キース・アウト
(キースの逸脱)

2013年 8月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2013.08.03

痴漢増加 「地位ある人」がなぜ…
「喜んでいると思った」とカン違い、病気?
専門家「早めの治療が必要」


[産経新聞 8月 1日]


 強制わいせつなどの性犯罪と同様に痴漢が増えている。大阪府内では今年上半期(1〜6月)の摘発件数が前年より7・6%増の185件で、平成20年以降で最多。摘発者の中には小学校長や警察官、自治体職員ら「地位のある人」も少なくない。実名公表や厳しい処分が待ち受けているにもかかわらず、なぜ犯行に及ぶのか。再犯も目立っており、専門家は「『病』だと認識して治療する必要がある」と指摘している。

信頼失い職失う

 大阪府警は7月上旬、茨木署地域課の巡査長(38)を停職1カ月の懲戒処分にした。理由は痴漢。巡査長は依願退職した。

 痴漢は軽微な性犯罪とみられがちだが、女性の心を深く傷つける卑劣な犯罪として、社会的に厳しく断罪される。実名は公表され、警察官なら処分は停職でも依願退職が当たり前。懲戒免職になることもある。

 府警は摘発を強化しており、22年以降の摘発件数は毎年、前年比約30件増となっている。しかし痴漢は一向に減らず、今年6月10日〜7月7日の1カ月間の痴漢発生件数は134件と、依然多くの女性や子供が被害に遭っている。

会社員が半数以上

 警察庁が22年に東京や大阪で行った調査によると、電車内の痴漢行為で摘発された219人の半数が会社員。年齢別では30代が74人(33・8%)と最多で、次いで40代の59人(26・9%)だった。

 犯行場所は「通勤・通学の電車内」が67%。被害者の選定も、「偶然近くにいた」が111人(50・7%)と最も多く、働き盛りの30〜40代が、何気ない日常の中で痴漢行為に手を染める実態も浮き彫りになった。

痴漢は「病」

 痴漢加害者のカウンセリングを行う心理カウンセラーの衣川竜也さん(34)は「痴漢は依存症。性欲や性癖では片付けられない『病』だ」と強調する。
実際、再犯者も目立つほか、女性になりすましてインターネットのサイトに「痴漢して」と書き込み、別の男に痴漢させたとして和歌山県迷惑防止条例違反容疑で7月9日に逮捕された大阪国税局職員は、過去にも痴漢がらみで処分を受けたことがあった。

 衣川さんによると、「女性が喜んでいると思った」と勘違いしてカウンセリングに来る加害者は多い。こうした人に共通するのが、他人の気持ちや痛みを忖度(そんたく)する「共感力」の低さだ。「男が聞いても腹が立つほど女性の感情に無関心」という。

 その一因が「日々のストレス」といわれる。衣川さんは、「ストレスをためすぎると脳がダメージを受けて、理性的な判断を下す前に行動してしまう」と指摘。常習犯になると無自覚に近い状態で犯行に及ぶため、捕まって初めて自分が痴漢をしていたことに気付くケースもある。

 また、「過保護な生育環境」が影響することも。困ったとき、本人が考える前に親が手を差し伸べてきた人は欲求を我慢することが苦手だからだ。衣川さんは「痴漢は『我慢』では治らない。専門家によるストレスケアや家族の協力といった『治療』が必要」と話している。



 おそらく免許を必要とするすべての職業の中で、懲戒免職(懲戒解雇)と同時に自動的に失効となるのは教員だけだろう。ボイラー技士は懲戒解雇となってもボイラー技士として働くことができる。弁護士も医師も会計士もそうだ。教員だけが、たとえば酒気帯び運転で懲戒免職になれば二度と教壇に立つことはできない。

 痴漢行為で逮捕されれば普通のサラリーマンだって失うものは莫大だ。
 彼は、職を失い収入を失い、キャリアを失い周囲から信頼を失う。時には家族を失い友を失い、地域を失う。退職金を失い年金も減額となる。
 その上教員の場合は免許を失って二度と同じ職業に就くことはできない。教育以外に何の技能もない者が、それ以外の職に就かなければならない。
 
それほどの犠牲に見合う素晴らしい何かが、その痴漢行為にはあるといいのか? 彼はどういう判断によって、「投げ出すすべてのものを越える価値」がそこにはあると判断したのか。

 答えは簡単だ。
 彼は判断をしなかったのである。そう考えるしかない・・・私はそのように考えていた。
 小学校長や警察官、自治体職員ら「地位のある人」が痴漢行為によってすべてを失うのは、ストレスか何かによって正常な判断力を失っているからだと。
 しかし
ストレスをためすぎると脳がダメージを受けて、理性的な判断を下す前に行動してしまうとなると事態はさらに深刻だ。なぜなら捕まって初めて自分が痴漢をしていたことに気付くケースもあるからだ。

 
捕まった後で鮮明な判断力が一気に戻ってくる、その恐怖はどれほどのものだろう。神経が衰弱して逮捕されてもしばらく行為の意味が分からないでいる方がよほどマシだ。

 教員がわいせつ行為で逮捕されると必ず「あってはならないことが起こった」「教員にあるまじき行為だ」といった話が持ち上がる。さらにネット上では「エロ教員がまたやった」「教員は全員クケベだ」といったことになる。しかしそれでは何の説明にもならないし対応策もとれない。

 痴漢は依存症。性欲や性癖では片付けられない『病』だ

 そう考えては初めて事態は理解できる。そしてそこから対応策も生まれようというものだ。







2013.08.11

尾木ママ「万引きしても優しく声かけて」
「叱らない子育て論」がネットで論議に


[J-CASTニュース 8月 9日]


「万引きしても怒鳴らず、『どうしたの?』と優しく声をかけて」。尾木ママこと教育評論家の尾木直樹さんが、福井市で行った講演でこう語ったと報じられ、ネット上で議論になっている。

尾木直樹さんは、学校が夏休みに入ってから全国各地で子育てなどのテーマで講演を続けている。福井市内で2013年7月31日に行われた講演では、「愛とロマンの子育てトーク」がテーマだった。

「そこは叱れよ」「メリハリは必要」との声多く

その様子を報じた福井新聞によると、尾木さんは、ほめてあげることで自己肯定感が育つとする「叱らない子育て」の持論を披露した。そして、次のように呼びかけたそうだ。

「例えば万引きで捕まったときには褒められない。そんなときにも怒鳴らず、魔法の言葉『どうしたの?』を優しく声かけして」

尾木さんは、子どもが自立するには一定量の愛情が必要で、幼いうちはそれをたっぷり注いでほしいとも訴えた。

福井新聞の記事は、ネット上で次第に話題になり、尾木さんの考え方に疑問の声も上がるようになった。

万引きは犯罪だとして、「いやいや、そこは叱れよ」といった指摘が相次いだのだ。また、「悪いことを悪いとも思わない最近のDQNになるだけ」「それで社会に出て上司にちょっと叱られてすぐ辞めるっと…」などの意見もあり、「何事にもメリハリは必要じゃない?叱るときは叱る、誉めるときは誉める」との声が多かった。

もっとも、尾木さんを支持する声もあり、「頭ごなしに叱るのはダメだ、って事を尾木は言いたいんだろ」「怒るのは理由聞いてからでも遅くないだろうよ」といった書き込みがあった。

言い分を踏まえて叱るべきと言っていた?

ところで、福井新聞の記事は、尾木直樹さんの発言について、一部を切り取ったものだ。実際の講演では、違うニュアンスで言っていた可能性がある。

尾木さんの著書「尾木ママの『叱らない』子育て論」を紹介したオールアバウトの2011年6月6日付記事によると、尾木さんは著書で、叱りたくなったら、深呼吸して、無理やりにでもほめることが大事だと説いた。子どもに聞くと、数%でも正しいところがある可能性があるからだという。

一方で、ベネッセ教育情報サイトの13年4月26日付インタビューで、尾木さんは、頭ごなしに怒るのと違い、叱ることには教育的視点があるとも述べている。ブログでも8月2日、子どもの叱り方として、「〜しよう」「〜だと助かる」などと具体的、希望的に言うことが大事と言っている。

とすると、尾木さんは、まず子供に万引きした理由を聞いて、その言い分を踏まえたうえで正しく諭すような叱り方をすべきと講演で言ったのかもしれない。尾木さんの事務所に取材すると、スケジュールがいっぱいで対応する時間がないとのことで話は聞けなかった。

なお、尾木さんが講演した福井市の会場は、福井新聞や尾木さんのブログによると、約2000人が訪れて超満員だった。3時間前から並ぶ人もいたという。尾木さんは、山形県や宮崎県などでも講演を行っており、7月23日の宮崎講演では、5階席まで満席で、約1300人も入場を断ったほどの人気だったそうだ。


 子育てに関する助言や指導が厄介なのは、発信する側と受け取る側のミスマッチが起こりやすいからである。
 たとえば「子どもは厳しく育てましょう」という話をしている最中に頷いているのが、本来は聞いてほしい “甘い親”ではなく、“虐待親”だったりする。「子どもに愛情をもって」と訴えると“虐待親”がしらばっくれて、いたって“甘い親”たちが自信を深めていたりする、そういう類のミスマッチである。しかしだからといって同じタイプの親だけを集めるのも容易ではない。

 さて、この
万引きしても怒鳴らず、『どうしたの?』と優しく声をかけて事件。
 
語りかける尾木ママと、聞いていた人々、そしてネット上で議論する人々、それぞれが思い描く「子ども」は同じだったろうか?
 たとえばその「子ども」が高校生だった場合、それでも尾木ママは
「魔法の言葉『どうしたの?』を優しく声かけして」と言ったろうか、あるいは中学生だったらどうか。
 そんなことはないだろう。中高校生となれば万引きが悪いなど百も承知だ。万引きについて「欲しいものがあった」「お小遣いが足りなかった」などが言い訳として通用しないことも十分わかっているはずだ。
 そんな中高校生に、「どうしたの?」と優しく声をかけてもうまく行くはずがない。それがうまく行くのはかなり特殊な親子であって、決して一般的ではない。

 では小学校の高学年なら・・・私は基本的に、小学校の高学年以上はいずれの場合も同じだと思う。その年齢の子たちなら怒ることから始めて一向に構わない。ただ、脅されて万引きをさせられているという場合もなくはないから、念には念をということで、怒った後でじっくり話を聞くことも必要だろう。しかしそれでも、万引きが悪いという事実には変わりはないのだ。
 
 話をもどそう。
 ところで、2歳児が商店の棚から商品を持ち出したときはどうだろうか。その場合は「どうしたの?」を優しく声かけすべきだろうか。
 もちろんこれも否である。普通の2歳児はこれに答えることができない。彼らはまず、店の棚のものは無断で持っていてはならないという概念をつくってやらなければならない。取りあえずその年齢なら、商品は親の手を経なければ自分のものにならないと訓練しておく必要がある。
 そうなると、
「万引きしても怒鳴らず、『どうしたの?』と優しく声をかけて」と言っていい年齢層というもの、はかなり薄くなる。言葉が理解できて、万引きが悪いことだと頭で分かるようになって、しかも心身のコントロールが十分にできない、たぶん4歳児から小学校1〜2年生あたりまでの範囲だ。その年齢なら、万引きにも優しい声がけをしてなおも十分な教育をするという離れ業をやり遂げることもできるかも知れない。
 
 ただし私の場合はそうしない。
 
私は小学校2年生くらいまでの子を論理をもって行動変容に導くことはできないと思っているからだ。もちろん「十分に諭せば子どもは分かるものだ」そう信じて疑わない人もいるが私はそうは思わない。
 大人がじっくりと腰を据えて説教をしているとき、7歳以下の子どもの胸に響いているのは論理や情ではない。話者の恐ろしい表情、厳格で重々しい言葉づかい、そして何ともやりきれない雰囲気なのだ。
 それは簡単な実験からも了解される。試にやってみればいいのだ。叱るべき子どもに正対せず、へらへらとした口調で明るく叱ってみればいい。取りあえずその子は、説教の言葉さえ耳に入れようとしない。
 
 いずれにしろ、悪いことをしても叱らない怒らないという選択肢は欺瞞だ。
 
隣りの婆っちゃんに聞いてみればいい。絶対に怒るに決まっているから。

 





2013.08.18

はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」


[毎日新聞 8月 16日]


 漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」について、「描写が過激だ」として松江市教委が昨年12月、市内の全小中学校に教師の許可なく自由に閲覧できない閉架措置を求め、全校が応じていたことが分かった。児童生徒への貸し出し禁止も要請していた。出版している汐文社(ちょうぶんしゃ)(東京都)によると、学校現場でのこうした措置は聞いたことがないという。

 ゲンは1973年に連載が始まり、87年に第1部が完結。原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、約20カ国語に翻訳されている。

 松江市では昨年8月、市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出された。同12月、不採択とされたが市教委が内容を改めて確認。「首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、その月の校長会でゲンを閉架措置とし、できるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。

 現在、市内の小中学校49校のうち39校がゲン全10巻を保有しているが全て閉架措置が取られている。古川康徳・副教育長は「平和教育として非常に重要な教材。教員の指導で読んだり授業で使うのは問題ないが、過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切と判断した」と話す。

 これに対し、汐文社の政門(まさかど)一芳社長は「原爆の悲惨さを子供に知ってもらいたいと描かれた作品。閉架で風化しないか心配だ。こんな悲しいことはない」と訴えている。

 「ゲン」を研究する京都精華大マンガ学部の吉村和真教授の話 作品が海外から注目されている中で市教委の判断は逆行している。ゲンは図書館や学校で初めて手にした人が多い。機会が失われる影響を考えてほしい。代わりにどんな方法で戦争や原爆の記憶を継承していくというのか。

 教育評論家の尾木直樹さんの話 ネット社会の子供たちはもっと多くの過激な情報に触れており、市教委の判断は時代錯誤。「過激なシーン」の影響を心配するなら、作品とは関係なく、情報を読み解く能力を教えるべきだ。ゲンは世界に発信され、戦争や平和、原爆について考えさせる作品として、残虐な場面も含め国際的な評価が定着している。



 人権教育や平和教育、性教育といったものには常に危険が付きまとう。
 例えば、「これこれこういった表現は人を傷つける差別用語ですから使ってはいけません」と教えると大半の子どもは納得するが、その陰で知ったばかりの用語を有効な攻撃手段として使おうとする子どもが出てくる。
 あるいは性教育から性的刺激しか受け取ることができないという子も、世の中には存在する。
 しかしだからといって人権教育も性教育もやるべきではないということにはならない。多少の危険はあっても、それをはるかに上回る利益があればそれは行うべきだ。
 「はだしのゲン」も同じである。もう30年近くも以前の作品だから現代の基準に合わない表現もある。しかしそれを圧倒する価値があれば子どもの前に堂々と提示すべきだ。そして
間違いなく「はだしのゲン」にはそれだけの価値がある。松江市教委の判断は愚かと言うしかないだろう。
 
 しかしそれにしてもこの記事、全体にあちこちおかしくないだろうか?
 事の発端は 
市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出されたことであり、それを市議会が不採択とした。これは賢明な判断である。
ところが市教委は
「首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断しと、市民の一部(とされる人たち)が訴えた“歴史認識の問題”とは何のかかわりもなしに、校長会でゲンを閉架措置とし、できるだけ貸し出さないよう口頭で求めたのである。それでは筋が通らない。

 この場合の“市教委”というのは具体的に誰だったのだろう?
 通常「市教委」といえば市教育委員長もしくは教育長のことである。教育委員の総意を委員長が代表するということもあるが、正式な教育委員会以外に委員が一堂に会することは稀だから、おそらく委員長か教育長でいいだろう。
 
そうなるとこの人たちと先の「市民の一部」との関係が疑わしくなる。

 歴史認識の問題として正式なルート(市議会への陳情)を通そうとしたが通らなかったので、教育委員長もしくは教育長を動かして「はだしのゲン」を閉架措置とした、ただし“歴史認識”ではすぐに政治問題になるので“表現問題”として扱った、そんなところではないか。
 いずれにしろ頭のお堅い市教委がアホなことを考えたといった見方では、この問題は解けない。

 ちなみに、校長会が唯々諾々と市教委の指示に従ったことを問題視する向きもあるが、それ無理だろう。市教委に逆らっていいことは何もない。人事権と予算はそこにあるのだから。

 ついでにもう一つ。
 ネット社会の子供たちはもっと多くの過激な情報に触れており、市教委の判断は時代錯誤
 尾木さん、それはないだろう。ネットの世界を追認して良いとなれば、学校教育は何でもアリになってしまう。







2013.08.29

大阪市・民間公募校長、酒席で保護者の体触る


[読売新聞 8月 28日]


 大阪市立小中学校長で今年度導入された全国公募に応募し、4月に市立小に赴任した民間出身の男性校長(59)について、市教委が27日、「児童の母親に対するセクハラ行為があった」として、近く懲戒処分する方針を固めたことがわかった。

 この女性に対し、私的なメールを送ったり、体を触ったりするなど不適切な行為を繰り返していたという。

 学校関係者によると、女性から被害相談を受けた市教委が7月から調査。校長が女性に頻繁に送っていたメールに、親しい交友関係があるかのような不適切な内容が含まれていることを確認した。

 また、校長は女性を含む数人と飲酒を伴う会合を複数回開いており、その際に女性の体を触る行為が数回あったことも判明。市教委の調査に、校長はこれらの行為を認めたが、辞職する意思はないとしているという。校長は読売新聞の取材に対し、「調査中で結論は出ておらず、取材には応じられない」と話した。




 
 橋下市長は「内部からの生え抜き校長にだって不祥事はあるじゃないか。公募制を見直す気はない」といった話をしているようだが(28日読売新聞)、公募の中身については少し見直した方がいいように思う。11人中二人が半年ももたないとなれば、どこかに不備があるのではないか。

 
民間人校長の最大の問題は、何を求められているのか、当人も、任命者も、はたまた社会もマスメディアも、まったくわかっていないという点にある。
 かつての国鉄が、電電公社が、民営化して素晴らしい成果を上げた、だから学校も民間人にやらせれば何かやってくれるのかも知れない、そんな曖昧な期待と、市長・教委などの「何もやっていないわけではない」というパフォーマンスに利用されているだけのように見える。

 実際、“民間の知恵”を使って「教育予算の大幅削減」とか「給食費の削減」とかいったことをやらせれば、この人たちは相当にうまくやってくれるはずだ。
 あるいは「学力向上―大阪市トップの成績を」でも、「不登校ゼロ」でもなんでもいい、とにかく目標を定め、それを使命として学校に送り込めばきっと成果を上げてくれるに違いない。民間の一番すぐれている点は目的追求力なのだから。
 それを「学力も大事だが道徳教育も必要、不登校問題にも非行問題にもしっかり取り組んでほしい、地域との融合、環境問題、キャリア教育にも力を入れて」といったふうに、普通の校長に求めるようなことまで一緒に期待するから成果を上げられない。
 この人たちはマルチタスクに慣れていないのだ。

 目標を絞り、その人のカラーを見極め、学校を任せる明確な理由を明らかにしてそれを使命として学校に送り出す。思い切ったことをやる以上、大阪市はそのくらい丁寧なことをしてもいいはずだ。

 また、民間を辞めてまでも校長になりたいという個性の強い人材を登用する以上、多少の犠牲もやむをえない。三か月でさっさと見切りをつけて辞める校長、独特のコミュニケーションでセクハラを訴えられてしまう校長――学校文化に毒されていないさまざまな個性を入れるとなれば、どうしたってリスクはつきまとう。
 あとは、こうしたリスクも、新たな教育を行うための避けられないコストだと、大阪市民が受け入れるかどうかだけだ。

橋下氏「内部校長も不祥事ある」…公募見直さず  [読売新聞 8月 28日]

 全国公募で採用された大阪市立小の民間人校長が児童の母親に私的メールを送るなどして市教委が「セクハラ行為」と判断している問題で、橋下徹市長は28日、「事実なら許されない。大変重い処分が下される案件だと思う」と述べた。

 自身の肝いりで今年度からスタートした市立小中学校の校長公募については、「内部(から昇任した)校長でも不祥事はある。公募が悪いという話にはならない。採用プロセスの問題であり、教育委員会ときちんと協議したい」と語り、見直しは必要ないとの考えを示した。

 一方、この校長は読売新聞の取材に対し、「公務員の立場では不適切な面はあったかも知れないが、セクハラにあたる行為とは思っていない」と話している。

 同市の校長公募では今春、11人の民間人校長が採用されたが、今回とは別の市立小の校長が就任わずか3か月足らずで退職している。