キース・アウト
(キースの逸脱)

2016年10月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2016.10.14

いじめ情報共有、怠れば懲戒処分
文科省、教員に周知へ


[朝日デジタル 10月12日]


 文部科学省は公立学校の教職員に対し、いじめ防止対策推進法で義務づけられた学校内でのいじめに関する情報共有を怠った場合、懲戒処分の対象になり得ることを周知する検討を始めた。法施行から3年になるが、担任がいじめの情報を抱え込むなどして組織的な対応が行われず、子どもの自殺につながるケースが後を絶たないことが背景にある。

 一方、教職員の多忙さなどが指摘される中、情報共有を怠ったかどうかの認定には難しさも伴うとみられる。また、教員の萎縮につながるとの指摘もあり、慎重な運用が求められる。

 同法の施行状況を検証している文科省の有識者会議(座長=森田洋司・鳴門教育大学特任教授)が12日、「いじめの情報共有は法律に基づく義務であり、公立学校の教職員が怠ることは地方公務員法上の懲戒処分となりうることを周知する」などとする取りまとめの素案を提示。一部の委員からは「現場が萎縮する」と懸念する声も出た。24日に取りまとめ案を正式決定したうえで、同省は教育委員会を通じて学校にこうした方針を通知するとみられる。

 同法は2011年に大津市の中2男子が自殺した事件を機に議員立法で成立、13年9月に施行された。教職員が情報共有していじめに対処する「対策組織」を各校に常設することを義務づけている。だが、朝日新聞の調べでは、第三者委員会が法施行後にいじめと自殺の関係を調査し終えた12件のうち9件で、担任のいじめの情報の抱え込みなど、学校内での情報共有が不足していたと指摘されている。

 同法には施行から3年で必要に応じて見直しを検討する規定が盛り込まれている。学校がいじめの情報を共有したうえで、どう組織的な対応につなげられるかが、見直し論議の焦点の一つになっている。

 このほか、有識者会議の案では、自殺や不登校など「重大事態」の調査について、第三者委員会の人選や調査方法などのガイドラインを作り、調査報告書をデータベース化して再発防止に生かすよう求めている。教職員の負担軽減のため、生徒指導専任教員の配置なども求める。(水沢健一)


 この国に生まれ育った人はすべて日本の小中学校、そして多くは高校生活を経験し、そこで起こる数々の人間関係のトラブルを見てきたはずなのに、それなのになぜ、いじめ問題についてはこうも単純な想像しかできないのか?
「今のいじめは昔に比べてずっと陰湿になって・・・」というとき、彼らが考えているのは、もしかしたら「昔はジャイアンみたいな子がガンガンやっていたが、今はスネ夫が中心になっている」と、その程度のことなのかもしれない。

 そんなイメージを基礎に、
 担任がいじめの情報を抱え込むなどして組織的な対応が行われず
を考えると、なぜそんなことになっているのか分からなくなる。そこで、
 
教職員の多忙さなどが指摘される中、情報共有を怠ったかどうか
ということになる。要するに忙しかったから報告し損ねたと思っているのだ。
 そうではない。
 いじめ問題の難しさは、グレーゾーンの広さ、判定の難しさなのだ。

 昨日までみんなと楽しく遊んでいたのに、今日学校に行ったら壮絶ないじめが待っていたなどということはありえない。

 まず、静かな無視が始まり、あるいは物がなくなったり傷つけられたりし、あるいは何かをしてくれと頼まれたり貸してくれと言われたりして、それは徐々に始まる。
 さらにもしかしたら恐喝も最初は恐喝ではなく、被害者が自ら差し出した賄賂だったり貢物だったりしたのかもしれない。
 最初は被害者の方がのちの加害者に迷惑かけたといった経緯のある場合もあるだろう。
 いじめられている子どもが親に話さないのも、
最初はいじめではなく(あるいはいじめと気づかず)、しばらくは自分一人で何とかなると思い続け、一人ではどうにもならなくなったころには「今さら助けてくれとは言えない」というところにまで追い込まれている、そういった経緯があるからだ。特に親の財布に手をつけて問題を解決しようとした時期があれば、絶対に大人には言えない。
 それは教師も同じなのだ。

 もちろん、おかしいと思いながら様子を見ているうちに手が付けられなくなって、しかし今さら同僚には相談できないということもあるかもしれない。
 確かに、おかしいと思われる表面の動きや予兆というものはあり、それに気づいて手を打つ教師も少なくないのだが、裏で起きている事態の深刻さにまで意識が及ぶ教師はそう多くはない。
 具体的に言えば、あるグループの中で一人がこき使われている様子は教師にも見え、指導の手も入るが、その裏で、自殺に追い込まれるほどの激しい暴力と恐喝が行われているというような事実には気づきにくい。いじめや恐喝、耐えがたい暴力は、教師の目の前で行われることはないからだ。
 
 
担任がいじめの情報を抱え込むなどして組織的な対応が行われず
といった状況は、そうやって生まれる。
 これに対して懲戒処分が下されるとなると、教師は何でもかんでも報告して身を守るしかなくなる。
 そしてすべての教師がどんな些細なことでも報告しあい対応するとなると、もう普通の教育活動はできなくなるだろう。

 ただし、実際に起こることはそうではない。
 学校における普通の教育活動を放棄してまで、教師は朝から晩までいじめ問題に取り組んだりしない。その結果、ただ黙って懲戒処分に甘んじるだけである。
 いじめをめぐる学校の状況は変わらない、ただ教師が懲戒処分となる・・・。

 学校から仕事を減らすことはできない。減らそうとすれば“減らすための仕事”が増えるだけである。そうである以上、
いじめ問題の根本的な解決は教師を増員して時間を生み出し、担任の目がもっと児童・生徒に向かい、問題があれば学校にいる間に指導できるようにすることである。
 それをしないで懲戒処分をちらつかせるのは、
政府による教員いじめに他ならないだろう。








2016.10.15

働き方変わる? 都庁「残業ゼロ・午後8時退庁」へ挑む

[朝日デジタル 10月14日]


 東京都の職員は午後8時に残業をやめ、退庁する。小池百合子都知事がそんな原則を打ち出した。働き方は変わるのか。

 9月末のある日、午後8時。都庁13階の人事部をのぞくと、多くの職員が残っていた。

 「知事の方針は衝撃でした」と内田知子・職員支援課長。知事の「残業ゼロ」の公約を知り、「週1回、午後10時帰宅を目指そうか」と職員同士で話していた。「それすら挑戦的だと思っていた」という。

 知事は9月14日の庁内放送で、仕事の仕方を見直す「一種のショック療法」として、午後8時での完全退庁を求めた。「ライフが先に来た『ライフ・ワーク・バランス』の実現のために、都庁が先頭に立って長時間労働を是正する必要がある。この際、改めて仕事の仕方そのものを考え直していただきたい」と語り、部署ごとに超過勤務削減率を競う「残業削減マラソン」を始めるとした。スタートは10月14日だ。

 都庁職員約4万6千人の残業は、1人あたり月平均9・6時間(管理職除く)。本庁職員は月23・5時間で、多い人は年間千時間を超える。職員支援課でも、深夜の退庁は珍しくないという。

 「前任者が作った資料は必ず作り、さらに追加する感じ。万全を期したいという思いからとはいえ、自分たちで仕事を増やしているところがあるかも。残業を減らす努力はしてきたつもりだけど、抜本的な見直しが必要です」と内田課長。

 1時間あたりの残業代は、条件によって違うが、20代で2千円程度だという。最低ラインでも、月9億円近くになる計算だ。




 非常に分かりにくい記事だ。
 
都庁職員約4万6千人の残業は、1人あたり月平均9・6時間(管理職除く)。本庁職員は月23・5時間で、多い人は年間千時間を超える
 なにゆえ途中から「年間」にするのか。ここは単純に、
1人あたり月平均9・6時間(管理職除く)。本庁職員は月23・5時間で、多い人は月83時間(1000÷12)を超える。(*注1)
ではいけないのか。
 そう考えて改めて書き直した文章を読み直すと、それではダメな理由がわかる。
「月83時間」は過労死ライン(月80時間)を越えているからだ。
「月83時間以上」と書けばその過酷さが浮き彫りになると同時に「過労死ラインを越える長時間労働を、なぜ黙認してきたのだ」という批判も起こりかねない。そのための「年間千時間」なのだ。

 現在の東京都本庁内非現業の実情は、
「週1回、午後10時帰宅を目指そうか」と職員同士で話していた。「それすら挑戦的だと思っていた」
といった過酷なものなのだ。
 それを解消するために、
午後8時に残業をやめ、退庁するという原則を打ち出すのは悪いことではない。
 しかし仕事を減らすでも職員を増やすでもなく、(仕事の)抜本的な見直しだけで残業を減らせると、知事は本気で思っているのだろうか?

 8時退庁が厳命なら管理職を中心に職員は一斉に従うだろう。しかし結局は、いったん外に出て引き返してくるか、休日出勤に振り返るか、仕事を持ち帰るかのいずれかの道を取らざるをえない。仕事が減らないからだ。

 もちろんそれでいいこともある。記録上は大幅な残業減で、
 
最低ラインでも、月9億円近くになる残業代を大幅に減らすことできるからだ。
 都庁職員にとっては正規の残業をサービス残業に切り替えるだけで、むしろ腸が煮えくり返るような方針だが、「都民ファースト=税の無駄遣いをしない(他に押し付けられるものは押し付けてしまえ)」(*注2)という公約からすれば当然ありうべき政策と言える。
 豊洲問題等でミソをつけた都職員としては、黙って従うしかないだろう。


注1 都職員の平均残業時間が9・6時間なのに本庁が23.5時間、一部は83時間を超えるという異常な違いは、職場の状況によると思われる。例えば日中にしか仕事のできない現業職員の残業は当然少ないし、非現業であっても税務のように繁忙期が集中している季節労働者的部署もあれば、大きなイベントを抱えて一年中動きの取れない部署もある。

注2 オリンピックの会場移転問題で、ボート・カヌーの「海の森水上競技場」の建設費が519億円、宮城県長沼だと351億円、埼玉県彩湖だと558億円だ、岐阜県長良川だと352億円だという試算がある。だから長沼に移せと。
 しかしこの試算は間違いである。
 見直しの基本的な立場は「都民に無用な負担をかけてはいけない。負のレガシーを残してはいけない」ということである。その立場からもう一度建設費を検討すると、
「海の森水上競技場」が519億円、長沼・彩湖・長良川はいずれも0円である(それぞれの県が出すから)。
「都民ファースト=税の無駄遣いをしない(他に押し付けられるものは押し付けてしまえ)」はここでも有効な道を見つけ出す。

注3 都職員の「残業ゼロ・午後8時退庁」は教育公務員には当てはまらないだろう。なぜなら教員に残業手当はないからである。午後8時に帰っても12時まで働いてもらっても、あるいは定時に帰宅してくれても、財政的に、都民は一銭の損にも得にもならない。だったら現状維持、もしくはもっと働いてもらった方がいい(=都民ファースト)。