キース・アウト (キースの逸脱) 2017年 6月 |
by キース・T・沢木
サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。 政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。 落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。 ニュースは商品である。 どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。 ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。 かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。 甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの、本物そっくりのまがい物のダイヤ。 人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄 。 そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。 |
村教委によると、教諭は授業中の教室で生徒のほおを平手でたたき、足を蹴る体罰を加えた。教諭は理由について「生徒が授業に集中できておらず、カッとなった」と話したという。さらに、学校側が生徒の母親に経緯を説明している途中にいきなり激高。目の前の机を蹴飛ばして手を振り回した結果、机や手が母親に当たり、打撲のけがを負わせたという。村教委は、生徒の学年や性別などを明らかにしていない。 このニュースを読んで人は何を思うのだろう。 またバカをやった教師がいる、センコーなんてこんなもんだろう、教師の質も落ちたものだと、そんなところだろうか。 私が考えるのは以下の二つである。 @ あと10か月がなぜ我慢できなかったのか。 A この歳まで、この人は何をやってきたのだろう。 60歳である。管理職を目指さなかったのかそもそも道が開けなかったのか、いずれにしろ最前線の教師として厳しい中学校の現場で40年近くもやってきた。そしてあと10ヵ月で定年退職なのだ。 それが処分となれば当然退職金は減額される。万が一懲戒免職だったら一銭も入ってこなくなる。その上に年金まで削られるのだ。 授業に集中していなくたってどうせ他人のお子様じゃないか。まるっきり寝ていて何も頭の中に入らなかったとしても、それは自己責任だ。 もちろん普通の教師なら「自己責任だ」などと言って放置したりしないが、殴って老後を台無しにするほどのこともあるまい。「まあ、まあ、まあ」とか言っているうちに10ヵ月なんてあっという間に過ぎてしまう。 それがなぜ我慢できなかったのか、それが第一の感想である。 第二はやはりこれも”60歳”だということ。これまで40年近い教員生活の中で、この人は一度も体罰等で処分されなかったのかという点である。 何回も処分されたりされそこなったりしながら、エッチラ、オッチラ、ようやく60歳までたどり着いたということなのだろうか、それともこの歳まで、全く何もなかったというのだろうか。 いくら甘い社会とは言え、母親との面談の最中に「いきなり激高。目の前の机を蹴飛ばして手を振り回した結果、机や手が母親に当たり、打撲のけがを負わせた」などというコントロールのまったく効かない性格で、40年もやってこられるほどには甘くないはずだ。 そうなると考えられるのは、ここにきて急速に激高しやすい人間に変わってきたという可能性である。あるいは人格自体が変わってしまったのかも知れない。 いずれにしろ、この記事だけでは分からないことだ。 ところがこちらの記事はどうだろうか。
ここまでくるともう人格崩壊と言うしかないだろう。 56歳。 日頃から、「先生とキスできるんか」「先生とエッチできるんか」「裸にするわ」といった発言や、顔を平手打ちするなどの体罰を繰り返していた ということだが、それが30年以上に渡ってということだったら大阪府は異常だ。非違行為に対するチェックがまるで機能していない、生徒も保護者も寛容すぎる。 しかしそうではなく、ここ数年、あるいは今年になってから、ということならこれは別に考えなくてはならない。定年も間際になって人格崩壊を起こしているということなら、事は深刻だ。 私は「50歳前後、あるいはそれ以上の年齢の男性教諭によるわいせつ事案」といったテーマで一通り調査してみる必要があると思う。 その上で、何もない普通のベテラン教師の非違行為だったとしたら、私はどんな社会もどんな人間も、信じることができなくなるに違いない。
臨時的教員が10%超の県もあり、文科省は教育委員会から聞き取るなどして処遇改善を働きかける方針だ。 文科省のまとめによると、全国の公立小中学校で働く臨時的教員は、正規教員が出産育児などで休職する際に雇う代用教員らを除いて4万1030人(2016年度)。子どもの数や学級数から算出される教員の定数58万1357人(16年度)の約7%を占めていた。割合が最も高かったのは沖縄県の15・5%で、最も低いのは東京都の1・4%。 衝撃的な記事だ。 これほどだとは私もまったく想像していなかった。 日本の教育は終わってしまうかもしれない・・・。 もちろん教員定数の7%が講師ということ自体は大した問題でない。それどころかこの部分に限って言えばなぜこれがニュースになるのかわからないほどだ。 文科省が調査し対応すると言っているのだから結果をみてから改めて発言してもいいようなものだが7%というのはごく常識的な数字だと私は思う。 まずそこから、話して行こう。 【教員定数とは何か】 教員定数とはなにか。 それは記事にある通り子どもの数や学級数から算出される各校の教員の割り当てで、その数に従って教員は採用され配置される。それは様々な規定や条件によって割り出される定数で、単純に子どもの数が2倍になったからといって教員の数も2倍となるわけではない。 例えば現在の法律では一クラスの児童生徒数は40人まで(小学校1年生は35人)となっているので、ある小さな学校の20人の学級が突然2倍の40人になっても学級数は増えない。担任も1人である。 ところがここに1人の転入生があって40人を越えてしまうと、その瞬間に20人と21人の2学級にせざるを得ず、担任教師も2人になる。だから、 「児童生徒数が2倍になっても教員数は2倍にならないが、一人増えても2倍になる」 そういう摩訶不思議な話になるのだ。 もちろんこれは数字と文章のマジックで解き明かされればなんということもないが、さらに不思議なのは、この法律がほとんど弾力性なく厳格に適用されることである。 【教員定数というおかしな岩盤】 たとえばそれが、 荒れた学校であろうと平和であろうと、 大きなイベント(文部省指定研究など)があろうとなかろうと、 はたまた仕事があろうがなかろうと(ないということはないと思うが)、 全国・都道府県・市町村・各学校、全く同じように配置されるということだ。 総合的な学習の時間が新設されても、 地域とのつながりが強調されて対外的な仕事が増えても、 小学校英語が新たに始められても キャリア教育の膨大な仕事が増加しても、 それで人数が増えるということはない。 不登校が増えた、 校内暴力が増加した、 学力が低下した、 運動能力が低下した等々、 いくら問題が発生しても、児童生徒数が増えないと教員は増えない。 もちろん非正規の臨時的講師はその定数の内数だから、担任や部活を免除という訳にはいかない。それが担任や部活動の指導など正規の教員とほぼ同じ仕事をする理由だ。 さらにすごいのは「各校に図書館司書を配置します」と言っても「特別支援コーディネーターを置く」と言っても人数が増えるわけではない。教員定数は絶対だから現有の職員にその資格を取らせ、それで「配置した」ことにするからである。 残業手当がないこともあって仕事は無限に増えるのに教員は全く増えない――他の社会ではあり得ないことが学校では常態化しているのだ。これでは過労死基準を突破する教員が増えるのも当然と言えるだろう。 【講師に辞めてもらう】 横道にそれたが、こうして子どもの数や学級数から算出される教員定数は、このさき少子化の影響を受けて変わっていくのだろうか? もちろんそうである。法律が変わらない限り児童生徒数の減少に伴って教員定数も減っていく。問題はそれをどうやって減らすかである。 一番簡単なのは「来年から学級数が減るからキミと、キミと、キミはクビね」 と辞めてもらうやり方である。 しかしそれは難しいだろう。 校長の仕事の大半は“肩叩き”になってしまうし、職員同士も自分が追い出されないために授業そっちのけで他に自主退職者を生み出す努力をしなければならなくなる。 企業の業績が悪くなって希望退職を募るのとは違う。教員定数が減るなどということは何年も前から分かっていることなのだ。それを承知で正規をバンバンと雇い、時期が来たらガンガン切り捨てるというのでは組合もマスコミも黙っていないだろう。とんでもなく面倒な問題が起こる。 それは辛い。 臨時的教員が、全国で4万人はそのための安全弁なのだ。 教員はこれからも毎年その数を減らしていかなければならない(誰かに辞めてもらわなくてはならない)。だとしたら、最初から一定数を講師として採用しておき、必要に応じて翌年更新しなければいいのだ。そうすれば教員は確実に減らすことができるし、最後のひとりまで微調整できる。(*) *例えば3月31日に突然転入生があってクラスを一つ増やさなくてはならなくなったら講師をひとり雇えばいい。逆に転出生があってそれまで20人と21人の二クラスで計画していたのを一クラスにしなければならなくなる、その場合は(予め言い含めておいた)講師に断りの電話を入れるだけでいい。 これが正規職員だと簡単に雇ったりクビにしたりという訳にはいかない。 【都道府県ごとの格差】 ところでこの安全弁、各地方公共団体によってかなり状況が異なっている。 例えば、最も余裕のあるのが東京都だ。 @ 東京の場合、とりあえずあと数年は児童生徒の数が減らない。東京オリンピック前後まで緩やかに増加して、そこから減り始める。(右グラフ) とりあえずそれから考えてもいい。 (グラフは『日本の地域別将来推計人口(平成25年3月推計)』国立社会保障・人口問題研究所よりSuperTが作成) A また仮にその時期がきても慌てる必要はない。東京都の教員の大量退職はあと十年程度続くからである。退職者に対して新規採用を低く抑えれば、もしかしたら講師を採用しなくてもしのげるのかもしれない。 B さらに現在でも20代〜30代の早期退職者が1割を越えているのだから、これもあてにできる。 C もしかしたら現在の状況(好景気と人材不足)が続いた場合、東京都が心配しなければならないのは「誰を辞めさせるか」ではなく「どう教員を確保するか」かもしれない。 D もともと児童生徒の絶対数が多いので、何をするにも弾力性のあるのが東京である。 それに対して沖縄はそうはいかない。 @ まず、沖縄県の児童生徒数減少は前世紀の末からずっと続いて来たもので、教師は常に余り気味に推移している。また今後も続いて行く。(右グラフ) A 定年退職も順調に進んでいるが大量退職という訳ではない。 B 早期退職者というのも東京ほどにはアテにできない。 C 児童生徒は順調に減っているのに正規職員はバンバン辞めるわけではない。 つまり最初から大量の講師を雇っておき、順次その数を減らしていくしか方法がないのだ。 それが、 割合が最も高かったのは沖縄県の15・5%で、最も低いのは東京都の1・4%。 の理由である。 驚くにあたらない。 【驚くべきは】 驚くべきはそうした事情を文科省はまったく知らなかったということだ。 知らないだけでなく、 文科省は教育委員会から聞き取るなどして処遇改善を働きかける方針 だというから恐れ入る。それをマスメディアは調べようともしない。 そしてようやく最初の三行に戻る。 衝撃的な記事だ。 これほどだとは私もまったく想像していなかった。 日本の教育は終わってしまうかもしれない・・・。
臨時教員の任用は地方公務員法で最長1年までとされているが、県内では年度末に教育委員会がいったん解雇し、翌年度も臨時教員として再び任用しているケースが多い。しかし、雇用は不安定で、正規教員と比べ待遇の差が大きい。 文科省まとめでは、義務標準法に基づく16年度の全国公立小中学校の教員定数は58万1357人。うち臨時教員(正規教員の産休・育休時の代替は除く)は4万1030人(7・1%)を占めた。沖縄は教員定数8545人中、臨時教員が1325人(15・5%)で、全国水準の倍以上の割合だった。 割合で2番目に高いのは奈良県(12・4%)、3番目は三重県(12・3%)で、最も低い東京都は1・4%と都道府県での格差も浮かび上がった。 同様の調査で、沖縄は14年度(15・0%)、15年度(14・9%)も臨時教員の占める割合が全国一高かった。 県教委は「単年度雇用の臨時教員では継続的な教育が困難」として、ここ数年は正規教員数を年間100人程度増やし「全国並み」を目指している。ただ特別支援学級や少人数学級などで学級数が増加する中、必要教員数そのものが増え、臨時教員も増えているため「割合の改善が追いついていない」と説明し、「全国並み」実現はめどが立っていない。 沖教組の神里竜司書記長は「教科によっては臨時教員も確保できず他教科の臨時教員が配置されるなどの事態も起きている。採用枠の増加が必要だ」と訴えた。 昨日、東京と沖縄について調べて記事にし終え、それで済んだつもりでいた。ところが上記「琉球新報」の記事が出てすっかり混乱してしまった。 @ ただ特別支援学級や少人数学級などで学級数が増加する中、必要教員数そのものが増え、臨時教員も増えているため「割合の改善が追いついていない」と説明 A 教科によっては臨時教員も確保できず他教科の臨時教員が配置されるなどの事態も起きている。採用枠の増加が必要だ この二つの部分が全く理解できないのだ。 特別支援学級や少人数学級で学級数が増加したところで、それを凌駕する児童・生徒数の減少(=学級数の減少)によって教員定数そのものも減るはずである。 そこで調べ直してみると、驚いたことに 『日本の地域別将来推計人口(平成25年3月推計)』(国立社会保障・人口問題研究所)の予想はまったく外れていて、沖縄県の児童生徒数はここ数年、横ばいないしは増加しているのだ。(以下「H28 沖縄県 学校基本調査」による)
しかも学級数は琉球新報の記事にある通り、特別支援学級や少人数学級などで増加する。
それとともに教員定数もどんどん増加しているのだ。
ただし、 必要教員数そのものが増え、臨時教員も増えているための「必要教員数そのものが増え」は分かるが、「臨時教員も増えているため」が 分からない。 なぜ正規採用ではいけないのか? 教科によっては臨時教員も確保できずはさらに分からない。 そこで、もしかしたら沖縄県は教員免許所持者あるいは教員志望が極端に少ないのかと思って調べると、そんなことはない、H26年に小学校で採用試験の倍率は7.2倍、中学校の社会科など43.4倍の高倍率なのだ。(教員採用試験〜教採〜.info ) 競争倍率が3倍程度の教員採用試験はかつてありふれていた。そのことを考えれば、小学校で7.2倍もの競争率のある沖縄県なら今の2倍の割合で採用したって優秀な人材は集まる。それがなぜ確保できないのか。 おそらくそのヒントは記事の中の採用枠の増加が必要だにある。 ここからは単なる推測だが、必要数(教員定数)と採用枠の間に差がある――つまり必要な数の教員を採用する予算がないのだ。 だから正規教員を2人採るところを臨時的教員(講師)を3人採用する。10人必要なのに9人の予算しかないから正規7人、非正規3人で間に合わせる、それが非正規率全国1位の16%なのだ。 教員の給与は都道府県が出すのが原則だが、地方財政のひっ迫からその1/3を国がさすことになっている(義務教育費国庫負担制度)。 国(文科省)は既定に従ってその1/3を出している、それなのに沖縄県は出すべき予算を教員採用に回していない、そうなると昨日取り上げた読売新聞の記事にある通り、 文科省は教育委員会から聞き取るなどして処遇改善を働きかける方針だ ということになる。 教員定数に見合う予算措置のできない都道府県がある、そのことは考えていなかった。 驚くべきはそうした事情を文科省はまったく知らなかった などと言って申し訳なかった。 文科省には頭を下げておく(どうせ見ていないだろうけど)。 *義務教育費国庫負担制度は2005年まで、国と都道府県が1/2ずつ出すことになっていた。それが2006年度から国の拠出分が1/3になった。その時もっともあおりを食ったのが沖縄県だった。したがって教育予算に困難があるのはやむを得ない、という側面もある。(義務教育費国庫負担制度の見直しの影響) |