2015.04.22
<学力テスト>活用法で迷走…内申利用、結果公表などで混乱
[毎日新聞 4月21日]
21日に全国で一斉に始まった文部科学省の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)。今回からその結果を高校入試での内申点の基準づくりに活用することを決めた大阪府では「直前対策」を強化する学校が出てくるなど競争激化の兆しがみえる。文科省は「テストの信頼性が損なわれないようにしてほしい」と想定外の使い方をけん制。一方、結果公表を巡って知事と県教委の対立が繰り返されてきた静岡県は教育長の退任、不在という異例事態が続く。学校からは「『学テ騒動』はこりごり」と嘆きも聞かれる。
「過去問も含め、対応できる力をつけないといけない。対策が必要だ」。大阪府教委が高校入試への活用を決めた直後の今月中旬、大阪府のある公立中学の職員会議で、男性校長はこう切り出した。
府教委が決めた高校入試への活用策はこうだ。府独自の統一テスト「チャレンジテスト」(中2の1月に実施)から算出した府内の平均内申点を基準に、全国学テの平均正答率が府平均を上回った学校はその分を加点、下回った学校は減点。結果がよい学校は、より多くの生徒に「5」や「4」の評価を付けられ、振るわない学校は高評価の生徒が少なくなる。個人の内申点に直接、反映されることはないが、学校全体の結果が振るわなければ、その学校の生徒が入試で不利になる可能性がある。
校長は「学テの趣旨をゆがめているのではないかと思うが、生徒が入試で不利になるのは避けたい」。校長の提案に教員から異論は出ず、テスト前、生徒に過去問を解かせた。「他校も対策をするだろうから仕方ない」
大阪市のある中学は、理科の授業2時間をテスト対策に割き、国語と数学の対策プリントも配った。府内のある学習塾は生徒の要望を受け、18日に無料で対策講座を開いた。
大阪府の中学3年の結果は全国学テが再開された07年度以降、毎回、全国平均を下回る。昨年度も全科目で全国40位台と低迷した。府内のある自治体の教育長は「今回は成績が上がるかもしれない。しかし、それで本当に学力がついたと言えるのか」と指摘する。
文科省幹部は「こんな使われ方は『想定外』。不正行為や過度な競争につながらないようにしてほしい」と懸念を隠せない。
全国学テの都道府県別結果の不調に端を発した結果公表を巡って知事と県教委が対立した静岡県。昨年は、川勝平太知事が独断で市町別の平均正答率を公表したため、文科省は今年度の実施要領を改正し「調査の実施、公表は教委の職務権限」と明記した。川勝知事は20日の定例記者会見で「(公表は)多分ないだろう」と述べ、今年は矛を収める姿勢を見せた。
だが、結果公表に反対した県教育長が今年3月、任期1年を残し退任。川勝知事は後継人事案を県議会に提出したが、県議会が「資質に問題がある」と同意せず、教育長不在のまま。県教委幹部は「騒ぎになるのはこりごり。今年は授業改善など子供のためになる施策に集中したい」と話した。【大久保昂、平塚雄太】
途中分かりにくい部分があるが要するに、同じ内申点「5」でも学校のレベルによって差があるから、その不平等を全国学テで是正しようというのである。
学力テストの成績が高い学校で「5」を取るのは容易ではないから「5」の人数を増やし、成績の低い学校では簡単に「5」を与えないために「5」の人数を減らす。この場合、それぞれの人数は一定の数式から計算されるから、公平性は非常に厳密に保たれる、そう考えるらしい。
ここで「義務教育の評価は絶対評価だから『5』や『4』の人数が限られるのはおかしい」といってはいけない。あんなものは10年以上前に滅びてしまっている。平成14年指導要領改訂の際、全国の教員が死ぬほど努力して作った厚さ3センチほどもある「絶対評価表」は、もはや形骸すら残っていない。
「こんな使われ方は『想定外』。不正行為や過度な競争につながらないようにしてほしい」
と文科省は言っているらしいが、そもそも「全国学力学習状況調査は授業改善のため」自体がフィクションもしくはお題目であって、本来は学校や教員を評価し競わせる道具として実施されているものである。先の発言も「過度な競争につながらないように」と言っても「競争につながらないように」とは決して言わない。具体的なやり方は「想定外」でも、全体の方向としては大阪は間違っていないのだ。
私は厳しい競争を促しながら「全国学テは授業改善に寄与すべきもの」「過度な競争につなげてはならない」と言い続けるその欺瞞が我慢ならない。なぜ我慢ならないかというと、この学力偏重によって何らかの問題が起った時、政府・文科省は「だから学テはそういうものではないと言い続けたじゃないか」と言い訳するに決まっているからである。そしてそのとき責任を取らされるのは現場の教員・学校なのだ。
実は政府も文科省も学校の現状を良く知っている。
学校はもう満杯なのだ。何かを入れれば何かが飛び出してくる。学力、学力と国語や数学、理科、英語といった教科教育を深く突っ込めば生徒指導や道徳教育があふれ出てしまう。
もちろん政府・文科省は生徒指導や道徳教育の必要性を声高に叫んでいるが全国学テのような強力な武器を振り回されればどうしても教科教育が肥大する。さらにそれに対抗するために生徒指導や道徳教育に武器を与えれば今度は教職員が負担に耐えられず枠からあふれ出てくる。そこで部活動のような大きなものを学校から外すと今度は児童生徒があふれ出てくる。
いずれにしろ教育制度はいじればいじれるほど悪くなるのだ。
学力王国の秋田県や福井県の子どもたちはほんとうによく勉強する(特に家庭学習では他を圧倒している)。それには頭が下がる。しかしこの両県が社会・経済・文化面で日本全体をけん引しているようには、失礼だがとても見えない。東大・京大に大量の生徒を送り込んでいるともつとに聞かない。
世界に目を転じれば学力大国の中国・韓国・台湾・香港・シンガポール・フィンランド、これらはほんとうに日本が目指すべき国家・地域なのだろうか?
全国学テの意義を問う。