キース・アウト
(キースの逸脱)

2013年 5月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2013.05.14

部活の炎天下ランニングは体罰
文科省会議が具体例


[日本経済新聞 5月10日]


 文部科学省の有識者会議は10日、学校の運動部活動の指導で、体罰などにあたる許されない行為と、指導として認められる行為の具体例を盛り込んだガイドラインの素案を示した。炎天下で水を飲ませずに長時間ランニングさせることなどを禁じた。月内にも最終案を取りまとめ、下村博文文科相に提出する。

 大阪市の市立高校で体罰を受けていたバスケットボール部の男子生徒が自殺した問題を受け、部活の顧問らに体罰防止を徹底するのが狙い。

 素案は、顧問の教員らによる行為が体罰に当たるかは「子供の年齢や心身の発達、行われた環境などを総合的に考慮し、個々の事案ごとに判断すべきだ」と指摘。その上で指導の範囲内と考えられる行為と体罰を分類し、具体例を明示した。

 体罰など許されない指導の例として例示したのは、殴る、蹴るといった暴力行為▽炎天下で水を飲ませずに長時間ランニング▽特定の生徒への過度な肉体的、精神的負荷▽パワハラと判断される脅し――など。

 通常の指導の範囲内として認められる行為は「安全確保のため、柔道の稽古で初心者に受け身を反復させる」「練習への遅刻を繰り返した生徒を試合に出さずに見学させる」など。子供による暴力行為があった際、教員が正当防衛として肉体的苦痛を与えた場合は体罰に該当しないとした。

 大阪市立高校で男子生徒が自殺した問題を受けて、文科省が全国の公立高校を対象に実施した緊急調査では、2012年4月〜13年1月に840件の体罰があり、1890人が被害を受けていた。



  
 基本的に新聞というのは正確さよりも煽情的であることが尊ばれる。
 記事を読めば、
(罰として)「炎天下で水を飲ませずに長時間ランニングさせること」がNGなのであって、「部活の炎天下ランニングは体罰」という訳ではない
 しかし見出しにするときは「部活の炎天下ランニングは体罰」。
 これでは教員や顧問が疑心暗鬼になるのもやむを得ないだろう。

 さらに
安全確保のため、柔道の稽古で初心者に受け身を反復させるのは、通常の指導の範囲内として認められる行為であるとなると、多くの柔道部顧問は絶句してしまうだろう。
 この人たちは信念をもって、
受け身の反復練習は「やらねばならない指導」だと思ってきた。それが通常の指導の範囲内として認められる行為となるとこれもそこそこに切り上げなければならないことになる。

 少なくとも“初心者でない部員”に「受け身を反復させる」のは認められないだろう。
 ・・・本当にそうか?

 
混乱の原因は「体罰」と「厳しすぎる指導」を同時に定義しようとしたことによる。

 特定の生徒への過度な肉体的、精神的負荷も罰として行えばアウト、個人練習として技能を伸ばすためのものだったら取りあえずセーフくらいにしておけばいのだ。そうしなければ怖くて個人練習もさせられない。
 その上で、個人の能力を伸長させる練習として、それが適度であるか過度なのかを問えばいいだけのことではないか。
  
 また体罰が問題なら、許される罰と許されない罰を定義すればいいだけのことであって、それ以上のことはただ現場を混乱させるだけである。
 何か本当につまらないことになってきた。