2016.08.19
教師たちが悲鳴!部活動は改革できるか
部活より授業を優先させるための仕組み
[東洋経済新聞 8月17日]
校務に忙殺される教師たち。中学・高校ではこれに「部活」が加わる。教科指導のプロを自任する教師たちは、サステナブルな新モデルを探っている。
日本の教師の長時間勤務を明らかにした経済協力開発機構(OECD)の調査。中学教師の課外活動指導時間でも、加盟国平均が2.1時間なのに対し、日本は3倍以上の7.7時間と際立って長かった。
こうした現状に一石を投じたのが、13年3月、「真由子」を名乗る中学教師が始めたブログだった。真由子さんは言う。
「教師のプロフェッショナリティー(専門性)は教科指導。そのプロになりたくて教職に就きました。しかし実際は部活によって朝と夕方、さらに土日がつぶされ、授業準備の時間の確保が厳しい現実がありました」
放課後、職員室で授業準備をしていると「何をサボっているんだ」と先輩教師に注意された。部活が優先される状況に強い違和感を覚えて、職員室で孤立し、ブログ「公立中学校?部活動の顧問制度は絶対に違法だ!!」を立ち上げた。もっとも、
「最初は反応は少なく、8割は自分に否定的な声でした」(真由子さん)
未経験の競技で顧問に
真由子さんの疑問は、ただ忙しいからだけではなかった。部活は生徒の自主的な活動とされており、教育課程の中に位置づけられていない。教師の本来の職務でないにもかかわらず、実態としては強制的に部活の顧問が割り振られる。そこに矛盾があると感じた。
放課後や朝の練習に対する残業代は支払われず、休日を丸一日つぶされても支払われるのは3千円程度。しかも移動交通費などもほとんど自腹で、実態は教師のボランティアと持ち出しによって成り立っている。
「それなのに部員や保護者からは土日の練習をもっと増やせ、部活の競技の勉強をもっとしろと言われる」(同)
やりたくてやっている教師はともかく
さらに負担を重くするのが、教師の半数近くが全く未経験の競技の顧問に就いている点だ。
「初めての競技を指導するため、自腹でDVDや本を購入して勉強する。運動競技の審判も慣れないためうまくできない。しかし誤審があれば会場中から突き上げられる。やりたくてやっている教師はともかく、そうでない教師の時間的、精神的な苦痛は計り知れません」(同)
14年、ブログがヤフーニュースに取り上げられるとアクセスは急増。一日28万件に達し、500を超えるコメントが入った。毎日新聞が社説で「『真由子』はわがままか」と問題提起し、国会でも取り上げられた。
15年12月、真由子さんは同じ問題意識を持つ公立校の教師たちと「部活問題対策プロジェクト」を立ち上げ、「教師に部活の顧問をする・しないの選択権を」のネット署名を展開した。3カ月弱で2万3千人を超える署名が集まり、今年3月、文部科学省に提出。8月5日、追加署名を届けた。
真由子さんは昨年度から部活の顧問を拒否しているが、校務や教材研究などで忙しさは変わらないという。
「部活を優先し授業準備をしない教師の授業は、生徒たちの興味を引き出せず、学びから離れさせてしまう。月曜の朝は生徒たちが最も疲れている。授業中、居眠りする生徒は、授業についていけず、部活に加えて塾通いもするようになり、より多忙になるという悪循環に陥っている。部活の価値は否定しませんが、見直しは必要です」(同)
文科省は17年度に部活の実態調査を実施し、休養日などのガイドラインを策定する方針だ。今年7月には、休日の部活動手当を4時間以上の従事に対して現行の3千円から来年度は3600円に引き上げる方針も打ち出した。
しかし、ネット上では失望と怒りの声がわいた。休日の部活は丸一日拘束されるケースが多々あり、その対価としての金額の少なさもさることながら、問題の解決にはならないからだ。
部活問題解決のもう一つの柱とされているのが、外部指導者の活用だ。ただ、外部指導者に委ねられる範囲は自治体によってまちまち。山形県の40代の公立中学教師は言う。
「顧問をしている運動部に外部コーチは来ていますが、けがなどがあった場合の責任の所在は学校にあるため、休日の部活からは解放されません。外部コーチに対する支払いも薄謝のため、継続性は保証されない。部活は学校から完全に切り離し、社会教育や地域に移管すべき。部活指導をしたい教師は、社会教育の枠の中ですればいい」
部活問題に詳しい名古屋大学大学院の内田良准教授(教育社会学)はこう提言する。
「学校から部活動を切り離すかどうか以前に、まずは肥大化した部活を縮小することが先決。部活をスポーツや文化活動の機会保障ととらえるなら連日の練習は必要なく、縮小したうえで教員や外部指導者、社会教育関係者が分担する体制をつくることが大事です」
娘と会うのは寝顔だけ
国や自治体の対応を待っていられない。自分たちができることから始めるしかない──。そう考えて実行に移した教師もいる。中学の体育教師を務める30代の女性Bさんはその一人。3人の子を持つ母だ。
「長女の子育てのときは実家に全面的に頼り、朝練・夕練・休日練とこなしていました。娘と会えるのは寝顔だけ。小学校低学年のときに娘が精神的に少し不安定になったときがあって、担任の先生に『お母さん、何のために働いているの?』と言われたことが忘れられません」
3人目の妊娠中、部活が教育課程外であることを初めて知った。「教師でも知らない人は多いと思います」とBさんは言う。職場へ復帰後、部活の顧問を初めて断った。今年は活動日数をめぐり軋轢の起きていた部に関わり、週1日の休養日を設けた。今後はさらに一歩踏み出して、「あるべき部活のモデル」を打ち出していきたいと考えている。
Bさんが動くきっかけとなったのは、東京都世田谷区立東深沢中学校の「体力向上部」の存在を知ったことだった。活動は週4日、朝の45分間のみ。放課後や土日の活動はない。スポーツは好きだが、勝ちを求めて根を詰めるほどはしたくない。そんな生徒たちの受け皿として、4年前につくられた。
「生徒は競わず、自分のペースで、スポーツをゲーム感覚で楽しんでいます」(顧問教諭)
Bさんが構想している「部活」は、活動は週3回、放課後の1時間のみ。国語教師が漢字検定、英語教師が英語検定、体育教師が新体力テストに向けた指導をそれぞれ行う。
「これなら教師がボランティアの範囲でできるし、自分たちの専門性も生かせる。負担が軽く、生徒のためにもなる。管理職に提案したいと思っています」
民間人校長の平川理恵さん(横浜市立中川西中学校)は「中学の教師を多忙にしている一番の要因は部活」と言い切る。しかし、ほとんどの保護者が、部活が教育課程外であることや教師のボランティアによって担われていることを知らない。このため保護者との茶話会の席で説明し、次のように話したという。
「部活の活動日数については、担当教師の裁量に任せています。希望にそぐわない場合は、地域のクラブチームやカルチャーセンターを利用してほしい」
教師にも無理のない範囲で活動するよう、声をかけている。
「1年で部活に対する保護者の見方は少し変わりました。まずは周知することが大事です」
部活の顧問を拒否する教師も、署名活動に参加した教師も、部活の価値を否定してはいない。しかし、位置づけを曖昧にしたまま肥大化した部活が、見直しの時期にきているのは確かだ。保護者や地域も巻き込んだ議論が必要だ。
(編集部・石田かおる)
いちいちごもっともで一言もない。
放課後や朝の練習に対する残業代は支払われず、休日を丸一日つぶされても支払われるのは3千円程度。しかも移動交通費などもほとんど自腹で、実態は教師のボランティアと持ち出しによって成り立っている。
その通りだ
やりたくてやっている教師はともかく、そうでない教師の時間的、精神的な苦痛は計り知れません
やりたくない教師にとっては確かに苦痛だろう。
部活を優先し授業準備をしない教師の授業は、生徒たちの興味を引き出せず、学びから離れさせてしまう。
必ずしもそうではないがそういうこともあるだろう。
部活をスポーツや文化活動の機会保障ととらえるなら連日の練習は必要なく、縮小したうえで教員や外部指導者、社会教育関係者が分担する体制をつくることが大事です
私もそう思う。
基本的に教師の仕事は教科指導と生徒指導であって部活動は枠外の仕事である。その枠外の仕事のために本業がおろそかになるのは本末転倒と言える。したがって部活が過重になるようならそれは縮小しなければならない。だから、
位置づけを曖昧にしたまま肥大化した部活が、見直しの時期にきているのは確かだ。
私もそう思う。
保護者や地域も巻き込んだ議論が必要だ。
もっともだ
そうしたことにすべて賛成したうえで、なお私にはひとつ問いがある。
その前に思い出話をしよう。
中学校の2校目に赴任した時のことだ。
前任校で体操部の顧問だった私はこの学校で女子バレー部の顧問になった。両方とも選手として未経験の競技だったが体操部と異なり、バレーボール部は生徒を殺さずに済みそうだとやや気が楽だった(体操部では初心者が鉄棒の大車輪をやりたがったりして危険極まりなかった)。
さらに幸運なことにバレー部には赴任した際まだ正顧問がいて、翌年転任予定のその人の下で副顧問として研鑽を積むことができたのだ。したがって6月に開かれる初めての地区大会も余裕を持って迎えられた。
その会場で私はとんでもなく弱いチームを目撃する。前任校のバレー部で教科担任としてかかわった子もいたのでそれとなく応援していたのだが、あっという間に負けてしまった。15点マッチで15−3、15―2というのは試合ではない。2点、3点は相手のミスでもらえる点数、気持ちの上では立っているだけのなぶりもの状態で終わってしまったのだ。
コートからもどってきた子ども拉たちは私に気づいて声をかける。
「せんせ、負けちゃった」
「私たち、メッチャ弱い」
へらへらと笑いながら明るく言うのだが、“これから控室に戻ってこの子たちは泣くだろうな”と私は思った。あそこまでやられてしまうとヘラヘラと笑って見せるしか方法がないのだ。
そのとき私が決心したのは次のようなことだった。
「中学校の部活で勝つことを目標にすることはない。しかし自分の生徒がコートでなぶり者になってはいけない。負けるにしてもせめて半分(当時の点数で8点)以上の点を取れる選手に育ててやろう」
しかしその目標は実に驚くほど難しいものだったのだ。
地区大会とはいえすべてのチームから8点以上もぎ取るとなるとベスト8以上の力がなければだめなのだ。なにしろそこには県大会にも進もうといったチームもあるのだから。
かくて私は鬼監督になってしまう。
記事の中でたびたび出てくる「やりたくてやっている教師」の多くが私のような人間である。たしかに子どもたちを伸ばしたいという気持ちを持っている以上「やりたくてやっている教師」には違いないが、部活顧問となって子どもがぼろ負けすることに平気だとしたらそれは教師ではない。人間であることすら疑わしい――と私は思う。
保護者だって同じだ。だから毎日の練習をもっと増やせ、部活の競技の勉強をもっとしろと要求するのである。
学校に部活動がある限りそうなる。教員が指導している限り無理のない範囲で活動するよにと呼びかけてもムリである。
(ちなみこんな声掛けをするのはやはり部活指導の経験のない民間人校長だと感心した。普通の校長も同じことを言う場合もあるが、そんなとき教師たちはそれが形式的発言であることを見抜いている)
私は普通に熱心な顧問であり、普通に研究し、普通に土日や長期休業を部活にささげる普通の教師であった。だから教師に部活の顧問をする・しないの選択権をということが実現したら迷わず「しない」を選択したろう。ただしもちろん私がやらなくても誰も困らない(他の人がやってくれる、誰か専門家が来てくれる)という前提があってのことだ。
しかしとてもではないが無理だろう。
部活は学校から完全に切り離し、社会教育や地域に移管すべき。と平気で言える人は実態を知らないか都会の特殊な地域に住んでいる人だけだ。
週日の夕方から夜にかけて、そして土日を子どものスポーツにささげていいという人はそんなに多くない。しかもそのひとは専門の技術をもっていなければならないのだ。
もしかしたら野球やサッカーでは人材は見つけやすいかもしれない。けれどバドミントンも卓球も、バスケットボールもバレーボールもと1校で必要な監督数を一通り集めるとなると、それができるのはかなり特殊な地域だ。田舎の中学校ではひとつも成立しない場合がいくらでも出てくる。
それにもかかわらず地域に受け皿づくりを強制すると、教員がヘッドハンティングの餌食になりかねない。社会体育の顧問となると学校の枠を外れるので歯止めが利かなくなる。隣の校区の社会体育は10時まで練習していると聞けば同じような練習をせざるを得ない。同じように努力しないと、子どもがコートでなぶり者になるからだ。
地域にも生徒にも背を向けて“私はやらない”と頑張れる教師はいいが、そうでないと状況は現在より厳しくなるだろう。
さて、そろそろ私なりの解決策を示す時間だろう。道は三つである。
ひとつは現状のまま、教員の犠牲の上に部活を続けることである。学校の管理下にある限り、社会体育でやらされるよりはマシである。もちろん今よりも負担を少しでも減らす方向で努力を続けることは大切だ。
二番目は受け皿を考えずに部活を学校から切り離すことである。受け皿を考えていたら絶対に学校から出て行かない。
やることは簡単である。部活の対外試合をできないようにすればいいのだ。
具体的には中退連(公益法人日本中学校体育連盟)を解体し競技会運営ができないようにする、もしくは学校ごとの大会参加を禁止、公立学校教員の活動参加の禁止を指示する。それでいい。
もっともそれをやるとクラブチームやカルチャーセンターのない地域の競技スポーツは衰え、日本全体の競技スポーツのレベルが下がっていま行われているリオ・オリンピックのような活躍は期待できなくなる。世論がそれを許してくれるかどうかは疑問である。
最後に、もっとも簡単でしかも絶対にやりそうにない方法も示しておく。それは教員を仕事量に見合った数に増やすことである。
教員は多忙だというがそれは間違いだ。多忙ではなく人手不足なのだ。
教員を1・5倍くらいにして部活を担当する教員の勤務をフレックスにすればいい。土日に出勤する分を月曜日に取るとか、夕方の部活のために出勤時間を10時にするとか、それが合理的な考え方である。
なにしろ日本の公的教育費はOECDの中で最低なのだ。多少は世界にカッコウをつけてもいいだろう。
たぶん絶対にやらないが。
2016.08.21
「義務教育が無償でない」という巨大すぎる謎
こうして保護者から気軽に徴収される!
[東洋経済新聞 8月17日]
保護者負担 はどこまでが妥当なのか
「“義務教育は無償”のわりに、意外とおカネがかかるんだなぁ」
子どもを小中学校に通わせている親で、そう感じたことがある人は多いのではないでしょうか。
小学校では、毎月集金される教材費や学級費のほか、算数セット、鍵盤ハーモニカや習字道具の購入など、保護者はさまざまな費用負担を求められます。中学校では入学と同時に、制服一式や体操服、指定バッグ、上履き等々の購入が必須とされ、資料集やワーク購入が増えて教材費も上がります。
これらのほか、小学校も中学校も、給食費、修学旅行の積立金、卒業対策費などを集めており、さらに学校とは別の団体であるPTAの会費まで、学校がまとめて徴収していることも。
そして、集まったPTA会費のなかから学校におカネが渡され、学校の備品等の購入にあてられることも珍しくありません。
「今は税収が減って、国も自治体もおカネがないんだから、それくらい親が負担するのは仕方ないでしょ?」
そう言われると、そんな気もしてきます。
でも、その負担をあらゆる家庭に求めるのは、はたして正しいことなのでしょうか。
今は全国的に子どもの貧困が広がり、経済的に厳しい状況の家庭も増えています。それぞれの集金は少額であっても、ちりも積もれば山となります。学校から求められる金銭的な負担が、家計を圧迫しているケースも珍しくありません。
「学校のおカネ」は、どのように区分・管理されているのか??保護者の費用負担は、どこまでが妥当なのか?『本当の学校事務の話をしよう』著者・柳澤 靖明さんに、学校事務職員が担当している「学校財務」について、話を聞かせてもらいました。
なぜ公費でなく私費負担に流れやすいのか?
――学校が扱うおカネは、どんなふうに区分されているんですか?
大きく2つ、「公費」と「私費」とに分けられます。「公費」は要するに自治体から配当される税金です。学校の備品や教材購入費、施設設備の修繕費等々にあてられます。
「私費」は保護者が負担するおカネです。「保護者負担金」「預かり金」「学校徴収金」などと呼ぶこともあります。私費のなかでも、学級費、教材費、卒対費、校外学習費、学校給食費、PTA会費など、さまざまな区分があります。
――なぜ学校教育に必要なものをすべて公費で賄えないんでしょう?
簡単に言うと、公費の配当が足りないからです。予算がない、というのは、戦後からずっと言われていることなんですけれどね。
しかも今は「私費ありき」の発想になっていて、さまざまな費用が安易に保護者負担にまわってしまう傾向もあります。私費はあくまで、「公費でどうしても足りない分を補てんするもの」であるはずなのですが、そのことが忘れられがちなのです。
――なぜそうなってしまうのでしょう?
原因のひとつは、何を公費で賄い、何を私費で賄うべきか、その区分が不明確なことです。
自治体によっては、「子どもが持ち帰るようなものは私費で負担する(受益者負担)」など、要綱等で区分が定められているのですが、その区分がない自治体もあります。また、区分があったとしても自治体によりその区分が異なるという問題もあります。
それから、公費と私費が「それぞれ別々に動いている」ことも大きな要因でしょう。
大概の場合、「私費は教員」が、「公費は事務職員」が担当しています。もし先生が公費で何かを欲しいと思った場合、事務職員や教育委員会を通して処理しなければならず、そうすると手間や時間がかなりかかってしまう。それで私費に流れがちなのです。
――公費だと、そんなに手間暇がかかるんですか?
かかりますね。公費は基本的に、現金で配当されるわけでもなく、通帳におカネが入るわけでもないので、一つひとつ、市の会計課を通して支払いをしなければいけないんです。
だからまず、業者に債権者登録をしてもらって、教育委員会を通して、会計課に請求書を出してもらう、という流れになります。どうしても現金払いが必要なときは、「資金前渡」という制度を使うのですが、これはさらにひと手間かかります。
先生からしたら、明日の授業に必要なものを、近所のお店でさっと買ってきて、教材費として保護者から集めたほうが簡単ですよね。公費で買おうとすると、少なくとも2、3日はかかりますし、見積もりや伝票処理など事務職員の仕事も増えます。
でも、「それはそういうものだ」という認識をみんなが持つ必要があるでしょう。基本的に公教育は公費で運営するべきです。面倒でも、そこはしっかりやらないといけません。そのためには、通常は公費だけ取り扱う事務職員が、公費と私費の両方を総合的に扱っていく必要があります。公費を上手に使えば、必ず私費は減らすことができるからです。
たとえば模造紙など、事務職員を通さずクラスや学年ごとに買うと私費になりますし、高くつきますが、公費で全校分まとめて買えば、だいぶ安くなります。
工夫をすれば私費は減らせる
先生たちは学校財務のことを知る機会がほとんどないので、保護者負担金を減らす必要性もあまり感じていないことが多いです。そのため、学校財務の担当者である私は先生たちにそのことを伝える研修を行っています。こういった説明を聞けば、先生たちの認識が変わりますし、そうすると行動も変わってきます。
――たとえばどんなふうに変わるのでしょう?
ある教科の先生が、毎年500円の資料集を2冊、保護者負担で購入をお願いしていたんですが、私と相談してそれをやめ、教員の分だけ公費で購入するようにしました。必要な資料をパソコンに取り込んで、大きなモニタにつなげば、生徒全員で見られるから、ということで。
これで各保護者の負担を年間1000円ずつ減らせましたし、やってみたらこのほうが子どもたちも顔をあげるので、先生もかえって指導がしやすかった、と言っていました。
あとは以前、教室のカーテンのクリーニング代が、なぜか私費の教材費にまわっていたことがありました。そこで公費で洗濯機を購入して、カーテンは校内でクリーニングするように変更して、教材費からの支出はなくなりました。「洗う人」の負担は増えますが、そこは保健委員会の生徒などにも協力してもらいました。
本にも書きましたが、こういうエピソードは、山ほどあります。なかには失敗談もありますけれど。
いまは子どもの貧困が問題になるなど、どの家庭もみんな簡単におカネを払える時代ではなくなってきました。教職員には、そうした保護者の負担を取り除いていく取り組みも求められていると私は考えています。
PTAの「学校支援金」はどうしても必要か
――PTAから「学校協力費」などの名目でおカネを受けとり、備品購入などにあてている学校も多いですね。財政力のある自治体では比較的少ないようですが、PTAによっては年間100万円近い予算を出しているところもあります。しかも、そのことがPTAの一般会員には知らされていなかったりしますが、これはどうなんでしょうか。「私費」に加えて、さらに保護者が出費しているということになると思うのですが……。
PTA予算はすでにおカネを集めてあるので、「ください」と言えばそれで済みますから、学校からすると簡単なんでしょうね(苦笑)。
でももちろん、PTAから学校へ現金支給などするべきではないでしょう。まずは公費でやりくりし、それでもどうしても足りなければ、教材費など、集金の目的を周知し、私費で集めたほうがいいでしょう。
たとえば、以前私がいた学校では、マラソン大会の施設使用料がPTA予算から出されていました。その施設は現金でしか使用料を支払えないという理由からそうしていたらしいのですが、これも教育委員会と相談をし公費で予算化してもらうことができました。
――PTAや保護者は、公費と私費の区分などよくわかりませんから、学校から「出して」と頼まれたら、たぶんそのまま出してしまいますね。公費から出せるという可能性を、思いつかないのでは。
そもそも公費がオープンにされていないことも問題なんですよね。公費が見えなければ、保護者はなんでも私費でやるしかないと思ってしまいますから。
でも、一部の学校ではそれらの情報を公開しています。たとえば横浜市の学校は公費の公開が義務付けられているので、どの学校のWebサイトを見ても、公費がいくらという情報が載っています。
わたしは「事務室だより」というおたよりを発行しているので、そこに「公費で、こういう備品を買いました」という情報も載せています(小谷場中のWebサイトからも閲覧可能)。そうすると保護者の方から、「学校のおカネ(公費)って、こんなふうに使われいるんですね」と驚かれたりします。
PTA予算の「学校協力費」についても、会員に存在が知られていないのは問題ですね。みんな、会費の使われ方を知る権利はあるのですから、一人ひとりが公開を要求したほうがいいんじゃないでしょうか。そもそも、PTAは総会で決算報告をするはずなので、そこで詳細な情報を提供するべきでしょうね。
事務職員が学校財務を担えば学校が変わる?
――柳澤さんのような、やる気のある事務職員が学校にいれば、公費の使い方がずいぶんと効率化されて、保護者の負担金も減るでしょう。でも、現状そこまでやってくれる事務職員は、少ないのでは?
事務職員の仕事内容って、はっきり決まっていないですからね。学校教育法には「事務職員は、事務に従事する」という一文の規定しかありません。
しかし、「標準的な職務内容」は任命権者(都道府県教委など)から通知されています。そこに「学校財務」は含まれています。関わりの度合いは事務職員によってさまざまですが、今回お話したように実はいろんなことで貢献できる立場にいるのです。私たちももっと努力して、「事務職員って、重要なポストなんだ!」と思われるようにならなければと思っています。
むかし勤めたある中学校で、事務職員が五十がらみのベテランに代わったとたんに世界が変わったことがあった。金がザクザク出てくるのだ。
「市に○○という予算があります。申請しておきましたから使い道を考えてください」
「用紙代が余ったので模造紙を大量に買いました。必要な分、社会科の方で持って行ってください」
それまで、若い女性職員のときはまったく首を縦に振ってもらえなかったことがどんどん実現していく――しかしだからといって前の事務職員にやる気がなく、新しい事務職にやる気があったとは思わない。やる気の問題ではなく知識の問題、要するに能力が違うのだ。
柳澤さんのような、やる気のある事務職員が学校にいれば、公費の使い方がずいぶんと効率化されて、保護者の負担金も減るでしょう。でも、現状そこまでやってくれる事務職員は、少ないのでは?
いい仕事をしないのはやる気がないからだと考えるのは単なる精神論だ。多くの場合、より高い成果を上げるのは“やる気のある人”ではなく“優秀な人”だ。記事でインタビューを受けている柳澤という方も、おそらく優秀なのだろう。
「事務職員って、重要なポストなんだ!」
もちろん百も承知だ。
まずは公費でやりくりし、それでもどうしても足りなければ、教材費など、集金の目的を周知し、私費で集めたほうがいいでしょう。
もっともだ。
通常は公費だけ取り扱う事務職員が、公費と私費の両方を総合的に扱っていく必要があります。公費を上手に使えば、必ず私費は減らすことができるからです。
それももっともだ。
しかし通常1校にひとりしかいない(そして山間地では2校兼任もザラである)事務職員にそれができるとは思えない。コンプライアンスが叫ばれるようになって以来、他の学校職員同様、事務職の仕事も爆発的に増えているからだ。
通常は公費だけ取り扱う事務職員が、公費と私費の両方を総合的に扱っていくなどという大変なことができるのは柳澤靖明氏のような一握りの優秀な事務職員だけかもしれないということに、当の柳澤氏も記者も気づいていない。
もちろん、だから不可能だというつもりはない。要はその「重要なポスト」の事務職員を増やすことだ。
かつて小中高から大学まで併設する私立学校を見学したことがある。そのとき最も驚いたのは小学校だけで事務職員が8名もいたことである。それとは別に事務の管理職が2名もいた。
聞けば入学式の案内だのPTAの次第だのもすべてここでつくっているという。もちろん私立学校だから「学費」の名で集金される私費の管理もここで行う。つまり教師が“雑用”と呼ぶもののほとんどは事務室の仕事なのであり、そのために必要な人数が10名なのだ。
私立というのはそこが強い。
「先生たちには教育活動に専念してもらう」というときに、どうすればよいかをよく理解して実践しているのだから。
|