キース・アウト
(キースの逸脱)

2017年 4月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2017.04.09

「ただの昼食ではない!」外国人記者が驚く日本の給食制度

[BUSINESS INSIDER JAPAN 4月 8日]


日本の学校給食は、ただの昼食ではなく、子どもの教育に欠かせない、「食事と栄養の教育」の役割も担っている。 幼いころから「食育」を始めることで、子供たちは体に入れたもの(食べ物)が1日の思考や体調において非常に重要だということを学ぶ。そして、長期的にはそれが人生にも影響するということも。 学校給食は重要なのだ。

家庭が2.5ドル(約280円)の食費を負担できない場合、給食費を減免する制度や、食品ロスを減らすための取り組みも行っている。

「日本では、学校給食は教育の一環であり、休息の時間ではありません」と、2013年、文部科学省スポーツ・青少年局学校健康教育課課長の大路正浩氏はワシントン・ポストに語った。

こちらが給食時間の様子だ。
日本の小学校の給食時間はどこか「神聖」だ。落ち着いて食べられる十分な時間が与えられる。

支え合いの文化を築くために子どもたちが自ら配膳。多くの学校では、清掃員はいない。子どもたち自身で後片付けや清掃を学ぶのだ。

今日のような学校給食は1970年代まではなかった。

給食には大体、主菜になるおかずとご飯、スープが付く。この日のメニューは味噌汁、小魚、牛乳、ご飯、豚肉と野菜の炒め物。

麻婆豆腐のメニューもある。

秋田県の笹子小学校のこの日の給食はチキンの主菜、ご飯、わかめの味噌汁、サラダ、牛乳、みかん。

カレーライスが出る日もある。多くの学校では、少なくとも週に1回、韓国料理やイタリア料理がメニューに加わる。

ある中学校の給食。豚肉と卵の炒め物、レモンヨーグルト、豆腐とわかめのスープ、牛乳を提供。

結果として、生徒は満足するだけでなく、責任感や健康的な食生活を学ぶ。日本の平均寿命は世界で最も長く、肥満の割合は世界平均を大きく下回っている。

おいしい食事の後のお昼寝は欠かせない。

source:ワシントン・ポスト

[原文:Japan's mouthwatering school lunch program is a model for the rest of the world]

(翻訳:梅本了平)




 日本の(特に初等)教育は世界から絶賛され垂涎の的だ。
 ただし唯一評価しない国もあって、どことは言わないが「東アジアにあってドラゴンのような形をした国」と言えば大方が分かってくれるだろう。かつて「教育再生会議」というのがあって、この国の教育は一度死んだことになっている。それが息を吹き返したかどうかは知らないが、世界が憧れ、世界が目標とするこの国の初等教育は、今、政府自身によって再びいじり殺されそうになっているのだ。

 例えば、2月に発表された「小学校学習指導要領案」では基本的にこれまでの学習内容を据え置いたまま、3・4年生で週1時間、5・6年生で週2時間の外国語(英語)の学習が義務付けらようとしている

 しかしもちろん、すでに何年も前から授業はすし詰め状態だから新しい教科の入る余地はない。そこで編み出されたのが、「小学校学習指導要領案」の《総則3―(2)―ウ―(イ)》にある、
(イ)各教科の特質に応じ、10分から15分程度の短い時間を活用して特定の教科等の指導を行う場合において、(中略)その時間を当該教科等の年間授業数に含めることができること。
 という方法である。
 簡単に言えば
1日15分の授業を三日行う(あるいは1日9分の授業を一週間毎日行う)ことで、1授業時間(45分)を行ったとカウントしてよいという意味だ。
 
 しかしその1日15分とか9分とか――すでにこちらもぎゅうぎゅう詰めの日課の中で、どうやって取っていくのか。
 
 ご丁寧にもそのヒントが続く総則3―(2)―ウ―(ウ)にさりげなく書いてある。
(ウ)給食、休憩などの時間については、各学校において工夫を加え、適切に定めること。
 そこを削れということだ。
 
 小学校における“休憩”時間は“遊び”の時間である。そして
学校における“遊び”は道徳の実践研究の時間である。“遊び”の中で子どもたちは社会性を身に着け道徳性を磨く――それを減らしていいというのだ、英語やコンピュータのプログラミング学習のために。
 
 食育をあれほど叫びながら、給食の時間も減らして構わないと示唆する。


 
日本の小学校の給食時間はどこか「神聖」だ。落ち着いて食べられる十分な時間が与えられる。
 ワシントン・ポストが敬意をこめて書いた一行はこうして簡単に破棄され、まもなく過去形で語られるべきものになってしまう。
 






2017.04.30

教員悲鳴「休みがない」
中学の6割「過労死ライン」超


[朝日デジタル 4月29日]


 教員の長時間勤務の悪化ぶりが、文部科学省の調査で明らかになった。28日に公表された勤務実態調査では10年前から労働時間がさらに増え、小学校教諭の約3割、中学校教諭の約6割が「過労死ライン」に達していた。文科省は「看過できない事態」と言うものの、改善に向けた道筋は見えない。その間も、現場からは悲鳴が上がる。

公立小中の教員、平均11時間超勤務 30〜40分増

 神奈川県内の小学校の男性教諭(36)の出勤は毎朝7時半ごろ。陸上クラブの朝練習の指導に始まり、授業や職員会議、行事の準備、事務作業――。息つく間もなく仕事が続き、帰りは午後9時ごろだ。忙しい時は午後11時になることもある。「今の働き方を定年まで続けるのは厳しい。社会の変化に対応するために仕事が増えるのは仕方ないが、教員の数はそう増えておらず、負担が重くなっている」とため息をつく。

 どんな仕事が増えたか。学力、安全対策などの調査への回答▽授業増加に備えた研修▽トラブル対応のための会議――など様々だ。「かつて子どもや保護者が自ら解決できていたトラブルに、学校が介入を求められている」と感じる。

「脱ゆとり」を目指した2008年の学習指導要領改訂で授業時間は増加。最近は、グループ活動や討論を取り入れた学習方法の導入も求められ、入念な準備が必要だ。

 今回の調査では、公立小中学校の教諭の勤務時間が10年前と比べ1日あたり30〜40分増え、11時間以上働いている実態が明らかになった。労災認定基準で使われる時間外労働の「過労死ライン」は1カ月100時間または2〜6カ月の月平均80時間。教諭に当てはめると、小学校の17%と中学校の41%が100時間、小学校の34%と中学校の58%が80時間の基準以上だ。

 中学校では土日の部活動の指導時間が1日当たり130分で、10年前から倍増した。「部活があって今月は土曜日と日曜日に休みがなかった」。神奈川県の公立中学校でバレーボール部の顧問をする教諭の男性(36)は打ち明ける。平日は2年生の担任と顧問の二役。土日は練習試合や公式戦があり、半日か丸一日、働くことも多い。「教師になって13年目。こんな生活がずっと続いている」と話す。

 仕事の見直しを進める現場もある。静岡県富士市の富士見台小学校は4月から水曜日の午後の授業を1コマ削った。その分、朝に15分の基礎学習の時間が週に3〜4回あり、教員の勤務時間が単純に減るわけではない。それでも、「教材研究や子どもの提出物をじっくり確認するまとまった時間を確保したかった」と内田新吾校長は語る。

 校内の花壇や庭木、畑の手入れも約70人の住民ボランティアに手伝ってもらい、教員の負担軽減を図っている。内田校長は「最も大事なのは子どもと過ごす時間を確保し、充実させること。学校行事も、前例踏襲を当たり前とせずに見直していく」と話す。(前田育穂、土居新平)


■授業時間増える

 「看過できない深刻な事態が、客観的なエビデンス(証拠)として裏付けられた」

 松野博一文科相は調査結果を受けてこのように語り、長時間労働の改善策を中央教育審議会で検討してもらう考えを述べた。

 文科省はこれまでも教職員定数の確保を求めてきたが、そのたびに財務省や経済財政諮問会議から「科学的根拠」を要求されてきた。10年ぶりの調査に踏み切ったのは、反論の材料を得る意味があった。

 しかし、この間にも学校現場の負担は強まっている。06年度の調査と比べて勤務時間が増えた大きな理由は、授業時間の増加。「学力向上」をうたって文科省が進めた学習指導要領の改訂が直接影響した形だ。学校では発達障害などのため、丁寧な対応が必要な子どもや、日本語指導が必要な子どもも増えている。ある文科省幹部は勤務時間の増加について「予想以上のひどさだった」と打ち明けた。

 疲弊する現場を手当てするため、文科省は@教職員の確保A仕事内容の見直し――の両方を進めたい方針だ。調査では学校でのICT(情報通信技術)の活用状況や教員のストレスについても尋ねており、今年度中に公表する。ただ、今回得た「エビデンス」を元に財務当局を説得し、抜本的な改善が実現できるかは、まだ未知数だ。(根岸拓朗)

     ◇

 〈勤務実態調査の手法〉 昨年10〜11月の連続する7日間の勤務状況について校長、副校長、教諭、講師らフルタイムで働く教員に調査票に記入してもらう形式で実施。全国から抽出した公立小中各400校のうち、小学校は397校の8951人、中学校は399校の1万687人が回答した。文部科学省による同様の調査は40年ぶりの実施だった06年度以来、10年ぶり。



【社会は理解しようとしない】
 大手広告代理店「電通」で東大卒の美人社員が過労自殺すると大きなニュースになるが、地方の教育大学出身の、パッとしないにいちゃん先生が自殺しても大した記事にはならない(中学教諭自殺 公務災害認定 残業月160時間超「過重」)。
「精神疾患での休職5000人超」といった新聞記事ももはや年中行事で、ほとんど誰の耳目も引かない。

 ネットを開けば、
「能力がないから時間ばかりがかかる」
「好きでやってるわけでしょ?」
「イヤなら辞めりゃあいいじゃん」
「子ども相手の楽な仕事で、神経、弱すぎ」
「学校を出て学校へ。社会を知らない甘ちゃんの戯言」
と散々な扱い。

 しかし教員の過重労働は、労働問題以上に教育問題なのだ。そうしたヘロヘロの、あるいは目を血走らせて精神崩壊直前の教師に、子どもたちは教えられているのだから。
 そのことを恐れなければならない。
 いまだになくならない体罰やわいせつを中心とする非違行為の背景に、こうした多忙からくる精神崩壊があると私は信じている。

 端的に言えば、
 
ある者は自殺し、別のある者は精神疾患に追い込まれる。そして別のある者は体罰や非違行為に走る
 のだ。
 
【仕事内容は見直してもムダ】
 疲弊する現場を手当てするため、文科省は@教職員の確保A仕事内容の見直し――の両方を進めたい方針だ。
と、そういう話は以前から出ていた。
 その結果打ち出されるのはいつも「行事の精選」「部活の縮小」「ボランティアの活用」の三種の神器である。ところがこれがうまく行かない。
 
 当然だ。
 行事や部活には多大な価値がある、それを通して子どもたちは飛躍的に成長する――その姿を見ているからこそ現場教師たちは手を抜かない。
 道徳を教科化し、教科書をつくった上で児童生徒を評価するシステムをつくれば道徳性は高まる、そんな机上の空論を振り回す政府とは異なり、教師たちはとにかく子どもを動かさなければ伸びないと考える。ともに活動する中でさまざまな問題が生まれ、課題を克服することによってのみ子どもたちの人間関係調整能力=道徳性は高まると信じて疑わない。だから行事や部活は減らないのだ。教委などの指導によっていったんは縮小したと見えても、いつの間にか復活している。
 
 それではその価値ある仕事を教員以外の者に任せよう、というのが「ボランティアの活用」案。しかしこれも机上の空論と言うしかない。
 
 いったい部活顧問というのは朝7時から8時まで、午後は4時半から6時半くらいまで、毎日、そして休日は3〜4時間を生徒のために費やせる人たちだ。しかも特定のスポーツや芸術の指導技術を有さなければならない。
 そんな人材を、例えば学校に八つの部活があるとしてその顧問8人を、揃えられる地区が日本国内にいくつあるのか――、政府文科省あるいはマスメディアは考えたことがあるか。
 
 私の住む田舎では結局、そのボランティアも教員に頼むしかなく、顧問は退勤の5時までは学校職員として、それ以降はボランティアとして部活を見るようになる。
 かくして書類上教員の部活指導時間は大幅減となり、時間外労働も(休日も含めて)ゼロになる。
 一方、ボランティアとしての活動は(ボランティアだから)校長の手も届かなくなり、ほとんど野放し、無政府状態、つまり指導時間は無制限に伸ばせるようになるのだ。
 これで教師がよく死なないものだ。
 
 
【結局、解決策は人を増やすこと】
 結局、解決策としては人を増やすこと、それも大量に増やす以外考えられない。
 財務省は「予算をつけて講師を増やしたが学力向上や不登校解消には結び付かなかった」と消極的だが、家一軒燃えている火事に消火器数本を増やしても火は消えない、必要なのは消防車なのだ。
 善処を望む。
 
 それにしてもこうした調査、10年ぶりというのも困ったものだ。