キース・アウト
(キースの逸脱)

2014年 4月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2014.04.12

教育勅語原本確認 「父母への孝行」「友情」「夫婦の和」…再評価の声


[産経新聞 4月 9日]


 半世紀ぶりに所在が確認された「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の原本。戦後は学校現場から排除され、“軍国主義教育の象徴”というイメージが独り歩きするようになった教育勅語だが、近年、いじめなど道徳の荒廃が問題となる中で、その内容を再評価する声も高まっている。

 「(教育勅語には)至極まっとうなことが書かれており、当時、英語などに翻訳されて他国が参考にした事例もある。ただしその後、軍国主義教育の推進の象徴のように使われたことが問題だ」

 下村博文文科相は8日、教育勅語の原本が確認されたことと絡めてこう述べ、内容そのものには問題がないとの認識を示した。

 明治23(1890)年に発布された教育勅語で示されたのは、(1)父母への孝行(2)兄弟姉妹の友愛(3)夫婦の和(4)友達の信(5)謙遜(6)博愛(7)修学習業(勉学に励み職業を身につける)(8)智能啓発(知識を養い才能を伸ばす)(9)徳器成就(人格の向上)(10)公益世務(世の中のためになる仕事に励む)(11)遵法(じゅんぽう)(12)義勇(国難に際しては国のために尽くす)−の12の徳目。

 翌24(1891)年から謄本が全国の小学校に配布され、修身(道徳教育)の根本規範とされたが、戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の圧力などで学校現場から排除された。
 ただ、戦後教育史が専門の貝塚茂樹・武蔵野大教授によれば、当時、GHQの中にも教育勅語の内容を評価する声があり、GHQ民間情報教育局を中心に、昭和天皇による新しい教育勅語を発布することも検討されていたという。

 「教育勅語には万国共通の普遍的な価値が示されている。結局、天皇に否定的なGHQ民政局の圧力で排除され、“軍国主義教育の象徴”とみられるようになったが、戦後はその内容についてほとんど検証されることはなかった。いわば問答無用で教育勅語が否定されるとともに、道徳教育そのものも敬遠され、それが学校教育の荒廃につながっているとみる意見もある」と、貝塚教授は指摘する。

 いじめや校内暴力、不登校などが問題となる中、教育勅語に示された徳目の意義は小さくない。

 文科省幹部の一人は「半世紀ぶりに原本の所在が確認されたことを機に、意義や内容についての検証が進み、今後の道徳教育のあり方を考える一助になれば」と話している。




 教育勅語は内容的にむしろ正しいものだという考えは、戦後社会の片隅でずっと言われ続けてきたことであり珍しいものではない。しかし
「(教育勅語には)至極まっとうなことが書かれており、当時、英語などに翻訳されて他国が参考にした事例もある。ただしその後、軍国主義教育の推進の象徴のように使われたことが問題だ」
というのはいかがか。ほんとうに
内容的に問題ないのだろうか。

 最近はあまり目にしないので一応全文を書いてみる。

教育ニ関スル勅語
 朕惟フニ、我ガ皇祖皇宗)國ヲ肇ムルコト宏遠ニ、コヲ樹ツルコト深厚ナリ。我ガ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我ガ國體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス。爾臣民父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭儉己レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、學ヲ修メ、業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓發シ、コ器ヲ成就シ、進デ公益ヲ廣メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ジ、國法ニ遵ヒ、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ、以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。是ノ如キハ獨リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。
 斯ノ道ハ實ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖ズ。朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ、咸其コヲ一ニセンコトヲ庶幾フ。
  明治二十三年十月三十日
               御名御璽


 その中段の部分、
 爾臣民父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭儉己レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、學ヲ修メ、業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓發シ、コ器ヲ成就シ、進デ公益ヲ廣メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ジ、國法ニ遵ヒ、
(あなたたち国民は、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は仲むつまじく、友達とは互いに信じあい、行動は慎み深く、他人に博愛の手を差し伸べ、学問を修め、仕事を習い、それによって知能をさらに開き起こし、徳と才能を磨き上げ、進んで公共の利益や世間の務めに尽力し、いつも憲法を重んじ、法律に従いなさい)

を読めば何の問題もなく、むしろ好ましいものだと感じられる。
 それは当たり前なのだ。

 明治初年の思想的混乱の中で、憲法を制定して政治的権限の一部を国民に返そうとするとき、明治政府は国に精神的支柱がないことに恐れをもった。西欧ではキリスト教が果たしているような支柱である。
 そこで“道徳に関する何らかの指針”が必要になるのだが、それは万民から指示されるものでなくてはならなかった。国民の一部でも強硬に反対するようなものであれば、それこそ泥沼の思想闘争に巻き込まれてしまう。したがって厳しくイデオロギーを排し、宗教色を排し、誰が読んでも頷けるものである必要があった。
 そこから民間の基本道徳が取り上げられたのである。

 だからその部分だけを抜き出して読めば、
至極まっとうなことが書かれていることになる。
 
 産経新聞もこの部分を抜き出して、
 明治23(1890)年に発布された教育勅語で示されたのは、(1)父母への孝行(2)兄弟姉妹の友愛(3)夫婦の和(4)友達の信(5)謙遜(6)博愛(7)修学習業(勉学に励み職業を身につける)(8)智能啓発(知識を養い才能を伸ばす)(9)徳器成就(人格の向上)(10)公益世務(世の中のためになる仕事に励む)(11)遵法(じゅんぽう)(12)義勇(国難に際しては国のために尽くす)−の12の徳目。
と書くが、それは我田引水というものだ。そのことは“抜き出した残りの部分”だけをつなげて読めばわかる。

教育ニ関スル勅語
 朕惟フニ、我ガ皇祖皇宗)國ヲ肇ムルコト宏遠ニ、コヲ樹ツルコト深厚ナリ。我ガ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我ガ國體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス。爾臣民(略)一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ、以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。是ノ如キハ獨リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。
 斯ノ道ハ實ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖ズ。朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ、咸其コヲ一ニセンコトヲ庶幾フ。
(私が思うには、我が皇室の先祖が国を始められたのは、はるかに遠い昔のことで、代々築かれてきた徳は深く厚いものでした。我が国民は忠義と孝行を尽くし、全国民が心を一つにして、世々にわたって立派な行いをしてきたことは、わが国のすぐれたところであり、教育の根源もまたそこにあります。
 あなたたち国民は、(中略)もし危急の事態が生じたら、正義心から勇気を持って公のために奉仕し、それによって永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい。これらのことは、単にあなた方が忠義心あつく善良な国民であるということだけではなく、あなた方の祖先が残した良い風習を褒め称えることでもあります。
 このような道は、実にわが皇室の祖先が残された教訓であり、その子孫と国民が共に守っていかねばならぬことで、昔も今も変わらず、国の内外をも問わず、間違いのない道理です。私はあなた方国民と共にこの教えを胸中に銘記して守り、皆一致して立派な行いをしてゆくことを切に願っています。
明治二十三年十月三十日 天皇の署名と印


 この国は果たして皇室が始めたものなのか、その徳は常に“深く厚いもの”だったのか、わが国民は“忠義と孝行を尽くし、全国民が心を一つにして”きたか、“世々にわたって立派な行いをしてきた”そういう議論は全くなしに上から与えられている。さらに、
 もし危急の事態が生じたら、正義心から勇気を持って公のために奉仕し、それによって永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい。
 である。日本国民は命を賭して皇室を守りなさいという内容が、
至極まっとうなことであるはずがない。
 

 
ただし、私は教育勅語が軍国主義的であるとか、日本が右傾化しているとかいった話にはとりあえず興味はない。
 私が苛立つのは、
(略)いわば問答無用で教育勅語が否定されるとともに、道徳教育そのものも敬遠され、それが学校教育の荒廃につながっているとみる意見もある」と、貝塚教授は指摘する。
 というその安直さである。
(*この部分で貝塚教授が自分の考えとしてではなく「〜とみる意見もある」と逃げていることにも疑問があるが)

 道徳教育というのは、一片の文書を繰り返し読むことによってなし得るものではない。軍国主義の時代の教育勅語ですら、特殊な装置を使わなければその機能は発揮できなかった。特別な装置というのは、
 紀元節(建国記念日)や天長節(昭和天皇の誕生日)になると、生徒は講堂で頭を垂れて、校長先生が勅語を持って来るのを待っていた。勅語奉読のためである。元日、紀元節、天長節、明治節(明治天皇の誕生日)の4大節では必ず読まれ、校長は、フロックコートなどで正装、真新しい白手袋をつけ、箱に大事に納めた謄本を取り出し、勅語節といわれる独特の抑揚を付けて朗読した。もとより来賓の前で読みまちがえればたちまち進退問題になった。
 勅語の絶対視化は歴史とともに進み、一種の聖典と化すが、権威付けのために勅語の保管場所にも政治的は配慮が加えられ、1910(明治43)年ごろから、校庭に石造、土蔵造り、あるいは鉄筋コンクリートの神社風の「奉安殿」(ほうあんでん=学校で御真影や教育勅語などを保管するために校舎とは別に設けた、小さい特別な建物)を建てて納めるようになった。当然生徒たちは、登下校時にはその前で最敬礼することが義務とされた。結局、教育勅語が納められた奉安殿は、ご神体のようにあがめられて国家神道の一部を担う役割を果たすのであった。
(教育に関する勅語)
というようなやり方である。

 
教育勅語を復活させるというのはこういう装置も復活させることである。それをしないとなれば、勅語は復活しても何の力も持ちえないだろう。道徳教育というのはそれほど大変なことなのだ。
 
 教師たちは今日も心血を注ぎ、道徳の教材を掘り起し、資料化し、指導案を作成して授業を行っている。学校の教育活動のすべてに道徳教育を配し、行事のたびに児童生徒を高めようと苦労を重ねている。
 そんな教師に対して、
 いわば問答無用で教育勅語が否定されるとともに、道徳教育そのものも敬遠され、それが学校教育の荒廃につながっている
 とうのは失礼だ。
 
 膨大な道徳教育の蓄積を一蹴して一片の文章で片をつけようという、愚かで乱暴な考えというしかない。
 
 





2014.04.21

担任教諭の入学式欠席問題
公と個、浮かぶ本質論


[産経新聞 4月20日]


 自分が担任する新1年生と長男の入学式、どちらを選ぶのか−。日程が重なった入学式で、埼玉県立高校の女性教諭は長男の入学式を優先した。「職責」を問う声と「事情」を理解する声。女性教諭の判断をめぐり、寄せられる意見の賛否は割れている。「教職員のあるべき姿とは何か」。議論を呼んだ教諭の行動は、教育者の本質を改めて問いかける契機ともなったようだ。(中村昌史)


不在をわびる文書

 「ご子息の入学式のため欠席です」。今月8日、埼玉県西部の高校入学式の一幕。校長は担任紹介で、新1年生を受け持つ50代の女性教諭について、生徒や保護者にこう紹介した。

 女性教諭は別の高校に進学した長男の入学式に出席するため、休暇届を提出していた。《大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびします》。あらかじめ作成された不在をわびる文書が生徒や保護者たちに配られた。

 この日のうちに、欠席を問題視する匿名の電話が県教育委員会に寄せられる。県教委の確認で、子供の入学式に出席するため高校の新1年生の入学式を欠席した担任が県内にほかに3人いたことも分かった。
 「悪意の行動ではない。女性教諭も息子さんもショックを受けたようだ」。この件が報道されると、ある県教委関係者は戸惑いを隠せなかった。県教委には15日までに147件の意見がメールなどで寄せられ、そのうち校長や教諭への批判が計82件、教諭の行動に理解を示す内容が65件となった。また、ネット上でも賛否が拮抗(きっこう)する状況で、盛んに意見が交わされた。


にじむ複雑な心情

 「新入生や保護者に心配や不安を抱かせて申し訳ない」。事態が発覚した後の14日、定例記者会見で見解を問われた関根郁夫県教育長は冒頭で謝罪しつつ、複雑な心情をにじませた。

 11日の県立高校長会でも生徒や保護者に対して“配慮”するよう、各校長に促した関根教育長。会見では「入学式は優先順位が高い。教員は基本的に出席する」と断言しつつも「理由を明示して休暇を届け出た。それぞれに事情がある」などと慎重な言い回しで理解を示した。

 ただ、自身の立場に置き換え判断を問われると、自らの現役教諭時代を振り返り「私の時は子供の入学式には行かなかった。体育祭、文化祭もほとんど行かなかった」と話し、こう続けた。「時代も少し変わってくる。親や若い先生の意識も変わってきている。どちらが良い、悪いというのではない」。必要な手続きが踏まれており、県教委は処分や配置換えはせず、校長による学校運営を尊重して指針なども示さない考えだ。


賛否分かれる識者

 識者はどう見るのか。「『聖職性』の高い教職員として、あり得ない行動。上司の管理者としての責任、意識も問われる」と厳しく断じるのは教育評論家の尾木直樹氏だ。「息子さんを第一に取り、職業人ではなく母親の行動を取った。単純な学力ではなく、人間教育も求められるのが教職。子供たちへの職責に反している」

 社会のさまざまな場面で学ぶ機会が増え、「学校の価値が相対的に落ちた」とも分析する尾木氏は「世間の『認識』に甘え、教師自ら乗ってしまうようでは、さらに信頼を失う」と懸念。「職責に真正面から向き合うのが教職。先生が尊敬を受けてきた理由について思いをいたさないとならない」と力を込めた。

 一方、「白黒つけるのは難しい」と話すのは、企業などでワークライフバランスに関する研修などを行うwiwiw(ウィウィ)社の山極清子社長執行役員。「個人を大切にすれば、ほかでもない息子の入学式に出席した教諭の選択も理解はできる。しかし、生徒さんから見ると担任はその先生しかいない。個か公か、その人の価値観を否定するのは難しい」

 山極氏は学校行事に母親が出席する「伝統」が残る側面も指摘。「父親の育児参加が増えてきた現代でも入学式のために会社を休むのは難しいのが現実。この一件は日本の働き方、生き方に関するいろいろな課題を含んでいる」と語った。


最大40日 教員にも年休制度

 埼玉県教育委員会によると、教員には一般的な会社員と同じように、年次休暇の制度が設けられている。毎年20日が与えられ、未消化の分は繰り越されるため、最大40日の年休を取ることができる。

 通常、年休を取得する場合は教員が「休暇届」を出して受理される。これに対し、病気や忌引など特別な理由で欠席する場合は、理由を添えて「休暇願」を願い出る。

 女性教諭のケースでは入学式前の今月、年休として休暇届が提出された。本来は年休の理由は問われないが、入学式という特別な式典だったため女性教諭は3月、学年主任を通して校長に欠席を相談。話し合いの結果、休暇が認められた。

 関根郁夫県教育長は「入学式の出会いは一番大事な行事。休暇届の受理はそれを踏まえた判断だったはず。それならば、より一層きちんとフォローすべきではなかったのか」と対応の不行き届きを指摘した。



 出なかった担任学級の入学式も高校、出席した息子の入学式も高校である。
「新入生や保護者に心配や不安を抱かせて申し訳ない」
 というほどのこともないと思う。
 この程度のことで傷ついたり不安に思ったりする高校1年生がいるとしたらその方がよほど問題だ。日本の教育は、15歳になっても条件のそろわない場面に立たされると立ちすくむ、そう言っているようなものだからだ。

 50代女性教諭は、だから息子の入学式に行ってもいかなくても、どちらでもよかった。しかしそうであるにもかかわらず息子の入学式を優先した。しかも
学年主任を通して校長に欠席を相談し、わざわざ新入生への詫びの文書まで用意した上で正式な手続きを踏んで休んだのだ。そこには特殊な事情があったとしか思えない。

 もちろんその女性教諭がかなり特殊な人だったという可能性も含めてのことだが、高校生であっても入学式に付き添うべき子どもというのもある、保護者が当日行かなければばらない私立高校というのもあるのかもしれない。いずれにしろ、
教育者の本質を改めて問いかける契機ほどのものではない。

 マスメディアというのはそうしたところまで踏み込まない。踏み込んでしまうと議論が起らないからだ。中途半端な記事を出して社会にセンセーショナルな問題として送り出す、そして引き続き記事を売る、それがいつものやりかたなのだ。