キース・アウト
(キースの逸脱)

2015年 7月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2015.07.05

給食停止、やり過ぎか 埼玉・北本市「未納なら弁当を」

[朝日デジタル  7月4日]


 学校給食費の未納が3カ月間続いたら、7月から給食の提供を停止します。その間は弁当を持参させてください――。埼玉県北本市の中学校が6月、保護者に通知を出したところ該当する43人全員が納付するか、納める意思を示した。学校のやり方に「ほかの家庭は払っているのだから当然だ」という声があがる一方で、「親の責任を子どもにおしつけるのはやり過ぎだ」との声もあがる。

■「苦渋の選択」通知で効果

 未納家庭の生徒への給食停止を決めたのは、北本市に四つある全市立中学校。生徒1人あたり月4500円の給食費の滞納総額は、4〜6月分だけで約180万円(一部未納も含む)に上る。計画通りに食材購入ができなくなる恐れが出たため、4校の校長は「未納額がこれ以上膨らむ前に手を打とう」と措置に踏み切った。

 同市は、給食費の管理を各校に任せる「私会計」方式をとる。未納の家庭に担任教諭が訪問し、生活が苦しければ給食費などが支給される就学援助の仕組みを説明したり、「一部だけでも納めて」と求めたりしてきた。それでも応じない未納の43人について、学校は「払えるのに払わない」事例だと判断した。

 6月、保護者に配布した通知には「給食を停止する際にはお子様にも告知する」「『有料』なものに相当額の支払いをするのは社会のルール」などと明記した。すると、6月末までに全家庭が納付するか、納める意思を示した。このため、7月も引き続き全生徒に給食を提供している。

 市教委によると、給食費未納問題は10年近く前から続いてきた。1年以上納めないまま卒業した例もあるという。元校長は、卒業生宅を督促に訪れた際、母親から「払えないのよ」と財布をたたきつけられたという。

 4校の校長は法的措置をとるよりもまず、通知を出して解決をはかることにした。市教委は「通知の効果があったのは良かったが、できれば避けたい苦渋の選択だった」とする。弁当を持参させれば、未納だとほかの生徒にもわかるからだ。

 通知後、市教委には20件近い意見が寄せられた。ほとんどが「支払うのが当然だ」と理解を示す声だったという。だが、市内の中学2年生女子の母親(46)は「子どもに罪はないのに、親の責任を押しつけるようで、やり過ぎだ」と話す。

■ほとんどの学校、未納でも提供

 全国のほとんどの学校は、給食費が未納でも給食を提供している。福岡市教委健康教育課の高着(こうちゃく)一孝課長は「給食は教育の一環として実施している。給食の提供は市の責任で、未納を理由に食べさせないことは考えていない」という。

 同市は2008年度の累積滞納金が約1億9700万円に膨らんだ。09年9月、政令指定市で初めて、一般会計に予算計上して自治体で一括管理する公会計方式にし、保護者は口座振替で市に給食費を納める仕組みにした。

 また、市教委には未納者に対応する専従職員が6人いる。督促しても納付されない場合は法的措置をとる。昨年度、市が裁判所に支払い督促を申し立てたのは53件。滞納額が50万円を超え、市が支払いを求めて裁判所に提訴したのは4件。うち計36件で納付の誓約がなされた。

 対策の強化で、前年度までに累積した未納金の収納率は09年度の10・7%から13年度は14・7%に改善。しかし、給食費の値上げもあり、13年度の累積滞納金は2億8692万円と、公会計化前より膨らんだ。

 文部科学省が全国の公立小中学校583校を抽出して行った調査では、12年度の未納者の割合は0・9%。法的措置をとった学校は1・1%あった。完全給食を実施する公立小中学校(約2万9千校)全体での未納額は推計21億円余りに上る。

 今年度も、群馬県高崎市が4月、約30万円を滞納している1世帯を提訴。埼玉県川越市が今月2日、約6万5千円を滞納している1世帯を提訴した。

 文科省は1月、各都道府県教委などに対し、未納者には就学援助などの活用を奨励することや、やむを得ず法的措置をとった過去の事例も参考に適切な対応をとることなどを通知した。(川崎卓哉、三島あずさ)

■懲罰的対応ではなく支援を

《鳫(がん)咲子・跡見学園女子大准教授(行政学)の話》 生活保護や就学援助を申請していないからといって「支払い能力がある」と考えるのは短絡的だ。援助を申請できない事情を抱える保護者もいる。滞納を続ける家庭は、子どもが育つ環境として何らかのリスクがある可能性がある。学校や行政は懲罰的な対応ではなく、滞納を福祉による支援が必要なシグナルととらえる必要がある。

■保護者と信頼関係築く必要

《教育評論家の尾木直樹さんの話》 公立中学校の教員だった経験から、子育ての能力や責任感に欠けるなど様々な保護者がいるのは分かる。ただ、どんな親や子どもにも、きちんと対応していくのが公立学校だ。教員は部活などに費やす時間が長すぎて、保護者と十分なコミュニケーションをとって信頼関係を築けていない。十分な対応ができるようにするためには、働き方も見直すべきだ。



 学校の中でもっとも嫌だったのが未納金の督促という仕事だ。
 教師には「金のために働いているのではない」という矜持があって、だからこそ時給に直せば高校生アルバイトの半額にもならない調整手当で何十時間もの持ち帰り仕事に耐え、24時間営業の教育相談や生徒指導にも我慢してきた。当然とるべき年次休暇も何十日でも平気で余らせる。時には自腹を切って教室の飾りつけやら備品の整備なども行う。まともに金のことを考えたらとてもやっていけないので、ワザと金からそっぽを向いてきたと言ってもいい。
 その教員が金とまともに付き合わなければならないのが、この“未納金の督促”なのだ。なぜ担任が頭を下げて給食費や学年費をお願いしなくてはならないのか、ずっと理解できないでいた。
 
 もちろん貧困が原因ならそれなりの対応はしなくてはならない。しかし収入が基準をはるかに上回ってしまい就学援助の対象者とならないような人が給食費未納だったりすると、怒りさえ湧いてくる。
 生活保護や就学援助を申請していないからといって「支払い能力がある」と考えるのは短絡的だ。援助を申請できない事情を抱える保護者もいる。
 そんな特殊な例を言い立てられても困る。
 私たちが問題とする未納者は例えば、
「ディズニーランドに行って海水浴にも行き、週二回の外食をしてゲームセンターで遊ぶ、そのあとで給食費を払おうとするとどこにお金が残っています?」
と平然と言えるような人々なのだ。
「せっかくの休日だというのに貧乏だから遊園地や海にもつれて行けない、外食もさせられない、それでは子どもがあまりにも不憫じゃないですか」
 私のところなど、上の子は小学校の修学旅行で初めてディズニーランドに行った。家族で行ったのはかなり遅くなってからの2回だけだ。外食など月に一回もあるかないか。しかし子どもは不憫ではなかった。

 さて今回の朝日新聞の記事、主張がなかなか見えにくいのだが、ひとつは「市内の中学2年生女子の母親(46)」の口を借りて言う「子どもに罪はないのに、親の責任を押しつけるようで、やり過ぎだ」と「全国のほとんどの学校は、給食費が未納でも給食を提供している」だろう。
 未納でも給食が提供できる仕組みとして福岡市の例を挙げて、公会計にして市の督促とし、最悪の場合は提訴すればいいと、そんなふうに解釈できる。
 しかしそれでいいわけはない。
 
福岡市は人口150万人あまりの政令指定都市なのだ。人口6万7千人の北本市と並べられても困る
09年9月、政令指定市で初めて、一般会計に予算計上して自治体で一括管理する公会計方式にし、保護者は口座振替で市に給食費を納める仕組みにした。また、市教委には未納者に対応する専従職員が6人いる。
 こんなやり方を小さな都市ができるはずもないし、できたからと言ってやっていいことのようにも思えない。未納者に対応する専従職員6名の給与は税金から支払われているからだ。未納者がゼロならこんなアホな支出をする必要がない。

 
全国のほとんどの学校は、給食費が未納でも給食を提供している
 もちろんそうだ。北本市もこれまでそうしてきた。その結果が
 4〜6月分だけで約180万円の滞納なのだ。
 しかも「給食を出さないぞ、弁当を持たせろ」と言っただけでポンと出て来る180万円なのだ。

 ところで私会計の給食費で未収金が出た場合、何がどうなるか、朝日新聞は調査したのだろうか?
 かつては校長先生が自腹を切って大変なこと(とんでもない金額に跳ね上がった)になったりしたが今は違う。可能な場合はPTA会費から補てんする。PTAのそれだけの財力がなくてできなければ全員で泣く。つまり給食の質を落すのだ。
 具体的に言えばデザートをひとつ減らすとかおかずを一品減らすとかいったやり方で対応するしかない。
 もっとも「それくらい我慢するだけで未納のお宅がディズニーランドに行けるならいいワ」と言ってくれるような気持ちの良い子どもと保護者ばかりなら何の問題もないだろうが。

(注)
 滞納を続ける家庭は、子どもが育つ環境として何らかのリスクがある可能性がある。学校や行政は懲罰的な対応ではなく、滞納を福祉による支援が必要なシグナルととらえる必要がある。
 これはもっともである。
 金があるのに払わない、就学援助費まで遊興費に回してしまう、そんな家庭はまさに「環境として何らかのリスクがある」。「福祉による支援が必要なシグナル」ととらえて子どもを引き離すことも考えなければならないのかもしれない。







2015.07.25

岩手中2自殺:担任「文章と行動に差…予期できなかった」

[毎日新聞  7月25日]


 岩手県矢巾(やはば)町の町立中学2年、村松亮さん(13)がいじめを苦に自殺したとみられる問題で、クラス担任の女性教諭が学校側の調査に対し、村松さんが生活記録ノートに書いた自殺をほのめかす文章と、教室での村松さんの言葉や表情にギャップを感じ、本当に自殺するとまでは予期できなかったとの趣旨の説明をしていることが分かった。こうした認識が、同僚教諭らとの情報共有をはばむ一因になった可能性があり、同校は26日にまとめる調査報告書に担任の当時の認識を盛り込む方針。

 村松さんは、担任に毎日提出する「生活記録ノート」の6月29日の欄に「ボクがいつ消えるかはわかりません。もう市(死)ぬ場所はきまってるんですけどね」などと記載した。担任教諭は「明日からの研修たのしみましょうね」と返信を書き込んでいた。

 関係者によると、担任がこの記載を確認したのは、ノートの提出を受けた同30日の給食の時間帯だった。担任席の近くに村松さんの席があるため様子を観察したが、笑顔で友人と話しており、食欲もあるように見えたという。

 担任は給食の後、村松さんを呼んで状態を尋ねたところ、「大丈夫です」「心配しないでください」という趣旨の言葉が返ってきた。その直後、バスの席など翌日に控えた研修旅行に会話の内容が変わったことから、担任はノートに「研修たのしみましょう」と書いたと説明しているという。

 村松さんはそれ以前にもノートに自殺をほのめかす記載をしていたが、担任は同様に村松さんが明るく振る舞っているように見えたので、本当に自殺すると思わず、生活指導担当の教諭や、定期的に訪問してくるスクールカウンセラーに報告や相談はしていなかったという。【二村祐士朗、近藤綾加】



 生活記録ノートに書かれた二つの文章、
「ボクがいつ消えるかはわかりません。もう市(死)ぬ場所はきまってるんですけどね」と、
「明日からの研修たのしみましょうね」
 その間に生まれるなんとも説明できない違和感。それをマスコミは「教師のはぐらかし」というキーワードで解いた。それ以外の可能性はまったく浮かばなかったようだ。

 私は最初から「その間に何かある」と考えた。
 当初の予想では「担任は村松君ときちんと話をする予定があった。だから返答はどうでもいいようなものとなった」と考えたが、記事を読むとさらに具体的で担任の思考のたどれるものであることが分かる。

@ 担任は生活記録ノートを読み、
A 記述内容について目の前の村松君と話し、
B 話題が研修会のことに移ったので、
C ノートに目を戻して「明日からの研修たのしみましょうね」と書いた。
 その結果、ノートに@とCしか残らないからとんでもないやり取りとなってしまったが、実質的にそれで問題があったわけではない。それは村松君が了解すればよいことであって、他人が見て理解できるかどうかはどうでもいいからだ。
 しかし今回はそれが問題となった。
 
もしかしたら今後、生活記録ノートも公開されることを予定して、記述に慎重にならざるをえないのかもしれない。


 担任は給食を食べながら、あるいは大急ぎで食べ終えて、その場で生徒たちの顔を見ながら生活記録ノートを読み、返事を書いていた。それはまさに私たちがしてきたことと同じだ。
 ほんとうに時間がなくなると、私たちは食べながら読み、書く。
 担任はその場で席の近い村松君に話しかけ、様子を聞く。こうしたことは早いに越したことはない。その上で素早く様子をうかがう、観察する、そしてこれは切羽詰った話ではないと判断する。
 言うまでもなく結果からするとこのとき担任は判断を間違った。村松君はほんとうに自殺してしまったのだから。

 判断を誤った以上、担任はその責任を負わなければならない。退職するか、重い十字架を背負ったままなおも教員を続けるか、それは本人と周囲で決めて行けばいいことである。いずれにしろ責任は取らなければならない。しかし同時に、「はぐらかした」「逃げた」「いい加減に扱った」という意味での責任は取る必要がない。その時彼女はすべきことをきちんと行っていたのだから。


 今回のことは、事件としてはこれで終わるだろう。仮に遺族が損害賠償を求めて裁判に訴えても担任に決定的な瑕疵のないこの状況で勝訴することは難しい。
 しかし今後見ていかなければならないことが二点残った。それは“加害者”に対する社会の動向と教員社会のあり方の変化だ。

 前者について言えば、
「ネット社会は“加害者”を特定して断罪するかどうか」ということである。
 カンニング竹山を“イジる”ザキヤマのような人間は全国いたるところにいる。自殺した村松君を“イジった”同級生たちが断罪されるなら、(まだ)自殺しない同級生を“イジる”子どもたちも名を晒されて糾弾されるべきである。村松君は自殺したから加害者が糾弾され、死なないAを“イジった”加害者は糾弾されないでは筋が通らない。
 注目したい。

 第二の点について言うと、
「今後、教員は死をにおわせる表現に対して、すべてを報告し校内および教育委員会との間で情報共有を図るように動くかどうか」ということである。
 たとえば喧嘩の最中、
「てめぇ殺すぞ!」
と言った子どもがいた場合、指導が終わって和解が果たされても、担任は市町村教委および都道府県教委に対して「殺人企図を持つ生徒がいる」と報告しカウンセラーの派遣を要請するかどうかということである。

 正直に言うと私は、ここまで極端な例でなくとも、教委への報告は一時的に増えると思う。
「もう市(死)ぬ場所はきまってるんですけどね」
が字面だけで報告すべき対象となるとしたら、“死”に関わるすべてのことは報告対象にならざるを得ない.
 それは明らかに教員の“保身”ある。万が一のことを考えて“保険をかける”やり口だ。
 逆に言えば報告さえしておけば「給食を食べながら生活記録ノートを読み、考え、観察し、判断して返事を書く」といったアクロバティックなことをしなくて済む。

 日本の公務員には無責任体質があるということがよく言われる。それは報告を上げるたびに責任を分け合い、最終的には不明確になることによる。直属の上司に報告しただけで責任が半分になり、その上司が更に上にあげると責任が三分の一になる。最上位への報告の過程が16段階だとするとひとりの責任は16分の1、わずか6%である。それは「責任がない」のと同じだ。

 今回の事件を機に、報告することで責任を回避するような動きが学校に広がらないよう切に願う。