楽しいしゃぼん玉キャンプ                    

 

    しゃぼん玉キャンプとのかかわりを話す前に、娘の朋子を紹介したいと思います。
    昭和51年12月24日生まれ、現在23才です。養護学校を率糞して、市内の通所授産施設に毎日元気に通っております。
朋子には兄弟がいないため、自己中心で甘えん坊です。
人とのかかわりを持てず、「ごっこ遊び」もできずに一人でフラフラと歩きまわりますが、外に出ていけずに新しいことには関心を示しませんでした。
また手が汚れることが大嫌いで、排泄も完全ではありませんでした。言葉は
同じ言葉の連続で、少しは話すことはできましたが、色々な面で親が介助しないといけない大変な時期でした。
   「長い夏休みを利用して、一泊か二泊のキャンプをする、というグループを作りますが一緒に活動しませんか?」 とのお誘いが、あるお母さんからありました。
これがしゃぼん王との出会いでした。子供が小学校3年生の時だったと思います。
    (むかし、むかしのことで記億が・・・、年でしょうか)
   私が参加させてもらった時のしやぽん玉は、5人の子供たちと、学生ボランティアさん、白木先生と他のスタッフの方々だったと思います。
当初はキャンプに向けて子供を理解してもらうために、休日に遊んだり、昼食を共にしながらの話し合いを十分に重ねて、第一回目のキャンプとなりました。
日常生活指導とレクリェーションを目的に、そして親が同行しないキャンプで一日たりとも頼元を離れたことのない子供を、夏休みは二泊三日で、冬休みは1泊二日と預かってもらう、という親も子も魅力あるものでした。
   朋子も回を重ねるたびに大嫌いだったことも忘れて、ボディペインティングで塗りたくられた手と体に大笑いしたり、まわりの人達の会話を聞いてきては、それを私に話してくれるようになり、少しづつ変化していく朋子の成長を感じるようになりました。またいつのまにか少し字が読めるようになり、日程表を何度も何度も見ながらの楽しみと、キャンプで本番の楽しみと、キャンプ後のビデオと写真の楽しみと三回も楽しみ、それは本人にとって、とっても幸せなキャンプでした。
   出発が近づいてくると、ついからかいたくなり、リュックに入れるはずもないのに「お母さんが小さくなってリュックに隠れてついて行くから」と言うと、本気にして「こないで下さい、親は行かれません」 と断る様子がおもしろく、何度か言ってはこちらも楽しんでおりました。
   これまで14年間、27回のキャンプに参加させていただきました。学校時代は長い休みの間の一つの行事(?)で楽しんできましたが、年令を重ねていくうちに子供にとっては一番大切な場と変わってきたように思われます。
キャンプの楽しみは、どうも一人で行くことにあるようです。話の内容は理解できないと思いますが、同年代の人たちの会誌を耳にしたり、聞く音楽も違ってくるでしょうし、アイドルの話もでるでしょうし、キャンプの間は、自分と学生さんとの時間であるとしっかり認識するようになりました。
   まわりに親と子供と一緒に、という場はたくさんありますが、母子分離で、しかも キャンプまでとなるとそう多くはありません。それに○月○日よりキャンプとわかると、本当に楽しみにしています。特に冬であれば「風邪をひいたら行けなくなる」といって心配します。それならばと「外から帰ったらうがいをして」と教えましたら、水を口に含むことしかできませんが、自分なりに予防をしています。
こんなに楽しみにしているキャンプですが、本人の年令もありますし、まわりの方 とのかかわり等ご迷惑ではと気になっております。かといって、子供に親の複雑な気持ちをいってみても、理解はできないと思います。
   他に通所内での年間行事として、パスハイクがあったり、一泊での宿泊などいろいろ楽しい行事はありますが、これは作業の一貫としての場であり、本人にとってはしゃぼん玉のキャンプは、全く違う場での別格の楽しみの場のようです。
これほど楽しみにしているキャンプを、今後このまま続けていけるのか、親子でどうかかわっていけぱいいのか、を考えないといけな.い時期にきていると思いますが、 もうしぱらく続けさせていただくことを望んでいます。
   今まで、たくさんの感動、感激を朋子に下さりありがとうございます。白木先生、スタッフのみなさん、それに多くの学生ボランティアの方々のおかげです。
   父親ももちろん、母と子供と三人で皆様に感謝しております。

                                                   岸本陽子