キース・アウト
(キースの逸脱)

2016年 5月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2016.05.10

馳文科相「脱ゆとり」を宣言 次期指導要領 
「知識軽視」誤解解く


[毎日新聞 5月10日]


 馳浩文部科学相は10日、今年度中に予定されている次期学習指導要領改定に向け、授業内容を減らしたかつての「ゆとり教育」には戻らないとする見解を公表した。次期指導要領では、児童・生徒が討論や体験などを通じて課題を探究する学習形態「アクティブ・ラーニング」の全面的な導入を目指しているが、教育関係者の一部から「ゆとり教育の理念を復活させる」と誤解されていることを受けた対応という。

 馳氏は10日の閣議後の記者会見で「『ゆとり教育』が『緩み教育』というふうに間違った解釈で現場に浸透してしまった。どこかで『ゆとり教育』との決別宣言を明確にしておきたいと思った」と話した。

 馳氏は「教育の強靱(きょうじん)化に向けて」と題する見解で「学習内容の削減を行うことはしない」と強調。「『ゆとり教育』か『詰め込み教育』かといった、二項対立的な議論には戻らない。知識と思考力の双方をバランスよく、確実に育む」とした。そのうえでアクティブ・ラーニングについて「知識が生きて働くものとして習得され、必要な力が身につくことを目指すもの。知識の量を削減せず、質の高い理解を図るための学習過程の質的改善を行う」と説明している。

 指導要領の改定はほぼ10年ごとに実施される。前回の2008年は、詰め込み教育の反省で1970年代から軽減されてきた授業内容を約40年ぶりに増やし、「脱ゆとり」と呼ばれた。今年度改定される指導要領では、思考力や表現力の育成を重視する方針だが、これが一部で「知識の軽視」との誤解を招いており、改めて文科省としての考え方を示したという。【佐々木洋】


 いまさら「脱ゆとり」宣言だというから何かと思ったら要するに、
 次期指導要領では、児童・生徒が討論や体験などを通じて課題を探究する学習形態「アクティブ・ラーニング」の全面的な導入を目指しているが、教育関係者の一部から「ゆとり教育の理念を復活させる」と誤解されていることを受けた対応
ということだ。
思考力や表現力の育成
はもう何十年も言われ続けてきたこと。
パネル・ディスカッションが有効だとか言って夢中になったのはもう半世紀も以前、私が子供だった時のことだ。
 それ以降、手を変え品を変え――時には「教育ディベート」のように始めた途端にオウム事件があって、スポークスマンの上祐史浩がディベートの帝王だったとか報道されたとたんに廃ったものもあったが――次々と名を変えて現れては消えていった。そして今度はアクティブ・ラーニングとか。

 もういい加減にしてほしい。何をやったって学校教育で日本人が討論のできる民族になるはずがない。
 日本人の特性は「読み」なのだ。この国は、口に出さなければ相手の意図がわからないようなレベルの低い世界ではない。皆が真剣に相手の心を読み、その中で集団性をつくっている。
 だから日本人は物静かだ。授業中もやたらと発言したりしない。国会のやかましい連中を別にすれば、日本中、野次の飛ぶような会議はどこにもない。とにかくしゃべらない。それが日本だ。

 もし日本人を討論のできる民族にしたかったら、戦国時代を再現すればいいのだ。叫ばなければ、ものを言わなければ生きていけないような社会を半世紀も経験すれば、必ず相手を言い負かすような習慣を手に入れる。戦国が大げさなら無軌道に外国人移民を受け入れればいい。「読み」通用しない世界が生まれれば、必ず発言するようになる。路上で大声で罵り合う光景も日常茶飯になる。教室も言葉の戦場になるはずだ。
 そしてもちろんそうなったら、災害の現場でおとなしく順番を待っていたりはしないだろう。

 さて、今回この記事を取り上げたのは、もう何度も言ってきた上記のような話をするためではない。
 比較的よくまとめられた記事の、ただ一点が気に入らなかったからである。
 
『ゆとり教育』が『緩み教育』というふうに間違った解釈で現場に浸透してしまった。
 ここだ。

 部下がバカだから業績が上がらないと言ったら管理職は負けだろう。そういう物言いをする管理職はそれだけで無能をさらしている。
『ゆとり教育』が『緩み教育』というふうに間違った解釈で浸透してしまったのは現場ではなく社会だった。
 現場にはゆとりも緩みもなかった。それはそうだろう。
「ゆとりの中で学ぶ(=ゆとり教育)」というからはたっぷり余裕ができるかと思ったら、学習内容を減らした分、授業時数まで減らしてしまったからだ(正確に言えば時数を減らしたので指導内容も減らさざるを得なかった)。

 考えてみればいい。
「6日で6000個の製品を生産していたのを、それではたいへんだろうからといってノルマを5500個に減らしたうえで、日数も5日に抑えた」
 これで忙しくないわけはない。それがゆとり教育の実態だった。
 1日でつくる製品は逆に増えてしまった。それが緩みであるはずがない。
 しかし社会には「緩み教育」(そんな言葉は当時あったか?)として広まっていき、
「何のための『ゆとり』か、先生たちが楽をするための『ゆとり』だったのか」
と学校がお門違いの批判をメチャクチャに食らった。それに対して当時の文部省は何の抵抗もしなかったどころか
「『ゆとり教育』が『緩み教育』というふうに間違った解釈で浸透してしまった」だ。やっていられない。

 ちなみに、(何度も繰り返し言っているように)学校五日制は教員組合の要求に従ったものではない。日本の労働者は働きすぎるというアメリカの圧力に屈して始まったものだ(学校が土日休みになる→6日制の企業はパート職員を失う→週休二日にせざるを得ない→週休二日制が加速する→日米の労働環境に差がなくなる)。学校に責任はない。

 アクティブ・ラーニングで討論や体験などを通じて課題を探究する力などつかない。全体としては時間の無駄だ。そしてその結果、
「アクティブ・ラーニングは優れた学習法だったが、現場が理解できなかった」
 そんな言われ方をするなら最初からやらないでほしい、と私は思う。

* それにしても「アクティブ・ラーニング」とは! 
なぜいつもアメリカ由来の学習法なのか。学力・道徳性・保健体育、どの点をとってもアメリカの初等中等教育はかなり格下だと思うが。それにふつう、日本語にならないものは結局日本には定着しない。。







2016.05.17

障害ある子の「カルテ」義務化 小中高共通、学校が作成

[朝日新聞 5月15日]


 障害のある子どもを小学校から高校まで一貫して支援し、進学や就労につなげるため、文部科学省は進学先にも引き継げる「個別カルテ(仮称)」を作るよう、各校に義務づける方針を固めた。通常学級に通う比較的軽い障害や発達障害の子どもも対象で、2020年度以降に導入する。

 個別カルテには子どもの障害や健康の状況、保護者と本人の希望や目標などを書き込む。卒業後は進学先に渡し、これまでの子どもの状況を把握してもらう。

 いまの学習指導要領では、子どもの目標や支援内容についての「個別の教育支援計画」や、教科ごとの指導状況などを記す「個別の指導計画」を作るよう勧めているが、義務化はしていない。文科省の15年度の調査では、特に支援計画は該当者のいる公立小中の1割、公立高校の4割が作成していなかった。

 さらにこうした計画を中学や高校に引き継ぐかどうかは各校が独自に判断している。このため新しい学校が障害に応じた最適な指導方針を把握しきれていない恐れがあり、特に高校では適切な進路指導がしにくい状況にあると文科省はみている。

 個別カルテは、いまの支援計画と指導計画をもとに、小学校から高校まで引き継ぐことを前提とした書式を目指す。文科省は20〜22年度に順次始まる小中高校の新学習指導要領での義務化を検討する。

 義務化は公立小中の特別支援学級の子ども(15年5月で約20万人)と、比較的軽い障害や発達障害で通常学級に在籍しながら一部の授業を別に受ける「通級指導」の子ども(同約9万人)を中心に考えている。高校については18年度から始まる通級指導の生徒らを対象とする見込み。私立校に広げるかは今後検討する。

 今月中にも政府の教育再生実行会議が提言する見通し。文科省はカルテの詳しい中身や、個人情報が漏れない仕組みを詰める。(高浜行人)



「個別の支援計画」については案外知られていない。これを指導要録(児童生徒の成績や学校生活に関する記録)や調査書(いわゆる内申書)のように考え、個人情報、しかも障害に関する情報がいっぱい詰まった記録が秘密裏につくられ上位学年・上位校に流されていくと誤解するとしんどくなるがそうではない。基本的には保護者も一緒に作成するものであり、「この子にはこうした特性がある」「ああいうことはOKだが、こういうことはこの子の場合危険だから避けた方がいい」「この子はこうした方面へ伸ばしていきたい」といった現状や願い・目標に関する記録だから特に担任や学校が変わった場合有用な書類である。

 作成には大変な手間がかかるので担任には負担だが、負担だからやめようという教師はおそらくいない。自分もまたいつか「個別の支援計画」の恩恵にあずかることは確実なのだ。
 だからそれが「個別カルテ」となって小中高と引き継がれることには何の問題もない。問題なのは「個別の支援計画」にする記事のあつかい、たった一行の書き方の問題だ。

 文科省の15年度の調査では、特に支援計画は該当者のいる公立小中の1割、公立高校の4割が作成していなかった。

 ここは普通、
公立小中の9割、公立高校の6割で作成していると書かないか?
 
 特に特別支援学級のない(したがってこうしたことに堪能な特別支援の担当教員がいない)
高校で、6割もが自主的に作成しているというのは驚くべき高率だと思うがそうではないか?
 
 メディは常に「日本の学校はダメだ」」「日本の教師は能力が低い」としか考えていない。したがって常に学校の不足に目を向けて上げ足を取ろうとする。教員の意欲を削いでさらに学校が機能を低下させれば、そこにまた記事のネタが生まれると、そんなふうに思っているのだろうか。
 






2016.05.20

「保護者会退会で娘が疎外」父、賠償求め提訴

[毎日新聞 5月20日]


 堺市内にある私立の中高一貫校に娘を通わせている父親(41)が、保護者会を退会したために長女(16)が中学の卒業式で一人だけコサージュをもらえず、精神的苦痛を受けたとして、保護者会と同校事務長に計2万円の損害賠償を求める訴えを堺簡裁に起こした。父親は「保護者会に入るかどうかは個人の自由なのに、学校行事で子供が疎外されるのは納得できない」と話している。

卒業式でコサージュもらえず

 20日にあった第1回口頭弁論で、保護者会と事務長側はいずれも争う姿勢を示した。

 訴状などによると、父親は保護者会(会員約1300人)の運営方針に疑問を抱き、2014年3月に退会した。今年3月の卒業式で、各生徒が胸に付けるコサージュを保護者会が用意するのを知り、実費負担を申し出たが認められなかった。

 父親らは仕方なく、学校側から花の種類を聞くなどして、よく似たコサージュを用意。長女はそれを付けて卒業式に臨んだ。同じ理由で、退場時に担任教員が各生徒に渡すバラの花も自分で調達したといい、父親は「人格権を侵害された」と主張している。

 毎日新聞の取材に、保護者会の会長は「会の活動に協力しないのに、賛同するものだけ実費負担すると言われても受け入れ難い」と話した。事務長は「私は出納を手伝っているだけ。学校は保護者会の活動内容を最終的に決定する立場にない」としている。

 ほかにも保護者会はマラソン大会で生徒にシュークリームを差し入れたり、中学校の特別給食を用意したりしているが、父親によると「シュークリームは持参し、特別給食の日は早退せざるを得なかった」という。

 文部科学省は「保護者会に対する監督権限はないが、子供たちに不平等が生まれるのは好ましくない」としている。【椋田佳代】

学校側が対応を

 PTAに詳しい文化学園大の加藤薫教授(日本語・日本文化論)の話 学校行事で差別があってはならない。別団体が物品を提供する場合でも、学校側は全ての生徒が受け取る前提で対応すべきだ。





「住民税は払わないが行政サービスは受けたい。家の前の市道の整備など、やってくれるなら経費を“人口分の一”で支払ってもいい」
「町会(町内会・自治会)費も払わないし役もしたくない。しかし地区のゴミ集積所は使いたいので“施設の設置費用÷耐用年数÷人口”で金を払ってもいい」
「保護者会は払わないし役も受けないしその活動にも参加しない。しかし卒業式のコサージュとカーネーションは必要なので実費で支払ってもいい」

 この三つは何が違うのだろう。
 
 原告の父親は保護者会を脱会する段階でマラソン大会のシュークリームや特別給食、卒業式のコサージュやバラを諦めたと解するのが常識で、
学校行事で子供が疎外される原因をつくったのは父親だという気がするがそうではないのか。
 加藤教授の言うように
学校行事で差別があってはならない。別団体が物品を提供する場合でも、学校側は全ての生徒が受け取る前提で対応すべきだが絶対なら、そもそも保護者会が卒業式にコサージュやバラを渡すことの方を止めろというのが筋だ。
 
 ただしそうはいってもPTAや保護者会が全員参加を前提に始まったものである以上、
保護者会に入るかどうかは個人の自由だといって脱会してしまう親が出て来たたら存続できない。
 PTAや保護者会は外部団体だ任意団体だと強調されるようになったために教員もまた勤務時間内にPTAの仕事ができなくなって久しい。時代遅れのこうした組織はもうそろそろ廃止した方がいいのかもしれない。
 
 もっともいま急にやめられるとPTA作業で行ってきた学校の環境整備やバザー・資源回収で賄ってきた部活遠征費や物品購入費が足りなくなって困る。学校の質が急激に低下してしまう。
 そこで提案なのだが、PTAや保護者会を潰すのと引き換えに
学校支援税という新たな税金の設置というのはどうだろう。
 そうすれば校地の草取りとか庭木の剪定、校内の本格清掃といった仕事は業者に回せる。部活の遠征費や記念行事の費用も賄える。卒業式のコサージュもバラもまったく問題なくなるのだ。
 
 
保護者会に入るかどうかは個人の自由だと言って脱会する人たちが不利にならないようにすることが主たる目的だから、この人たちが中心となり、ぜひとも学校支援税の実現に邁進してもらいたい。
 






2016.05.27

運動会で暴れ出す「モンスター保護者」
校庭でバーベキュー、徒競走に「ビデオ判定」


[Jキャストニュース 5月24日]


 5月から6月は小中学校の運動会シーズン。しかし、会場にズラリとならぶテントの光景が異様だったり、終わった後の校庭に落ちているタバコの吸い殻やビールの空き缶など、いまネット上で、運動会での「保護者マナー」をめぐる問題が大きな注目を集めている。

 ほかにも「シートの場所をめぐり親同士でトラブル」、「徒競走の結果にクレーム」など、今回J-CASTが複数の学校関係者に話を聞くと、子供の運動会で保護者が起こす「トンデモ行動」の数々が明らかになった。


校庭にずらっと並ぶテントは「難民キャンプみたい」

 運動会をめぐる「マナー」が注目を集めるきっかけとなったのは、お笑いコンビ「ザ・ギース」の尾関高文さんが2016年5月21日に投稿したツイートにある。

「最近の小学校の運動会はフェス化してきてびびる」とのコメント付きで、保護者が張ったテントが校庭に密集している様子をおさめた画像をアップロードしたのだ。

 尾関さんのツイートは24日現在で3000件以上リツイート(拡散)されるなど話題を呼んだほか、同日に「週刊SPA!」ウェブ版が紹介したことでさらに大きな注目を集めることになった。この様子に、ツイッターやネット掲示板には、

「自分の子供が出るとき以外はテントの中なのかな? なんか寂しいな」
「なんか難民キャンプみたいだな」
「もう屋内で運動会したらええんとちゃう?」

などと批判的なコメントが相次いだ。その一方で、「熱中症対策には必要」「日陰を作るのはいいことじゃない」と理解を示す声もあり、賛否が分かれている形だ。

 実際、長野県の戸隠小学校では、5年ほど前から運動会時にテントを張る親が増えてきたといい、学校側も「紫外線・熱中症対策になるのであれば」と許可している。その一方で、都内のある小学校では、「学校・PTAの方針として、テントはご遠慮頂いている」という。

 また、校庭に張られるテントの是非に加え、「飲酒・喫煙」や「ゴミのポイ捨て」など、運動会をめぐる保護者のマナーの悪さにも、ネット上で批判が出ている。

 具体的には、「運動会当日は周辺の路上駐車が酷すぎる」「父兄向けのプリントには注意事項がずらっと並んでる」といった声がネット上に見つかる。なかには、一部の保護者のグループが、昼食時にバーベキューや酒盛りを始めたことから、学校側が校庭での観覧を禁止した例があるとの報告もあった。

シートの「場所取り」で親同士が喧嘩

 実際のところ、運動会での保護者マナーの現状はどうなっているのだろうか。今回J-CASTニュースが複数の学校関係者に話を聞いたところ、驚きの実態が明らかになった。

 神奈川県内の公立小学校につとめる20代の男性教師は5月23日のJ-CASTニュースの取材に対し、「親御さんのマナー?確かに悪いですね」と率直に話した。とくにレジャーシートの場所取りをめぐるトラブルが多発しているとして、

「学校側が指定する保護者の観覧スペース外に、勝手にシートを引いてしまう親御さんは多いです。あと、シートの場所をめぐって親同士で喧嘩になることも結構ありますよ」

と呆れた様子で話す。テントを張ったりバーベキューをする保護者は「見たことがない」というが、運動会後には、校庭にタバコの吸い殻やビールの空き缶といったゴミが必ず放置されているという。

 また、東京都内の中学校関係者は、「去年の運動会で本当に起きたトラブルなんですが...」と前置きした上で、

「徒競走の結果に、『うちの子の方が早かった』とクレームをつけてきた親御さんがいました」

と明かす。クレームをつけた親はゴール付近でビデオを撮影しており、その映像をもとに教師に対して「ビデオ判定」を要求したのだという。

 この中学校関係者によれば、運動会で「子供より」熱中してしまう親が多いらしく、保護者席からの声援やヤジの大きさに困り果てた学校側が「親御さんは、お静かにお願いします」との放送を流したこともあったという。




 
お笑いコンビ「ザ・ギース」の尾関高文さんが2016年5月21日に投稿したツイート
というのはかなり評判になったらしく、さまざまな場面で引用されて今朝もフジテレビの「ノンストップ」という番組で話題になっていた。

 運動会のグランドに数百張のテントというのはショッキングだが、実は誤解もあるようで、このテント村はトラックを取り囲んでいるのではなく、トラックの周囲にある観客席のさらに後ろの空間にできたものだ。それだけ校庭に余裕のある小学校のできごとなのである。いくら何でもあれだけたくさんのテントの中から応援はできない。

 ただしそれでも批判はやまず、
「自分の子どもの出るときだけの応援かよ」とか、
「ご近所みんなで応援するのが運動会の良さじゃない」とかいった話になる。
 しかしそれもどうだろう。
 
 自分の子どもが出ていない時間を建物の陰でゲームをしながらやり過ごす母親――それを見たのはもう20年も前の、息子の幼稚園の運動会の時だった。しかしそれにショックを受けた私も自分の子どもの競技や演技を生身で見て大声で応援していたわけではない。常にVTRのファインダー越しに、余計な声が入らないよう黙って見ていただけだった。

 ご近所で弁当を持ち合って運動会に出かけ、うちの子も隣りの子も同じように応援し、昼食は互いの重箱をつつきあう、そんな牧歌的な運動会はもう何十年も前からなくなっている。
 昔の運動会は地域の一大イベントで校門の脇には屋台すら出た。父ちゃんや祖父ちゃんは開会式が終わるとすぐにビールや焼酎を開け、日長一日呑みながら観戦した。中にはバーベキューセットを持ち込み、焼いた肉を周囲に振舞う気障なお父ちゃんもいた。まだバーベキューなんてほとんど知られていない時期でちょっとカッコウ良かった。
 そんな運動会が懐かしい。私はあれでよかったと思っている。

 子ども教育活動の発表の場だから居住まいを正せというのも理屈だが、どうせ休日にやっている地域のイベントなのだから何でもアリ、それだって理屈だ。
 私は運動会の熱狂が好きだし、子どもたちの必死の相や親たちのバカ騒ぎが好きだ。

「学校側が指定する保護者の観覧スペース外に、勝手にシートを引いてしまう親御さんは多いです。あと、シートの場所をめぐって親同士で喧嘩になることも結構ありますよ」
 勝手にシートを敷かれるのは困るが、学校に迷惑の掛からない範囲で親同士で喧嘩をするのは構わない。場所取りごときで喧嘩になるのは子どものことでそれだけ熱くなっている証拠だ。

運動会で「子供より」熱中してしまう親が多いらしく
 それもいい。日本の親たちは子育てに興味を失っていない。
 
徒競走の結果に、『うちの子の方が早かった』とクレームをつけてきた親御さん
 面倒くさいがつきあっていくしかないだろう。保護者はただ子どもに夢中になっているだけだ。子どもに夢中になる親がたくさんいるということは、それ自体はかなりいいことだ。子どもが「(親は)そこまでボクに夢中になってくれている」と感じるか「そんなみっともないことは止めてよ」と考えるか、どちらにしてもその子の成長に資することになるだろう。

 あとは学校が前もってそれなりの対応を用意しておけばいいだけのことだ(クレームは止めてほしいと言ってもやめるわけもないし)。
「あのね、お母さん。
 お母さんの言う通りだと思う。これだけダダダッてゴールインされると判定ミスもある。
 だからきっとお母さんのビデオの中にはお子さんが1位だという証拠があるんだよね。だけどね、だとしたらなおさら私はそのビデオを見たくない。
 見ると順位が違うってことで訂正しなくちゃいけないでしょ。で、訂正すると今度は順位の下げられた子の親御さんからも一言ある。もちろんビデオを見てもらえばその親御さんも引き下がってくれると思うけど、ビデオ判定で順位が変わったということになると、今度は別のところで――例えば3位と4位のところでも判定ミスがあったとか、前のレースでも違っているとか、そういう話になってビデオがどんどん持ち込まれる。そうなるともう大変なことでしょ。
 もちろん最初からビデオ判定の準備をしておけばっていう考え方もあるし、来年からそんなふうにしてもいいけど、そうなると全レースそのたびに判定待ちをしなくちゃいけなくなる、ゴールした後で映像を確認してからでないと順位が発表できない、「確定」が出るまで虚しく待っている競馬レースみたいになってしまって次のレースが出発できない、そうなったらもう徒競走だけで午前中が終わってしまうかもしれない。そうでしょ?それも困るとなれば今度は徒競走自体を全部やめるということになりかねない、ね。
 だから私はビデオを見たくない。
 息子さんには『一位だったことはお母さんが見てたからね』って言ってあげてください。判定はひっくり返らないけど、それだけは確かだしママの心の勲章だって、そんなふうに言ってください、ね」