キース・アウト
(キースの逸脱)

2018年 5月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。

















2018.05.04

<中高の部活動指針>スポーツの現場困惑
私立校「一律には無理」


[河北新報 5月 4日]


 スポーツ庁がまとめた中学、高校の運動部活動の指針を巡り、東北の指導現場に戸惑いが広がっている。今月下旬には各県で高校総体が始まり、これから練習に熱が入る時期。私立校からは「一律の運用は無理。結局はうやむやにせざるを得ない」との声も上がる。

 「朝練がないと生徒がだらける」「スポーツ界の停滞につながる」。宮城県で4月にあった陸上の県春季大会。指導者の間では指針への対応をどうするかという話題で持ち切りだった。
 スポーツ庁は3月、「活動時間は平日2時間」「週休2日以上」などを柱とする指針を公表。宮城県教委はこれに加え「朝練習は原則禁止」を打ち出し、現場の動揺はさらに広がった。
 中学、高校スポーツは5月から最盛期に入り、県高校総体を皮切りに中総体、インターハイと熱戦が続く。全国を狙う強豪校、特に越境入学の生徒もいる私立校にとって、競技力への影響が懸念される練習制限は容易に受け入れられない。
 仙台育英高陸上競技部女子の釜石慶太監督は「今のところ、練習を減らす予定はない。指針の趣旨は理解できるが、選手や保護者のニーズも考えないといけない」と強調する。
 他県の指導者も当惑した表情を浮かべる。青森山田高サッカー部の黒田剛監督は「正直、困惑している。各競技で事情や条件が異なるのに、全てをひとくくりにするのは、あまりに安易だ」。全寮制で週6〜7日練習する花巻東高硬式野球部の流石裕之部長も「指針を認めるかどうかも含め、対応を検討中」と方針を決めかねている。
 仙台市教委は各校にスポーツ庁の指針を伝える一方、「今月中旬に市の暫定版ガイドラインをまとめたいが、混乱を避けるため周知は6月の市中総体以降」と当面は現場の判断を尊重する考えを示す。
 現場では「生徒個人の自主的な朝練は認められるのか」など疑問が尽きない。宮城県教委は「朝練禁止はあくまでも原則で、全ての活動を拘束するものではない。生徒の健全育成と教職員の働き方改革を柱に、各校で年間スケジュールを作って柔軟に対応してもらいたい」と理解を求める。


 

「ほら出たホンネ!」
 みたいな記事である。
全寮制で週6〜7日練習する花巻東高硬式野球部
 そんな野球部を築くために、どれだけ時間とエネルギーと資金がつぎ込まれたことか! それを無視して、
「活動時間は平日2時間」「週休2日以上」
などと勝手に決めても、すんなりと通るわけがない。特に花巻東のような全国レベルの私立高は、その名声によって受験生を集め学校を維持しているわけで、部活動の衰退は学校の存続そのものにかかわる。学校が潰れても構わないから部活をやめなさいとは、文科省も県教委も言えないだろう。

全国を狙う強豪校、特に越境入学の生徒もいる私立校にとって、競技力への影響が懸念される練習制限は容易に受け入れられない。
 もっともである。

 しかし「それなら私立校は別枠として、公立校の部活動のみ制限すれば」という話は通らない。
 
どんな弱小チームであっても、たとえ相手が花巻東高校であっても、25−0コールド負け、みたいな試合はされたくないのだ。

 才能に差があり、練習量に差があり、資金や監督の技量にどれほど大きな差があろうとも、一応曲がりなりにも3年間、暑い日も寒い日も、雨の日も干天の日も、汗を流し涙を流して頑張ってきた選手たちが、総計1時間半も、ただ守備についたままなぶり者になっているのだ。そんな状況に耐えられる教師も保護者もいない。

 
たとえ相手ピッチャーが菊池雄星でも大谷翔平でも、とにかく一点でも取りたい、パーフェクトは免れたい――そう考えると、
「活動時間は平日2時間」「週休2日以上」
ではやっていられない
のだ。

 ところで、そもそも練習時間・日数の制限はどこから言われるようになったのか考えてみるがいい。
 一部に、それは選手の健康問題であった。しかし大部分は教員の労働問題で、働き方改革を推進したい政府としては放置できなくなったから言い出したことである。
 もちろん「部活を何とかしてくれ」という声は現場教員からも上がっているが、それは何も時間や日数を制限してくれという話ではなく、教員を増やせという方向での話なのだ。

 さらに過重労働だけに話を絞れば「部活の時間を減らしたんだから、それでいいじゃないか」と言った話にされては困る。それはせいぜい、中学校教師が小学校教師程度の過重労度に軽減されたに過ぎないからだ。小学校の教師だって、十分過労死に値する超過勤務をしている。

 とはいえ、話の帰趨は分かっている。
 文科省も都道府県教委も市町村教委も指導はした、しかし先生たちはさっぱり言うことをきかず部活動の時間も減らない、したがってそれは教師の責任だ――そこが最終的な落としどころなのだ。