で、学校に対し、良い点も悪い点も指摘する人がいないと、開かれた学校とはいえない」と指摘している。 コミュニティ・スクールの学校運営委員会に似た組織としてすでに「学校評議会」があるが、評議会が校長の諮問機関といった形をとるのに対し、学校運営員会は校長および市町村教委に直接意見を具申できる上、その内容も最大限尊重される点で評議員会よりも権限が強い。 学校運営委員会の行えることは、大きく分けて四つ。 @ 校長より学校運営の基本方針に関する説明を受けこれを承認すること。 A 学校運営及び教育活動に関する説明を受け、これに意見を述べること。 B 市町村教委に対して学校運営に関する意見を述べること。 C 市町村教委を通して都道府県教委に人事に関する意見を述べること(その際、都道府県教委は学校運営委員会の意見を尊重する方向で人事を行わなければならないことになっている)。 である。 Cだけが特に異質な感があるが、これは学校運営委員会を置くことへの報酬のようなものなのかもしれない。何しろ「あの先生は残してほしい、この先生には出て行ってもらいたい、こういう先生に来てほしい」と言えば最大限に尊重するという事だからだ。これだと理屈上、地域で最も人材に富んだ学校をつくることができるようになる(その分、他の学校の教員の質が落ちる)が、実際に可能なのか。教育の機会均等との兼ね合いをどう考えるのか、そのあたりは謎だ。 その第4の点を除けばあとは学校評議員会と大差ない。 その大差ない学校評議員会がなぜ当初の目的を達成できず、新たにコミュニティ・スクールといった概念を持ち込まなくてはならなくなったのか。そのあたりから話していきたい。 なぜ学校評議会は形骸化したのか。 一言でいえばそれは運営コストがかかり過ぎたということである。 2004年に現在の学校評議員制度が始まってすぐに気づいたのは、世間の人々は学校のことを全く理解していない、ということである。 馬鹿にしてのことではない。立場を逆にして、教員の私が民間企業の顧問になって何ができるのかということと同じである。 経理も分からない、商品開発のイロハも知らない、企業経営に関わる法知識もない、そんな私が顧問としてひとこと言わなければならないとしたら、それはもうマスコミから手に入れた貧弱な知識を頼りに、最大限一般的な発言をして帰ってくるしかない。 それに対して企業側が「それではあまりにも無意味だ、もっと建設的な発言をしてほしい」と望めば、そちらが膨大な時間をかけ、資料を用意し、会社経営のイロハからレクチャーして私の理解を深めていくしかない。それが私を企業顧問にした場合の会社が背負う運営コストである。 ただし一方そうなると、私としても大きな負担になるから生半可な顧問料では引き受けられない。相応の収入を保証してもらわなければやっていられない。そこで顧問料が跳ね上がる。そしてそれがコストに加算される。 その裏返しのことが学校評議会で起こった。 学校評議員会は現在、年に2回程度開かれるのが一般的である。しかしそれ以上に熱心に行われてきた例を私はいくつか見たことがある。 大変である。学校を理解し、適切な提言をいただくとなると、最低でも月に1〜2回は学校に来ていただき、文化祭などの学校行事や授業研究会などにも参加してもらわなくてはならない。日本の学校は教科教育だけでなく、文化教育・道徳教育の側面が非常に強いので、その際の説明の資料も手順も半端ではなくなるのだ。 しかも評議員には年間5000円とか1万円とかいった小額の謝礼しか支払われないから、そのモチベーションを維持するのも容易ではない。 結局こうしたことに長けた、異常に熱心でエネルギッシュな校長の在任中だけ続いて、普通の校長に替わった途端に形骸化する、それが今日までの学校評議会に起こってきた事だ。 問題は学校の閉鎖性ではない。学校に可能な範囲で有効な支援を受けられるなら喜んで受ける。しかしこちらの負うコストに対してパフォーマンが低すぎるなら、それはもう形骸化させる制度でしかない。 諸外国ではうまく行っている外部監査制度(学校評議会、学校運営委員会、学校理事会など)がなぜ日本ではうまく行かないのか。 これはもう学校制度、社会組織がまったく違うからだというしかないだろう。 例えばアメリカのチャーター・スクールは限りなく私立に近い公立学校だが、学校設立に関る親たちの意識が非常に高い点で日本と異なる。 これは「普通の公立学校に通った場合にその子にかかっただろう市の教育支出をクーポンのかたちで保護者に渡し、それを持ち寄って学校を運営する」といったものだが、それぞれのチャーター・スクールの設立趣旨が、「特定の閉鎖的宗教に属している」とか「地元の無教養な有色人種から子どもを切り離したい」とか、あるいは「公立学校では勉強にまったくついて行けない」とか、それなりに深刻な事情を持っている。親たちが自分の時間を削ってでも積極的に学校運営に参画しようとする特別な理由があるのだ。 * アメリカにもコミュニティ・スクールはあるが、これはいわば「学校施設を使った公民館活動」であって、例えば午後4時になるとコミュニティ・スクール主事が学校にやってきて生涯教育を運営するといったふうで日本とは全く異なるものである。 イギリスの学校理事会は、これはかなりうまく行っている様子が見られる。しかしそれもボランティアが国民の義務であるような独特の風土の上に成り立っているのであり、PTA活動ですら負担感の強い日本にはそのまま移し換えられるものではない。 またさらに言えば、学力だけをとっても、英米の初等中等教育は日本よりずっと格下である。何が悲しうて英米の真似をしなければならないのか。 確かに日本の教育はうまく行っていないかのように見える。しかしOECD34カ国で最低の教育予算という現状を考えれば、ほとんど実現できる最高水準の教育が維持されていると考えるのが妥当である。百歩譲っても、健康な日本の教育が風邪をひいている程度にすぎない。 それをやたら手術台に乗せてメスを入れるから次第に本格的な病気になろうとしている。 大津市で市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が飛び降り自殺した問題で、滋賀県警による関係者への事情聴取が難航し、いじめをしたとする同級生3人に対する暴行容疑などでの立件判断は年内を視野に秋以降にずれ込む可能性が高いことが27日、捜査関係者への取材で分かった。先に聴取した教諭らと生徒らの証言が食い違いを見せているためで、県警は確認のため教諭らへの再聴取を行う方針を決めた。 県警は27日までに、夏休み期間中に行ってきた、中学校が実施したアンケートでいじめを目撃したと回答した生徒約100人への聴取をほぼ終了。体育大会が行われた大津市内の競技場を利用して、大会の際に行われた疑いのある暴行などについての実況見分も行った。 県警は生徒らへの聴取前に教諭らへの聴取を実施していたが、生徒の聴取の中で、「先生も見ていた」などという、教諭らの証言にはなかった内容が出てきており、再度、確認作業のため教諭らへも聴取する必要が出てきた。 また、アンケートで自殺の練習をさせられていたとするいじめをめぐっては、男子生徒が、窓から身を乗り出して練習させられていたとの見方もあった。しかし、生徒への聴取の結果、同級生らが窓から身を乗り出すようなしぐさをし、男子生徒に「お前もやってみろ」と要求したが、男子生徒は拒否し、実際にはやっていなかったことなど、詳細も判明してきた。 県警は暴行容疑を軸に恐喝、強要など6つの容疑で慎重に捜査を進めているが、膨大な証言の精査に予想以上の時間を必要としており、立件の可否判断は大幅に遅れている。 子どもの自殺の原因調査を求める保護者と学校の間のトラブルというのは少ないわけではない。しかし大津での事件が俄然世間の耳目を集め、社会現象のようになった背景にはこの「自殺の練習」があった。 7月17日の第二回口頭弁論(遺族が生徒3人やその保護者、大津市を相手に損害賠償を求めた裁判)の直前の7月3日、産経新聞が「『自殺の練習させられていた』大津市のマンションで飛び降り自殺した男子生徒に関するアンケート」とい記事ですっぱ抜いたのだ。 それによると、 大津市のマンションで昨年10月、市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が飛び降り自殺した問題で、学校側が生徒を対象に実施したアンケートに、15 人が「死亡した男子生徒が自殺の練習をさせられていた」と答えていたことが3日、関係者への取材でわかった。市教育委員会はいじめの存在は認めたが、一貫 して「いじめと自殺との因果関係は判断できない」との主張を続けている。 そののち産経新聞が4日連続で記事を書き、7月7日からは新聞・テレビ・雑誌が一斉にこれを追ったのである。 自殺自体は昨年の10月、裁判は2月から始まっていてこれに関する記事はなかったわけではない。しかし9か月もたった7月になって怒涛の勢いで取材が始まったのは、繰り返し自殺の練習をさせられるというおぞましいイメージがあったからに他ならない。 しかしそれが間違いだったとなると・・・。 大津の事件に関する私の立場は、 とにかく可能な限り事実を明らかにしよう、その過程で学校も教師も生徒も、被害者もそしてその家庭も、改めて血を流そう、そうした覚悟がなければ“真実”は明らかにならない。 そうして“真実”を明らかにした上で“加害者”には相応の責任を取ってもらわなければならない。責任は“真実”に応じて取らせるべきであって、それ以上でもそれ以下であっても いけない、 そういうものである。 しかし実際にはマスメディアもネットの住民も煽る一方で冷静に物事を見ようという機運はない。 引用した記事も表題は「生徒と教師、食い違う証言」。 するとネットユーザーも機敏に反応して 「99%教師の方がウソ」「利害のない生徒が正直、保身の教師がウソ」「ここまで来てまだシラを切る気かよ」ということになる。 「自殺の練習はあった」とする人々と「なかった」とする人々がともにいたように、これほど大きな事件になるとはさまざまな錯誤、誤解、曲解、悪意、不必要な善意等々が錯綜する。 先に聴取した教諭らと生徒らの証言が食い違いを見せているためで、県警は確認のため教諭らへの再聴取を行う それは当然であり、それを解きほぐすのが捜査だ。もうすこし成り行きが見守れないものだろうか。 学校の「いじめ」に警察が介入する。こんな異常とも思える事態が全国で続発している。背景にあるのは、学校や教育委員会に対する強烈な不信感だ。 大津市で中学2年の少年が自殺した事件では、滋賀県警が学校で実況見分をするなど、着々と捜査が進んでいる。学校や教委が不誠実な対応を繰り返せば、警察を頼る動きは続くだろう。いじめ対策に通じ、「子どもの人権110番」の相談窓口にも立つ三坂彰彦弁護士は言う。 「大津市の事件の報道以降、110番へのいじめ相談も激増しています。学校がきちんと対策をしてくれないという訴えとともに、報道に過剰反応した学校に、一方的に加害者だと決めつけられたという訴えも出てきています。どちらも、学校が適切に対応できていないという印象を受けます」 一方、被害届を受理する側の警察からは、こんな声も聞こえてくる。 「いじめ自体の立件は簡単。暴行の事実があって、被害届が出されて相手が認めればいい。でも、それを子どもの世界でやっていいのか」(警視庁関係者) 学校も教委も万能ではない。対応に限界があるのは理解できる。しかし、弱っている者の側に立って温かい言葉をかけ、芽のうちに摘み取るのが、教育に携わる者の最低限の資質ではないのか。 大津のいわゆるいじめ自殺事件に関する警察の捜査は夏休み中に終えることができず9月までずれ込むという。捜査・調査というのはそういうものだろう。人の犯罪もしくは犯罪に近いものを暴くわけだから、頭の天辺から爪先まで、どこを見ても遺漏のない正確なものを期さなければならない。 その点で、 学校がきちんと対策をしてくれないという訴えとともに、報道に過剰反応した学校に、一方的に加害者だと決めつけられたという訴えも出てきています。どちらも、学校が適切に対応できていない という学校のあり方が問題になるのは当然である。しかし・・・、 そうは分かっていても何か釈然としないのはなぜだろう? それは結局、心の中のどこかで、「それは無理だろう」という思いがあるからである。 捜査権を持ちノウハウもある警察官が、専従で一か月もかけてもできないことを、日常の人間関係と授業にガッチリ捉まれている、学校にできるものだろうか 弱っている者の側に立って温かい言葉をかけ、芽のうちに摘み取るのが、教育に携わる者の最低限の資質ではないのか。 それはもちろんそうなのだが、私たちの仕事の第一は生徒指導でもいじめ対策でもない。殊にここ数年は「学力向上」の一辺倒だった。「弱っている者の側に立って温かい言葉をかけ、芽のうちに摘み取る」べき時間のほとんどを、私たちは今も理科や数学といった教科教育に費やしているのである。 毎日の教材研究を行い授業をし、適切に評価を行いまた授業に生かす。その間に部活の指導を行い試合に引率し、PTA活動を企画し、地域の行事に参加する、そしてその上で「弱っている者の側に立って温かい言葉をかけ、芽のうちに摘み取る」という「教育に携わる者の最低限の資質」を発揮できる人間がどれだけいるのだろうか。 (実はいる。しかも教員の中には相当たくさんいる。しかし全員そうであるわけではなく、だからどこかに遺漏が生まれるのだ)
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