キース・アウト
(キースの逸脱)

2016年 2月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2016.02.03

文科省、高3対象の英語力調査公表
7〜9割が中学卒業レベル以下


[FNNニュース 2月 3日]


 文部科学省は、全国の高校3年生を対象とした英語力の調査結果を公表し、「話す」、「読む」などの技能で、依然、7?9割が、中学卒業レベル以下であることがわかった。
 この調査は、文科省が2015年、全国の国公立学校に通う高校3年生およそ9万人を対象に、英語の「読む・聞く・書く・話す」の4技能について、試験を実施したもの。
 調査の結果、「話す」では、中学卒業レベルの人数の割合が89.0%にのぼったほか、「書く」は82.1%、「聞く」は73.6%、「読む」は68.0%と、前回の調査より改善が見られるものの、依然、割合が高いことから、文科省は引き続き、コミュニケーションの向上などに課題があるとしている。
 また、今回は初めて、中学3年生およそ6万人を対象とした調査も行われ、国が目標とするレベルを達成した生徒の割合が、「書く」で43.2%となる一方、「聞く」で20.2%となるなど、技能によって、ばらつきがあることがわかり、あらためて指導のあり方に課題を残す結果となった。

 
 
 このニュース、高校3年生の英語力が、
「話す」では、中学卒業レベルの人数の割合が89.0%にのぼったほか、「書く」は82.1%、「聞く」は73.6%、「読む」は68.0%と、前回の調査より改善が見られるものの、依然、割合が高い
 のは事実としてもそれがなぜ、
 あらためて指導のあり方に課題を残す結果
 となるのか。
 普通、
対象者の7〜9割が達成できない目標だったら、その目標設定自体が間違っているということにならないだろうか。
 
 何の根拠もないのに会社の販売目標が5倍に増やされたり、予算が前年度実績の三分の一に減らされたり、男子陸上100mのオリンピック標準記録が9秒9になったりして、その設定が達成されなかったときに指導が甘い、努力が足りないといわれても困惑するだけだ。
 
 9万人の高校生3年生の7〜9割が中学卒業レベルだとしたら、高校3年生の英語力の目標を現在の中3に合わせればいい。それだけの操作で「日本の高校生は目標の7〜9割を達成している」と胸を張って言えるようになる。
 
高校を卒業するころには英語が完璧に使いこなせるように」という願いに立って、可能性も考えずに設定した英語力の目標――そんなものに右往左往させられるのは間違っている。







2016.02.25

組み体操の全面廃止決定 千葉・流山、小中学校

[産経新聞 2月24日]


 千葉県流山市の全ての市立小中学校が2016年度から、運動会の組み体操の全面廃止を決めたことが22日、分かった。スポーツ庁によると、組み体操全面廃止の決定は全国の自治体で初めてとみられる。

 流山市教育委員会によると、小中学校の校長会会長が昨秋に「子どもの安全を考え、組み体操の意義について考え直す必要がある」などと問題提起。これを受け、市内に9校ある中学校の校長会が今月3日、16校ある小学校の校長会が17日、それぞれ市教委へ全面廃止を報告した。

 一部の小学校では、組み体操の代わりとして、ダンスやマスゲームなどを検討しているという。

 組み体操をめぐっては、同県柏市も全面廃止を検討。25日の教育委員会で正式に決定し、15年度中に市内の市立の全小中学校に伝達する見通し。同県松戸市教委も組み体操の廃止も含め見直しを進めている。大阪市は16年度から「ピラミッド」「タワー」を全面禁止すると決定。馳浩文部科学相は15年度中に事故防止に向けた方針を示す考えを明らかにしている。



 バカげた話だ。
 ピラミッドは4段までとする、その程度の規制でよさそうなものを・・・。
 組体操についてはかつて「組体操という道徳」という文章をブログで書いたことがある。
 それを再掲することで批判とする。それで充分である。


組体操という道徳 (アフターフェア 2008.09.23

 組体操の最中に本部付近がざわついたとき、私は何が起こったのか分からないでいました。養護の武藤先生が飛び出していってK君を引き出してきて、その顔が血で真っ赤なのを見て初めて、鼻血を出していることに気づいたのです。両手も真っ赤でした。

 治療している間中、K君は目に涙をいっぱいにためて耐えていました。しかし泣くほどのこともないだろうと、私は少し冷ややかな気持ちでした。

 K君の抜けた後を萱野先生が埋めようとしましたが、激しく移動し組を変える中では、本人ではないのでとてもついていけるものではありません。K君の入るべき組はしばしば演技が遅れます。そして一番大切なピラミッドの時間になったとき・・・

 治療を終えたK君が素早く走り出て、二段目の角によじ登ったのでした。振り返ると武藤先生がニコニコして見ていました。その時になって初めて、私はK君の涙のわけを理解したのです。

 約3週間の練習を経て、子どもたちは組体操の中でかけがえのない自分を獲得していきます。それぞれの演技で、下になるものは痛みに耐え、上になるものは不安定と恐怖に耐えながら自分の責任を果たしていきます。どの一つの駒が欠けても演技は成立せず、3週間もの苦しみに耐えてきた仲間が空しくその場に座り込まなければならないのです。K君はそれに耐えられなかった、たぶんそうです。

 後から聞けば、かなり早い時期に鼻を打って出血したようです。その様子を見て友だちが「座れ」「座れ」と言っているにもかかわらず、彼は鼻を押さえながら移動し、ボタボタと血を流しながら演技を続けたのです。先生が気づいて本部に連絡し、武藤先生が引きずり出すまで。

 学校の道徳というのは人間関係を学ぶことです。それぞれが世の中にとって必要であること、人は他人の犠牲の上に立って生きているということ、お互いに補って生きているということ、人は信じるに足るということ、どんなに苦しくても人のために働かなくてはならないときがあるということ、そして人とともに働くことは人間にとって無限の喜びであると言うこと・・・道徳で学ぶべきことはそういうことです。

 今回の経験を通して、私は「組体操という道徳」という言葉を思いました。こうして作り上げられたクラスの人間関係が、さらに高まっていくといいですね。