キース・アウト
(キースの逸脱)

2013年 6月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2013.06.22

いじめ防止法が成立、学校に通報義務…今秋施行


[読売新聞 6月21日]


 いじめ防止対策推進法は21日午前、参院本会議で自民、公明、民主各党などの賛成多数で可決、成立した。

 今秋施行される。

 同法では、いじめの定義を「児童生徒が心身の苦痛を感じている」とするなど、客観性よりもいじめを受ける側の意向を重視した。いじめに遭った子どもの生命や財産に重大な被害が出るおそれがある場合に、学校から警察への通報を義務づけるとともに、学校に対し、教職員や心理の専門家などによるいじめ防止のための組織設置を求めた。保護者については、子どもの教育に「第一義的責任を有する」とし、規範意識を養うための指導を求める。インターネットを通じたいじめへの対策推進も打ち出した。
 付帯決議には、いじめ防止のための組織に第三者を入れて公平性を確保することも盛り込まれた。文部科学省は、同法に基づき、対策の基本方針を定める。

 
 今回可決した「いじめ対策推進基本法」は19ページに及ぶ大部なものだが、読売新聞の記事はそれを要領よくまとめているといえる。さらに整理すると。
・客観性よりもいじめを受ける側の意向を重視
・重大な被害が出るおそれがある場合の、学校から警察への通報を義務づけ
・いじめ防止のための組織の設置
・インターネットを通じたいじめへの対策推進
 以上の四つが基本的内容と言える。
 ただしこの法案、いじめの実態をどのようにとらえてのことか、私には理解できない。

 たとえば巷間言われるように「いじめは、いじめる側といじめられる側が一夜にして変わってしまう場合がある」として、両者から被害が訴えられた場合はどちらの意向を重視すればよいのか。あるいは同じ状況で一方だけが訴えた場合はどうなるのか。
 具体的にはこうだ。
 長年いじめを続けてきたグループのボスが一夜にして地位を陥落し、全員から無視される。その子はいじめを訴えて不登校になる、自殺をほのめかす、そのとき客観性よりもいじめを受ける側の意向を重視重大な被害が出るおそれがある場合の、学校から警察への通報を義務づけを果たすのはあまりにも公平性を欠くことにはならないか。
 極端な例ではない。めったにない例でもない。よく言われるように「いじめは、いじめる側といじめられる側が一夜にして変わってしまう場合がある」からだ。
 
 この法律が対象としているのは、一人または多数が暴力をもって金品を奪ったり奴隷のごとく働かせたり、あるいは何の理由もないのに嫌がらせをしたり意地悪したりするような、そういう「いじめ」である。
 しかし被害者に何の落ち度もないのに攻撃され続ける、そんないじめは稀である。多くは人間関係の崩れから始まるものであってそう簡単に白黒つけられる問題ではない。それはまず止め、心理の綾を丁寧に押し開き、誤解を解き、心の凝りを揉み解し、ゆっくりと回復に導かなければならないものである。
 恐喝や暴行ならまだしも、昨日まで何のかかわりもない警察や外部の人間が入って解決できる問題ではないのだ。

 繰り返しになるが、
「長年いじめを続けてきたグループのボスが一夜にして地位を陥落し、全員から無視される。その子はいじめを訴えて不登校になる、自殺をほのめかす」
 この状況で警察や外部の第三者に何ができるか。そこに明確な見通しがない限り、「いじめ対策推進基本法」は単に学校の混乱させる悪法でしかない。
 
 真に価値ある「いじめ対策推進基本法」はたった一行で済むのだ。
「いじめをなくすために、学校にいじめ対策主任を配置する。いじめ対策主任は授業および校務分掌を一切持たない。国はそのための予算措置を講じる」
 これで日本中のいじめ問題の大半を解決できる。いじめ対策主任は朝から晩まで教室を回り「いじめ」の芽だけを見ていればいいのだから。
 もちろん本気で専任いじめ主任を求めているのではない。学校はもっと人間が必要だということだ。

 学校に持ち込まれるもので悪いものは何一つない。生活科も総合的な学習も小学校英語もエイズ・HIV対策委員会も、学校評議会も学校自己評価も教員評価も、教員免許更新制も開かれた学校も「いじめ対策推進基本法」もすべて正しいものである。しかしこうした“正義の累積”により学校は窒息しかかっている。

 学校はいじめの発見などしている暇がないほど忙しくなっているのだ・・・と、そう考える人はいないのか?

 






2013.06.26

大阪市の公募校長、3か月で退職「理由言えぬ」


[読売新聞 6月25日]


 大阪市立小中学校で今年度から導入された校長の全国公募に応募し、4月に民間人校長として就任した市立南港緑小(住之江区)の千葉貴樹校長(38)が、就任からわずか3か月足らずの25日付で退職することがわかった。

 校長公募は橋下徹市長の肝いりで導入され、今春に11人が就任したが、退職は初めて。

 千葉氏は外資系証券会社出身。退職理由は「一身上の都合」だが、関係者によると「公募校長としてやりたいことと、市教委が求める校長像の間に大きなズレが生じていた」と悩んでいたという。読売新聞の取材に対し、千葉氏は「現段階で理由は言えない」と明言を避けた。市教委幹部は「慰留したが、本人の考えとの隔たりは埋められなかった」としている。後任については、内部の人材を充てる方針。




 本人が「理由は言えない」と言っている以上すべては憶測でしかないが、
結局民間人校長を通して橋下市長が何を実現したかったのか、それが明確でないことが立場を苦しくしたのではないか。
 常々言っている通学区の自由化だったら何も校長を代えなくてもできることだ。とにかく教員に君が代を歌わせろといった話もなかった。その上で、民間の新しい風を、知恵を、といったところで何をすればいいのかわからないのだ。

 なにもそれは大阪市に限ったことではない。
 民間人校長の登用が始まって10年以上になるが、その人数が一向に数が増えないのもこれといっためぼしい成果が出せないでいるのも、採用者が明確な方向性を示してこなかったからだと思う。
 とにかく何かやってくれるかもしれないと言ったあいまいな期待だけでは、何も始まらないのだ。

 もちろん学校に乗り込んでくる民間人校長にはそれなりの意志も意欲もある。しかしその意志や意欲は、果たして現実的なものであろうか。
 実は民間人校長が抱いてきた理想の、半分以上がすでに学校にあるといった場合も少なくない。
 また学校は100年以上にわたる経験知でギシギシに凝り固まっている。そうした経験知は論理化されていないことが多いから、なぜそうなのかわからない。なぜその行事は存在し次第はこうなのか、なぜ授業の始まりはああであって終わり方がこうなるのか、指導案の作成手順や様式はどうしてこうなのか、そうしたことの大部分は教員も説明できない。しかし下手にいじると学校は崩れる、そういうものがたくさんある。学校は組織として非常に硬く、保守的なのだ。

 一方、教員も動かない。
 外部からは「教育崩壊」だの「指導力の低下」だの言われるが、教師自身はそうは思っていない。これだけ難しい時代にこれだけ手足を縛られ、これほど大量の仕事を背負いながら、しかしそれでもかろうじて何とか凌いでいる、そう感じている。だからまったく新しいものには抵抗する。現在の60点しか取れない方法でも、うまく行くかどうかも分からない未知の方策よりはいいと感じているのだ。失敗した子どもの時間は取り戻せないからである。

 それを押さえて新たなものに挑戦させるには、その新しいやり方に大きな価値がある、必ずうまく行くと納得させるしかない。明確なビジョン描き職員を説得しなければならない。教員は子どもの役に立つと納得すれば大抵のことはしようとしてくれる。

 しかし、現実問題としてそこまで学校を理解し、理解した上でのビジョンを提示することは難しい。だからこそ任命者の後ろ盾が必要なのだが、橋下市長が明確な方向性を示して11人の民間人校長を送り出したとはとても思えないのだ。
 
 大阪市は平成26年度に新たに着任させる市立小中高の校長69人のうち、約半数の35人を民間からの採用枠として設定している。
 とりあえず民間人を校長にすれば何かをやってくれるに違いないという時代は、もう終わっているはずなのに。
 
 
 




2013.06.26

 <大阪市>公募校長が着任3カ月で退職


[毎日新聞 6月25日]


 大阪市初の公募校長として民間から4月に着任した市立南港緑小学校(住之江区、152人)の千葉貴樹校長(38)が、「経験やスキルを生かせる学校でなかった」として25日付で退職した。公募校長制は橋下徹市長の肝煎りで導入。市教委は今春、民間から11人を採用し、来春は公募する約70人のうち35人を民間から採用する計画だ。
 
 千葉校長は同日、記者会見し、「英語教育やグローバル人材の育成をやりたいと伝えたが、赴任したのは違う課題のある学校だった」と話し、配置や給与などへの不満を退職理由に挙げた。さらに、「具体的にどういう方向に教育を進めていきたくて、公募校長に何をやってほしいのかというビジョンが全く見えない」と市教委を批判した。着任3カ月で退職したことで招いた混乱への認識を問われると、「謝罪するつもりはない。何も不祥事は起こしていないし、地域とももめていない」と述べた。
 
  千葉校長は、外資系証券会社勤務などを経て、公募校長に採用された。退職願は5月28日付で提出していたという。市教委は、今月26日付で同校に新校長を着任させる。【林由紀子】

 
 
 ネット上では「無責任だ」「いい加減だ」「給与が安いことは最初から分かっていたことだろう」「学校が全く分かっていない」とけチョンケチョンだが、「
ダメだと分かればすぐに手を引く」というのは、おそらくそれも民間の知恵だろう。短期的にも長期的にも利益の見込めない事業にいつまでも係わっているのはマネジメント哲学に反する。
 橋下氏が私たちに教えたかったことにひとつは、ここにあるのかもしれない。
 
 さて、
「具体的にどういう方向に教育を進めていきたくて、公募校長に何をやってほしいのかというビジョンが全く見えない」
 ここに問題のすべてがある。

 大阪市教委にしても「それは市長に聞いてもらわないと・・・」と言ったところだと思うが、とにかく校長が「民間」であることの良さを具体的に語った人はだれもいない。
 民間企業などで得た発想力や企画力、組織運営能力といったノウハウを生かした学校運営をしてもらう
 と言っても学校のように高度にできあがった組織を改革するのは、こんな曖昧な言い方では何もわからない。橋下市長はもっと明確な目標を与えて送り出すべきだったのだ。
 
 それは例えば「市長の言うことを素直に聞く学校をつくってこい。そのために人事権を与える」でもいいし、「とにかくあなたの理想の学校をつくってほしい。そのためなら指導要領を無視してもいいし、保護者からクレームがついたら私が責任を持って対応する」でもいい、何をさせたいのかはっきりした上で権力を付与して送り出さなければならなかったはずだ。
 
 日本のような成熟した社会では問題への対処の多くが試されつくしている。それでもうまく行かない分野がある。
 しかし選挙で「国政に素人の視点を」とか言って続々とタレントを送り込んでも、裁判に庶民の目をと裁判員制度をつくっても、それで国政や裁判が良くなるとは限らない。プロでも難しいことを素人にさせるには、それなりのバックアップが必要なのだ。
 
 転身後の千葉貴樹氏の検討を祈る。
 将来、“あの千葉貴樹”ですらうまく行かなかったということになれば、学校も見直されるというものだ。
 
 
《参考》
  公募校長「給料は最低、若いから小規模校へ」…謝罪なき退職
                    (2013年6月26日 読売新聞)

 大阪市立小中学校で今年度から導入された校長の全国公募に応募し、4月に民間人校長として就任した市立南港緑小学校(住之江区)の千葉貴樹校長(38)が25日、「私が力を発揮できる場所とは違う」と述べ、同日付で退職した。

 同市の民間人校長は今春、11人が就任したが、退職は初めて。校長公募は橋下徹市長が掲げた教育改革の目玉だっただけに、3か月足らずでの退職は波紋を広げそうだ。

 この日の市教育委員会議で退職を承認された千葉氏は、同小で記者会見。複数の外資系証券会社に10年以上の勤務経験があるという千葉氏は、「経験を生かし、英語教育に力を入れたいとアピールしたが、今の学校の課題は基礎学力の向上だった。英語教育に力を注げる環境ではなかった」と説明した。

 また、採用過程で市教委側と意見交換する機会が少なかったことに不満を述べ、「若いからといって、各学年1学級しかない小規模校に配属され、給料も経歴に関係なく最低級。年功序列だ」と批判。自らの退職による混乱については「何も不祥事は起こしていないし、謝罪することではない」と語り、児童に対する思いを問われ、「申し訳ないという気持ちではなく、残念な気持ち」と話した。


「若いからといって、各学年1学級しかない小規模校に配属され、給料も経歴に関係なく最低級。年功序列だ」
・・・ため息が出ますな。