キース・アウト
(キースの逸脱)

2013年10月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2013.10.04

東大23位、アジア首位守る 英誌の世界大学ランク


[日経新聞 10月 3日]


 英教育専門誌、タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)は2日、今年の「世界大学ランキング」を発表、東京大が23位(昨年27位)と昨年から4つ順位を上げてアジア首位の座を守った。上位200校に入った日本の大学は5校で昨年と同数だった。

 同誌は、ランクインした日本の5校のうち4校が昨年より順位を上げていることに触れ「日本の大学の国際的地位を高めようとする政府の取り組みの成果が上がっていることを示している」と分析した。

 研究論文の引用頻度や教員スタッフ1人当たりの学生数など、13の要素を基に順位を付けた。米カリフォルニア工科大が3年連続でトップ。2位は英オックスフォード大と米ハーバード大が同順位で続いた。米スタンフォード大が4位となるなど、上位10校は全て米英の大学だった。

 東大以外の日本の4校は、京都大が52位(同54位)、東京工業大が125位(同128位)、大阪大が144位(同147位)、東北大が150位(同137位)。

 アジアでは26位にシンガポール国立大、43位に香港大、44位に韓国のソウル大、45位に中国の北京大が入った。特に東アジアで順位を上げる大学が目立つ一方、欧州の大学の多くが苦戦しており、同誌は「欧米からアジアへの勢力シフトの傾向は続いている」とした。(ロンドン=共同)



「THE世界大学ランキング」は毎年この時期に発表されるが、そのたびに「キース・アウト」で取り上げるようにしている。なぜならこれがマスコミに取り上げられるとき、常にロクでもない扱いを受けるからだ。

 例えば昨年、東京大学の秋入学が話題になった際、あの大NHKですらTHEの世界大学ランキングの10位までを示し、あとは「・・・」で結んで27位に「東大」と書いたフリップを使って、いかに日本の大学のレベルが低いかを示した。

 フリップを見た人は1位から10位までが英米の大学であることを確認できるが、11位以下は分からない。ただしソルボンヌ大学だのボン大学だの有名大学は世界中にあるから、そこにフランスやイタリア、ドイツ、スペイン、ポルトガル、オーストリア、オランダといったヨーロッパの歴史ある国々、あるいは新興いちじるしい中国・韓国の大学も入っているかもしれない、その上での『東大』なのだ、如何にレベルの低いことか、そんなふうに思うかもしれない。
 しかし違う。昨年も一昨年も、そのずっと以前も、
東大より上位には英米の大学、あるいはカナダといった英語圏の大学がずらっと並んでいるのだ。英語圏でないのはアインシュタインの出身校、チューリッヒ工科大ただひとつである(そのチューリッヒ工科大学も卒論指導・修論指導は英語で行う)。
 東大は(英語以外の)母国語で授業を受け、卒論・修士論文の書ける大学の中で、断トツのトップなのである。
 *同じような母国語中心の大学は、36位 カロリンスカ大学(スウェーデン語)、37位ローザンヌ工科大学(フランス語)、44位ソウル大学(韓国語)、45位北京大学(中国語)ということになる
 
 東大23位、アジア首位守る 
 時事通信の見出しは確かに間違いではない。しかし正確さで言えばアジアに限らない。.
「欧米を除くすべて(アジア・アフリカ・南アメリカ・オセアニア、ついでに南極)の中で首位」
そう書いてもまったく間違っていない。あるいはこう言ってもいい。
「英語以外の母国語で授業を受け、卒業論文・修士論文を書ける大学としてはダントツの1位。23位の東大の下はカロリンスカ大学(36位:スウェーデン)のみ」
 そこまで書けば東大の優秀さは自ずと際立ってくるはずだ。

 諸外国のマスコミがどうだか知らない。しかし日本のマスコミは常に自国の教育の質を極端に低く見積もる。
 こうした傾向を私は
「マスコミの自虐教育観」と呼んでいる。

*ちなみに、「2013 THE世界大学ランキング」の「東大以上」は次の22大学である。
1 カリフォルニア工科大学(アメリカ)
2 ハーバード大学(アメリカ)
3 オックスフォード大学(イギリス)
4 スタンフォード大学(アメリカ)
5 マサチューセッツ工科大学(アメリカ)
6 プリンストン大学(アメリカ)
7 ケンブリッジ大学(イギリス)
8 カリフォルニア大学バークレー校(アメリカ)
9 シカゴ大学(アメリカ)
10 インペリアル・カレッジ・ロンドン(イギリス)
11 エール大学(アメリカ)
12 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(アメリカ)
13 コロンビア大学(アメリカ)
14 チューリッヒ工科大(スイス)注:ドイツ語中心
15 ジョンズ・ホプキンス大学(アメリカ)
16 ペンシルベニア大学(アメリカ)
17 デューク大学(アメリカ)
18 ミシガン大学(アメリカ)
19 コーネル大学(アメリカ)
20 トロント大学(カナダ)
21 ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(イギリス)
22 ノースウェスタン大学(アメリカ)
23 東京大学(日本)


































2013.10.08

教師の地位、中国が100点でトップ、韓国は最下位の項目も―英教育機関


[レコードチャイナ 10月 8日]


 5日、教師の年収や社会的地位に関連する総合指数「教師地位指数」で、トップは中国、韓国は4位、日本は16位だった。

 2013年10月5日、英国の国際教育機関・バーキーGEMS財団は教師の年収や社会的地位に関連する総合指数「教師地位指数(Teacher Status Index)」に基づく調査結果を発表した。調査対象21カ国のうち、教師の地位が最も高かったのは中国で、韓国は4位、日本は16位だった。ただし、韓国は「学生が教師を尊敬しているか」の項目で21位と最下位だった。7日付で中国紙・楚天都市報が伝えた。

「教師地位指数」は、学生の学業完成能力と教師の地位、年収などとの相関関係を理解するための指数で、バーキーGEMS財団と英サセックス大学の教授が共同で開発した。今回の調査は、米国や中国、日本、韓国など21カ国の異なる職業、年齢の1000人を対象に実施した。その結果、「教師地位指数」が最も高かったのは中国(100点)で、ギリシア(73.7点)、トルコ(68.0点)、韓国(62.0点)がこれに続き、米国(36.7点)は9位、日本(16.2点)は16位、最下位21位はイスラエル(2.0点)という結果だった。

 平均年収に関しては、最も高かったのがシンガポール(4万5755ドル)で、続いて米国(4万4917ドル)、韓国(4万3874ドル)、日本(4万3775ドル)の順で、上位各国の教師はいずれも「現在の自分の年収が合理的な水準以上にある」と認識していることが分かった。

 また、「自分の子供に教師になることを勧めるか」に関しては、中国は50%が「勧める」と回答しトップ。韓国は48%でこれに続いたが、日本はわずか15%しかなく、19位という結果だった。

 一方、「学生は教師を尊敬しているか」の項目では、中国が75%と圧倒的な数値で1位だったのに対し、日本は19%で7位、韓国は11%で最下位だった。(翻訳・編集/HA)



 教師の地位指数、日本は21か国中16位。それも平均年収と
「学生は教師を尊敬しているか」の数値がよかったから引き揚げられた16位であって他の指標がいかに低かったかが想像できる。
 平均年収にしても、世界的に見れば日本全体の年収が高いから高収入に見えるだけで、平均年収で日本の4割程度のシンガポールや6割程度の韓国に負けているようでは大した収入ではない(その点はアメリカも同じ)。

 
上位各国の教師はいずれも「現在の自分の年収が合理的な水準以上にある」と認識していることが分かった
 それはない。少なくともアメリカでは、教師はエリートが就くべき職業ではない。
 
 感覚的な、あるいは理念的な意味での社会的地位はおそらく
「自分の子供に教師になることを勧めるか」で測れるだろう。その順位が21か国中19位である。
 教師は立派な仕事である(「学生は教師を尊敬しているか」=19%で7位)。しかし子どもにはやらせられない。

 確かに日本の教員の評価としては、そんなものだろう。
 これで世界最高レベルの学力と道徳性を築きあげているのだから、本来なら大いに誉めてもらわなくてはいけないところだ。







2013.10.13

小学校でLINE氾濫「規制困難」
主戦場は小4…大人が知らないSNSの実態


[産経新聞 10月13日]


 スマートフォン(高機能携帯電話)の爆発的な普及に伴い、小中学生にとっても無料通話アプリ「LINE(ライン)」は今や必要不可欠なコミュニケーションツールとなっている。だが、LINEを発端とした凶悪事件やいじめが後を絶たない中、保護者や学校関係者の危機感は強い。近畿2府4県の教育委員会や自治体、警察本部は昨年末、全国初の連絡会議を発足させたが、今年9月の総会で座長はこう指摘した。「知らないのは大人だけ。問題は日々変化している」。大人が知らない、子供をめぐるSNSの実態とは−。

 昨年12月、近畿2府4県と政令指定都市、各府県警、携帯事業者5社など45団体で構成する「スマートフォン時代に対応した青少年のインターネット利用に関する連絡会」(事務局=総務省近畿総合通信局)が設立された。関係者がこれほど大規模な連携を図るのは、全国で初めてだ。この設立総会で参加者から出された課題や悩みは、主に高校生のインターネット利用に関するもの。昨年7月の総務省調査では、高校1年生の59%がスマホを利用しており、有害サイトへのアクセスや個人情報流出などの被害をいかに防ぐかが最大の関心事だった。

 ところが、今年9月末に大阪市内で開かれた第1回定期総会では、様相が一変。急速に普及する無料通話アプリ「LINE」への対応策に話題が集中した。連絡会の座長を務める兵庫県立大准教授の竹内和雄氏は「もはや主戦場は小学4年生だ」と指摘する。竹内氏によると、学童保育が小学3年生で終了し、野球やサッカーなどのクラブ活動や学習塾通いが始まるのが4年生。このタイミングで子供に携帯を持たせる親が多いが、選ばれる端末はフィーチャーフォン(従来型携帯電話)ではなく、スマホだ。

 携帯電話会社関係者によると、子供にスマホを買い与える際、子供が「LINEができなくなる」と文句を言うため、フィルタリングを導入しない親が増えているという。もっとも、フィルタリングは携帯電話会社の回線を利用するときには有効だが、Wi−Fi(ワイファイ)経由のネット接続には機能しない。このため、携帯電話会社は自社Wi−Fiに有効なフィルタリングを用意しているが、街中のコンビニなどにあふれるフリーWi−Fiスポットでは効果がない。

 しかも、最近の学校現場では、クラブ活動の連絡網もLINEで代替しているところが多く、「もはや必要不可欠なツール」(大阪市のPTA役員)となっているのが実情だ。竹内氏は「子供を物理的に規制するは困難」と断言する。実際、大阪府寝屋川市の小学校でこんなケースがあったという。携帯電話の持ち込みはもちろん禁止だが、ある児童が、10人まで同時接続できる携帯電話会社の無線LANルーターを教室に持ち込み、アイポッドタッチでLINEをしていた。もちろん、アイポッドタッチへのフィルタリング導入は困難。この時、教室ではどんなサイトも“見放題”になっていた。

 だが、LINEを発端とした凶悪事件やいじめなど、深刻な事態に発展するケースが相次いでいるのも事実で、保護者や学校は手をこまねいているわけにはいかない。9月末に開かれた定時総会では、活発な議論が交わされた。大阪府高石市の私立中高の教諭は、生徒のスマホにはほとんどフィルタリングは入っていないことや、入学前からLINEを使って生徒同士がすでに知り合いになっていることが多いという現状を報告。その上で、「何度も生徒同士で使い方のルールを話し合うことが重要」と指摘した。学校側がガイドラインなどを押しつけるのではなく、写真や発言を投稿する前に、生徒自身に影響や投稿者としての責任を考えさせるべき−との立場だ。

 また、兵庫県の担当者は、「LINEを批判するだけでは、他の無料通話アプリや海外のサービスに流れるだけではないか」とも指摘。LINEだけでなくさまざまなSNS(ソーシャルメディア)の利用に関するルール作りを求めた。総務省によると、聖心女子大や日本大学の付属中高では、SNSのガイドラインを策定している。いずれも発信が社会に及ぼす影響やプライバシー保護について、自己責任での熟慮を促すもので、大人が枠を当てはめるのではなく、生徒に自己規制を求めた形だ。

 定時総会の場で、座長の竹内氏がLINEを使ったことがない参加者に挙手を求めたところ、実に半数近くが手を挙げた。竹内氏はこう指摘した。「子供のスマホ利用について、知らないのは大人だけだ。問題は日々変わっており、本人たちにルールを考えさせるしかない」(南昇平)



話の流れはこうだ。

  • 学童保育が小学3年生で終了し、野球やサッカーなどのクラブ活動や学習塾通いが始まるのが4年生。このタイミングで子供に携帯を持たせる親が多いが、選ばれる端末はフィーチャーフォン(従来型携帯電話)ではなく、スマホ。
  • 子供にスマホを買い与える際、子供が「LINEができなくなる」と文句を言うため、フィルタリングを導入しない親が増えている。
  • だが、LINEを発端とした凶悪事件やいじめなど、深刻な事態に発展するケースが相次いでいるのも事実で、保護者や学校は手をこまねいているわけにはいかない。
 従って保護者は学校に強く善処を求めるのだが、その際大切なのは、
  • 何度も生徒同士で使い方のルールを話し合うこと。
  • 学校側がガイドラインなどを押しつけるのではなく、写真や発言を投稿する前に、生徒自身に影響や投稿者としての責任を考えさせるべき。
 何か間違っていないか?

 そもそも携帯端末を渡さないという選択肢はなかったのか? 
 なかったとしてガラケーにしようかスマホにしようかという選択肢はなかったのか? 
 さらにスマホにした場合フィルタリングをかけるという選択肢はなかったのか? 
 それらを全部クリアさせたうえで、
 深刻な事態に発展するケースが相次いでいるのも事実で、保護者や学校は手をこまねいているわけにはいかない
と言われても困る。

 
 さらに、何度も生徒同士で使い方のルールを話し合うことと言われても、これだけ学力問題でうるさく言われている時代に、数学や国語の授業を削ってまでも「何度も生徒同士で使い方のルールを話し合うこと」などしていていいのだろうか?
 もちろん数学や国語よりもネット・スキルの方が重要だという立場はありうるのであって、その場合は世論として意思統一をしてもえばそれでいい。困るのは「あれもやれ、これもやれ」と言っておいてできないと教員の能力や意欲のせいにされることだ。
 
 
子供のスマホ利用について、知らないのは大人だけだ。とバカにされても、LINEの何たるかを学ぶ前に、教師は授業の質を上げなければならない。

 問題は日々変わっており、本人たちにルールを考えさせるしかない

 もう一度問う。
 小学生の子どもに、携帯端末を渡さないという選択肢は本当にないのか?
 渡した以上、その責任は親にあり学校が口出しすべき問題ではない、という考え方はないのか?

 それでも学校が扱うべき仕事だとしたら(私はそれでいいと思っている。なにしろ日本の場合、組織的に教育をできる期間は学校しかないのだから)、そこに十分な時間保障をすべきではないか。