キース・アウト
(キースの逸脱)

2016年 6月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2016.06.17

妊娠中の高3女子生徒に体育の授業を要求
京都の高校、休学勧める


[産経新聞 6月16日]


 京都府立朱雀高校(京都市中京区)が昨年11月、妊娠中の3年生の女子生徒(18)に、休学を勧め、卒業するには、体育の補習が必要と説明していたことが15日、分かった。

 同校によると、昨年8月ごろ、女子生徒の妊娠が発覚。女子生徒は同級生との卒業を望んでいたが、高校側は11月ごろから、出産準備に専念するため休学するよう勧めた。その際、女子生徒の体育の成績が「1」のため、卒業には、球技や持久走などを含めた実技の補習が必要になると説明したという。

 同校では、病気やけがの場合は「特別な事情」として配慮するが、「全日制では生徒の妊娠を想定しておらず、妊娠を特別な事情とは考えていない」と説明している。

 一方、学校側は取材に対し「母体のことを考慮すれば、ハードな実習だけを課すことは考えていなかった」としており、「生徒側との話し合いのなかで、実技の補習を座学などで代用することも視野に入れていたとした」と釈明したが、そのことについては女子生徒側には伝えていなかったという。

 女子生徒は結局、今年1月から休学。現在は8月に同校の通信制への転籍を目指しているという。

 石田充学(みつのり)副校長(59)は「全日制では学業と出産・子育ての両立は難しいと考え、休学し通信制に移るよう勧めた。今回の事態を受け、今後妊娠した生徒への配慮を検討したい」と話している。



 実際には
球技や持久走などを含めた実技の補習を強制したというのではなく、休学を良しとしない生徒を追い込むために行った方便なのだろう。実技の補習を座学などで代用することも視野に入れていたと言うのは理解できるところだ。

 実際のところ学校も相当に困ったと思う。
生徒の妊娠を想定しておらずと言うのは普通で、妊婦生徒の体育実技の免除だけでなく、生徒会活動や文化祭などの学校行事においてもいちいち配慮するといのも難儀なことだ。大きな腹を抱えても登校したいというくらい生きのいい女生徒であれば、周囲が本人の分まで気を遣わなくてはならない、そんなふうに思いつめたのかもしれない。事故があっても責任が取れない。

 学校の体裁が悪い、規律が保てないといったことは考えなかったと思う。
 しかし
同級生やそれ以外の生徒、近隣の地域住民、場合によっては噂を聞いた他校の生徒の、好奇心ややっかみ、非難・中傷・悪意からこの子を守るということは考えたはずだ。その上で手っ取り早く身を隠させた方がいいくらいのことは思ったのかもしれない。退学ではなく休学を勧めた背景にはそういうものがあったと思う

 結局は4月に出産したというから本人や保護者は卒業までやれるという計算があったのだろう。しかし学校はあくまでもすべてに備える必要があった。
 両者は噛みあわない。

 ではどういう解決策があったのか。
 納得はできないが要するに備えをしておくということだ。今回の京都の件を前例として、全国の中・高校、場合によっては小学校も児童生徒の妊娠出産に向けての心構えをしておけばいい。
 頭の隅に置いておくだけでいいのだ。児童生徒の希望は最優先なのだと。







2016.06.19

「日本の小学生が1列に並んで…」ホテルのフロントでの光景に驚き
=中国ネット「これが素養というもの」「大切なのはやってしまった後」


[レコード・チャイナ 6月15日]


 2016年6月12日、中国のあるネットユーザーの中国版ツイッター・微博(ウェイボー)への投稿が興味深い。

中国のメディアやネット上では、よく自国の教育と日本の教育を比較して論じることがある。たいていは、中国の教育は「単なる受験のための教育だ」とか、「知識を詰め込むだけの教育だ」という評価なのに対して、日本の教育は「生活していく術を学ぶものだ」といった論調が多い。このほかにも、たとえばマナーの問題などで比較することもよくあり、その時に必ず指摘されるのが、「子どものころから(マナーを)教育しているから」という点だ。

先日、中国のあるネットユーザーがホテルのフロント前で撮影した写真を掲載した。そこには、小学生くらいの子どもが1列に並んで、フロントのスタッフに頭を下げている様子が写っている。このユーザーいわく、小学生らはサッカーチームで、前日にやや騒がしくしてしまったことから、引率の先生(あるいはコーチ?)に促されて、迷惑をかけたことへの謝罪と、滞在期間中にお世話になったことへの感謝の言葉を述べていたのだという。これについてユーザーは「教育とは本当に物事の基礎だ」と感想をつづっている。

この光景に、ほかのネットユーザーからは「これが素養というものだ。中国の教育の道のりはまだ長い」「素養やマナーは小さいころから教育しないといけない」「日本人でも中国人でも騒いでしまうことはある。でも、その後どうするかこそが“差”なんだ」などのコメントが寄せられた。中国のネット上でも自国民のマナー違反に厳しい批判が寄せられるようになったが、これがさらに良い方向へ向かうことを期待したい。(翻訳・編集/北田)



 東アジアの国々は日本に対してとても錯綜した感情を持っている。
 それは日本が古代において蛮族であり、よき弟子であり、中世においては無害な隣人であり、近代に入ってからはあっという間に欧米列強に追いついたアジアの手本であり、裏切り者であり、侵略者であり抑圧者であり、第二次大戦後再び偉大な復興を遂げたエリート先進国であり、素晴らしい文化の発信者でありなおかつ過去を反省しない危険な存在でもあるという複雑な相を持った国だからだ。
 この国のどの側面を見るかによって日本の印象は変わり日本に対する思いも変化する。しかし日本を憎む人も日本に憧れる人も一致して認めるいくつかの点がある。
 それはこの国の
子どもたちの高い道徳性とそれを培ったのが日本の教育だという点である。
 
日本の教育は「生活していく術を学ぶものだ」
 子どものころから(マナーを)教育している
 素養やマナーは小さいころから教育しないといけない

 これほど高く評価される日本の子どもたちの道徳性と初等中等教育だが、それを絶対に認めない国がある。
 他でもない、日本自身である。

 
中高6年間も学びながら日常会話もできるようにならないお粗末な英語教育
 ビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも生まれない、イノベーションも起こせない型にはまった教育
 不登校もいじめもいっこうに減らせないお粗末な生徒指導

 Etc….etc…

 なかなか教師の意欲の削ぐことに熱心なお国柄である。