キース・アウト
(キースの逸脱)

2020年10月

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by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。














2019.10.09

 教員4人が同僚にいじめ
「羽交い締めされ激辛カレー」


[朝日新聞 10月 4日]


 神戸市須磨区の市立東須磨小学校で、30〜40代の教員4人が同僚の20代の男性教員に対し、嫌がらせや暴言などのいじめ行為を繰り返していたとして、市教育委員会が4人の処分を検討していることが市教委への取材でわかった。男性教員は体調を崩し、9月から学校を休んでいるという。

 市教委によると、いじめ行為をしたとされる教員は男性3人と女性1人。昨年以降、通信アプリ「LINE」で別の女性教員にわいせつなメッセージを無理やり送らせたり、コピー用紙の芯で尻をたたいたり、「ボケ」「カス」などの暴言を浴びせたりした。

 男性教員の車の上に乗ったり、車内で飲み物をわざとこぼしたりこともあった。4人はこれらの行為を認めているという。

 また、男性教員は「羽交い締めにされ、激辛カレーを無理やり食べさせられた」とも訴えている。市教委は4人の処分を検討中で、さらに詳しく調査を進めている。
(以下、略)



 世の中、常識的にありえないことは実際にありえない、それが当たり前だ。一見ありえないことのように見えても、真実が明らかになれば、同意や同情ができるかどうかは別として、納得はできる、頭で理解できるようになる、そういうものだ。

 神戸市須磨区で起きた教師による教師いじめ事件は、訴えがあり、証拠映像や証拠画像があって、市教委まで頭を下げたとなれば、あたかもそれが真実のように見えるが、それでも不確実だ。

 いい年をした分別盛りの大人が、一人ならまだしも4人もそろって、一緒に若い教師に子どもじみたいじめを繰り返した。しかも4人は学校の中核となる、子どもや保護者から信頼の厚い教師だった――となると、やはりありえない事件だ。
 そこにはまだ表に出てこない何かが確実にある。
 繰り返しになるが、ありえないことはどんな社会にあってもありえない。
 
 ただし世の中にとって学校というのはいつまでたっても理解不能で、何が起こっても不思議がない場所だと思われている。
 これだけ教師の多忙が報道されても、子ども相手の何が難しいのか誰も理解できない。絶対倒産しない組織にいながら、なぜあんなに教師たちが不安なのか、それも理解できない。そうした、わけのわからない人ばかりのいるところだから、何が起こっても不思議がないと、そんなふうに思っている。だからこんなありえない事件でも、報道された“事実”そのものを疑う空気はどこにもないのだ。
 しかし世の中、ありえないことは本当にありえないのである。
 
 今は学校も教育委員会もかつてのように事実を解明しようとしない。
 いじめでも子どもの自殺でも、事実解明に手間取っているとネット上に個人情報がどんどん流され、あることないことがすべて真実のように語られてしまう。デジタル・タトゥーを掘られると、たとえ後から異なる事実が出てきても、絶対に元には戻れない。
 だから現代の組織にとって最も大切なのは「できるだけ早く、世の中の人々に忘れてもらう」ことだ。だからできるだけ早く謝って世間の興味を削ぐように動かなければならない。
 訴えられた事実があるかどうかなんてどうでもいいことだ。
 
 映画「謝罪の王様」の阿部サダヲのセリフに曰く、
 「この国じゃあなあ、車をぶつけてから謝ったんじゃあ遅いんだ! ぶつける前に謝れ!」
 
 今回の事件も早々に教育委員会は頭を下げ、4人を自宅待機にして仮処分のようにしてしまった。これで「教師というのは、まるで子どもみたいで何をするのかわからない連中だ」という評価は定着するが、個人が痛めつけられることはない。名前のない情報はいつか忘れられる。
 
 だが、私は事件が公のものになることを望んでいる。
 報道が事実ならすでに立派な傷害事件だ。一刻も早く警察が介入し、4人を逮捕するとともに裁判の場で事実を明らかにすべきである。そうすればアホな事件のアホな様相が明らかになるからである。
 
 世の中、ありえないことは本当にありえない。
 真実の究明を望む。







2019.10.12

 大川小訴訟 事前防災の不備認定、
市・県に賠償命令の遺族側勝訴確定 最高裁


[産経新聞 10月11日]


 東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童23人の遺族が市と県に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は市と県の上告を退ける決定をした。震災前の学校の防災対策が不十分だった過失を認め、市と県に約14億3600万円の支払いを命じた2審仙台高裁判決が確定した。

 一連の津波訴訟で、行政側の事前防災の不備を認定した判決が確定したのは初めて。児童や生徒を災害から守るための国や自治体の対策に一定の影響を与えそうだ。決定は10日付。5裁判官全員一致の結論。

 大川小では児童108人のうち70人が死亡、4人が行方不明となった。遺族は学校の管理責任を問い、平成26年3月に提訴。訴訟では、予見可能性の有無のほか、津波襲来の直前まで約50分間、児童を校庭に待機させた判断の適否などが主な争点だった。

 28年10月の1審仙台地裁判決は、市の広報車が高台への避難を呼び掛けた時点で裏山に児童を避難させるべきだったと指摘。市と県に約14億2600万円の賠償を命じた。地震発生後、児童を適切に避難させなかったとして過失責任の所在を現場の教職員に求めた。

 これに対し、昨年4月の高裁判決は、大川小が津波の浸水予想区域に含まれなくても、川が近くにあり津波襲来の危険性は「予見可能だった」と指摘。学校は危機管理マニュアルに避難場所や経路を定めず、市教育委員会も是正させなかったとして事前の準備が不十分だった組織的過失を認定し、賠償額を1000万増額した。



 現場の職員に過失責任を求めた第一審に対して、市や県の責任に重きを置いた二審判決は妥当だったと思う。
 中でもハザードマップの津波浸水予想区域に大川小学校を含めなかった県の罪は重い。今日(2019年10月12日)の台風19号に際しても、テレビは盛んに「ハザードマップを確認しろ」と言い続けている。そのくらい重要なものなのだ。

 判決は
「大川小が津波の浸水予想区域に含まれなくても、川が近くにあり津波襲来の危険性は『予見可能だった』と指摘」したそうだが、県のハザードマップにない津波対策を学校に求めるのは困難だと思う。実際に地域を浸水予想地域から外したのは誰だったのだろうか。

 
市教育委員会も是正させなかった 
 それも事実だが、平成の大合併で大川小が石巻市に取り込まれてわずか6年。防災計画の確認・再検討といった余裕もなかったのかもしれない。もちろん責任は取るべきだが、市の担当者も気の毒な気がしないではない。

 しかしいずれにしろ、これでひと段落がつく。
 この判決が少しでも遺族の慰めになればいいのだが。


キース・アウト2019年10月R