キース・アウト
(キースの逸脱)

2015年 5月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2015.05.03

遅刻の生徒を土下座させ撮影 大阪府立高校の教諭を戒告

[朝日新聞デジタル  5月1日]


 体育祭に遅刻した女子生徒に土下座をさせて、その様子をスマートフォンで撮影するなどしたとして、大阪府教育委員会は1日、府立高校の30代の女性教諭を戒告処分にし、発表した。

 府教委によると、女性教諭は昨年6月、校庭で他の生徒数人がいる前で女子生徒に土下座をさせ、撮影した画像をその場で見せて「謝るというのは、こういうことや」と話したという。画像は当日消去し、流布などはしていないという。女子生徒が別の教諭に「学校に行きたくなくなる」などと打ち明けて発覚。女性教諭は府教委に対し、「人権感覚が不十分で生徒の心に大きな負担をかけてしまった」と話しているという。(石原孝)


 いったいこの女生徒は何をして怒られたのだろうか――。
 そういう疑問は持つこと自体がおかしいのだろう。
どんな理由があろうと土下座は重大な人権侵害で絶対に許すことはできない、この記事が教えるのはそういうことだ。

 しかしときおり企業家たちがマスコミを前に深々と頭を下げ、時には土下座をすることもあるが、朝日新聞その他が止めに入った姿を見たことがない。それどころかマスメディア自体が土下座を要求しているようにも見えるが、あれは大人だから人権侵害に当たらないということなのだろうか。

 女生徒が何をしたかは翌日の読売新聞を見ればわかる。  
 
「謝るとはこういうことや」生徒土下座させ撮影    読売新聞 5月2日(土)10時4分配信

 遅刻した女子生徒を土下座させ、スマートフォンで写真撮影したとして、大阪府教育委員会は1日、府立高校の女性教諭(31)を戒告の懲戒処分とした。
 
 発表によると、女性教諭は昨年6月、担任だった当時3年の女子生徒が体育祭の開会式に遅れ、競技にも出場できないと考え、別の生徒に代理で出場するよう指示した。その後、女子生徒は競技開始前に登校。女性教諭は代理で準備をしていた生徒に謝るよう促したが、謝り方が不十分だとして土下座を指示し、その様子をスマートフォンで撮影した後、「謝るというのはこういうことや」と言ったという。
 
 女性教諭は「かっとしてしまった。事の重大さを認識せず、生徒の心に大きな負担をかけてしまい反省している」と話しているという。

 謝るということがどういうことなのか、子どもたちは学ぶ必要がある。
 大切な体育祭に遅刻する、そのために代理を立てなければならなかったのに競技直前にいけしゃあしゃあと登校してくる、その身勝手をどう償えばいいのか、 
 謝れと言われたから謝ったでは済まない。

「きちんと謝りなさい!」
「謝っています」
「それがきちんとした謝り方なの?!」
「だから謝ってるって言ってんだロ!」
「もう一回謝れ!」
(スマホを取り出して写真を撮る)
「それが謝罪になっているかどうか見せてやる! 土下座しなさい! 土下座!」
(少女、面倒くさそうに土下座をする。写真撮影)
「ごらん! 謝るというのはこういうことや!」
(と写真を見せる)

 女子生徒が別の教諭に「学校に行きたくなくなる」などと打ち明けて発覚。
 女性教諭は「かっとしてしまった。事の重大さを認識せず、生徒の心に大きな負担をかけてしまい反省している」と話している
 
 謝罪のしかたといい、土下座をさせられたくらいで学校に行けなくなる性根の弱さといい、この娘、社会で生きていくための基本的な力をつけてもらっていない。
 これこそ重大な人権軽視と思うがどうか。







2015.05.13

教諭酒気帯び運転、福岡市また宴会自粛
キャンセル多発、店は「泣き寝入り」


[西日本新聞夕刊  5月11日]


 福岡市立中学の男性教諭が道交法違反(酒気帯び運転)容疑で4月に逮捕された事件を受け、市立校の教職員らが飲酒を伴う懇親会などの開催を自粛している。あおりを受けているのが、新学期の歓迎会を当てにしていた地元飲食店だ。突然のキャンセルが相次ぎ、店主らは「飲酒運転は論外だが、経営への影響が大きすぎる」とぶつけようのない怒りを訴える。飲酒不祥事のたびに繰り返される宴会自粛。識者は「世間にとりあえず反省のポーズを示すだけなら意味がない」と疑問を投げ掛ける。

 中央区の飲食店は、大型連休前後に10校近くの歓迎会の予約を受けていたが、教諭の逮捕後、ほぼ全校がキャンセルした。1団体40〜80人、1人5千〜6千円の収入減は大きい。店主は「食材の調達先にも迷惑を掛け、対応する勤務を入れていた従業員は仕事がなくなった」と頭を抱える。

 男性教諭が摘発されたのは4月20日。福岡県警によると午前4時すぎ、福岡市・天神の国道で尾灯が消えている車を発見。運転していた教諭の呼気を調べると、基準値の約2倍のアルコールを検出し、現行犯逮捕した。19日夜に飲食店で酒を飲んでいたとされる。

 市教育委員会は摘発されたその日に、幼稚園長会や小中高校、特別支援学校の各校長会と臨時協議。各会はそれぞれ「1カ月程度」「6月まで」「1学期終了まで」との期限を設け、飲酒を伴う懇親会などの自粛を決めた。

 市内には7幼稚園と224の市立校があり、飲食店への影響も大きい。

 7店を市内で展開する飲食チェーン店も「かなりの数のキャンセルがあった」と明かす。経営者によると、自粛前に予約を受け、既に料理の仕込みを始めていた店もあった。「市教委にキャンセル料を求めるわけにもいかない。泣き寝入りするしかない」と憤る。

 市は2012年、飲酒に絡む不祥事が続いたことから、高島宗一郎市長が職員に「自宅外禁酒令」を出した。市教委は13年末にも、教諭2人が酒気帯び運転容疑で逮捕され、忘年会などを自粛した。市教委の担当者は「影響を受ける飲食店には申し訳ないが、飲酒運転に十分に注意するという意味があり、自粛はやむを得ない」としている。

 「謝罪の姿勢を示さないと世間は納得しないと思っているのだろうが、店への配慮が足りない」と指摘するのは、「なぜ日本人はとりあえず謝るのか」(PHP新書)の著書がある佐藤直樹九州工業大名誉教授(刑事法学、世間学)。「基本的に飲酒運転は私的な問題。民間に迷惑を掛けてまで連座責任を取るというのは無責任だ」と指摘する。



「基本的に飲酒運転は私的な問題。民間に迷惑を掛けてまで連座責任を取るというのは無責任だ!」

「市内の教員が飲酒運転で逮捕された直後だというのに、学校を上げての飲み会とは何事か!」
 さて、一般的反応として前者と後者、どちらが多いのだろう。
 基本的に後者の方が多いと考えるのが公務員である。よもや
「飲酒運転があったにもかかわらずよくぞ乗り越えて飲んでくれた」と誉められるとは思っていない

 もちろん宴会を開いても市民全員の不興を買うことはない。市民はそんなに暇ではないからだ。しかし一部の“正義の士”は公務員不祥事が大好きですぐに噛みついてくる。マスコミはそうした人々の声を無視できない。なにしろそれは正義だからだ。
 かくして教育委員会は全職員に宴会中止令を出す。飲酒運転が二度続けば「個人としても家の外での飲酒を自粛する」ということになる。そして今回のような記事が出る。
 
 やってもやらなくても怒られる、
識者は「世間にとりあえず反省のポーズを示すだけなら意味がない」と疑問を投げ掛ける、じゃあどうすればいいのかというと誰も答えず、そんなこと自分で考えろという感じで投げ出す。それがいつものやり方である。
 やってられない。
 
 
 ただし個人的には、この記事の主旨に反対しない。何と言っても
公務員が不祥事を起こして大型飲食店が(収入減で)罰せられるのは理に合わないからだ。
 バブル崩壊以降30人〜50人といった大宴会を行うのは公務員くらいになってしまった。公務員の場合、組織から宴会補助といったものが出るわけもなくすべて個人負担だから維持しやすかったのである。
 したがって今や地方の飲食店にとって忘年会だの送別会だのの時期は書き入れ時だ。一般の公務員に比べると、学校は1学期納会というのまであるから年間最低4回は大きなお金を落としてくれる(その他、運動会、文化祭、授業研究会などの慰労会というのもある)、それが一斉になくなるのはたまったものではない。

 さらに実際、アルコールなんか好きじゃない、宴会も好きじゃないといった教員はいくらでもいるから年間3万円前後にもなる宴会費がなくなって悲しむ人はほとんどいないのだ。
 教員が2000人の自治体だったら、年間6000万円の収入である。これだけを考えると不祥事があったらむしろ宴会を増やすくらいのことはあってもよさそうなものである。
 ただし、そうは言っても「教員不祥事が続いたので、市内の教員は一斉に宴会を開いて市民に金をばらまいた」では話にならないし、人々の冷たい目にさらされながらの宴会も盛り上がらない。
 結局、「不祥事には宴会自粛」の方向はなくならない。

 公務員が不祥事を起こすと市民が罰せられるという不条理は延々に続くのである。







2015.05.18

無表情、集団生活嫌い…激変した「少年院」収容少年たち

[産経新聞  5月16日]


 
 お年寄りをターゲットに多額の現金をだまし取る「振り込め詐欺」に手を染める若者が後を絶たないが、若者の変質に合わせ、少年院の指導現場も変化している。収容者に暴走族が多かった昔は面倒見の良いリーダーを育て他の少年を統率する“ピラミッド型”の秩序構造だった。しかし、最近は知能犯の増加もあり集団生活になじめない少年同士が話し合いをしたり、法務教官が膝をつき合わせる“フラット型”に移行している。振り込め詐欺を始めとする「特殊詐欺」による収容者の率が高い多摩少年院(東京都八王子市)を訪ねた。

■無表情で気持ちを表現できない子供たち

 「昔は暴走族や粗暴行為者が多く、やんちゃな子がたくさんいた。喜怒哀楽がはっきりしていて、打てば響く子たちばかりだったが、最近は振り込め詐欺や性非行など特殊な非行で入ってくる子が増え、元気がなくなってきた。うれしくても悲しくても無表情で気持ちを適切に表現できない。なぜ悩んでいるのか、何を考えているのかを引き出すだけでも大変になってきています」

 関東近県の1都10県から主に10代後半の少年たちが収容される多摩少年院に20年勤務する生活指導主任(46)は、更生の現場の変化をこう説明する。特に、振り込め詐欺などで収容された“現代っ子”たちの急増は、教官を戸惑わせがちだという。

 「成績は悪くないし、与えられた役割はスムーズにこなす。個別面接でも表向きは良いことを言うのに、教官とのユースフルノート(交換日記)に『死にたい』という言葉を書いてきたりする」と頭を抱える生活指導主任。

 「暴走族出身の子供をリーダー的な存在に育てれば、他の少年たちをピラミッド型でまとめてくれたものですが、今はそういうアプローチでは逆に反発されてしまう」という。

 東京郊外の小高い丘の上に建つ多摩少年院。平屋建ての寮5棟に約150人が生活をともにしているが、大正12年につくられた日本初の少年院が時代の波に洗われている。

■『1人でいたい』と単独室を希望

 「ラクしてもうかる」と振り込め詐欺への加担をバイト感覚で引き受けたものの、あっという間に警察に逮捕され、少年院送致となる若者が後を絶たない。昨年、全国の少年院に収容された男子少年のうち詐欺は5・9%で3年前に比べ、3倍以上増えている。

 多摩少年院に昨年中に収容された男子少年たちを犯罪種別にみると、窃盗に次いで2番目に多いのが詐欺(21・5%)だ。平成24年(5・4%)、25年(17・0%)と急増している。多摩少年院には比較的非行の傾向が低い少年が集められているため、振り込め詐欺などに手を染めた非行者が多く集まっているのだ。

 暴走族を始めとする粗暴非行で収容された少年たちはある意味で集団生活に慣れているが、振り込め詐欺で収容された子供たちは色合いが違うようだ。「『一人でいたい』と希望して、半年くらい単独室に入っていた子もいます。実習や体育では集団行動しますが、ご飯を食べたり寝たりするのは1人。そっちの方が落ち着くんだそうです」(生活指導主任)という。

 少年院の生活は、集団生活が基本だ。毎日午前7時に起床してから午後9時15分の就寝まで、他の少年たちと過ごす。寮では約10畳の集団室に4〜6人が同居。三食とも寮の仲間と取り、寮に1つしかないテレビをホールで見る。トラブル時の指導などを除けば、教科教育や職業訓練も原則的に集団で行われる。このため、個別対応が長期間にわたると、少年院運営にとっても負担となる。

■受け子、出し子…罪の意識が低い振り込め詐欺

 一方、振り込め詐欺で現金の受け取り役「受け子」や現金自動預払機(ATM)で現金を引き出す役「出し子」といった“端役”を演じた少年たちは加害者意識が低く、更生に持っていくまでに時間がかかることもある。

 「自分が詐欺に加担しているとは思わなかった」と話すのは、詐欺未遂容疑で逮捕され、多摩少年院に収容された10代後半の少年。街中で「お小遣い欲しくない?」と声をかけられ、受け子を命じられた。携帯電話で指示され、都内の路上でお年寄りの女性から紙袋を受け取ったところで警察官に囲まれた。

 「書類を受け取る仕事だといわれていたので『だまされた』と思い、誰も信じられなくなった。被害者のことも逆恨みしていました」。短髪に白い運動シャツ。今は快活に話す少年だが、収容後しばらくは同じ寮の誰とも話さず、教育・訓練もまじめに取り組むことができなかったという。

 多摩少年院で社会復帰支援を担当している専門官(35)は「最初は『誰も傷つけていない』と言って反省しない子も多い。お年寄りや弱い人たちからお金を取っているというところまで思いがいたらないんです」と振り込め詐欺の端役をさせられた少年たちの気持ちを代弁する。

 このような状況下ではまず、自分の家族関係に置き換えて考えさせたり、何年かかっても返済できない大金であることを被害弁済の視点から認識させるようにしているという。さらに、「ラクしてお金が入るのはおかしい」「働くのはお金のためだけではない」と労働の意義を教え、再び非行に走らないよう指導している。

 少年はその後、「迷惑がかかったのは自分ではなく、被害者や母親だった」と気付いた。多摩少年院では、サッカー大会や演劇祭などの行事が行われているが、運動会で寮の仲間が優勝を目指して一致団結したことで、集団生活への違和感も消えた。ワープロや溶接の資格を取得し、出院後の就職先も決まった。「いまはここに来てよかったと思っています」

■30秒で済んだ指導が3〜5日かかるように…

 収容者の多様化が進む少年院の指導現場だが、人間関係がドライな時代が少年たちの“リーダー不在”の原因ともなっているようだ。生活指導主任は「最近は、リーダーの資質、人間的な魅力のある子がいない気もします。他人のことが考えられないというか…。やったことは悪いが、仲間は大切にしたい、守りたいという子がいたものです。強力なリーダーが生まれづらい時代です」と打ち明ける。

 そこで多摩少年院では、「処遇の個別化」と「集団生活を通じた社会化」を処遇の原則としている。

 少年それぞれの特性に合わせて何を求めているのかを見つけ、教官が個別に指導したり、トラブル時に少年同士で話し合いの場を設けるのが「処遇の個別化」。集団生活の中で「運動会で優勝する」といったような1つの目標を据え、団結する中で社会性を身につけさせるのが「集団生活を通じた社会化」だ。

 指導が綿密になった分だけ、時間もかかるようになった。「昔は30秒で済んだ話が、3〜5日かかるようになりましたが、少年たちにとっても気づきが多く、より有効だと思います」と話す生活指導主任は仕事のやりがいを感じている。

 「一皮剥けば、子供たちの素の姿は変わっていない。そこにたどり着くための時間がかかるようになったということでしょうか」


 こうしてみると少年院も学校も極めて似ていることが分かる。「番長」もすでに死語化しているのかもしれない。不謹慎を承知で言えば「牢名主」もいなくなった。
人間関係がドライ
リーダー不在
他人のことが考えられない
1人でいたい

 まさに現代社会の縮図である。
 こうした子どもたちを相手に社会性を育てなければならないのだから、学校も少年院も大変なわけだ。

 ところでしかし、
 指導が綿密になった分だけ、時間もかかるようになった。「昔は30秒で済んだ話が、3〜5日かかるようになりましたが、少年たちにとっても気づきが多く、より有効だと思います」と話す生活指導主任は仕事のやりがいを感じている。
 やりがいだけでなく、多忙化にも注目してもらわなくてはならない。







2015.05.23

生徒に木くず食べさせる 授業中かつお節に混ぜ、神戸の中学教諭

[神戸新聞  5月23日]


 
 神戸市須磨区の市立中学校で、技術の授業中、30代の男性教諭がかつお節に木くずを混ぜ、複数の生徒に食べさせていたことが22日、同校への取材で分かった。教諭は「木くずの薄さを体感させたかった」と説明。同校は該当する生徒と保護者に謝罪するという。

 同校によると、教諭は昨年末〜今年3月、当時の1〜2年生に授業で木工を教えた。教諭はカンナで木を削る実演をした後、持参したかつお節に木くずを混ぜ、「見分けつかんやろ。いっぺん食べてみるか」などと生徒に勧めたという。

 神戸市教育委員会などによると、希望した生徒十数人が口に含み、一部は木くずをはき出さず、そのままのみ込んだという。体調不良の訴えはないという。

 同市教委は詳細な調査を同校に指示しており、木くずを口にした正確な生徒数や状況を確認し、教諭の処分も検討する。

 同校の校長は「指導方法として不適切で、教諭には厳重に注意した。二度とこのような指導はさせない」と話した。(上田勇紀)


 

 世評では「どこが問題なのか分からない」という人が主流だが「問題になるのは当然だろう」という人も少なくない。しかし、
 同市教委は(中略)教諭の処分も検討する。
 同校の校長は「指導方法として不適切で、教諭には厳重に注意した。(中略)」と話した。

 となると、明らかに軍配は後者に上がったと言えるだろう。
 それでも社会通念上は前者ではないか。
 
 教諭はカンナで木を削る実演をした後、持参したかつお節に木くずを混ぜ、「見分けつかんやろ。いっぺん食べてみるか」などと生徒に勧めたという。
 希望した生徒十数人が口に含み、一部は木くずをはき出さず、そのままのみ込んだという。体調不良の訴えはないという。
 

 騙して食べさせたわけでも強制したわけでもない。また鉋屑(普通は木くずなどとは言わないだろう)は基本的に毒ではない。
 
鉋屑と比べるためにわざわざ鰹節を持ち込んだ教諭は、ある意味、熱心な教師と言えるかもしれない。こうしないと生徒はなかなか食いついてこないものだ。
 良く見慣れた鰹節と同じような薄い鉋屑をつくりたい(そこまで綿密な仕事をしたい)、そう思わせるにはとても良い授業だと思うがどうか。
 しかしそれでも「食べ物以外のものを口にさせるとは何事か」と目くじらを立てる人は案外多いのかもしれない。
 
 ところで、
教室内で起きたことがどうして教委に知られマスコミに漏れたのだろう?
 まさか鉋屑を食べた生徒が訴えたわけではないだろう。もしそうだとしたら、その卑怯者は別にその生き方を指導されなければならない。
 生徒ではなく、その保護者が訴えたとしたらこれもお門違いである。怒られるべきはそうした家庭に生まれながら鉋屑を食べてしまったその子どもであり、恥じるべきはそうした子どもを育ててしまった保護者自身である。
 しかし正直言うと、そのふたつとも答えではないような気がする。
 
 鰹節と鉋屑を混ぜたものを食べた生徒たちは、教師が勧める以上問題がないと思ったから食べたのであり、問題がないと思っている以上、家に帰っても報告しなかったはずだ。
 それを話したのは同じ教室にいて食べなかった子で、先生の不祥事が大好きな家庭の子。先生の不備を話せばとても喜んで話を聞いてくれる子が家に持ち帰り、その親が学校なりマスコミなりに持ち込んだ、そう考えるのが一番ありそうなケースである。

 教師の脇はこういう時に甘くなる。
 鉋屑を食べた子は教師との間に良好な人間関係のある生徒たちだ(だから信用して食べた)。そうした子たちを前提に少しふざけたことをすると、そうでない子が訴える――学校における信じられない不祥事は、しばしばこういう形で起る。訴えられれば学校も教委も、そしてマスコミも畏まらないわけにはいかなくなる。なにしろ訴えの内容自体は間違っていないからである。

 教師たちよ、だから教室に冗談を持ち込んではいけないのだ。ゆめゆめ楽しい授業を、などとは考えてはいけない。オーソドックスな、教科書にある通りの授業をしてさえいれば、どんなに退屈であっても訴えられることはない。
 それがこのニュースから学ぶべきことである。