キース・アウト
(キースの逸脱)

2015年12月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2015.12.13

「日本式教育」の真髄は、運動会・学芸会・動物飼育にあり!
=中国メディアが評論


[レコード・チャイナ 12月11日]


 
 中国メディア・東方早報は8日、発展途上国を中心に「日本式教育」への関心が高まっているとし、その特徴的なコンテンツとして運動会や学芸会、動物飼育の3点を挙げて解説する評論記事を掲載した。

 記事は、今年8月に日本の文部科学省が「日本式教育」を海外に広めていく方針を発表したと紹介。そこには教材の編集、運動会、学芸会、動物飼育、学校給食、掃除当番、などのコンテンツが含まれているとしたうえで、なかでも日本の教育の特色が色濃く表れていると運動会と学芸会、小動物の飼育についてそれぞれ解説した。

 まず運動会については、各学校が1カ月前から準備を始めるほど重視しており、その背景には「伝統的な人と人とのつながりが希薄化するなかで、学校を中心とする地域社会の連帯意識を強化する」目的があるとした。また、親と子、子どうし、保護者どうしの交流を促進するとも解説した。

 さらに、学芸会・文化祭・学校祭については、生徒らが教室などに装飾を施し、日常とは異なる服装で演劇や模擬店といった活動を行うと紹介。「日常のルールを打ち破って自分たちをアピールする機会を与えることで、子どもの創意や個性を育む目的がある」と論じた。

 そして、小学校で一般的に行われている小動物の飼育については、自然に触れさせる目的のほかにも、命を児童にゆだねることで責任感や生から死までのサイクルの認識を芽生えさせるために実施していると説明した。

 子どものころの運動会や学芸会、文化祭といったイベントは、大人になっても特別な思い出として残っていることが多いのではないだろうか。それはみんなで何かを作り上げるという一体感や達成感によるものであるほかに、「脱日常」という要素もあるからだろう。もちろん、このようなイベントにいい思い出がない、という人も少なからずいる。

 学校が単に教科書を学ぶ場ではなく、地域の連帯感を培うための存在でもあるとする分析は的確だ。この点において中国の学校が学ぶべき課題は多いように思えるが、いじめや学級崩壊が日常化している日本国内においても、もう一度「学校」の存在意義について考え直す時期に差し掛かっているかもしれない。記事は、「日本式教育」のポジティブな面について紹介する一方で、「決して完全無欠ではな」く、いじめなどさまざまな問題を抱えていることにもしっかり言及している。(編集担当:今関忠馬)


 国内では教育崩壊、教育再生、などと揶揄される日本の義務教育だが海外ではめっぽう評判がいい。中国など「もしかしたら台湾・トルコをしのぐほどの親日国か?」と思わせるほどの大絶賛である。さらに学ぶ姿勢で分析するため、非常に客観的で正確なものが多い。上の記事などその代表である。 
 
学校が単に教科書を学ぶ場ではなく、地域の連帯感を培うための存在でもあるとする分析
 はもちろん的確だ。しかし運動会や学芸会を行うことで培おうとしているのはそれだけではない。
 係活動を繰り返し行うことによる計画性や遂行能力の醸成、分業や協業になれること、責任をもって仕事を行うことや自分以外の係への配慮・協力。
 勝負を競うことによる闘争心の育成、組体操などにおける忍耐力・胆力、その他基本的運動能力の伸長。
 総じて個人の能力と社会性を、同時に鍛えようというのが特別活動のテーマなのだ。
 
 ところが日本の一部では運動会や学芸会、修学旅行などは授業時間を削って行う教師と児童生徒の思い出づくりぐらいにしか思わない人々がいる。
 彼らは言う。
「行事を精選し、授業時間の確保を!」

 大人になって学問を背景に人生を送る人は少ない。
 現在の私は、日本語(国語)は堪能なものの、英語・数学は中学校1年生並み、理科はそれ以下、音楽もカラオケぐらい、絵は数十年描いていない(だから描ける気がしない)。体育に至っては小学校4年生レベルか(?)。しかし生きていくに困らない。

 勉強は(まったくできなくても困るが)トップレベルである必要はない。世の中のたいていの人々は私と同じ程度の学力で平和に、幸福に生きている。
 しかし私が他人と協調できず、不道徳で、命を無残に扱える人間だったら、生きていくのはかなりしんどかっただろう。社会とうまく調和できない人間が平和に、幸福に生きることはできないのだ。

 学校が何を大切にすべきかは、はっきりしている。







2015.12.17

中学生の「過労死」、中国で問題化
宿題大量、睡眠削り「寝たい…」

[withnews 12月16日]


 
 中国で最近、中学生の「過労死」が話題になっています。勉強時間は3時間以上、睡眠時間は7時間以下。調査会社が発表した数字からは、宿題と睡眠不足の中、受験勉強に励む子どもたちの姿が見えてきます。中国では11月に中学生が相次ぎ亡くなった事件が「過労死」として注目を集めるなど、過剰なストレスとプレッシャーが問題化しています。

一発勝負の大学入試

 11月24日、『全国中小学生学習圧力調査』(勉強の負担調査)が中国の教育関係のアプリ会社「阿凡提」により公表され、多くのマスメディアが引用して報道しました。

 中国は人口が多く、競争が激しいため、保護者は「スタートラインでは負けてはいけない」と勉強に力を入れます。大学入試は全国試験の一発勝負なので、小学校から多くの宿題が課せられます。

 「阿凡提」の調査は、中国全国の31の省・市・自治区をカバーし、2000万人のユーザーが蓄積した勉強関連のビッグデータに基づいています。調査結果によると、中国の小中学生が平均で毎日宿題に費やす時間は3時間に達し、睡眠時間は普遍的に7時間未満になっています。宿題の時間は世界平均の2倍(日本の4倍)で、睡眠時間は世界平均より1.5時間も短くなっています。


親が代わりに宿題

 宿題の特徴はその量です。「量が多く、完成するのが無理」と答えたのは45.3%にのぼり、「完成できるが、量が多い」と答えたのは30.2%でした。7割近くの人が、宿題が「難しい」と回答しました。

 調査からは、毎日平均で3時間宿題をしても、26%を超える子どもたちが宿題を完成できない実態が浮かび上がりました。膨大な宿題に対し、4割の親が「(宿題を終えるの)諦める」と答え、3割は親が代わりに宿題をしていることもわかりました。

 「阿凡提」は、中国の子どもが18歳までに、宿題のために費やす時間が平均1万時間に達することをあげ、4032回のコンサート、7000回のサッカー試合に相当すると指摘。「これで中国チームのサッカー成績が悪いのも納得できる」とまとめました。


「いまでも宿題をやっている私。寝たい…」

 「阿凡提」の調査に対し、中国のネット上ユーザーたちも反応しています。

「話すと涙がいっぱいだ」
「私たちもこのように大きくなってきたのだ」
「生まれてこなかったほう良い」
「大学に入ったら少しよくなるが、小中学生はやっぱりストレス凄いね」
「高校生はもっと苦しい」
「いまでも宿題をやっている私。寝たい…」(深夜00:28)

 新華社通信のウェブ版新華網は宿題に対して8割の親が困っていると答えたことに注目。「8割の親が泣き崩れた」などの記事を配信。他のメディアも、次々と取り上げました。

 中国では11月に夜遅くまで宿題した15歳の中学生が学校の教室で亡くなってしまった事件が注目を集めました。同じ11月、13歳の少女が成績が悪いため実の母親に殴り殺された事件も発生していました。さらに、4月には11歳の小学生が宿題が多く、ブログに「勉強に疲れた。学校に疲れた。生きることに疲れた」とメッセージを書き残し、自殺した事件もありました。過熱する受験戦争に対して、中国国内でも関心が高まっているようです。



 私が言いたいことはひとつである。
「日本の子どもたちの学力を世界トップレベルに!!」
と勝負をかけるとき、相手にしているのはこういう国やああいう国(韓国入試狂騒曲!飛行機も止まり・・・白バイで会場入り(15/11/12))だということだ。

 そうである以上、日本の子どもにもそうとうな努力を強いることになるはずだが、現今の日本はそうはなっていない

 上の記事の
宿題の時間は世界平均の2倍(日本の4倍)が事実なら、日本の子どもは世界平均の半分しか勉強していないのに中国や韓国に伍しているということになる。

 ここで「日本民族はそもそも頭がいいのだ」などと言い出す民族差別主義者(ないしは人種差別主義者)はそう多くないだろう。そこで誰もが知る。
 
中国のわずか四分の一の学習時間で中国と対等な勝負ができ、異常な学習をする韓国とも平に戦いができるのは、日本の教育システムがいかにすごいかということだ。
 それが真相なのである。私は強くそのことを主張したい。
・・・と言いながら、実はこれもどこまで本当かわからない。

 下は「反ゆとり教育」で日本の学力が回復したみんなで喜んだPISA2012の「数学的リテラシー」の成績をグラフ化したものだ(「ああ言えばこう言う辞典」作成)。



 見ればわかる通り、上位5か国・地域・都市とマカオ以下(日本も含む)には歴然とした差がある。
 
やはり中国・韓国を見習わないと勝負にならないのである。

 しかるに政府・各政党・識者たちのだれもそのことを言わない。
 児童生徒ではなく、教師の努力だけで中国・韓国に追いつけ追い越せと言うか、
OECDの平均点も取れず順位にさえ入ってこないアメリカの学習理論(学校マネジメントなど)を使ってガンバレと言うだけである。

 何とも不思議でやりきれない話だ。