キース・アウト
(キースの逸脱)

2014年 6月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2014.06.08

民間人校長の不祥事はなぜ起き続けるのか
今度は高校校長がスーパーで万引き事件


[Jcastニュース 6月 6日]


 民間から公募で選ばれた校長の不祥事が頻発している。特にひどいのが大阪だ。府立高校に4月に着任したばかりの校長が、2014年5月28日に大阪市内のスーパーで和菓子などを盗んだとして事情聴取されていることがわかった。本人は万引きを認めているという。
 民間校長の不祥事は大阪に限ったことではないが、教育に生涯をかけようと意気込んで転職した民間人校長がなぜこうなるのか。

着任3か月で辞職、パワハラ、セクハラ、採用前の逮捕歴も

 大阪府立高校の男性校長は日本航空で日航財団事業部長を務めた後に04年4月に長野県立高校の校長に就任、14年4月から現職を務めていた。
「就任後はいろいろな苦労はあったと思うが大きなトラブルはなく、我々としてはどうしてこのような行動をしたのか理解に苦しんでいます」
 大阪府教育委員会は困惑している。大阪府の民間校長は14年4月時点で15人。

 14年5月1日には府立高の女性校長(57)が以前に社長をしていた会社のミーティングに参加したり、高校のパソコンで会社に指示を出していたりしたとして減給10分の1、1カ月の懲戒処分を受けたばかりだ。
 大阪市では2013年から公募採用を始め23人が着任したが現在は20人になっている。外資系証券会社にいた小学校の男性校長(当時38歳) は、13年6月に着任3か月で辞職した。生徒からは慕われていたようだが「体験を生かせる学校ではない」「年が若いから給料が安い」などといった理由か ら、特に謝罪もなく職を離れた。13年9月には、教頭に土下座を求めたとか、「どうして子供をつくらないの?」などと発言したなどと、3人の校長がパワハ ラやセクハラを疑われるといった騒動が起きた。14年5月には小学校の男性校長が、PTA会費約10万円を校内の金庫から持ち出したため現金管理が不適切 だとして調査が入った。

 民間校長の不適切な行動は大阪に限ったことではなく、任期途中で辞めてしまったなどといった報告がある。2003年には広島県尾道市立の校長 が国旗掲揚・国歌斉唱をめぐって教職員と対立し心理的負担によって自殺した。22年には校長として採用された元会社員の男性が公募前に、女性の胸元を携帯 電話で撮影したとして、神奈川県迷惑防止条例違反容疑で逮捕されていたことがわかった。

 どうして民間校長にはこうした不祥事やトラブルが起きてしまうのか。民間校長を取材してきたというジャーナリストに話を聞いてみると、最大の 原因は適材適所に配置できない「ミスマッチ」があるのだという。民間校長になるプロセスとして大きく2つにパターンがあり、1つは地元の有力企業などに自治体が相談して適任者を推薦してもらうやり方。もう一つは大阪のような公募だ。

校長を目指している教員から強い嫉妬を受ける

 推薦にも問題があり、いきなり会社から「君を推薦したい」と伝えられる場合がある。もちろん教育に興味があって喜ぶ人もいるが、「左遷」と感じる人もいる。知らない職場に自分の意思とは違った形で行くわけだから何をすればいいのかわからず、これが「不協和音」の始まりとなるようだ。

 公募の場合はこれまでの自分のキャリアを捨てる覚悟が必要で、それができる人は期待できるが、体のいい「転職」と思っている人もいる。そして、一般企業と教育現場は組織や思考が全く異なり、今まで自分を育ててきた企業の論理を持ち込むと、トラブルのもとになる。
 
 学校では生徒や先生たちに加え、PTAといった組織や地域住民とのつながりといった人間関係が錯綜し、やらなければならない仕事が山積みだ。 さらに、外部から来た校長ということで、同僚であるはずの教職員の見る目は厳しく、校長を目指している教員からの強い嫉妬もある。
「ある小学校の民間校長は毎朝校門に立ち生徒たちに挨拶をしていたのですが、その校長が校門を通る先生方におはようございますと挨拶をしたところ、ほとんどの先生がそれを無視していていまして、私はそれを見て驚き、民間校長は気の毒だなと思いました」

 大阪市では民間校長の不祥事が続いたことで、15年春の校長採用経費2800万円を削ることを決めた。民間校長制度は継続させる予定だが経費がない以上どうやって採用するのか、と市の教育委員会は悩んでいる。
「大阪市の採用は限りなくゼロに近付くと思います。そもそも民間で活躍した人が大学教授になるのはわかりますが、同じ教育といっても学校の校長は全くの別物であり、人選によほど気を付けなければ民間校長によるトラブルは続いていくと思います」
 
前出のジャーナリストは悲観的だ。

 大阪市の民間人校長の不祥事についてはこれまでも何度もあつかったので“今更”の感もないわけではないが、人間を入れ替えても繰り返されるというは大阪の宿痾と考えるしかないのかもしれない。
 特に今回は他県で3校もの経験をした校長が、大阪市に来るなり二か月足らずで“和菓子の万引き”という、とてもキャリアをかけるには値しない微罪で職を穢したのだから分からない。ほとんど伝染病か風土病に罹ったようなものなのかもしれない。
 
 さて今回の記事から初めて得た知識がある。それは、
 民間校長になるプロセスとして大きく2つにパターンがあり、1つは地元の有力企業などに自治体が相談して適任者を推薦してもらうやり方。もう一つは大阪のような公募だ。
 という部分である。
 私のところも基本的に公募だから企業に推薦してもらうという方法には気がつかなかった。
 
推薦にも問題があり、いきなり会社から「君を推薦したい」と伝えられる場合がある。もちろん教育に興味があって喜ぶ人もいるが、「左遷」と感じる人もいる。
 それは当然だろう。企業にとって必要な人材をみすみす外に出す経営者などいない。不要だから出すのであってそのことは普通、誰でも「左遷」という。また大方の場合、校長の給与は企業上層部のそれより低いからその意味でも「左遷」だ。これでは意欲を持って働くことはできない。
 またたとえ「公募」であっても、企業で有用とされ生き生きと働く人材が好んで職を捨て、見ず知らずの世界に飛び込むことも、そうはないだろう。大方は企業でつまらない仕事をあてがわれ、あるいは先が見え大した未来はないだろうと見通しのついた者だけが離職する。
 もちろん日本のため、社会を立て直すためにすべてを擲ってこの世界に飛び込む人もいると思うが、そうした殉教者はそれほど多いわけではない。
 
 そんな
“人材”でも公立学校の校長として革新的な仕事ができるだろうと見込まれるのだから、学校もほんとうになめられている。教員はほとんど馬鹿にしか見えないのだろう。

 テレ朝ニュースによれば橋下市長は、
「どこの企業でもどこの組織でもそうですが、不祥事が起きるのはしょうがない。採用で100%防ぐのは無理がある」
と語ったという。市長には子飼いの民間人校長を見るそうした現実主義の視点で、改めて学校を見直してもらいたいものである。学校を運営し、子どもの教育を行うというのはそんなに簡単なことではない。







2014.06.11

問題生徒を隔離指導 橋下大阪市長が了承方針


[東京新聞 6月11日]


 大阪市の橋下徹市長は十日、教育行政に関する会議で、悪質な問題行動を繰り返す公立小中学校の児童・生徒を隔離し、特別指導する場を外部に設ける市教育委員会の方針を了承する考えを示した。来春から始まる見通しで、モデル校で先行実施することも検討している。問題がある子どもの一方的排除につながるとの批判が出る可能性もある。

 橋下市長は会議で「問題のある生徒のせいで真面目な生徒がばかを見ることは絶対にあってはならない」と強調。会議終了後、「学校以外の指導現場が必要だ。市教委の制度設計を待って予算化する」と表明した。

 市教委は、さまざまな専門性を持った常勤・非常勤のスタッフを配置する専用施設「個別指導教室」(仮称)の設置を提案。在籍する学校と連携して問題行動の克服を図るとともに「大多数の児童・生徒の安全、安心と教育を受ける権利を保障する」としている。

 市教委はこれまで、いじめや校内暴力などの問題行動を五段階に分類。凶器の所持や極めて重い暴力など最も悪質なレベル5と、これに次ぐ4の児童・生徒のうち出席停止が必要となるケースが対象。出席停止中は原則、保護者が指導することを基本とするものの、家庭での指導に問題がある場合、「指導教室」を活用する。具体的には児童・生徒ごとに個別指導計画を作成、在籍する学校と連携しながら、個別指導することで、問題行動の克服を図る。学校教育法は、問題行動を繰り返し周囲の教育を妨げた場合、出席停止を認めている。市教委によると、出席停止後の児童・生徒のフォローが国レベルで整備されておらず、独自の取り組みを検討していた。



 他のメディアも概観して橋下市長の発言を集めると、
「問題のある生徒のせいで真面目な生徒がばかを見ることは絶対にあってはならない」
以外に、
「特別な体制を組んで子供に合わせた指導を行うことを否定する理由はない」
「(問題のある生徒には)1対1、場合によってはひとりの子どもに3人くらいの専門員で対応するようにしたい」
「2〜3週間、あるいは1か月間そうした場所に行っていたからと言って、人生になんの影響もない」
 等々意気盛んである。
「学校以外の指導現場が必要だ。市教委の制度設計を待って予算する」


 これに対して社会はおおむね好意的、学校現場は産経新聞によれば
「実現すれば授業の実施に集中できるようになる」。学校現場では歓迎する声もあるが、「レッテル貼りにつながる」との懸念や実効性を疑問視する見方もある。
 と何か煮え切らない。本来は拒否すべき内容だが、現場はシンド過ぎてとてもではないが拒否しきれないといったところなのだろう。
 しかしこのやり方は絶対ダメである。橋下市長は学校も教育も子どもも、何もわかっていない。

 問題点の第一は、誰がどういう基準に従って生徒に
専用施設「個別指導教室」(仮称)行きを宣告するのか、という問題である。

 もちろん宣告するのは学校(具体的には校長)、基準は大阪市独自の「問題行動へのマニュアル」ということになるだろうが、たとえば障害行為を(レベル4)を行ったら自動的に「個別指導教室」ということになるのだろうか、ナイフを持って登校した場合(凶器所持=レベル5)その翌日に「個別指導教室」でいいのか。

 それでいいということであればむしろ問題は少ない。教員の場合、児童生徒に手を挙げたらほぼ自動的に体罰として懲戒処分が下される。ことの良し悪しは別として、分かりやすいことは分かりやすい制度と言えよう。しかしおそらく児童生徒についてはそうはならない。そうした容赦のないやり方(ゼロ・トレランス)はすでに叩き潰されているからである。
 だから
「個別指導教室」相当かどうかは必ず保護者との交渉事になる。保護者にしてみればわが子が犯罪者扱いされるかどうかの瀬戸際だから当然、必死になる。
 長くしんどい話し合いが持たれる、そして結局は学校側が折れる。なぜならそんな不毛な話し合いを続けるなら、同じ時間を当該児童生徒の指導にあてた方がよほど建設的だからだ。

 大阪市は昨年9月に「問題行動へのマニュアル」を策定し、レベル4以上は出席停止とした。しかし今日まで一件の適用もないのはそうした事情による


 ではその問題をクリアすれば「特別指導教室」は実現可能な良いアイデアかというと、そこには別の問題が待っている。
 端的に言って、
レベル4・レベル5といった「特別の指導を必要とする」児童生徒を、2〜3週間あるいは一か月といった短期間で矯正してしまうような素晴らしい専門家やプログラムがあるのか、ということである。
 私は信じない。そんなものがあるとすればすでに児童相談所が援用していて、世の中の少年犯罪の大部分は消えているはずだからだ。

「個別指導教室」に入れられた子は、数週間おとなしく過ごした後で学校に戻ってくる。しかし善良な人間に育って戻るのでも、元のままでくるのでもない。彼らもその保護者も「学校に見捨てられた」という深い恨みを懐に抱いて帰ってくるのだ。
 学校の教師が児童生徒を手放したがらない最大の理由がそこにある。
 (親もそうだが)
教師に見捨てられたと信じた子どもは、糸の切れた風船のように絶対に戻ってこない。だからどんな場合も、「オレはお前を見捨てない」「お前をずっと見守っていく」というサインを出し続け、そのために身を切るような苦労をしてきのだ。

 今回提案された隔離指導を本気で行ったら大阪市の施設はあっという間に満杯になるだろう。市長の言う通り、「1対1、場合によってはひとりの子どもに3人くらいの専門員で対応するように」した場合、とんでもない数の専門家たちが張り付くことになる。だったらその人員を各校に配置した方がよほど有益だ。それぞれの小中学校の学年職員を一人増やすだけでも税分違ったものになるだろう。

 橋下市長と大阪市教委が「特別指導教室」を強行するなら、隔離指導が必要かどうかの判断を学校以外が行う仕組みを用意してもらいたい。かなり胡散臭いやり方だが、そうなれば学校に戻ってきたとき、教師は両手を広げて受け入れ、子どもも素直に戻ってくる。学校はすき好んで「特別指導教室」に送ったわけではない、ほんとうはやりたくなかったのだという擬制が成り立つからである。

 しかしそれができないとしたら、「特別指導教室」に行った児童生徒は元の学校に戻さないでもらいたい。信頼関係を断ち切られた学校にできることはほとんどない、そして心に凶器を忍ばせて戻って来るのなら、それはその子にとっての不幸だからである。