発達障害の可能性がある公立小中学生は推計61万人余り??。文部科学省調査の結果に、杏林大医学部の岡明教授(小児神経専門)は「実感としてその数字は理解できる。潜在的に困難を感じる子供はさらにいるのではないか」と話す。
小学校長の経験もある愛知県の中学校長(58)は、学校では他の生徒との間でトラブルが起きないように注意を払っているという。「生徒や担任、保護者が理解を深めれば、子供も周囲に適応しやすくなる」という。
中には、授業が理解できなかったり叱られたりして不登校になったり、いじめや学級崩壊など問題行動を起こしたりする子供や、逆にいじめの対象になる子も。知的障害がない場合は普通学級に通うが、岡教授は「一人一人の特性を見ながら大人がそばで対応する必要がある」と指摘する。
文科省は教員の増員を進めているが、公立小中学校の教員で発達障害の研修を受けたのは4分の3(04?11年度の実数)。どのクラスにも平均2?3人がいるのなら全教員の研修は不可欠だ。教師の理解不足は状況の悪化を招きかねない。
発達障害者や家族を支える支援は、放課後児童クラブの運営や生活介護などが法律によって提供されている。だが自治体で支援に差があるのが実情だ。
NPO法人「文化学習協同ネットワーク」が07年に設立した特別支援教室「コスモアミークス」(東京都三鷹市)には、週1?2日、放課後に発達障害を持つ小学2年から高校2年までの10人が通う。遅れがちな勉強を教えるとともに、安心を与える場所にもなっている。職員の佐々木亨さんは「学校では『叱られるかもしれない』と緊張して教室を出ていく子供がいる。友達や大人から認められているという安心感があると、彼らの行動も落ち着く」と話す。【石丸整】
これは、「発達障害:小中学生61万4000人 文科省調査・推計」(毎日新聞 2012年12月05日)
の後付として出てきた記事だ。
前触れとなる記事は次のようなものである。
「発達障害」で一括りにされる「学習障害(LD)」と「注意欠陥多動性障害(ADHD)」そして「高機能自閉症」は中身が相当に異なる。特に“組織としての学校”という観点から見るとき、LDの場合、本人は非常に困っていても集団は困らない(したがって発見も遅れる)。それに対してADHDや高機能自閉症は時に集団を激しく揺さぶるのですぐに見えてくるのだ。
例えば「周りの人が困惑することを配慮せず言う」高機能自閉症の隣に、衝動性が中心的課題であるADHDがいれば間髪を入れず喧嘩である。殴った方は自分を抑えきれないし、殴られた方はなぜ殴られたか理解できない。自分が種を蒔いたということをすぐには分からない。そんなことが日常茶飯になる。
したがって発達障害をいっしょくたに扱うことは無用な誤解を生じる。メディアの人々もよく分かっていない。例えば、
中には、授業が理解できなかったり叱られたりして不登校になったり、いじめや学級崩壊など問題行動を起こしたりする子供や、逆にいじめの対象になる子も。
これだとまるで勉強ができない子が叱られて問題を起こすみたいな書き方だが、そんなことはない。LDで授業を理解できない子はいてもLDのために叱られる子はいない。LD単独(ADHDや高機能自閉との重複障害がない場合)だと学級崩壊や問題行動を起こすこともない。いじめの対象ということもない。
しかしいADHDや高機能自閉の子は、問題行動の原因になったりいじめの対象になることも少なくない。いきなりキレたり空気を読まずに行動する子はトラブルメーカーになり易いし、本人もつらい。
近頃「不登校の2割(人によっては4割とも)は発達障害がある」といった言い方がされるが、この場合の「発達障害」はほぼ「高機能自閉」に一致する。人間関係が分からない、人の気持ちが測れない、となると学校にいるのは苦しいのだ。
学校では『叱られるかもしれない』と緊張して教室を出ていく子供がいる。
ここにも混乱がある。ADHDの子が出歩くのはこうした心理の綾を経てのことではない。教室を出たくなったから出ただけなのだ。衝動性というのはそういうものである。「叱られるかもしれない」と先を読んで行動をコントロールできるような子は、ADHDでも高機能自閉でもない。
この問題が教師の理解で解決すると考えるならそれも間違いだ。
どのクラスにも平均2〜3人がいるのなら全教員の研修は不可欠だ。教師の理解不足は状況の悪化を招きかねない。
地域によって落差は大きいようだが、10年前と比べると学校の“理解”は格段に進んでいる。研修も毎年のように行っている。それでも解決できないことがある。
ポイントは、岡教授の言う、 「一人一人の特性を見ながら大人がそばで対応する必要がある」と、38.6%は「個別指導」などの支援は受けておらず、学校内で支援が必要と判断された児童生徒(18.4%)でも6%が無支援だった。である。
端的に言おう。何らかの事情でADHDや高機能自閉の子がパニックを起こし、あるいは喧嘩をし、あるいは一方的に拗ねてしまったとき、その時こそ「一人一人の特性を見ながら大人がそばで対応する必要がある」のである。
したがって担任はその子を連れて教室を後にする。外に出てその子を落ち着かせる。その間教室はほったらかしなのだ。そこに問題がある。
発達障害の子がようやく落ち着いてクラスに戻るとき、教室はすでに先ほどまでの静けさを保っていない。子ども、特に小学生は、担任が20分も留守にしている間、静かに自習しているという訳にはいかない。かくしてせっかく落ち着いた発達障害の子の心にも波立つ。そんなことの繰り返しなのである。これでは発達障害の子もクラスもよくなりようがない。
38.6%は「個別指導」などの支援は受けておらず、学校内で支援が必要と判断された児童生徒(18.4%)でも6%が無支援だった。
それは当たり前だ。教室には原則的に一人の教員しかいない。だとしたらどう個別指導したらいいのか。授業中、声をかけてもらわなければならない子は発達障害の子だけではない。
教師がどれほど意識を高め理解を進めても、40人を同時に教えながらクラスに2〜3人の発達障害の子につき切りになることはできないのである。
個別指導ができない理由は、実はそんな単純なところにある。
小学校長の経験もある愛知県の中学校長(58)は、学校では他の生徒との間でトラブルが起きないように注意を払っているという。「生徒や担任、保護者が理解を深めれば、子供も周囲に適応しやすくなる」という。
中には、授業が理解できなかったり叱られたりして不登校になったり、いじめや学級崩壊など問題行動を起こしたりする子供や、逆にいじめの対象になる子も。知的障害がない場合は普通学級に通うが、岡教授は「一人一人の特性を見ながら大人がそばで対応する必要がある」と指摘する。
文科省は教員の増員を進めているが、公立小中学校の教員で発達障害の研修を受けたのは4分の3(04?11年度の実数)。どのクラスにも平均2?3人がいるのなら全教員の研修は不可欠だ。教師の理解不足は状況の悪化を招きかねない。
発達障害者や家族を支える支援は、放課後児童クラブの運営や生活介護などが法律によって提供されている。だが自治体で支援に差があるのが実情だ。
NPO法人「文化学習協同ネットワーク」が07年に設立した特別支援教室「コスモアミークス」(東京都三鷹市)には、週1?2日、放課後に発達障害を持つ小学2年から高校2年までの10人が通う。遅れがちな勉強を教えるとともに、安心を与える場所にもなっている。職員の佐々木亨さんは「学校では『叱られるかもしれない』と緊張して教室を出ていく子供がいる。友達や大人から認められているという安心感があると、彼らの行動も落ち着く」と話す。【石丸整】
これは、「発達障害:小中学生61万4000人 文科省調査・推計」(毎日新聞 2012年12月05日)
の後付として出てきた記事だ。
前触れとなる記事は次のようなものである。
普通学級に通う公立小中学生の6.5%に発達障害の可能性があることが5日、文部科学省の調査で分かった。40人学級で1クラスに2?3人が「読む・書く」が苦手、授業に集中できないなどの課題を抱えていることになる。(略) 「文章の要点を読み取れない」「簡単な計算ができない」などLDがあり、学習面で著しい困難がある小中学生は4・5%。「教室で離席する」などのADHDが3.1%。「周りの人が困惑することを配慮せず言う」などの高機能自閉症は1.1%。一部はこれらが重複していた。(略) また、38.6%は「個別指導」などの支援は受けておらず、学校内で支援が必要と判断された児童生徒(18.4%)でも6%が無支援だった。 (略) |
「発達障害」で一括りにされる「学習障害(LD)」と「注意欠陥多動性障害(ADHD)」そして「高機能自閉症」は中身が相当に異なる。特に“組織としての学校”という観点から見るとき、LDの場合、本人は非常に困っていても集団は困らない(したがって発見も遅れる)。それに対してADHDや高機能自閉症は時に集団を激しく揺さぶるのですぐに見えてくるのだ。
例えば「周りの人が困惑することを配慮せず言う」高機能自閉症の隣に、衝動性が中心的課題であるADHDがいれば間髪を入れず喧嘩である。殴った方は自分を抑えきれないし、殴られた方はなぜ殴られたか理解できない。自分が種を蒔いたということをすぐには分からない。そんなことが日常茶飯になる。
したがって発達障害をいっしょくたに扱うことは無用な誤解を生じる。メディアの人々もよく分かっていない。例えば、
中には、授業が理解できなかったり叱られたりして不登校になったり、いじめや学級崩壊など問題行動を起こしたりする子供や、逆にいじめの対象になる子も。
これだとまるで勉強ができない子が叱られて問題を起こすみたいな書き方だが、そんなことはない。LDで授業を理解できない子はいてもLDのために叱られる子はいない。LD単独(ADHDや高機能自閉との重複障害がない場合)だと学級崩壊や問題行動を起こすこともない。いじめの対象ということもない。
しかしいADHDや高機能自閉の子は、問題行動の原因になったりいじめの対象になることも少なくない。いきなりキレたり空気を読まずに行動する子はトラブルメーカーになり易いし、本人もつらい。
近頃「不登校の2割(人によっては4割とも)は発達障害がある」といった言い方がされるが、この場合の「発達障害」はほぼ「高機能自閉」に一致する。人間関係が分からない、人の気持ちが測れない、となると学校にいるのは苦しいのだ。
学校では『叱られるかもしれない』と緊張して教室を出ていく子供がいる。
ここにも混乱がある。ADHDの子が出歩くのはこうした心理の綾を経てのことではない。教室を出たくなったから出ただけなのだ。衝動性というのはそういうものである。「叱られるかもしれない」と先を読んで行動をコントロールできるような子は、ADHDでも高機能自閉でもない。
この問題が教師の理解で解決すると考えるならそれも間違いだ。
どのクラスにも平均2〜3人がいるのなら全教員の研修は不可欠だ。教師の理解不足は状況の悪化を招きかねない。
地域によって落差は大きいようだが、10年前と比べると学校の“理解”は格段に進んでいる。研修も毎年のように行っている。それでも解決できないことがある。
ポイントは、岡教授の言う、 「一人一人の特性を見ながら大人がそばで対応する必要がある」と、38.6%は「個別指導」などの支援は受けておらず、学校内で支援が必要と判断された児童生徒(18.4%)でも6%が無支援だった。である。
端的に言おう。何らかの事情でADHDや高機能自閉の子がパニックを起こし、あるいは喧嘩をし、あるいは一方的に拗ねてしまったとき、その時こそ「一人一人の特性を見ながら大人がそばで対応する必要がある」のである。
したがって担任はその子を連れて教室を後にする。外に出てその子を落ち着かせる。その間教室はほったらかしなのだ。そこに問題がある。
発達障害の子がようやく落ち着いてクラスに戻るとき、教室はすでに先ほどまでの静けさを保っていない。子ども、特に小学生は、担任が20分も留守にしている間、静かに自習しているという訳にはいかない。かくしてせっかく落ち着いた発達障害の子の心にも波立つ。そんなことの繰り返しなのである。これでは発達障害の子もクラスもよくなりようがない。
38.6%は「個別指導」などの支援は受けておらず、学校内で支援が必要と判断された児童生徒(18.4%)でも6%が無支援だった。
それは当たり前だ。教室には原則的に一人の教員しかいない。だとしたらどう個別指導したらいいのか。授業中、声をかけてもらわなければならない子は発達障害の子だけではない。
教師がどれほど意識を高め理解を進めても、40人を同時に教えながらクラスに2〜3人の発達障害の子につき切りになることはできないのである。
個別指導ができない理由は、実はそんな単純なところにある。