キース・アウト
(キースの逸脱)

2017年 1月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2017.01.09

3.9+5.1=9.0は、不正解である

[Yahooニュース 1月2日]
[アゴラweb 1月1日]



姪っ子の小3算数テストで、3.9+5.1=9.0を不正解にされたという写真がTwitterに投稿されて話題になりました。

茂木健一郎氏は、つねづね小学校の算数教育への懸念を示されています。
かけ算の順序、足し算の順序、という「問題」があって、2x3=6は正解だが、3x2=6は不正解、同じように2+3=5は正解だが、3+2=5は不正解、という「世界」があるのだという。詳細はアホらしいので書かないが、もし興味がある方は検索してみて欲しい。

ここで言う「2x3=6は正解だが、3x2=6は不正解」というのは、「みかんが1袋に2こはいっていました。3袋でいくつになりますか。」とか聞かれた場合に「1あたりの量」×「いくつ分」=「総量」という式に当てはめて立式しなければならないということ(らしいの)です。文章題において掛け算の順番などどちらでも良いと主張すること=掛け算の意味を理解していないということになるのです。

しかし、教員の視点からすると、これは別の理由で譲れない点なのです。なぜなら、教員は、学力という「結果」よりも、教員の指示通りに解答していないという「プロセス」に重きを置くからです。

こういった点を擁護する理屈もありますが、ためにする議論のような気がします。

とにかく、学校は「プロセス」重視なのです。ここで不正解になったのは、教員に言われたとおりにやっていない、ということが最大の理由です。教員は、学力など求められていません。学力などという「結果」を教員も学校も(場合によっては世間も)求めていないのです。

小学校の教室には、だいたいこんな掲示がかかげられています。当たり前のような標語ですが、これが意外と曲者なのです。つまり、授業がどんなにつまらなかろうが、わからなかろうが、わかりきっていようが、こういった態度で臨むことが望ましいし、こうした態度をさせられる教師が学力とは関係なく優秀な教員ですし、これができない教員は不適格教員にされてしまいます。わかりきっている子どもが、ノートに落書きをしていようものなら、その授業は失敗の烙印をおされてしまいます。もちろんノートも黒板通りに記録しないと教師に叱責されてしまいます。わたしがヘンだなと思うのは、この標語が授業の「前提」条件ではなく、「目的」になっているということです。

おそらく、10年、20年前と比べてこの「プロセス」重視はさらに進み、小中学校は茂木健一郎さんのような天才・奇人が生きづらい社会になってしまいました。発達障害に認定される子どもが増えたのも、これが理由のひとつだと疑っています。私が常々申し上げている、日本の教育問題は学力問題ではないということに同意してくれる人は、いないものでしょうか。

中沢 良平(元小学校教諭)


 2x3=6は正解だが、3x2=6は不正解、同じように2+3=5は正解だが、3+2=5は不正解という「世界」があるのだという

という茂木健一郎氏の話は、昨年暮れに一部で話題となったものである。
 これに対する反論は上の記事が引用したブログで十分説明されていると思うが、中沢氏には
ためにする議論」にしか見えないようなので、ひとこと言っておく。
 学校教育法第十八条では、
 
小学校における教育については、前条(*)の目的を実現するために、次の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。
 として8項目を挙げている。その5番目にこうある。
 五  日常生活に必要な数量的な関係を、正しく理解し、処理する能力を養うこと。

 *第十七条  小学校は、心身の発達に応じて、初等普通教育を施すことを目的とする。
 とある。ここで重要なのは「日常生活に必要な」だ。
 
 引用した中沢氏の例に従って
「みかんが1袋に2こはいっていました。3袋でいくつになりますか」
と問われた場合、それは2個の三倍、つまり「2×3である」と学ぶのが小学校教育課程だ。
 「ミカンが3袋に2個ずつ」といった国語的にも厄介なら、イメージとしてもつかみずらいものを持ち出すのではなく、素直に、2個の三倍を学ぼうというのが小学校なのである。したがって小学校の教育課程では文章題で2×3と3×2を同じに扱うことはできない。
 
小学校というのは生きていくうえでの最低の技能を身に着けるところだから、2の三倍とか5の四倍という概念を繰り返し学ぶことによって、スーパーや八百屋さんで戸惑わない子を育てる必要がある。2×3と3×2は抽象的に同じものだとしっかり押さえて数学者を育てるわけではない。したがってミカンの問題は2×3=6と書いて正解とされるべきだ。私はそう思う。
 
 以上は私が茂木氏に伝えるべき内容である。しかし中沢氏に対しては違う。
 彼に言うべきは学校の教育課程に対して、敢えて、
 
教員の視点からすると、これは別の理由で譲れない点なのです。なぜなら、教員は、学力という「結果」よりも、教員の指示通りに解答していないという「プロセス」に重きを置くからです。
というのはどういう根性か、どういう意味かということだ。元教師だそうだがそうした姿勢で教育活動に就いていたのか?

 百歩譲って普通の
教員が指示通りに解答することを望んでいるとしても、それは指示内容が正しいと信じているからだ。
 粘土の塊を二つくっつけて「1に1を加えても2にならない」ことを証明したり(子どものころの金正恩氏がやったらしい)、落ち着かずに教室を走りまわったり(エジソンがそうだったらしい)する子を、そのまま認めることはできない。
 
まず教師の言った通りできること、そしてその上で指示以上のことができること――普通の教員だったらそういう願いをもつのが当たり前である。
 
 さらに言うと、中沢氏の持ち出した教室掲示のどこが悪いのかさっぱりわからない。
 上手な聞き方というのは「先生や友達の話を、最後まで聞く」ことで「話している人を見て聞く」ことなのだと教え、上手な話し方というのは「手を挙げるときは、指先まで伸ばす」「『はい。』と返事をし、立って話をする」「相手に聞こえるように、しっかり話す」「自分の考えを、詳しく話す」――そういうことなのだと教えることがなぜ、
 
授業がどんなにつまらなかろうが、わからなかろうが、わかりきっていようが、こういった態度で臨むことが望ましいし、こうした態度をさせられる教師が学力とは関係なく優秀な教員ですし、これができない教員は不適格教員にされてしまいます。
ということになるのか。
 私は授業がどんなにつまらなかろうが、わからなかろうが、わかりきっていようが、子どもは先生や友達の話を最後まで聞くべきだと思うし、話し手を見ることは大切だと思う。
 自分が分かり切っているからといって指名される前に発言したり聞こえなければ聞いてくれなくてもいいやといった態度で話をしたりするのは間違っていると思う。
 したがって教師は児童をそういう人間に育て上げるべきだし、それができる教師は優秀なはずだ。またそんなふうに学問や教室の仲間としっかり向き合うことのできるクラスは、当然、学力も伸びる。

 おそらく、10年、20年前と比べてこの「プロセス」重視はさらに進み、小中学校は茂木健一郎さんのような天才・奇人が生きづらい社会になってしまいました。
 これもわからない。
 そもそも義務教育学校が天才・奇人の生きやすい社会であるべきという前提自体が理解できない。
 私が教えてきた児童生徒はほとんどが凡人、少なくとも天才でも奇人でもなかった。だからそうした
普通の子たちが生きやすい学校社会こそ尊いと思う。それはきちんと手を挙げて指名を受け、一生懸命丁寧に発言すればみんながこちらを向いて最後まで話を聞いてくれる、そういう世界だ。

 発達障害に認定される子どもが増えたのも、これが理由のひとつだと疑っています。
となると、何が何だかさらに分からなくなるがもう言うまい。
 
 本来なら取り上げるだに値しない駄文であるが、正月早々Yahooニュースに取り上げられていたために拾った。
 日本の学校教育はこういった無責任な発言によって、繰り返し脅威にさらされている。







2017.01.15

小中教諭の7割、週60時間超勤務 医師や製造業上回る

[朝日新聞デジタル 1月14日]


 週に60時間以上働く小中学校の先生の割合が70〜80%に上ることが、全国の公立小中学校の教諭約4500人を対象にした連合のシンクタンク「連合総研」の調査でわかった。医師や建設業、製造業など他業種より格段に高い割合だ。特に運動部の顧問の先生は出勤が早く、午前7時前に出勤する人が15%いた。文部科学省も学校現場の負担減へ対策に乗り出している。

 調査は2015年12月、労働組合に入っているかに関係なく、公立小学校教諭2835人、中学校教諭の1700人を対象に実施。小学校1903人(回収率67%)、中学校1094人(同64%)が回答した。

 調査では、週あたりの労働時間を20時間未満から60時間以上まで5段階に分けた。小学校教諭で週60時間以上働いている割合は73%、中学校は87%。小中とも50時間未満の教諭はいなかった。単純には比較できないが、11年に労働政策研究・研修機構が調べた医師の40%を大きく上回ったほか、連合総研が16年に調査した建設業の13・7%、製造業の9・2%、運輸・情報通信業の9・0%を大きく上回っている。

 特に中学の運動部顧問の場合、午前7時以前に出勤する教諭が15%、午後9時以降に退勤する人は22%に上った。「必ず」「だいたい」毎日、家族全員と一緒に夕食をとるのは小学校39%、中学校33%で、民間企業労働者の52%を下回った。

 最も負担に感じている仕事は、…
(以下略)


 こうした報告はもう何年も前から出ているが一向に状況は変わらない。
 残業手当も休日出勤手当もないから、地方公共団体も教委も管理職も本気で時短に取り組まないのだ。
 結局思いつくのはノー残業デー、ノー部活デー、校内会議の精選といった強制的に休ませる方策。しかし教師は浮いた時間をたまった仕事で埋めてしまう。
 自分で自分の首を絞めていると言ってはいけない。
学校現場は常に人手不足の状態にあるのだ。

 世の中の組織はたいてい仕事量に合わせて従業員を増減する。資金的に増員が厳しければ仕事量を減らす。しかし学校は児童・生徒数に合わせて教員数が決まるので、
仕事がどんなに多くても子どもが増えない限りは増員できないのだ。しかも教師の仕事は製品を何個作ればいいといったようなものではないので、際限がない。子どもの平均点が70点を越えたら終わりという訳にもいかなければ、子どもがいい子になったから道徳教育や生徒指導はやめましょうということにもならない。良ければ良い分、さらに上が要求される。
 
 
このブラック体質を改善するには学校に対する社会の要求度を下げる(学校は勉強さえ教えてくれればいいとか、家庭学習や郊外生活の指導は一切しなくていいとか)か、人員を増やすか、どちらかが進まないと不可能な話なのだ。
 しかしおそらく、いつまでたっても状況が変わることはない。そしてメディアは定期的にこうした記事を書いて紙面を埋めることができる。
 






2017.01.25

「おごってもらった」と言えば小学生に150万円払わせてもいじめじゃないのか
猛烈批判に横浜市教委が迷走


BuzzFeed News 1月23日]


福島県から横浜市に自主避難した男子生徒。ゲームセンターなどで多額の「おごり」をさせられたことは、いじめではないのか。横浜市教育長を直接取材した。

福島第一原発事故で横浜市に自主避難をした児童が「賠償金あるだろ」と言われ、ゲームセンターなどで150万円支払わされた。子どもを守るべき教育長が、これを「いじめと認定できない」と発言したことへの怒りが広がっている。

批判を受けているのは、横浜市教育委員会の岡田優子教育長が1月20日、市議会常任委員会でした「関わったとされる子どもたちが『おごってもらった』と言っていることなどから、いじめという結論を導くのは疑問がある」という発言だ。

「おごってもらった」と言えば、小学生に150万円を払わせてもいじめにはならないのか。納得はできない。


BuzzFeed Newsは1月23日、横浜市で岡田教育長に直接取材した。

なぜ、150万円払わされることがいじめではないのか。岡田教育長は、この件について調べた第三者委の判断を理由にあげた。

「(第三者委はおごりの)背景にいじめがあったことが推察できるという言い方をしています。第三者委員会の結論は第三者委員会の結論ですから、それを覆すことなんてできないじゃないですか」

つまり、背景にいじめがあったと推察できても、認定はできないということなのか。それでは、市教委としてどうすれば認定できるのか。

「市教委として認定できるのかは、再発防止委員会の中でしっかり議論して考えていく。ただ、あれだけ厳しい第三者委員会が出した結論を、そんなに簡単に覆すことは難しいですよ、という話を(市議会で)した」


第三者委の判断とは。経緯を振り返る。

BuzzFeed Newsが弁護側に提供を受けた横浜市の第三者委員会の報告書によると、男子生徒は震災の5ヶ月後、2011年8月に福島県から2年生で転校してきた。

直後から名前に「菌」をつけられるなどのいやがらせを受け、不登校に。小学5年生になった2014年には、「プロレスごっこ」と称して数人の児童から叩かれるようになった。

また、横浜駅やみなとみらい周辺のゲームセンターでの遊興費、食事代、交通費などをすべて、負担させられた。男子生徒の説明に基づくその回数は、計10回ほど。1回につき5万〜10万円で、自宅にあるお親の金を持ち出していた。

これが、問題になっている「150万円のおごり」だ。担当弁護士によると、生徒側はこの金額が総額150万円にのぼるとしているが、学校側は8万円しか確認できていない、としているという。

男子生徒はその後、2度目の不登校に。2015年12月には生徒の両親が市教委に調査を申し入れ、2016年1月、第三者委員会が市の諮問を受けて、調査を開始。11月にその結果が報告書にまとまった。

一方、報告を受けた横浜市教育委は12月、検討委員会を設置。当時の対応の検証を始め、神奈川新聞によると、2017年3月にも結論をまとめる方針だという。

そして、1月20日、横浜市議会の常任委員会。

岡田教育長が、その進捗を報告する際に飛び出したのが、「関わったとされる子どもたちが『おごってもらった』と言っていることなどから、いじめという結論を導くのは疑問がある」という先述の発言だった。


おごりは、いじめではないのか。

なぜ、岡田教育長はこうした発言をしたのか。第三者委員会の報告書には、金銭の授受について「認定しうる事実」として、こう記載されている。

A(男子生徒)は、「だれが出す?」「賠償金もらっているだろ?」とか「次のお金もよろしくな」などと言われ、今までにされてきたことも考え、威圧感を感じて、家からお金を持ち出してしまったという。

関係児童の遊興費等を負担(いわゆる「おごり」)することで、それ以降はプロレスごっこ等のいやなことは一切されなくなり、更にAは他の児童に対し、友好感が生じることができたので、同様のことが多数繰り返されてしまったと思われる。

 報告書はその上で、おごりが「『いじめ』から逃れようとする当該児童の精一杯の防衛機制(対応機制)であったということも推察できる」と分析。こう結論付けた。

おごりおごられ行為そのものについては『いじめ』と認定することはできないが、当該児童の行動(おごり)の要因に『いじめ』が存在したことは認められる。

BuzzFeed Newsの取材に対する岡田教育長の答えから、問題の発言は、この点を念頭に置いたものだとも捉えられる。ただ、男子生徒側がそれを良しとしているわけではない。

発言の10日前、2017年1月10日。生徒側は「金銭要求行為がいじめとして認定されなかったこと」への横浜市長宛の所見を市教委に提出。報告書に対し、「悪しき前例とならないよう、いじめと認めて頂きたい」と求めていた。

その際、生徒自身も、こんな文書をしたためている。

「またいじめが始まると思って、何もできずにただ怖くて仕方なくて、いじめが起こらないようにお金を出した。お金を取られたことをいじめと認めて欲しい」


抗議で市教委の電話はパンクした。

そうした状況における岡田教育長の発言は、大きな波紋を呼んでいる。

「おごりと言えばいじめじゃないのか」「市教委は子どもを守れるのか」などとの批判が相次ぎ、署名サイト「Change.org」で、抗議の署名活動も始まった。

市教委の担当部署には抗議が殺到したのか、この日は電話が一日中つながらない状態が続いた。また、午前に開かれた市教委臨時会に合わせ、建物の外で「じゃあいじめって何ですか?」と掲げた看板を持つ人の姿もみられた。

臨時会には定員の20人を超えた傍聴人が集まり抽選となった(記者クラブに加盟していないBuzzFeed Newsも参加)が、公開部分の会議では問題に触れる発言はなく、参加者から「市民の怒りがわかってないのでは」などという声もあがっていた。


生徒側は「即時撤回を」と抗議した。

1月23日には、生徒側の弁護士が市教委に「被害児童を無用に苦しめる発言については、即時撤回されたい」などと申し入れをした。弁護士は報道陣に、両親や男子生徒が「大きく衝撃を受け、動揺して悲しんでいる」と説明した。

文書では、岡田教育長の発言について「金銭授受について、あたかもいじめとは無関係であるかのような内容となっている」と指摘。

第三者委員会の報告にある「いじめの要因があったという内容には全く言及されていない」としつつ、その内容を「大幅に後退させるものである」と批判した。

また、「関わったとされる児童」の「おごってもらった」という発言に依拠している点についても、「いじめられた児童生徒の立場に立つことを必要」としたいじめ防止対策推進法の趣旨に反しているとして、発言の即時撤回を求めた。

申し入れ後、市教委側の担当者が報道陣に「教育長の発言は言葉足らずだった。当時はいじめと認定できたかというと難しいという趣旨だった」との見解を発表。BuzzFeed Newsも会見に同席した。

この見解は奇妙だ。常任委員会でのやり取りは、当時のことを話す内容ではなかったからだ。当然、受け取った記者クラブ側からは「後付けの内容だ」「本当にこの見解で良いのか」と批判の声が上がった。

市教委側は批判の声に対し、持ち帰って検討すると、改めて見解を出し直す可能性を示唆した。だが、本当に出しなおすかどうかを含めて決まっていない。このことからも、猛烈な批判を受けた教育委員会の迷走が見て取れる。

BuzzFeed Newsは新たなコメントを入手次第、追記します。


更新

市教委事務局は1月23日夜、「改めて確認」したうえで、岡田教育長のコメントを発表した。

発言は、第三者委の報告書を尊重し、「金品の授受がいじめだと認定することはなかなか判断できないという趣旨」であり、「丁寧にお伝えできず申し訳ありません」としている。

全文は以下の通り。

常任委員会において、金品のやりとりについて、専門委員会が「いじめ」と認定することが難しいと言っていても、教育委員会として総体として「いじめ」があったと認めることは可能ではないかといった趣旨の質問をいくつかいただきました。

これらの質問に対して、教育委員会としては、法律に基づく専門委員会からの答申は尊重すべきであると考えており、専門委員会の結論をみても金品の授受のところにつきましては、それだけで「いじめ」と認定するということは、なかなか判断できないという趣旨でお答えしました。

専門委員会の調査報告書でも、「おごり・おごられ行為そのものについては、『いじめ』と認定することができないが、当該児童のおごりの要因に『いじめ』が存在していたことは認められる」と記載されていることは受け止めています。

丁寧に趣旨をお伝えできず、申し訳ありませんでしたが、現在、再発防止検討委員会で課題や防止策について議論を重ねておりますので、ご理解いただきますようお願いいたします。



 一方は、
「生徒がおごった総額は8万円しか確認できていない、その上これは『おごりおごられ』の関係であって、それ自体はいじめとは言えない(被害少年が内面で恐怖から金を出していたとしても)。確認された事実として言えるのはそれだけだ」
 と言い、他方は、
「事件は明らかじゃないか、誰が好んで150万円も払うものか。いじめがあったから、暴力が怖かったから払ったとしか考えられない、それをなぜ市教委は認められないんだ」
 と言っている、そういう話である。

 不謹慎だが従軍慰安婦問題で、日本政府が「軍による強制連行という事実を示す証拠はない」と言い、韓国民衆が、「事実は明らかじゃないか、元慰安婦が証言してるだろ、誰が好んで慰安婦になるものか。なぜ日本政府は認めて謝罪しようとしないんだ」と叫んでいるのとよく似ているような気がする。
 記事中の、「『市民の怒りがわかってないのでは』などという声もあがっていた」や「被害児童を無用に苦しめる発言については、即時撤回されたい」も同じだ。
 いずれにしろ絶対にかみ合って行かない。

 しかも報道陣や市民は正義を実現するために「いじめと認めろ」と叫んでいるのに対し、市教委の方はそれを認めてしまうと150万円の損害補償に話が進んでしまうのではないかと恐れている、市民の税金をそんなに簡単に拠出してもいいものかと迷っている、そんな膠着状態だ。ここでも全くかみ合ってこない。


 これはすべて「いじめ」というあいまいな言葉を間において話すから難しくなるのであって、少なくとも
「プロレスごっこ」と称して数人の児童から叩かれるようになった2014年の事件と150万円の件については、暴力・恐喝事件として警察に訴えるべきではないか。
 そのことは「いじめ防止対策推進法」の趣旨とも一致するのであって第23条6には、
学校は、いじめが犯罪行為として取り扱われるべきものであると認めるときは所轄警察署と連携してこれに対処するものとし、当該学校に在籍する児童等の生命、身体又は財産に重大な被害が生じるおそれがあるときは直ちに所轄警察署に通報し、適切に、援助を求めなければならない。
とある。援助を求めていいのではなく、「求めなければならない」のだ。
 学校はなぜそうしないのか、被害児童の保護者もなぜそれを求めないのか。
 
 そう思って改めて見てみるとこの事件は謎だらけだ。
 被害者児童は小学校2年生で福島から転校してきた、
 
直後から、名前に「菌」をつけられるなどのいやがらせを受け、不登校に。小学5年生になった2014年には、「プロレスごっこ」と称して数人の児童から叩かれるようになった。
 2年生で不登校になった児童はいつから学校に出られるようになったのか、2年生の「菌」あつかいから「プロレスごっこ」で叩かれるようになるまでの3年間はどんな様子だったのか。

 Aは他の児童に対し、友好感が生じることができたので、
 ということは被害者Aといじめた側には友好的な関係を持っていた時期があったということか。

 
おごりおごられ行為
 という言葉からはAもまた「おごられる」場合があったように思えるがそれでいいのか。どのくらいの金額をおごられていたのか。
 
「賠償金あるだろ」と言われ、ゲームセンターなどで150万円支払わされた。
 150万円も引き出されて、親はなぜそれが分からなかったのか。

 1回につき5万〜10万円

 おごりおごられグループが何人かは分からないが、小学生が
1回につき5万〜10万円も使っている状況で、なぜ周囲は気づかなかったのか。
 ゲームセンターの従業員やレストランの会計係、タクシー(を使ったとして)の運転手は、だれも不審に思わなかったのだろうか。
 私は6〜7人の仲間と飲みに出ることがあるが、大人である私たちでも1店で3万円を越えることはない。小学生が1日に10万円使うという使い方が想像できないのだ。
 
 
そうした疑問を解決するのは本来警察に向いた仕事なのだ。捜査権のない学校や教育委員会に任せても埒が明かない。
 
 金を奪い取る行為はいじめではなく恐喝、ひとを殴ったりけったりするのもいじめではなく暴行、として処理することが望ましい――ずいぶん昔からそういってきたが、なぜひとは「いじめ」にこだわって問題を難しくしてしまうのだろう。
 

 *ちなみに、弁護士は、
「関わったとされる児童」の「おごってもらった」という発言に依拠している点についても、「いじめられた児童生徒の立場に立つことを必要」としたいじめ防止対策推進法の趣旨に反しているとして、発言の即時撤回を求めたそうだが、「いじめ防止対策推進法」にはそんな文言はない。利害関係について“最初から一方の立場に立て”というのは法律には向かないのだ。

「いじめられた児童生徒の立場に立つことを必要」は平成18年の文科省『児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査』の中にある、
『個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない』
 個々の行為がいじめであるかどうかの判断は、いじめられた側に立って考えろという極めて一方的な内容である。

 私はこの文を見るたびに、かつて大阪府知事をやっていた横山ノックという芸人が、セクハラ疑惑で新聞記者に囲まれた際に叫んだ言葉を思い出す。
「オマエら、大阪府知事をいじめて何が楽しいんじゃ!」
 いじめられた側の立場に立って考えるというのはこういうことである。







2017.01.26

男性保育士の女児着替えで大論争
「やっぱり抵抗が...」女性芸能人ら続々


J-CASTニュース 1月26日]


男性保育士に女児の着替えはさせないで――こうした保護者の訴えは男性差別なのか、それとも耳を傾けるべき問題提起なのか。ネットで盛り上がりを見せる議論が、芸能人・著名人らを巻き込む大論争に発展している。

このほど千葉市長がツイッターで触れたことを機にネットで関心を集め、J-CASTニュースも関連する記事を配信。その後、複数のテレビ局も同テーマを取り上げるなど関心が高まっている。

男性保育士は「いた方がいい」。しかし...

きっかけとなったのは、千葉市の熊谷俊人市長のツイッター。2017年1月19日、男性保育士活躍推進プランの策定を報告する中で、「女児の保護者の『うちの子を着替えさせないで』要望が通ってきた等の課題が背景にあります」と事例を報告した。その後の追加ツイートを含め、賛否の議論を巻き起こした。

J-CASTニュースでは、こうした経緯やネット上の賛否の声に加え、男性保育士らの関係団体メンバーの意見なども紹介しながら、「男性保育士に『女児の着替えさせないで!』 保護者の主張は『男性差別』か」を1月24日朝、配信した。

24日夜には、TOKYO MXテレビの「オトナの夜のワイドショー! バラいろダンディ」が、ニュースをランキング形式で紹介する「今夜は寝れ9(ナイン)」の3位で、同上J-CASTニュース記事を取り上げた。

男の子を持つ母親でもある、コメンテーターの作家・タレント、立花胡桃さん(35)は、子供の男女に関わらず性的関心の対象になる場合があるとして、保育士が男性だと「心配なワケですよ」と吐露した。しかし、男性保育士でなければできない遊びや仕事もあるとして、男性保育士は「いた方がいい」とも断言。ただし、オムツ替えなどの際には、男性保育士が1人で行うのではなく、女性保育士と2人組で業務に当たることを提案した。

別のコメンテーター、経済評論家・著述家の勝間和代さん(48)は、痴漢被害にあう女性が少なくない現状を指摘し、「女性じゃないと分からない。それ(痴漢被害の現状)を知ってるから嫌なんですよ」と、男性保育士による着替えなどに拒否感をもつ女性に理解を示した。

一方、アシスタントの阿部哲子アナ(フリー)は、「みんながみんな、そういう性癖がある訳ではなく、いい男性保育士もたくさんいるので...」とフォロー。すると勝間さんは、勿論そうなのだが、と受け止めつつ、通勤電車での「女性専用車」を例に挙げ、すべての男性が痴漢だと思っているわけではないが、「あった方がいい」と自論を展開。男性保育士の件でも、何だかの対応策があった方が良いとの考えをにじませた。


「恥じらいが出てくる年齢になると...」

また、1月25日には、朝のワイドショー「スッキリ!!」(日本テレビ系)も同テーマを扱った。熊谷市長ツイッターを紹介しつつ、男性保育士や保護者らの生の声も伝えた。

6歳の長女ら2児の母であるタレントの大沢あかねさん(31)は、意見を求められ、

「正直言うと、4歳、5歳、6歳くらいの恥じらいが出てくる年齢になると、全く気にならないっていうことはないです」

とし、幼児への性犯罪のニュースを見たりすると、「過敏になってしまう」とも述べた。

一生懸命頑張っている男性保育士が「たくさんいることを信じて」いるともしたうえで、「女親の場合、すごく気になる部分が多い」と、抵抗感を示す声へ賛意を示した。ただ、赤ちゃんの頃のオムツ替えは許容できるとし、子供自身が恥ずかしいと感じる年齢になり、実際にそう感じるようであれば、「(男性保育士による)着替えはやるべきではないと思う」と、問題を限定的に論じた。

一方、MCの加藤浩次さんは、保育園・保育士と保護者との信頼関係の大切さを強調し、「着替えもオムツもOK」と述べた。

賛否が分かれているこの問題。J-CASTニュースの24日記事の下で、「男性保育士が女児の着替えやオムツの世話をすることについて、どう思いますか?」とのワンクリック・アンケート(4択)を実施したところ、翌25日17時時点で、8400票以上が集まった。最多の選択は「全く問題ないと思う」で約72%だった。以下、「少し抵抗を感じてしまう」(約19%)、「絶対に嫌だ。女性だけが担当すべき」(約7%)、「その他、分からない」(約2%)が続いた。


 ことの発端は男性保育士の職場環境をよくすることで、少しでも保育士不足を解消しようと「男性保育士活躍推進プラン」提案した千葉市長が、ツイッター上で
「(プラン策定について)女児の保護者の『うちの子を着替えさせないで』要望が通ってきた等の課題が背景にあります。女性なら社会問題になる事案です」とつぶやいたことに始まる。これに対同じツイッター上で“男性保育士を警戒するのは仕方がない”とか“性犯罪の加害者の九割が男性って事を考えたら、充分考慮する理由になると思う”とかいった反発の声が上がって論争になっている、そういう話だ。
 
 これについてJ-CASTニュースのワンクリック・アンケートでは、
 最多の選択は「全く問題ないと思う」で約72%だった。以下、「少し抵抗を感じてしまう」(約19%)、「絶対に嫌だ。女性だけが担当すべき」(約7%)、「その他、分からない」(約2%)が続いた。
 ということだが、これは極めて健全な反応かと思う。
 

【ノー・リスクで子どもを育てることはできない】
 当たり前の話だがノー・リスクで子どもを育てることはできない。

 一歩外に出れば世の中にはとんでもない種類の雑菌・ウィルスが飛び交ってて感染のリスクは無菌室の比ではない(あたりまえか?)。
 どんなに交通事故に気をつけていたって向こうから飛び込まれたら終わりだ。
 道路を歩けばビルの上階層から看板や壁の一部が落ちて来る可能性もある。幼稚園に行けばいじめられる危険性もある。
 街にも公園にも性的異常者がいるかもしれず、秋葉原事件のような通り魔事件もいつ起きるとも知れない。
 すべてのリスクを回避しようとしたら「千と千尋の神隠し」に出てきた湯婆々のように子ども(坊)を家に閉じ込めておくしかない。ところが日本で一番子どもを殺しているのは親や親の同居人なのだ。男親や兄弟による性暴力を考えると家庭内こそ危険ということになりかねない。

 あなたが母親で、たまの日曜日、夫に子どもを預けて颯爽と出かけるとき、家を空けている1〜2時間の間に自宅の中で怖ろしいことが起きているかもしれないと考えたことはないか?
 あなたが父親で、会社勤めをしている間、妻が子どもを蹴ったり殴ったりしていると考えることはないか?
 ――ない。
 
 もちろんそれでいい。子に及ぶかもしれないすべての可能性を苦にしていたら、子育てなんかできなくなる。
 男性保育士による性犯罪もそのレベルのことだ。絶対にないとは言えない、しかし
「オムツ替えなどの際には、男性保育士が1人で行うのではなく、女性保育士と2人組で業務に当たる」みたいな侮蔑的なルールで男性保育士のモチベーションを引き下げるほどの意味のあることではないはずだ。
 

【私の感じ方は間違っているだろうか?】
 ところで、この問題について非常に解せないことがある。老人の繰り言だろうか?
 「正直言うと、4歳、5歳、6歳くらいの恥じらいが出てくる年齢になると、全く気にならないっていうことはないです」
 私たちのような古い人間の感覚では
 4歳、5歳、6歳くらいの恥じらいが出てくる年齢になってまだオムツをしているとしたら、その方がよほど問題ではないか?
 私の子どもたちは3歳になる前には外れていた。

「いやここで言うのは赤ん坊のようなものではなく、パンツ型の紙オムツだ」ということかもしれない。しかしそれならなおさら自分で着替えられるようにしておかなければならない。
 ウチの子は二人とも4歳になる前に自分でパンツを脱いで用を足し、自分でパンツやズボンをはいて戻ってくることができた。
 自慢ではない、普通はみんなできたのだ。
 
今の子はその程度のしつけもしてもらっていないのだろうか?

 
* 冒頭でJ-CASTニュースが言及している1月24日の記事は次の通りである。
  『男性保育士に「女児の着替えさせないで!」 保護者の主張は「男性差別」か』