堺市立榎小学校で6月、5年生の男子児童(10)を平手打ちし、額を机に強打させたとして、大阪府警堺署は17日、男児の担任だった男性教諭(41)を傷害容疑で書類送検した。同署によると、男児は額を切るけが。教諭は「床に落ちたプリントを乱雑に取り上げたので腹が立った」などと容疑を認めている。
市教育委員会によると、男児はその後授業を休みがちになり、2学期からは体調不良を訴え入院している。教諭は7月に担任を外れ、今月から教育指導の研修を受けている。
送検容疑は6月23日午後3時40分ごろ、教室で男児の後頭部を平手打ちしたほか、頭を下げて謝った男児を殴打して額を机に打ち付けさせ、けがをさせた疑い。
市教委は「体罰根絶に向けて取り組んでいたが、誠に申し訳ない。再発防止に向け人権意識の向上を図りたい」とし、教諭の処分も検討している。
第2佐世保事件ともいうべき、佐世保女子高生殺人事件は普通の高校生の普通の殺人ではない。この事件をもって学校教育や家庭教育、通常の犯罪抑止を語ってはいけない。私もそう思う。そして今日取り上げたこの事件も同じだ。
床に落ちたプリントを乱雑に取り上げたので腹が立った
教室で男児の後頭部を平手打ちしたほか、頭を下げて謝った男児を殴打して額を机に打ち付けさせ、けがをさせた
この因果関係を理解できる人はいるだろうか。
世の中、ありえないことは普通は、ない。それが“ある”ということはそこに“普通ではない”特殊な事情があったと考えるしかない。
41歳にもなる分別盛りの男がプリントを乱雑に取り上げたといったつまらない理由で職業人としての自分、生活人としての自分をすべて投げ出してしまったのだから。
学校における児童生徒の発達障害及びその対応についてはずいぶん研究されてきた。しかし大人の(この場合は教員の)発達障害についてはほとんど手がついていない。
いまどき懲戒免職を覚悟で体罰を振るうとしたら、その一部は確実に心の問題を抱えている。それをまず解決すべきだ。
教員の意識、研修のあり方といった問題に帰納して道を誤らないように。