キース・アウト![]() 2013年12月 |
by キース・T・沢木
サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。 政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。 落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。 ニュースは商品である。 どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。 ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。 かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。 甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの、本物そっくりのまがい物のダイヤ。 人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄 。 そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。 |
2013年は学校での「いじめ」に関する事件が数多く報じられたが、この「いじめ」という言葉自体が問題だと指摘するのは、ビートたけし氏だ。いじめ対策として、まずすべきこととは何か。新刊『ヒンシュクの達人』(小学館新書)を上梓したばかりのたけし氏は、こう提言する。
* * * 運動部のシゴキに限らず、「いじめ」って言葉を聞かない日はないけど、この言葉の響きが本質を見誤らせてるんだよな。弱い同級生を殴ったとか、恐喝してカネを奪って、ついには自殺に追い込んじまったなんて、これはもう「いじめ」じゃなくて「犯罪」だろうよ。「暴行罪」「脅迫罪」「恐喝罪」と、ホントの罪状で呼んでやらないと。 これは「犯罪だ」ってことをガキの足りない頭でもわかるようにしてやんないと、また同じことが起こっちまうぜ。 だいたい、なんでニッポンって国は、こんなに物事をオブラートに包んでしまうんだろ。痴漢のニュースだって、「スカートの中に手を入れた」「下腹部にいたずらした」なんて言うけど、要は「性器をなで回した」ってことなんでね。 婉曲表現で実態をうやむやにしようって狙いがバレバレだよ。とにかく、くさいモノには全部フタをしちまう。それが「いじめ」ってものを陰湿にしちまってる理由だと思うんだよね。 ※ビートたけし/著『ヒンシュクの達人』(小学館新書)より ビートたけしのような下品な人の記事は扱いたくないのだが、他にまっとうなことを言う人がいないからには仕方がない。まさに正論である。 弱い同級生を殴ったとか、恐喝してカネを奪って、ついには自殺に追い込んじまったなんて、これはもう「いじめ」じゃなくて「犯罪」だろうよ。 しかし これは物事をオブラートに包んでしまう といった方向ではない。 婉曲表現で実態をうやむやにしよう というものでもない。「いじめ」という表現はむしろ事態を拡大するのである。 世論はむしろ「暴行罪」「脅迫罪」「恐喝罪」など名がつくことによって事件が矮小化されることを恐れる。なぜなら罪名が着いた瞬間からそれに対応する罰は自然と決まってしまうからだ。事件の輪郭ははっきりして、大人なら懲役5年とか執行猶予3年とかいった刑罰が言い渡される。殺人なら死刑、無期もしくは15年以下の懲役である。本人が反省しようがしまいがそんなことは関係ない。罪に対する相応の罰がただ下され、事件は終わる。しかし特に重大事件に際して、“それでいいのか”と世論は自問する。 子どもが殺され犯人が死刑になったとして、それで親は満足するだろうか。懲役10年だったらどうだろう――遺族の本当の願いはそんなところにはない。真の願いは原状回復、生きて子どもを返せということだ。それがかなわないなら犯人に塗炭の苦しみを味あわせたい、同じような苦しみを背負わせたい、そう考えるのが普通の人間である。しかし現行法では死刑を上回る刑罰がない、だから受け入れざるを得ない、それだけのことだ。 いじめも同じである。ひとりの子どもの受けた苦しみを、「暴行罪」だの「脅迫罪」だのといった言葉で捉え、対応し、相応の罰を与えて「ハイ終わり」では困る、そう考える人々がいる。それでは被害者や被害者の家族の苦しみは十分に救われない、学校の責任も社会の責任も、日本の教育制度の問題も追及しきれない。だからメディは「暴行罪」「脅迫罪」「恐喝罪」を嫌う。 ところが困ったことに学校も教育委員会もまた同じ表現を嫌うのだ。 なぜ嫌うかというと、それらの罪で訴えられるのも保護下にある児童生徒だからだ。学校や教委は彼らも守りたい。教育を放棄したくない。だから罪名は厳しく遠ざけられる(もっとも子どもが訴えられるのをただ見過ごしたら、教育の放棄だと言ってメディアが騒ぐのも、当然、予測されることだが)。 ここにおいてメディアと学校・教委は一部利害が一致する。ビートたけし氏が怒鳴ろうと騒ごうと、この一致は阻止できない。 あとは「いじめ」という表現を受け入れるかどうかだけである。 学校はなかなか「いじめ」を受け入れない。それは無限の対応に追い込まれやすいからである。「暴行罪」や「脅迫罪」の落としどころは刑罰だが、「いじめ」に落としどころはない。教委が和解金を出せばいいというものでも、誰かが辞表を書けばいいというものでもない。 事件全体が完全に解明され、その罪に応じた謝罪を加害者、学校、教育委員会が行って初めて、和解への第一歩が始まる。しかしその「事実解明」がめっぽう難しいのだ。 65カ国・地域が参加した15歳(高校1年)対象の国際学力調査で、日本の学力が読解力、科学、数学の全分野で上がった。「ゆとり教育」を見直した学力向上策が奏功した結果である。 しかし、学習への興味・関心、問題解決への意欲に欠けるなど日本の学力の課題はなお多い。教育熱が高い中国(上海)などアジアのライバル国・地域は、成績でも日本より上位にいる。学力向上の指導をさらに工夫したい。 調査は先進諸国でつくる経済協力開発機構(OECD)が3年ごとに行っており、2012年の結果が出た。日本の成績は、学習量を減らしたゆとり教育の弊害で落ち込みが目立った06年調査と比べると、読解力(今回4位←06年調査15位)、科学(4位←6位)、数学(7位←10位)のいずれでも上昇傾向がはっきり出た。 03年調査の成績不振から批判が高まり、文部科学省が脱ゆとりにかじを切った結果といえる。学習指導要領改定や全国学力テスト導入などを着実に進めた効果が表れたものとして評価したい。 特に読解力の上昇が目立つことは好材料だ。出題は、文章や資料から情報を読み取って解答するなど、知識を実生活で応用する力を試すもので、これまで日本の生徒が苦手としてきた分野だった。 だが、課題も多い。数学分野では、割合や確率に関する問題が苦手な傾向は変わらない。併せて行われた質問調査で「数学に興味・関心、楽しみがある」という生徒の割合がOECD平均より低かった。なぜ勉強するのかや、学ぶ楽しさを生徒に伝える指導を工夫してほしい。 上海やシンガポールなど成績上位のところは、最上位層も厚い。シンガポールでは、数学が実生活でどのように役立つか具体例と結びつけて学ばせているという。上海は、優秀な教員を登用、配置する取り組みが目立つとされる。国情や教育制度の違いがあり、単純比較はできないが、世界に目を向けた指導改善を続けたい。 今回の調査で日本を含め上位を占めたアジアの国や地域では、放課後の学習時間が長かった。上海や韓国などは塾や予備校で学ぶ割合が日本以上に高い。 日本も塾頼みの学力では寂しい。公教育で十分な学力を養えるよう、教師の教える力をさらに高めてもらいたい。 産経新聞は20世紀末より一貫して日本の子どもの学力に警鐘を鳴らしてきた。それだけに、 「ゆとり教育」を見直した学力向上策が奏功した結果である。 学習指導要領改定や全国学力テスト導入などを着実に進めた効果が表れたものとして評価したい。 と舞い上がるのも無理はない。 しかし「教育は国家百年の大計」というように、本来は結果の出るのがずっと先になるものである。それがこんなに簡単に結果に結びつくとは、PISAはその程度のものということなのか、日本の教育システムがとんでもなく機能的なのか、どちらかだろう(おそらく両方だ)。ちょっとやればできるのである。 そもそもそんなものに血道を上げること自体が間違っていたのかもしれない。 さて、ところで今回も日本の第一位を阻止した国・地域・都市はどこだったのだろう。そこで国立教育政策所のサイトで調べると以下の通りである(一位以下、日本まで)。 読解力 上海、香港、シンガポール、日本・・・ 数 学 上海、シンガポール、香港、台湾、韓国、マカオ、日本・・・ 科 学 上海、香港、シンガポール、日本・・・ (ちなみに日本が指導要領や全国学力学習状況調査で手本としたナショナルカリキュラム・ナショナルテストのイギリスは読解力23位、数学26位、科学21位。学校運営の規格となった学校マネジメントの祖アメリカは、読解力24位、数学36位、科学28位となっている) だが、課題も多い。(略)併せて行われた質問調査で「数学に興味・関心、楽しみがある」という生徒の割合がOECD平均より低かった。 これも問題ではない。これまでの結果を見ると、 学力の高い国・地域・都市はまやかし的例外を除くとこぞって意欲は低くなる、逆に成績の低い国・地域・都市は“関心”が高くなることははっきりしているのだ。 今回の調査で言えば、興味関心のトップ3はアルバニア(数学得点57位)、マレーシア(同52位)、カザフスタン(同49位)である。 驚いたことに第4位には成績第2位のシンガポールが入って来るが、これは毎回のこと。この数字はかなり怪しい。 シンガポールという国は小学校6年生終了段階でPSLE(初等教育修了試験)によって学校を振り分けてしまう。そのPSLEも内容的に優秀者向けとその他向けの二種類があるため、実際には小学校4年生終了時で将来が決まっているのだ。したがって15歳いなったとき、PISAの試験を受けられるような勉強をしていない子がたくさんいる。つまりかなりの生徒がPISAを受けていない可能性があるのだ(もし全員が受けていてなおこの成績だとすると、それは作為的に数字をごまかしたとしか思えない)。 今回の調査で日本を含め上位を占めたアジアの国や地域では、放課後の学習時間が長かった。上海や韓国などは塾や予備校で学ぶ割合が日本以上に高い。 日本も塾頼みの学力では寂しい。公教育で十分な学力を養えるよう、教師の教える力をさらに高めてもらいたい。 勝手なことをおしゃますな。 PISAが証明していることは、ほんとうに学力世界一を目指したかったら、上海や香港、シンガポール、韓国といった学力が社会的地位の決定打であるような学歴社会をつくらなければならないということである。その際、シンガポールのような差別教育も導入すれば「興味・関心」や「意欲」の高い子どもたちで(統計的には)満たされるということである。 公教育で十分な学力を養えるよう、教師の教える力をさらに高めてもらいたい。 教師の教える力で世界のトップになれると証明した国・地域・都市は一つもない。ほんとうにそれが可能だと思っているのだろうか。 ただしトップではないがトップクラスを狙えると証明した国は一つだけある。 それは日本だ。 【参考】 〇国立教育政策研究所>OECD生徒の学習状況調査 ・PISA2012年調査国際結果の要約 ・PISA2012年調査分析資料集 〇「シンガポールの教育 特に、ストリームについて」 〇「国際学力テスト、韓国は数学・読解でトップ水準…ただし意欲は低迷」 文部科学省が17日公表した教職員人事行政状況調査で、うつ病など精神疾患で休職中の教員は4960人で、5年ぶりに5000人を割ったことが分かった。しかし、依然高水準が続いており、文科省は復職支援を強化する。 「心の病」で休職する教員への支援策は広がりつつある。各教育委員会が復職プログラムを整えてサポートを強化し、年度内に復職した教員は1902人に上った。だが年間で5000人前後の高水準が続く。「休職者数は氷山の一角」との見方もあり、さらなる充実を求める声は切実だ。 東京都内の公立小の40代教諭は、復職プログラムの成果もあり、2年の休職後に復職できた。担任したクラスが「学級崩壊」状態で対応に苦慮。校内の複数業務で責任者となったことも重なり、目まいや動悸(どうき)を覚えた。医師にストレスを指摘され、夏休みに休職を決断した。 半年間は外出できなかったが、その後、医療機関の復職プログラムに参加。「同じ立場の人と交流して復職がイメージできるようになった」。学校での訓練もして最近、念願の復帰を果たした。 文部科学省によると、全都道府県・政令市教委が段階的に仕事を増やしてより円滑な復帰につなげる復職プログラムに取り組み、51教委が復職後に産業医の面談などを実施している。東京都教職員互助会が運営する三楽病院精神神経科(千代田区)の真金薫子(まがねかおるこ)部長は「各地で制度が整いつつあるが、再発防止を含めた復職支援をさらに充実させるべきだ」と強調する。 一方、予防策の重要性も増している。NPO法人「NIWA教育相談室」(大阪市天王寺区)の丹羽豊代表理事は「休職寸前の人は発表数の何倍もいる。予防こそが重要だ」と指摘する。 生徒や保護者への対応は過去の蓄積が生かせるとは限らず、職場で孤立するケースもある。丹羽代表理事は「自身の仕事で手いっぱいで助け合えない職場環境を変えなければならない」ともらした。【水戸健一】 もう年中行事になったような内容である。 復帰プログラムの充実は本質的な課題ではない。 「休職寸前の人は発表数の何倍もいる。予防こそが重要だ」 まさにその通り。 「自身の仕事で手いっぱいで助け合えない職場環境を変えなければならない」 まさにその通り。 しかし自身の仕事で手いっぱいの状況を変えることはできない。最近話題となっているのは道徳の教科化や小学校英語など仕事を増やす方向だけである。文科省は教員を増やそうとしているが政府・財務省にその気はまったくない。 政治家も「教員の指導力向上」で問題を乗り切ろうとしか考えない。 竹やりでB29に立ち向かった伝統は今も脈々と続いているのだ。 日本の子供の「幸福度」は先進31カ国中6位であることが25日、国連児童基金(ユニセフ)と国立社会保障・人口問題研究所の調査で分かった。これまでは比較データが足りなかったが、今回初めて順位が付いた。31カ国は欧州と北米諸国で、アジアで順位が付いたのは日本だけ。 調査は、子供の健康や住環境、豊かさなどさまざまな指標を各国で比較。このうち「教育」と「日常生活上のリスク」の2分野で日本は1位だった。 教育では、高等教育の就学率が88・6%(10位)と高く、ニート率が4・1%(10位)と低いことに加え、経済協力開発機構(OECD)が実施した「学習到達度調査」(PISA)の平均点がフィンランドに次いで2位だったことが大きかった。 日常生活上のリスクでは、肥満児や週1回以上飲酒している子供がもっとも少なく、毎日朝食をとる子供がもっとも多かったことが評価された。いじめを経験した子供の割合は27・4%で12番目に低かった。 一方で、標準的な所得の半分以下の家庭で暮らす子供の割合を示す「貧困率」は14・9%で、ワースト10位だった。 産経新聞はしばしば、戦後歴史学会の主流である歴史観を「自国の歴史の負の部分をことさら強調し、正の部分を過小評価し日本を貶める歴史観」であるとみなして、「自虐史観」と呼ぶ。しかしその一方で、戦後教育の負の部分をことさら強調し正の部分を過小評価して日本を貶める、自身の教育観に全く気づいていない。私はそれを「自虐教育観」と呼んでいる。もっとも産経新聞だけをやり玉に挙げるのは不公平で、その傾向は全マスメディア、政府・国会議員、全世論に蔓延していると言っていい。 日本の教育はすでに死んだも同じで(だから教育再生が必要)、学力は地に落ちた。いじめや不登校は世界最悪レベルで、少年による以上犯罪が後を絶たない・・・。 学力はイギリスのナショナル・カリキュラムやナショナル・テスト、合衆国の企業マネジメントに手本を求め、道徳は中国や韓国、シンガポールといった教科化先進国に教えを請わなければならない(何しろ本格的に教科化を行っているのはそれらの国だけなのだから)。そこまで日本の教育は追いつめられている。 メディアで熱心に教育関連の記事を追えば追うほど、ほんとうにそういう気になってくる。 そんなふうに教えられた私たちの目に、 ニート率が4・1%(10位)と低いことに加え、経済協力開発機構(OECD)が実施した「学習到達度調査」(PISA)の平均点がフィンランドに次いで2位だったこと いじめを経験した子供の割合は27・4%で12番目に低かった。 といった記事はあまりにも奇異に映る。素直な感想を言えば、 そんなバカなことはないだろう、ということだ。 そこで改めて記事を丁寧に読み返すと、そうした違和感への回答が浮かび上がってくる。 これまでは比較データが足りなかったが、今回初めて順位が付いた。31カ国は欧州と北米諸国で、アジアで順位が付いたのは日本だけ。 そうだ、要するに英米、中韓といった学力や道徳に優れた国はデータがそろわなかったから順位に入ってこないわけだ。これらの学力・道徳先進国のデータがそろえば、日本なんて低いに決まっている・・・。 かくして私たちは既有知識が間違いではなかったことを確認し、安心する。 やっぱり日本の学校教育は最悪なのだ、と。 自虐教育観は社会をミスリードし、健康な日本の教育にメスを入れる。 そして学力ではPISAで常に20位以下のイギリス・アメリカに学び、道徳は中国・韓国に手本を求めようとするのだ。 *ところで「学習到達度調査」(PISA)の平均点がフィンランドに次いで2位だったというのはどこの資料によったのだろう。 私の知るPISAの最新情報は平成25年12月3日(つまり今月3日)付けの文科省発表PISA2012年調査国際結果の要約によれば、フィンランドは軒並み順位を下げているのだ。日本は成績を伸ばしたが、2位だという数字はない。 産経新聞、どこから「フィンランド1位-日本2位」の秘密情報を入手したのだろう? |