キース・アウト
(キースの逸脱)

2013年 2月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2013.02.01

<駆け込み退職>唐突な制度改革に怒り…教諭が心情


[毎日新聞  2月 1日]


 ◇「働いた方が損をする。こんな失礼な話はない」

 退職手当の引き下げ前に教員が退職を希望した「駆け込み退職」問題。早期退職を決断した埼玉県立高の男性教諭(60)は1月31日、教員人生を締めくくる最後の授業に臨んだ。「一生をささげた仕事。生徒を思っていなければ60歳まで続けられるわけがない。最後をこんな形で終えるのは悔しく、残念でならない」。毎日新聞の取材に、苦渋の決断を下した胸の内を明かした。

 教諭は英語を担当し、2年生の副担任を務めた。2月からの退職金減額については昨年12月中旬、校長から説明があった。試算表を見ると差額は約150万円。3月末まで勤めた場合の給与を考慮しても、70万円の減額になる。

 1人暮らしでローンの返済はない。生活が切迫しているとは言えなかった。だが、唐突な制度改正に怒りがこみ上げた。「身を削り働いてきたのに、働いた方が損をする。こんな失礼な話はない。『要らない』と言われたようだった」

 2年前から肺の病気などを患い、体力の限界を感じてもいたが、生徒の顔を見るたびに心は揺れた。何と言えばいいのか。年度途中で仕事を投げ出し、同僚にも迷惑をかける。始業式のあった1月8日に「早く決めなければ後任が探せず、迷惑をかける」と早期退職を決断した。同僚も「こんな不条理な制度を我慢して受け入れないで。1月末で辞める選択をしてもいい」と背中を押してくれた。

 「教員が途中で辞めるのは無責任」「生徒がかわいそう」「制度が悪い」。早期退職を巡る批判や擁護が報じられる中、自分も1月で辞める教員だ、と生徒に説明した。

 最後の授業。「今回の件で、人にはいろいろな立場や思いがあることを知ってほしい。嫌な辞め方だったけど、君たちと過ごせたことは最高の思い出です」。そう締めくくると、生徒たちは「ありがとうございました」と感謝の言葉を返してくれたという。【林奈緒美】



「教員は常識がない」としばしばいわれるが、実際その通りだと思う。
 教員が社会常識にしたがったら学校は回っていかない。
 時間外勤務はしないとか休日は休むとか、夜中の呼び出しには応じないとかテストを返却するための徹夜仕事はしないとか、今日は私用がありますので早く帰りますとか、PTAは任意団体なので参加しませんとか、そんなことを言っていたら教育活動そのものができなくなる。
 教師は若いころから、算を打たないように育てられてくる。教育という価値ある仕事についているという誇り、自分を頼る子どもたちがいるという思い、そうしたものに支えられて今日まで生きてきた。退職金が70万減ろうとも100万円減ろうとも、そんなことはどうでもいいことだった。

 問題は、真っ当に勤めたはずの教員生活の終着で、
何の咎もないのに「オマエ、早く辞めないと退職金減らすよ」と脅迫されたことである。三十数年間まじめに勤めた結果がこれでは、とてもやっていけるものではない。
 
 もちろん為政者はそんなつもりはないと言うが、「2月からの退職金減額」がどういう意味をもつか、彼らは気がつかなかったのだろうか。
 
「こんな不条理な制度を我慢して受け入れないで。1月末で辞める選択をしてもいい」
 自分の負担が増えることも承知で、そう言って送り出してくれた同僚こそ暖かい。
  
 繰り返し言うが、教師は金のために働いているのではない。金があったからといってそれで何をするわけでもない。しかし金は極めて現実的な“評価”なのだ。

 70万円減額するというのは“オマエ、三十数年やってきたかもしれんが、結局その程度の人間だ”と言われているのと同じ
なのだ。
 だから彼は辞める。

 
一方で屈辱にまみれながら教員人生を全うする人間がいたとしても、彼にはそれが耐えられない。そしてたぶん私も耐えられないだろう。
 
 





2013.02.03

「ハゲ」と言われ平手打ち
神奈川の教諭、生徒16人に


[朝日新聞  2月 2日]


 神奈川県小田原市教育委員会は2日、市立中学の50代の男性教諭が生徒から「死ね」「ハゲ」などと暴言を吐かれたことをきっかけに2年生の男子生徒16人を平手打ちする体罰があったと発表した。教諭は生徒や保護者に謝罪、当分の間は教壇に立たないという。

 市教委によると、1日午後の数学の授業に男子生徒らが遅れてきたため、教諭は「早く入れ」と促したが、複数の男子生徒が「うるせえ」「ばか」などと言い、笑い声も起きた。教諭は発言した生徒を問いただしたが名乗り出ないため、遅れてきた男子生徒16人全員を廊下に正座させた。再度、ただしたが名乗り出る生徒はなく、教諭は「卑怯(ひきょう)じゃないか」と、16人全員を平手打ちしたという。

 授業の後、教諭が自ら校長に報告した。「体罰がこれだけ報道されているのに申し訳ない」と反省しているという。教諭はこれまでも生徒から「ハゲ」などと言われることがあり、「差別はいけない。言ったことの責任を持たなければならない」と諭していたという。




 何か30年以上前にこれと同じ風景を実際に見た気がする。しかし事件の後半のストーリーはだいぶ違ったものになる。

 清掃が終わって片づけをして、だらだらと教室にもどったら数学の「ハゲ」がいつにもましてカリカリしていて、「テメーらいったい何やってんだ!!」とか妙に熱くなってる。(これくらいのことでメンドーなやっちゃ)と思っていたらテッちゃんがボソッと口にしてしまった。
「うるせ、ハゲ!」
 ヤバいと思ったけどこっちは16人だから誰が言ったのかよくわからない。そもそもみんな静かにしているわけじゃないんだから。
 そしたらテッちゃん、もっといい気になって、でかいヨッちゃんの陰に隠れて、
「バカ」「ウゼーんだよ」とかいつまでも言ってる。そのテッちゃんのしつこさがおかしくてオレらの何人かがクスクス笑ったら・・・アイツ、完全に頭に血が上っちゃって「全員、その場に正座だー」とかまくしたてる。
 メンドーだからしかたなくその場に座ったけど、そのあとがネンチャクで、いつまでもネチネチ“正義”がなんたらとか、“ひきょう者”がどうたらとか、いつまでも言っている。
 それでオレなんかすっかりフテくされてそっぽ向いていたらまたキレて、座っているオレらの左端からバンバン、ビンタ食らわせ始めた。
 これには驚いたな。いまどき殴るなんて・・・。教育委員会に言いつけられたらどーするんだよ、とか本気で思った。

 そのあと普通に授業をやって・・・、
 ―あとから聞いたらアイツ、その足で校長室に行ったらしい。バカだよね、ホント。
 
 夜、アイツは校長や教頭と一緒にウチに来て、親父やお袋に謝って帰った。お袋なんか電話口で何度も「来なくていい」って言ったんだけどどうしても来たいって言ってきかない。仕方なく家庭訪問を引き受けたんだけど、「ハゲ」と言ったオレらの方(オレは言ってないけど)が謝られて何か変な感じだった。
 あれで一晩に16軒も謝って回ったのだろうか。
 
 翌日からアイツは授業に来なくなった。
 別の先生と教頭が手分けをして授業の穴埋めをしているけど、オレらはだれもあのことについて話さなくなった。

 アイツ、家で何してるんだろ? テッちゃんも後悔してるんだろうな。 
 でも本当に、なんでこんなことになっちゃったんだろう?



 この事件はNHKニュースでも微妙な雰囲気で放送された。
 結論から言えばもちろんこの教師が悪い。本人も体罰をすれば処分されるとわかっていながらやったのだから、謝罪も教壇に立たせないという処分も妥当だろう。

 ただ、このニュースを知った誰もが戸惑っている。それもまた事実だ。

 






2013.02.03

第三者組織が解決を=いじめ対策で提言
−教育再生会議


[時事通信  2月26日]


 政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫早稲田大総長)は26日午前、首相官邸で会合を開き、いじめ・体罰対策の提言を安倍晋三首相に提出した。1月に発足した同会議による最初の提言となる。学校で解決できない重大ないじめは、第三者的な組織が解決を図るよう提案。いじめ問題の本質的な解決のため、道徳を教科化して充実させることも盛り込んだ。
 首相は会合で、「提言は教育再生実行の第一歩だ」と述べ、下村博文文部科学相に「スピード感を持って取り組むように」と指示した。
 提言では、いじめの定義や発生時の対応などを定めた法律の制定を要請。いじめを発見した教職員や保護者らは、学校や教育委員会などに速やかに通報し、解決できない場合は、第三者的な組織が相談を受け、解決する仕組みの導入を提唱した。学校による実態把握のための定期的な調査を必須とすることも求めた。



 道徳の教科化を求める声は各所から上がっているが、どういう概念かよく分からないし、まず、
道徳を教科化して充実させるという部分で躓く。

 なぜなら
私たちの感覚からすると、道徳の教科化は格下げなのだ。

 
小学校学習指導要領
目次
第1章 総則
第2章 各教科
  第1節 国語
  第2節 社会
  第3節 算数
  第4節 理科
  第5節 生活
  第6節 音楽
  第7節 図画工作
  第8節 家庭
  第9節 体育
第3章 道徳
第4章 外国語活動
第5章 総合的な学習の時間
第6章 特別活動
指導要領を見てみればいい。ここから明らかになるのは、小学校の場合、学校がやっていることは教科と道徳と外国語、総合的な学習の時間と特別活動、それがすべてなのである。そのくらい「道徳」は特別扱いされている。それが「第2章 各教科」の中に組み込まれるわけだから、これは明らかに道徳の軽視となるはずだ。
 実行会議の人たちは何を考えているのか。

 さらに教科でないものが教科になるとなれば、基本的に「教科書があること」「中学校では教科担任がいること」「通知表や高校への調査書に評価のあること」などが思いつくが、果たして今の教育予算で教科書や教科担任を用意できるものか。

 また、数学の成績が「1」でも世の中渡っていけるが道徳「1」でどうやって生きていくのか、道徳の成績で「5」のつく中学生というのも想像がつかない。あの孔子ですら「七十にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」というのに。

 そう思って「道徳の教科化」について調べたら、総理官邸のサイトの中にあった。
しかも今回の提言の基礎となった資料である。
(トップ > 会議等一覧 > 教育再生実行会議 > 開催状況 > 第2回 教育再生実行会議 配布資料>資料2 道徳教育について(文部科学省提出資料


【参考】教育再生会議「道徳教育」関連部分(抜粋)
●教育再生会議第二次報告(平成19年6月1日)
 社会総がかりで教育再生を〜公教育再生に向けた更なる一歩と「教育新時代」のための基盤の再構築〜

U.心と体―調和の取れた人間形成を目指す
提言1 全ての子供たちに高い規範意識を身につけさせる
【徳育を教科化し、現在の「道徳の時間」よりも指導内容、教材を充実させる】

○国は、徳育を従来の教科とは異なる新たな教科と位置づけ、充実させる。
・ 全ての学校・教員が、授業時間を確保して、年間を通じて計画的に指導するようにする。
・ 徳育は、点数での評価はしない。
・ 教材については、多様な教科書と副教材をその機能に応じて使う。その際、ふるさと、日本、世界の偉人伝や古典などを通じ、他者や自然を尊ぶこと、芸術・文化・スポーツ活動を通じた感動などに十分配慮したものが使用されるようにする。
・ 担当教員については、小学校では学級担任が指導することとし、中学校においても、専門の免許は設けず、学級担任が担当する。特別免許状の制度なども活用し、地域の社会人や各分野の人材が教壇に立つことを促進する。
・ 国は、脳科学や社会科学など関連諸科学と教育との関係について基礎的研究を更に進めるとともに、それらの知見も踏まえ、子供の年齢や発達段階に応じて教える徳目の内容と方法について検討、整理し、学校教育に活用することについて検討する。
・ 国語や社会科、音楽、美術、体育、総合的な学習の時間なども関連付けて、広く徳育を充実する。

 ここに至って事情はまったく分からなくなる。しいて言えば
「多様な教科書と副教材をその機能に応じて使う」と、教科書をつくることを暗に示唆しているものの、これまでと何が違うのか、まったく分からないのだ。

 例えばこれを小学校指導要領「第3章道徳」中学校指導要領「第3章 道徳」
 と比較すると、明らかに内容は乏しくなっている。
 
 指導要領では小学校1年生を除くすべての学年に35時間の道徳が義務付けられ(小学校1年生のみ34時間)、教育再生実行会議に出された文科省の資料にも35時間は達成されているとある(小学校35.7 単位時間、中学校35.1 単位時間、合計35.5 単位時間)。しっかりやっているのだ。
 
 いったい何がどういけなくて、何をどう変えようというのか、まったく見えてこない。