教育用語症事典
特殊専門用語
こんな使い方がされているなんてまず知らない。 聞いてビックリ、見てビックリ 驚き、桃の木、山椒の木 特殊専門業界用語の数々 |
学校評議員制度 表向きは より一層地域に開かれた学校づくりを推進するためには学校が保護者や地域住民の意向を把握し、反映するとともに、その協力を得て学校運営が行われるような仕組みを設けることが必要であり、このような観点から、学校外の有識者等の参加を得て、校長が行う学校運営に関し幅広く意見を聞き、必要に応じ助言を求めるため、地域の実情に応じて学校評議員を設けることができる ということで、中央教育審議会が1998年(平成10年)9月21日に行った答申『我が国の地方教育行政の今後の在り方について』で設置が決められた地域住民・保護者・校長でつくるお伺いの会である。 ただし『我が国の〜』の学校評議会に関する記述の直前に「職員会議」に関する内容があり、そこには、 運営等をめぐる校長と教職員の間の意見や考え方の相違から、職員会議の本来の機能が発揮されていない場合もあること、(中略)職員会議があたかも学校の意思決定権を有するような運営がなされ、校長がその職責を十分に果たせない場合もあること という記述もあり、そこから地域住民や保護者の意思を校長のバックボーンとして、校長の意向を職員会議に反映しやすくするための道具だと考える向きもあった。 もっとも実際に校長がその職責を果たせないような学校はそう多いわけではなく、大半の学校にとって、学校評議員会は重荷になっている。 とにかく地域住民や保護者は学校のことを知らない。 平均して月に1回も学校に来ていないような人に学校を説明するのは容易ではない。 かなり早い段階でそのことに気づいた学校の中には、学校評議員会を定例化したりすべての行事に評議員の席を設けたりして状況の説明に努力したが、そうなると今度は評議員の方が音をあげてしまう。彼らもそんなに暇ではないのだ。年に1万円足らずの報酬でできることではない。 かくして学校評議会は形がい化し、年に2回程度の諮問委員会みたいになってしまった。それでも場を設け資料をそろえる負担は残り、全体としては相当数の評議員を任命するため市町村の経済的負担となり、それなのに後に何も残さないという不思議な会となってしまった。 政治の常として、つくった方はすでに忘れているが、つくられたものはいつまでも残って永遠に浮遊する、まるで海の廃棄物みたいなものだ。
雑用 OECD「図表で見る教育2009」によると、日本の小学校教員の授業時間は、年間705時間、法定勤務時間は1960時間である。つまり、法定勤務時間の36%しか授業をやっていないことになる。 (中学校は授業600時間、法定勤務時間は同じく1960時間。授業時間はわずか31%) これを例えばOECDの平均と比べて見ると、 小学校で授業時間は平均より209時間も短いのに法定勤務時間の方は逆に298時間も長い ことになる(中学校は授業が109時間も短いのに、法定勤務時間308時間も長い)。 そこから 「日本の先生は、授業時間は短いのに、報告書など雑用がたくさんあるので勤務時間が長くて大変」 という伝説が生まれてくる(言い忘れたが、実際にはこれに時間外労働平均は380時間ほどが加わる)。 あわてた文科省や都道府県教委は、報告書を見直してかなりの数を減らそうとしたが、減らす端から新たな報告書が出てくるので総体としては減ることはない。 給食費未納が問題になれば未納件数、 生活保護家庭が増えれば学校納入金の総額、 新型インフルエンザが流行れば患者数やら授業の欠落数、補充の授業時間数 と報告内容に限界はないのだ。 それはそうだ。民主主義国家においては国会議員も地方議会議員も何でも訊くことができる。そして学校は納税者の代表に報告する義務があるのだ。 報告書を減らすとなど、あっていいことではない。 さて、教員が「雑用」と呼ぶ仕事の中身は何か。 思いつくまま数え上げれば、それは例えば、 テスト採点、宿題のチェック、 児童生徒の作品などの飾りつけ、 翌日の宿題の作成と印刷。 学級通信や学年通信の作成と印刷・配布。 遠足や運動会、総合的な学習の時間発表会などの計画と細案づくり。 うまくいかなければ練り直し。 学年費の会計、支払いと集計。 意外と思うかもしれないが、銀行や郵便局に金を下ろしに行くのも教員の仕事だ。 休んだ子どもへの連絡・ご機嫌伺い、必要ならば家庭訪問。 給食費等の督促(これを教員がやっていることを知らない人も多い)。 その他、 ひとり3〜5つはもっている係の仕事(避難訓練の計画、児童・生徒会の計画、教科書の数の調整、講演会の計画、文集作成etc.etc)。 PTAの仕事。 中学校では テスト作成と成績処理、 日々の部活のメニューづくりや遠征計画、バスや電車の手配 が重要な仕事として入ってくる。 教員が「雑用」と呼ぶのは「授業に直接かかわりのないすべてのもの」であって不必要なものはひとつもない。 いずれも外国の学校ではやっていなさそうなことばかりだ。 しかしそれにもかかわらず、日本の教員は授業時数が少ないから世界でもっとも楽をしていると思い込んでいる人も少なくない。 なんともやっていられない話である。
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学校マネジメント 主として英米の経営学を中心に発達してきたマネジメント理論を教育の分野に当てはめようとする試み。PDCAサイクルによって教育成果を上げようというものである。
しかし道徳性とか人間性といったものはそう簡単にCheck(点検・評価)できないため、勢いマネジメントは「全校の80%が挨拶を返すようになる」とか「不登校を0.2%以下に減らす」とかいった、本当にそれでいいのかとクビを傾げたくなるような計画づくりに傾くか、あるいは学業成績一辺倒に傾くかになっててしまう。 もともとは工場の品質管理の手法として企業に取り入れられたものであるため、児童・生徒の品質管理といった雰囲気もかもし出してくる。 ただし、そうしたことは全て枝葉末節である。根本的なこととして疑問に思うのは、 なぜ、栄えある日本の教育が、英米の真似をしなければならないのか、ということである。 PISAで世界一のフィンランドを真似ろというのなら分かる、ホンコンや台湾に学べというならそれも理解できる。 しかし少なくとも教育において、英米は日本よりずっと格下の国ではないか。 57人のクラスでトップの子(日本)が6番まで落ちた。だから14番の子(イギリス)や29番の子(アメリカ)の真似をして、成績を上げましょう(PISA「科学的リテラシー全体」)といわれても素直になれない。 下の子の学習方法を真似すれば、成績は下がると考えるのが普通だと思うのだが・・・・。 英米が日本の教育を学んで立て直そうというとき、その「ダメになった教育」を真似て優れたものを捨てようとする。不思議なことである。 もしかしたら英米の罠にかかっているのかもしれない。
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学校フレックス(タイム) 残業手当てのない教員世界では、時間はどうしてもルーズになり勝ち。 午前6時前から出勤する人もいれば、午後11時になっても帰らない人もいる。 定刻にいったん帰宅し、夕飯を食べ子どもを風呂に入れてから、再び学校に戻る人もいる。 日中に年休を取っていたのに夕方からタダ働きに来る人もいれば、土日の片方は必ず学校で仕事を、という人だっている。 学校フレックス(タイム)というのは、こうした 午前8時20分から午後5時まで校内にいさえすれば、あとは何時に出勤してもいつ退勤してもいいという、極めてフレキシブル(柔軟)な勤務体系をいう。 もちろん、自嘲的な皮肉である。
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1999年、11月のサイト開設時に、私は次のように書いた。
しかし当時、臨床心理士は医師・大学教授を含めて全国に600人しかおらず、いきなり「学校カウンセラーの配置」と言われても置きようがない事情があった。その意味で、学校カウンセラーが退職校長の天下り先のようになってしまったのはやむ終えない面もある。 その後の心理学ブームの中で臨床心理士は異常に増え続け、2007年段階で16732名(医師440名を含む)にもなった。もっともこれほどの人数を飲み込むだけの教育予算も社会的需要もなく、したがって資格を持つ人々は現在、供給過剰となっている。 また、カウンセラー玉石混交の状況は現在も改善されておらず、当たればいいが外れればたいへんなことになる。何しろ相手は「心」の専門家であり、中には小さな頃から『心』(主として自分の心)ばかりをいじくり回してきた人がいるからかなりやっかいなのだ。 私の知り合いの副校長は、 「毎日行う『カウンセラーの心のケア』にかける時間が長すぎる」 とぼやいている。
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ハンド・サイン 話し合いを組織するために予め決めておく、挙手の約束事。 例えば、「パー」は『新たな意見』、「チョキ」は『付け加え』、「グー」は『反対意見』といったふうにしておき、そのサインを見ながら教師は話し合いの流れをつくる。 したがって、まったく手の上がらないクラスには必要ない。 ところがこれを悪用する教師もいて、参観日や教育監学校訪問などでは見栄えの良い授業を目指し、 「グー」は『意見を言いたい、あててくれ』 「チョキ」は『自信はないが、指名も可』 「パー」は『まったく分かっていない、あてるな!』 といったハンド・サインをつくる輩もいる。 教師の発問とともに一斉に手が上がったのはいいが、そのほとんどが「パー」(まったく分かっていない、あてるな!)で、一瞬顔を引きつらせた教師が、動揺を抑え、 「う〜ん。いっぱい良い意見を持っている人もいるみたいだが、もう少し深く考えてみよう」 と、訳の分からないことを言って授業を引き伸ばすのを、私は見たことがある。
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教職調整手当 教員の場合、「職務を遂行するための教材研究の時間や夜の家庭訪問、街頭指導などは本人の自覚や創造性に負うところが多く、勤務時間かどうか区別することが適当ではない」との考えから、残業手当は支払われていない。 その代わり、給料月額の4%相当を全員に教職調整額として支給することが法律で定められている(平均給与35万円で計算すると一ヶ月14000円ほど)。ただしこの調整手当、 何しろ昭和41年に、当時の平均的な残業時間である月8時間を基礎に決めたものだから、現在のように月35時間(平成18年平均)も時間外勤務をするようになると、全くもらっている気がしない。(時給1750円→時給400円)。 本当はもっと(35時間も)働いているのに、「一律に4%(8時間分)やるから残業手当は我慢しろ」といった性質のもので、 これは教員からみると「ヤミ減俸」。すこぶる評判が悪い。 他方、世間の人々から見ると、 働かなくても一律にもらえるということで、こちらも評判が悪い。 両者意見が一致しているのだから、ぜひとも止め、普通の残業手当にしてもらいたいものである。 ところが、こうした両者の希望に従って 文科省が試算をしてみたら、現在の調整額1800億円を3290億円も越え、総額5000億円にもなってしまうことが明らかになった。 これに高校や養護学校の分も加えると、とんでもない額になってしまう。 そこで文科省はあわてて、今ある1800億円を働きに応じて細かく分け合おうという、きわめてセコイ案を出してきた。 時間外に仕事を持たない教員などいない。結局、育児や介護のために早く帰らなければならない教員の調整額を取り上げ、みんなで分配するしかないのだろう。 40歳・50歳のいい歳をした教員が、時給400円をみんなで分配しようという、実に情けない姿が職員室に展開するのだ。マ、これで教員を尊敬しろという方がムチャというものだろう。 *この、現在の調整額1800億円を働きに応じて分けるというアイデアは、後に法制上不可能なことが明らかとなり、政府は別の方策を練ることを余儀なくされた。
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特別免許状 特別な技能を有し、教育上きわめて有益な人材を教壇に立たせるため、地方公共団体が与える教員免許。各都道府県教育委員会による教育職員検定に合格すると授与される。 本来は高校の農業科に農業指導員を、看護学科に看護士を、あるいは商業学科に経理の専門家をというように、専門性の高い教科にそれなりの人物をあてるための臨時免許だった。 しかし学校教育を公務員に任せておくわけにはいかない、民間人こそ入れるべきだという「民高公低」の流れに沿って平成14年に免許法を改正。それまであった有効期限の規定や大卒以上でなければならないといった規定をはずしたため、毎年40人前後が採用されるようになった。 さらに平成19年暮れの教育再生会議第3次答申では、新規採用者の2割以上をこの特別免許状所有者(および特別非常勤講師)で占有するよう求められている。平成18年度の実施状況でいえば新規採用者は25000人ほどなので、このまま実施されれば5000人は特別免許枠で採用することになる。厳密に選べばせいぜい40人程度しか採用できない特別免許教員を、一気に5000人以上にするのだから大変だ。 社会の第一線で働くような人材が、あえて仕事を捨て、新卒並の給与で働きたくなるほど、教職が人気ある仕事とは思えない。 企業から見放された人、年中組織に不満を言っている人、あるいは大学は出たけれどどこの企業も受け入れてくれない学生、そうした人々に格好の職場を与えることになるのかも知れない。 一方で、小さなころから先生にあこがれて教育学部に入ったというような奇特な人々の枠は2割も狭められる。ほとんどブラック・ユーモアとしか思えない制度に成長しようとしている。
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追加教育 学校というところは教科を勉強するところだよ、というのが戦後教育のスタートだった。しかしすぐに道徳教育が加わった。 しばらく学校というところは教科と道徳を学ぶところ、ということで安定していたが、その後、同和教育(人権教育)が加わったあたりから人間に必要なものはすべて学校で学ぶこととされ、次々と追加されていったその教育の総称。 「生活科」や「総合的な学習の時間」「小学校英語」がその代表だが、それだけではない。中には「〜教育」ではなく「〜指導」「〜研究」のかたちを取るものもある。
……ざっと思いついただけでも研究授業の対象となる追加教育はこれだけある。 全国から教師の集まる大型の研究指定など食らったら、それこそ3年は普通の授業ができない。 その他、消費者教育・カード教育・エイズ教育・マルチメディア教育・・・・・・等々、社会的に問題があると必ず「小さいときからの教育が大切だ」とかで、あれほどバカにしていた学校に期待が集まる。 「保護者教育」とか「マスメディア教育」とかの研究をやって、そちらをビシバシ鍛えた方がよほど効果があると思うが。 |
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総合的な学習 @ 学問分野が細分化され、専門バカはいるが総合的な力に欠けるエリートばかりが輩出される状況を嘆く、一部の経済界人が発明した横断的な学習の形態。 A問題解決学習を中心とするため優秀な児童生徒に喜ばれ、そうでない子どもも楽しめるという夢の学習。 これまでもTVですばらしい教育実践として紹介されたものはみなこの系統であった(すばらしい数学ドリル授業なんていうのがテレビで扱われた試しはない)。 ただし、どんな授業でも実力をつけてしまう優秀な子はここでも学力を高めるが、凡児は遊んだだけで終わってしまうウラミもある。 マア、学校は楽しくなくちゃいけないそうだから、これでもイッカァ。 |
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観 察 経験的基準にしたがって、児童生徒の様子をよく見、記憶に留めること。 しかし近年「ウチの子を昆虫あつかいするのか!」という批判に遭い、この言葉も死語になろうとしている。(⇔見取り) |
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見取り 子どもは虫や魚ではないから「観察」はふさわしくないと考えた一部の教員によって発明され、少数の県で共通語となった専門用語。意味は観察に同じく「経験的基準にしたがって、児童生徒の様子をよく見、記憶に留めること」。 「『見取る』じゃあアンタ、子どもが死んでるみたいじゃないか」 という批判があるのも事実だが、 これに対しては 「私のクラスでは、授業中、全員『死んでる』状態だからこれでいい」 との強い反論もある。(⇔観察) |
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願い一覧 フツーの人には絶対分からない、教案に載せる専門用語。要するに一人ひとりにその授業でこうなって欲しいという願いの一覧表。 全員について短いコメントを書くが、40人分も書くので半分以上は創作になってしまう。もちろんそこに「いなくなってほしい」と書いてはいけない。 |
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問題解決能力 自ら課題をみつけ、それに取り組み、解決していく能力。最近の子どもに不足し、しかも将来確実に重要となると考えられている。 「金がないのに欲しいものが山ほどある」という課題を持ち、(課題把握) 「親を脅す」「カツアゲスル」「万引きする」などの解決方法を考えつき、(仮説設定) 実際にやっちまう。(行動化) その意味で、不良少年の問題解決能力はかなり高いといえる。 |
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自主性 いろいろ命令されて動くのではなく、自分から問題に対処する力。近頃の子どもは非常に高くなっている。 とにかく何も相談せず勝手にやってしまう。 |
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創造性 ものごとを新しくつくりあげる力。フツーの人にはない。 しかし「ある」人の創造性を伸ばさないと日本経済は遅れをとってしまうので、「みんなにある」ということにしておいてそれを伸ばす教育を行うことになっている。 親には絶大な人気があるが、素質もないのに大リーグ養成ギブスをはめられた星飛雄馬みたいで気の毒だ。 主として民間の「能力開発研究所」が担い手となっている。 |