都内の公立小学校の入学式で、ある通知が配られた。「保護者間交流に関するお願い」と記され、内容はこうだ。
「学校外での有志による保護者サークル等の開催について自粛をお願いします」
保護者間、特に母親同士の会合を禁止する「ママ友会禁止令」だ。トラブル防止を目的に、特定の親同士で仲良くせず、学校が開く保護者会を通じて幅広くつきあうように求めている。
学校関係者によると、2年前から入学式で配布するようになったという。中学受験を控えた5、6年生の保護者には、友だちの志望校を学校に問い合わせること も自粛するよう呼びかけている。同校では過去に、私立中学校に合格した子の親になりすまし、入学辞退の電話を中学校にかけた親がいたからだ。
通知ではこのほか、ママ友同士のトラブルにつながりがちな学校への子どもの送迎も控えるよう求めている。フェイスブックなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の利用や、メールアドレスの交換もだめ。保護者間の連絡は、学校の連絡先名簿を利用するように、としている。
保護者の行動を事細かに制限する学校に対して、「やりすぎじゃないか」と、保護者から反発の声が上がることもあるという。だが、禁止令にはきっかけとなった事件がある。教師や女子児童に対する誹謗中傷がSNSサイト上に名指しで書き込まれて嫌がらせの電話などがあり、児童が転校に追い込まれた。
「保護者同士のトラブルに関する相談が毎年少なからず寄せられます。学校は教育機関であり、このようなトラブルに対応する人員を配置しておりません」
通知にはそう書かれ、トラブル防止のためのルールであることへの理解を求めているが、問題が起きても学校は関知しないという意思表示にも読める。
校長は取材に対して、
「危機管理のためには、不確かな情報のやり取りが子どもたちを混乱に巻き込む恐れがあり、保護者同士、保護者と学校、教師が顔を合わせて心を通わせることが重要です」
と話す。
こうした文書を出せばママ友づきあいがなくなるとは思はないが、学校は注目しているという警告にはなる。またこうした“お達し”の背景には保護者自身の要望もあったはずだ。現代の保護者の中にはそんな濃密な人間関係が死ぬほど嫌いな人はたくさんいる。児童生徒をではなく、その保護者どうしの仲間外れやいじめもいくらでもあるのだ。
しかし、
問題は、保護者の行動を事細かに制限する学校ではなく、保護者同士のトラブルに関する相談が学校に持ち込まれ、それへの対応をしなければならない現状である。
教員の資質が相対的に下がったのも、かつてなかったこうした問題にも対処しなければならなくなったからだ。教員の仕事は飛躍的に増えている。50年前には子ども同士のいじめですら真面目に指導しなかった。それが今や親同士の関係にまで手を入れなくてはならない。もはや教職は「普通の人」では十全な仕事はできなくなっているのだ。
学校は教育機関であり、このようなトラブルに対応する人員を配置しておりませんも、言わずもがなの話ではあるが、それを言わねば分かってもらえない。ただしだからと言って、
そんなことは学校の仕事ではないと言ってはいけない。
職務としてはそこにも書いてないが、児童生徒が健全に成長するためには、やはりそうした点にまで手を入れて行かないわけにはいかない。
学校が手を引けば別の誰かがそこを差配してくれるわけでもないのだ。
奈良県警中吉野署は6日、同県吉野郡内の公立中学校で教諭に暴力を振るい、けがをさせたとして、中学3年の男子生徒(14)と母親の飲食店員(33)を傷害容疑で逮捕した。
逮捕容疑は、3日午前9時40分ごろ、校内で男性教諭(26)の顔や脇腹を殴り、顔を足で踏みつけるなどして、打撲などの軽傷を負わせたとされる。いずれも「腹が立って殴った」と容疑を認めているという。
同署によると、教諭は生徒が所属していたバスケットボール部の顧問で、7月の引退試合にこの生徒のユニホームを持って行くのを忘れた。生徒はレギュラーだったが、補欠のユニホームで出場した。その際に撮影した集合写真が、3日に校内の掲示板に張り出されたことに腹を立て、生徒が職員室から玄関近くに教諭を連れ出した。「なんであんな写真出すねん」「全校生徒の前で土下座しろ」などと母子で迫り、生徒が約30回、母が約5回殴ったという。教諭は殴られながら土下座で謝り、他の教諭が止めに入った。校長の相談を受けて同署が捜査していた。【岡奈津希】
人間のやることだからユニフォームを忘れたことについては大した問題ではない。問題だとしても事後処理をきちんとやればいいだけのことだ。その点で集合写真を校内に張り出したことには少々配慮が足りなかったかもしれない。ただしこれは学校行事の中で行われたことであって、バスケットボール部だけ写真がないのもそれはそれで厄介な問題だ。
私はこの事件の背景には、もっと経過の長い、深刻な問題が流れていたように感じる。でなければユニフォームごときで「全校生徒の前で土下座しろ」といった強い態度には出ないだろうし、暴力に訴えることもなかったろう。
相当に主観的なものだったとしても、そこには土下座をして謝る教諭を、合わせて35回も殴ったり蹴ったりしてもいいと思える何かがあったはずだ。
さらに言えば、相手が教員でなければこうした事件は起きなかったろうことも容易に想像できる。それはこの母子を怒らせた相手が町の花屋のおっちゃんや近所のご主人だったら、と考えればすぐに分かることだ。
一般人の顔や脇腹を殴り、顔を足で踏みつけるなどすればどうなるのか、それが分から人はそうはいない。子が分からければ親が分かる、親が分からなければ子が押さえたはずである。
ところが教員だけは違う。教員だけは中学生であっても大人であっても、躊躇なく足蹴にできる。今や学校は今やそういう場所になっているのだ。
9日、パリ市内で行われた公立学校に関するフォーラムに出席したオランド仏大統領
【パリAFP=時事】フランスのオランド大統領は9日、パリ市内で演説し、学校の宿題を廃止すべきだと訴えた。家庭で勉強を見てもらえない子どもがいることを踏まえ、教育の平等を推進するための配慮が必要と語った。
大統領は演説で、新たな教育プログラムを発表し、学業は「家庭ではなく学校で行うべきだ」と強調。ただ、現在フランスの学校の大半で採用されている週休3日の「週4日制」から、以前の「週4日半制」に戻すべきだとして授業時間増も訴え、将来の有権者である子どもの心をつかめるかは微妙だ。
ニュースをチェックし続ける喜びはこういうところにもある。まったく予期しなかった知識に触れることだ。
フランスが学校4日制だったなんて!
ドイツの半日学校は知っていたがフランスの4日学校についてはうっかり落としていた。それで世界の先進国の一角、というかそれ以上の地位を占めているのだからさすがだ。40人学級で週5日間、フルに200日の授業を行っている日本とは何なのか、考え直したくなる。
まさか日本人はフランス人やドイツ人よりよりバカということもないと思うが・・・・・・。
学校にお子さんを通わせる保護者にとって、担任する先生は優秀であってほしいものです。10年に一度、最新の知識を身につけてもらうために教員免許更新制も導入されましたし、先頃は教員免許状の取得を大学院レベルに引き上げようという提言もありました。しかし、そうした国内の政策とは別に、日本の教員の質が将来的に危うくなるのではないかという指摘が国際機関から発せられているといったら、驚くでしょうか。
国際機関の指摘とは、先にも幼児教育に関する記事で紹介した経済協力開発機構(OECD)の「図表でみる教育」(外部のPDFにリンク)の最新版です。そこでは「かつて日本の教員は高い給与を得ていたが、これは経験のある教員には依然として当てはまるものの、新人の教員にはもはや当てはまらなくなっている」としています。
それによると先進諸国では2000(平成12)年以来、教員の実質的給与が上昇しているのに、日本では2010(同22)年、逆に9%も低下しています。これは、先進諸国が経済発展のために教育投資を増やし、その一環として優秀な教員を集めようと給与増を図ったのに対して、日本では自治体の財政難により、一般公務員と横並びで教員給与を削減したためとみられます。
今は第二次ベビーブームの時に大量採用された50代の教員が大量退職する時期に当たっており、不況による就職難ということも相まって、大学生の教職人気は高まっています。ただ、採用枠が拡大したということは、それだけ倍率も下がることにつながり、合格者の質が下がっているのではないかとの懸念も、関係者の間に広がっています。そうしたなかでもし民間就職が好転すれば、給料が安いのに、忙しくて心労も絶えない教職を目指そうとする優秀な人がますます減ってしまわないか……将来的には、そんな心配もあるのです。
いじめ問題などに見られるように、わたしたちはどうしても、日本の先生の悪い面や足りない面ばかりが気になりがちになります。しかし国際比較をしてみれば、日本の教育が高いレベルを保っていられるのは、教員の優秀さによるのだといいます。
別のところでOECDは、学級規模の縮小だけでなく、教員の質を高めることに力を入れるべきだと提言(外部のPDFにリンク)しています。これは一学級の子どもの人数が多くても、OECDが実施する「生徒の学習到達度調査」(PISA)で好成績を上げ続けている日本の教員の指導力の高さに着目してのことです。教員の質を高めるためには、高い能力を有する学生にとって教職を魅力的な職業にすることや、教員養成や研修の改善、給与体系の整備、困難を抱える教員のパフォーマンス(腕前)を上げることなどが必要だとしています。
これまで日本の教員の給与が高かったのは、田中真紀子文部科学相の父である田中角栄氏が首相時代に教員給与を優遇する法律を制定したことが基になっています。かつて議員立法で教職志望者に介護等体験を義務付けた田中文科相にも、そうしたOECDの提言に耳を傾けることを期待したいと思います。
驚いたことに産経新聞がこの記事を引用している。
二言目には「自虐史観」と言う産経新聞は、一貫して「自虐教育観」を展開してきたはずだ。それがここにきて、日本の教育を高く評価する記事をしばしば載せるようになってきた。どういう方向転換なのだろ。
一学級の子どもの人数が多くても、OECDが実施する「生徒の学習到達度調査」(PISA)で好成績を上げ続けている日本の教員の指導力の高さ
これは諸外国の研究者やメディアがこぞってたたえるものである。また東日本大震災で日本人が見せた高い道徳性は、日本国内にあっては「日本人のDNA」の問題だが、諸外国からは「日本の教育の成果」である。
その日本の教育に、
優秀な新任が集まらなくなる
かもしれないというのがこの記事の本旨である。
諸外国では実質給与が上がっているのに、日本では10年間に9%も下げられてしまったから、というのがその理由だが、必ずしもそうはならないと思う。
教員というのは最初から金にこだわらない人たちだからだ。
この人たちを金で釣ろうと思っても無理だし、金で釣れば金が目的の人しか来ない。
今の教員に必要なのは、応分な尊敬と誇りなのだ。
そういうとすぐに、不祥事ばかり起こしているくせになんだ、学歴が低いので尊敬されないのだからみんな院卒にしてしまえ、といった短絡的な話になるがそうではない。
一学級の子どもの人数が多くても、OECDが実施する「生徒の学習到達度調査」(PISA)で好成績を上げ続けている
そのことがどれほど偉大なことか、国民は思い知らなければならないということだ。
日本の教育がどれほど道徳に傾斜しているのか(フィンランドも中国もシンガポールも、日本のような意味での道徳教育はない)、人々は了解すべきだ。
日本は中国や韓国のような過酷に、学歴社会を背景に学習をし強いるやり方を、ずいぶん前に放棄してしまった。
体罰も学校から一掃され(まだあるとはいっても諸外国の比ではない)、成績で子どもを差別もしていない。
教師が言葉一つとチョーク一本で児童生徒の成績と道徳性を維持しているのだ。それがいかにすごいかということは、世界中の教育学者に聞いてみるといい(ただし日本の学者とマスメディアは聞くな)。
「私たちは正しく評価されていない。
どんなに苦労しても認められず、叩かれ、いじめや不登校の責任を取らされ、モンスターペアレントに対峙させられる。
児童生徒と真剣勝負をしている背後から、同じ日本人から刺される」
そのことが教員の意欲を削ぎ、前向きな気持ちを失わせ、やがてその質を低下させていく。
実際採用試験の倍率はひところより極端に下がっているし、せっかく採用試験に合格しながら早々に転職してしまう若い教員は、10年前の9倍近くにも達している(*)。また多くの教員が精神的な問題を抱えて教壇を去って行く現実もある。
その穴の多くは、教員採用試験の不合格者を非正規採用で現場に当てている。
*10年度に公立の小中学校・高校・特別支援学校などで勤め始めた教員は2万5743人。このうち288人(1.1%)が1年以内に依願退職した。00年度の依願退職者は、新人教員計1万517人のうち33人(0.3%)だった。率も約3.6倍に増えている。辞める新人教員、10年間で8.7倍 「心の病」急増 2011年11月8日朝日新聞
「学校外での有志による保護者サークル等の開催について自粛をお願いします」
保護者間、特に母親同士の会合を禁止する「ママ友会禁止令」だ。トラブル防止を目的に、特定の親同士で仲良くせず、学校が開く保護者会を通じて幅広くつきあうように求めている。
学校関係者によると、2年前から入学式で配布するようになったという。中学受験を控えた5、6年生の保護者には、友だちの志望校を学校に問い合わせること も自粛するよう呼びかけている。同校では過去に、私立中学校に合格した子の親になりすまし、入学辞退の電話を中学校にかけた親がいたからだ。
通知ではこのほか、ママ友同士のトラブルにつながりがちな学校への子どもの送迎も控えるよう求めている。フェイスブックなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の利用や、メールアドレスの交換もだめ。保護者間の連絡は、学校の連絡先名簿を利用するように、としている。
保護者の行動を事細かに制限する学校に対して、「やりすぎじゃないか」と、保護者から反発の声が上がることもあるという。だが、禁止令にはきっかけとなった事件がある。教師や女子児童に対する誹謗中傷がSNSサイト上に名指しで書き込まれて嫌がらせの電話などがあり、児童が転校に追い込まれた。
「保護者同士のトラブルに関する相談が毎年少なからず寄せられます。学校は教育機関であり、このようなトラブルに対応する人員を配置しておりません」
通知にはそう書かれ、トラブル防止のためのルールであることへの理解を求めているが、問題が起きても学校は関知しないという意思表示にも読める。
校長は取材に対して、
「危機管理のためには、不確かな情報のやり取りが子どもたちを混乱に巻き込む恐れがあり、保護者同士、保護者と学校、教師が顔を合わせて心を通わせることが重要です」
と話す。
こうした文書を出せばママ友づきあいがなくなるとは思はないが、学校は注目しているという警告にはなる。またこうした“お達し”の背景には保護者自身の要望もあったはずだ。現代の保護者の中にはそんな濃密な人間関係が死ぬほど嫌いな人はたくさんいる。児童生徒をではなく、その保護者どうしの仲間外れやいじめもいくらでもあるのだ。
しかし、
問題は、保護者の行動を事細かに制限する学校ではなく、保護者同士のトラブルに関する相談が学校に持ち込まれ、それへの対応をしなければならない現状である。
教員の資質が相対的に下がったのも、かつてなかったこうした問題にも対処しなければならなくなったからだ。教員の仕事は飛躍的に増えている。50年前には子ども同士のいじめですら真面目に指導しなかった。それが今や親同士の関係にまで手を入れなくてはならない。もはや教職は「普通の人」では十全な仕事はできなくなっているのだ。
学校は教育機関であり、このようなトラブルに対応する人員を配置しておりませんも、言わずもがなの話ではあるが、それを言わねば分かってもらえない。ただしだからと言って、
そんなことは学校の仕事ではないと言ってはいけない。
職務としてはそこにも書いてないが、児童生徒が健全に成長するためには、やはりそうした点にまで手を入れて行かないわけにはいかない。
学校が手を引けば別の誰かがそこを差配してくれるわけでもないのだ。
奈良県警中吉野署は6日、同県吉野郡内の公立中学校で教諭に暴力を振るい、けがをさせたとして、中学3年の男子生徒(14)と母親の飲食店員(33)を傷害容疑で逮捕した。
逮捕容疑は、3日午前9時40分ごろ、校内で男性教諭(26)の顔や脇腹を殴り、顔を足で踏みつけるなどして、打撲などの軽傷を負わせたとされる。いずれも「腹が立って殴った」と容疑を認めているという。
同署によると、教諭は生徒が所属していたバスケットボール部の顧問で、7月の引退試合にこの生徒のユニホームを持って行くのを忘れた。生徒はレギュラーだったが、補欠のユニホームで出場した。その際に撮影した集合写真が、3日に校内の掲示板に張り出されたことに腹を立て、生徒が職員室から玄関近くに教諭を連れ出した。「なんであんな写真出すねん」「全校生徒の前で土下座しろ」などと母子で迫り、生徒が約30回、母が約5回殴ったという。教諭は殴られながら土下座で謝り、他の教諭が止めに入った。校長の相談を受けて同署が捜査していた。【岡奈津希】
人間のやることだからユニフォームを忘れたことについては大した問題ではない。問題だとしても事後処理をきちんとやればいいだけのことだ。その点で集合写真を校内に張り出したことには少々配慮が足りなかったかもしれない。ただしこれは学校行事の中で行われたことであって、バスケットボール部だけ写真がないのもそれはそれで厄介な問題だ。
私はこの事件の背景には、もっと経過の長い、深刻な問題が流れていたように感じる。でなければユニフォームごときで「全校生徒の前で土下座しろ」といった強い態度には出ないだろうし、暴力に訴えることもなかったろう。
相当に主観的なものだったとしても、そこには土下座をして謝る教諭を、合わせて35回も殴ったり蹴ったりしてもいいと思える何かがあったはずだ。
さらに言えば、相手が教員でなければこうした事件は起きなかったろうことも容易に想像できる。それはこの母子を怒らせた相手が町の花屋のおっちゃんや近所のご主人だったら、と考えればすぐに分かることだ。
一般人の顔や脇腹を殴り、顔を足で踏みつけるなどすればどうなるのか、それが分から人はそうはいない。子が分からければ親が分かる、親が分からなければ子が押さえたはずである。
ところが教員だけは違う。教員だけは中学生であっても大人であっても、躊躇なく足蹴にできる。今や学校は今やそういう場所になっているのだ。
関連記事:「33歳母と中3息子、部顧問の男性教諭殴り顔面踏む 傷害容疑で逮捕」(産経新聞)
9日、パリ市内で行われた公立学校に関するフォーラムに出席したオランド仏大統領
【パリAFP=時事】フランスのオランド大統領は9日、パリ市内で演説し、学校の宿題を廃止すべきだと訴えた。家庭で勉強を見てもらえない子どもがいることを踏まえ、教育の平等を推進するための配慮が必要と語った。
大統領は演説で、新たな教育プログラムを発表し、学業は「家庭ではなく学校で行うべきだ」と強調。ただ、現在フランスの学校の大半で採用されている週休3日の「週4日制」から、以前の「週4日半制」に戻すべきだとして授業時間増も訴え、将来の有権者である子どもの心をつかめるかは微妙だ。
ニュースをチェックし続ける喜びはこういうところにもある。まったく予期しなかった知識に触れることだ。
フランスが学校4日制だったなんて!
ドイツの半日学校は知っていたがフランスの4日学校についてはうっかり落としていた。それで世界の先進国の一角、というかそれ以上の地位を占めているのだからさすがだ。40人学級で週5日間、フルに200日の授業を行っている日本とは何なのか、考え直したくなる。
まさか日本人はフランス人やドイツ人よりよりバカということもないと思うが・・・・・・。
学校にお子さんを通わせる保護者にとって、担任する先生は優秀であってほしいものです。10年に一度、最新の知識を身につけてもらうために教員免許更新制も導入されましたし、先頃は教員免許状の取得を大学院レベルに引き上げようという提言もありました。しかし、そうした国内の政策とは別に、日本の教員の質が将来的に危うくなるのではないかという指摘が国際機関から発せられているといったら、驚くでしょうか。
国際機関の指摘とは、先にも幼児教育に関する記事で紹介した経済協力開発機構(OECD)の「図表でみる教育」(外部のPDFにリンク)の最新版です。そこでは「かつて日本の教員は高い給与を得ていたが、これは経験のある教員には依然として当てはまるものの、新人の教員にはもはや当てはまらなくなっている」としています。
それによると先進諸国では2000(平成12)年以来、教員の実質的給与が上昇しているのに、日本では2010(同22)年、逆に9%も低下しています。これは、先進諸国が経済発展のために教育投資を増やし、その一環として優秀な教員を集めようと給与増を図ったのに対して、日本では自治体の財政難により、一般公務員と横並びで教員給与を削減したためとみられます。
今は第二次ベビーブームの時に大量採用された50代の教員が大量退職する時期に当たっており、不況による就職難ということも相まって、大学生の教職人気は高まっています。ただ、採用枠が拡大したということは、それだけ倍率も下がることにつながり、合格者の質が下がっているのではないかとの懸念も、関係者の間に広がっています。そうしたなかでもし民間就職が好転すれば、給料が安いのに、忙しくて心労も絶えない教職を目指そうとする優秀な人がますます減ってしまわないか……将来的には、そんな心配もあるのです。
いじめ問題などに見られるように、わたしたちはどうしても、日本の先生の悪い面や足りない面ばかりが気になりがちになります。しかし国際比較をしてみれば、日本の教育が高いレベルを保っていられるのは、教員の優秀さによるのだといいます。
別のところでOECDは、学級規模の縮小だけでなく、教員の質を高めることに力を入れるべきだと提言(外部のPDFにリンク)しています。これは一学級の子どもの人数が多くても、OECDが実施する「生徒の学習到達度調査」(PISA)で好成績を上げ続けている日本の教員の指導力の高さに着目してのことです。教員の質を高めるためには、高い能力を有する学生にとって教職を魅力的な職業にすることや、教員養成や研修の改善、給与体系の整備、困難を抱える教員のパフォーマンス(腕前)を上げることなどが必要だとしています。
これまで日本の教員の給与が高かったのは、田中真紀子文部科学相の父である田中角栄氏が首相時代に教員給与を優遇する法律を制定したことが基になっています。かつて議員立法で教職志望者に介護等体験を義務付けた田中文科相にも、そうしたOECDの提言に耳を傾けることを期待したいと思います。
驚いたことに産経新聞がこの記事を引用している。
二言目には「自虐史観」と言う産経新聞は、一貫して「自虐教育観」を展開してきたはずだ。それがここにきて、日本の教育を高く評価する記事をしばしば載せるようになってきた。どういう方向転換なのだろ。
一学級の子どもの人数が多くても、OECDが実施する「生徒の学習到達度調査」(PISA)で好成績を上げ続けている日本の教員の指導力の高さ
これは諸外国の研究者やメディアがこぞってたたえるものである。また東日本大震災で日本人が見せた高い道徳性は、日本国内にあっては「日本人のDNA」の問題だが、諸外国からは「日本の教育の成果」である。
その日本の教育に、
優秀な新任が集まらなくなる
かもしれないというのがこの記事の本旨である。
諸外国では実質給与が上がっているのに、日本では10年間に9%も下げられてしまったから、というのがその理由だが、必ずしもそうはならないと思う。
教員というのは最初から金にこだわらない人たちだからだ。
この人たちを金で釣ろうと思っても無理だし、金で釣れば金が目的の人しか来ない。
今の教員に必要なのは、応分な尊敬と誇りなのだ。
そういうとすぐに、不祥事ばかり起こしているくせになんだ、学歴が低いので尊敬されないのだからみんな院卒にしてしまえ、といった短絡的な話になるがそうではない。
一学級の子どもの人数が多くても、OECDが実施する「生徒の学習到達度調査」(PISA)で好成績を上げ続けている
そのことがどれほど偉大なことか、国民は思い知らなければならないということだ。
日本の教育がどれほど道徳に傾斜しているのか(フィンランドも中国もシンガポールも、日本のような意味での道徳教育はない)、人々は了解すべきだ。
日本は中国や韓国のような過酷に、学歴社会を背景に学習をし強いるやり方を、ずいぶん前に放棄してしまった。
体罰も学校から一掃され(まだあるとはいっても諸外国の比ではない)、成績で子どもを差別もしていない。
教師が言葉一つとチョーク一本で児童生徒の成績と道徳性を維持しているのだ。それがいかにすごいかということは、世界中の教育学者に聞いてみるといい(ただし日本の学者とマスメディアは聞くな)。
「私たちは正しく評価されていない。
どんなに苦労しても認められず、叩かれ、いじめや不登校の責任を取らされ、モンスターペアレントに対峙させられる。
児童生徒と真剣勝負をしている背後から、同じ日本人から刺される」
そのことが教員の意欲を削ぎ、前向きな気持ちを失わせ、やがてその質を低下させていく。
実際採用試験の倍率はひところより極端に下がっているし、せっかく採用試験に合格しながら早々に転職してしまう若い教員は、10年前の9倍近くにも達している(*)。また多くの教員が精神的な問題を抱えて教壇を去って行く現実もある。
その穴の多くは、教員採用試験の不合格者を非正規採用で現場に当てている。
*10年度に公立の小中学校・高校・特別支援学校などで勤め始めた教員は2万5743人。このうち288人(1.1%)が1年以内に依願退職した。00年度の依願退職者は、新人教員計1万517人のうち33人(0.3%)だった。率も約3.6倍に増えている。辞める新人教員、10年間で8.7倍 「心の病」急増 2011年11月8日朝日新聞