キース・アウト
(キースの逸脱)

2016年 1月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2016.01.12

相次ぐ入試の不正 腕時計型端末への対応も

[産経新聞 1月12日]


 過去10年間の大学入試センター試験で、替え玉受験を含む65件の不正行為があったことが9日、明らかになった。それ以外の大学入試でも不正が相次いでおり、最近では通信機能が付いた腕時計型端末(スマートウオッチ)への対応も迫られている。

 京都大の入試中、携帯電話からインターネットの質問サイトに問題が投稿される事件が発覚したのは平成23年。それまでのカンニングと異なる手法は、大きな波紋を呼んだ。この事件では、偽計業務妨害容疑で予備校生が逮捕された。

 最近、急務となっているのはスマートウオッチ対策だ。京都大は今年の入試から腕時計や置き時計など、受験生が時計を使うことを一律禁止し、試験会場に電波時計を置く。担当者は「一人一人の時計を調べるのは難しく、公平性を担保するため」と話す。

 センター試験では机の上に時計を置くことは認められているが、端末の機能があるか、機能の有無が分かりにくいものは使えない。

 一方、試験場を見守る監督官からは「不正を指摘しても、否定されると対応が難しい」との声が上がる。

 センター試験では、試験場となる大学の教員や職員が監督官を担い、センターは毎年マニュアルを配って配置人数や見回り方など不正防止策を示している。

 「マニュアルには書いてあるが、厳しい見回りはできない」。そう話すのは今年、試験場の責任者を務める東京都内の私立大の男性教授(65)。巡回するだけで受験生から「集中できない」とクレームが出ることがあり、うろうろしないのが暗黙の了解という。

 この大学では1教室に50人ほどの受験生が入り、複数の監督官を配置。1人が教壇から全体を見渡す。教授は「不正を否定されれば騒ぎになり教室全体が再試験になる。なるべく邪魔しないのが大原則だ」と明かした。

 今年も16、17の両日、多くの受験生がセンター試験に臨む。目前に控えた横浜市の高校3年の男子生徒は毎年のように起きていた不正に「許せない。周りにも大迷惑だ」と憤った。



 マスコミはものごとを正確に伝えるべきであり、意味もなく誇張すればそれはしばしば扇動でしかなくなる。例えば、
 過去10年間の大学入試センター試験で、替え玉受験を含む65件の不正行為があったことが9日、明らかになった。それ以外の大学入試でも不正が相次いでおり
 「10年間に」大学センター試験で「65件の不正行為があった」ことが「9日に明らかになった」のは事実である。しかし「それ以外の大学入試でも不正が相次いでおり」は二重に疑わしい。

 ひとつは「それ以外の入試」、つまり一般入試やAO入試などで不正が相次いでいるかは明らかではない。この記事のどこにも書いてない(個人的な感想で言えば相次いでいるようには思えない)。
 もうひとつは「それ以外」の前提である“10年間に65件の不正”は「相次いでいる」と表現してもいいものかという問題である。

 センター入試は毎年50万人もが受ける巨大入試である。10年間だと約500万人が受験したことになる。つまり不正を働いた者が全受験者の0.0013%いたということだ。
 
10万人につき1.3人が引き起こしていることを果たして「相次いでいる」と言っていいものだろうか。
「いやいや、見つかったのは氷山の一角で実際はその10倍はいる」といっても1万人にひとり。
「そんなことはないだろう。100倍はいる」ということであれば、実際には不正を働いた100人中1人しかバレなかったことになる
 100人中99人もの不正を見逃してしまう現行制度はまるっきりなっていないということだろう。100人中99人の不正が見逃されてしまうような状況下では、正常な入試などできない。

 けれどもちろん、10万人にひとりの不正も許せないという考え方もあろう。産経新聞もそうした立場を代弁するなら大胆な提案をすべきだ。

 不正をゼロにする方法はそんなに難しくない。50万台のカメラを用意して、一人ひとりの動きを監視すればいいのだ。現在の解析システムなら異常な動きをすぐに察知し、警告を発するなど簡単にできるだろう。
 試験監督も全員をベターッと見る必要はない。警告灯の点灯した受験生だけを鋭く監視すればよい。それに当然記録に残るから、あとでやったのやらないのといった問題にはならない。
 残る問題は予算と受験生の心理的負担・プライバシーの問題などだが、「10万人にひとりの不正も許さない」という強い意志があれば、それくらい大した問題ではないはずだ。

 ただし、もちろん私はそれを願っていない。
 10万人にひとりなど単なるコストに過ぎない。誤差といってもいいくらいなものだ。そんなことを気にするより、低予算で、気持ちよく、実力を十分に発揮できる入試の方がいいに決まっていると思っている。

 しかし天下の産経新聞が言うくらいだからなあ、私みたいなのは少数派かもしれないね。
 (ホントはそんなふうに思っていない)








2016.01.12

<教科書閲覧問題>不適切行為12社 文科省調査

[毎日新聞 1月22日]


 小中学校の教科書会社が検定中の教科書を教員らに閲覧させていた問題で、教科書会社22社のうち12社がこうした行為をしていたことが文部科学省の調査で分かった。2009〜14年度に全国で延べ5147人の教員が関わり、このうち3996人が現金や図書カードなどの謝礼を受け取ったとみられる。各自治体で使用する教科書の採択に関与した教員もおり、文科省は採択への影響の有無を各地の教育委員会を通じて調べる。

 検定中の教科書を外部に見せることは文科省の規則で禁止され、採択関係者に金品を渡す行為は業界の自主ルールで禁じられているが、違反が横行していた。文科省は昨年12月、自主ルールが作られた07年以降にあった4回の検定(09年と13年度の小学校、10年と14年度の中学校)について、違反行為がなかったか各教科書会社に自己調査を指示していた。

 12社は▽東京書籍▽大日本図書▽開隆堂出版▽学校図書▽教育出版▽教育芸術社▽光村図書出版▽啓林館▽数研出版▽日本文教出版▽育鵬社▽三省堂。閲覧して謝礼を受け取っていた教員は3996人。謝礼を伴わずに閲覧した教員は1151人だった。

 閲覧させた状況は、約50人を集めた会議や学校への訪問など多岐にわたり、謝礼も最高で5万円の現金から3000円の図書カード、2000円相当の手土産まで各社で異なった。

 業界最大手の東京書籍は発行する全教科で閲覧させる機会を設けており、参加した教員は2269人と最多。謝礼は1万円が基本で、会議の時間などによって3万〜2万円にしたこともあったという。このほか、数研出版は、教科書の採択権限を持つ教委の教育長7人と教育委員3人の計10人に歳暮や中元を贈っていた。

 文科省は今後、教員の名前や勤務する都道府県を各社から聞き取った上で、関係する教委に伝える。同省教科書課の担当者は「うみを出し切り、公教育の一端を担う会社としてえりを正し、自覚と使命感を持って再出発してほしい」と話している。【三木陽介】



 検定中の教科書を教科書会社が教員らに閲覧させていた件、教科書会社ばかりが責められ謝礼を受け取った教員たちは責められない、その不均衡を首を傾げる人はきっといるだろう。しかしこれには理由がある。
 
 まず出版側についてみてみよう。
 記事になった出版社はここで二重にルール違反をしている。
 ひとつは
「検定中の教科書を外部に見せてはいけない」という文科省の規則。もうひとつは「採択関係者に金品を渡す行為は禁じる」という業界の自主ルールである。

 しかし教員の側には「検定中の教科書を見てはいけない」という決まりはない。出版社が見せようとしなければ見ることもできない。また「教科書出版社から金品を受け取ってはならない」というルールもない。普通の教員だったら教科書会社から金品をもらう機会もない。
 もちろん職務権限のある内容について依頼を受けての金品授受ということになれば収賄だが、今回の場合、採択に便宜をはかってほしいという依頼があったわけではないし、そもそも当該の教員の大部分は採択委員ですらなかったのだ。
 なのになぜ教科書会社は全国から教員を招き、会議を開いて検定中の教科書を見せ“謝礼”を渡したのか。
 そこにはおそらくこんな思惑があったに違いない。
「忘れてもかまいませんし無視してくださっても結構です。けれど教科書採択の場でAかBかというふうに迷ったとき、今日のことをちょっと思い出してくれるといいのですが・・・」
 
 一方教員の方はそうした自覚がまったくなかった。
 今回問題となった教員はいずれも採択委員になりそうな、地域の有力な教員、学習指導のスペシャリスト、各教科学習会の役員といった人たちだからそれぞれ実力があり一家言を持つ人ばかりだ。したがって講演を依頼する、ご意見を伺うというやり方で簡単に引きずり出される。出版社で直接話をして教科書に反映させるというのは、意欲ある教員にとってはとても魅力ある仕事だからだ。

 かくして彼らは会議に出席し、意見を述べたり教育や教科書の未来についての講演をしたりする。“謝礼”が出るのは意外だったのが、それが民間の慣習かと勝手に思い込んで丁寧に受け取る。考えてみれば休日に手弁当で駆け付けるというのも妙な話だ。これくらい受け取るのも社会常識の範囲かもしれないと勝手に思っている。
 検定中の教科書を見せられたことも参考意見を聞かれたとしか思っていないし、「教科書会社は検定中の教科書を外部に見せてはいけない」という文科省の規則があることすら知らない(ちなみに30年も教員をやっていた私も、今回初めて知った)から不正や不公正な意図もまったく感じることができない。
 まったくのお人良しである。
 
 マスコミはしかしそこに癒着と贈収賄のにおいを感じた。そこで三省堂を切り口にワッと取材が入ったわけだが、意外や意外、調べても調べても浮かんでくるのは休日返上でよりよい教科書づくりに精を出す熱心な教師の姿だけである。
 
 考えてみれば起きた不正は「検定中の教科書を外部に見せてはいけない」という文科省の規則に反しただけである。「採択関係者に金品を渡す行為は禁じる」という業界の自主ルールも破ったように見えるが、会議に出席してもらい講演をしてもらって謝礼を渡した教員の中に採択委員も混じっていたに過ぎない。
 それにもかかわらず、一時期、このニュースは連日トップで扱われ続けた。
 
 マスメディアは振り上げた拳の降ろしどころに困っているのだ。