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キャンプ報告 in 篠栗(with
光悦) 福岡大学・ボランティア・サークル・四回生 久本英二 |
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(はじめに・光悦君の紹介)−−−光悦君のお母さんから−−− 年令:昭和57年5月27日生まれ 17才 重度の重複障害児で理解力は1才半程度。 しゃぼん玉キャンプには小学校5年生の冬から参加開始。 このころはまだ言われるがままに行動できた。その後、中学に入学し、思春 はじめの頃は自分でも何がなんだかわからない状態で荒れることが多く、こ 荒れはじめて、今年で6年目の春を迎えるが、少しずつ、こちらも対応が的確 そういう中、今回、7年目で13回目のキャンプを迎えたのだが、ワーカーさん さらには本人がキャンプを楽しむことができるようになり、ワーカーさんたちを しかし来春、高等部を卒業したら、田舎(熊本県玉名郡長洲町)の方へ帰る せっかくできたワーカーさんとの関係がとれなくなってしまう。 新しい土地で、協力してくれる人たちをさがし、こういう経験を多くさせる環境
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−−−久本君の報告から−−− 大前提 このキャンプを、光悦、久本、中島(仮名)の3人旅行とし、しゃ 大目標 この3日間の篠栗旅行の中で3人の友情をより深め合うことを 光悦に対する具体的目標 2.ツアー客として、添乗員(リーダー、白木先生も含む)の指示を 3.エレベーター以外の楽しみを見つける。 4.行動は自主性を大事にし、のびのびとさせる。 5.家の中や学校の中、修学旅行とは違う、仲のいい友達同士で 行動記録 |
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日時 (一日目) 2月11日
14:40
15:00
15:21
16:20
20:30
21:30
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活動
博多駅集合 健康チェック
中央口より 博多駅出発
篠栗駅到着
徒歩にて 社会教育総合センター到着 入所式
荷物整理
夕べの集い
就寝準備 及び就寝 |
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電車は一両しかなく、しかも乗客が多かったため、動き回るといけないと思い、車いすに乗せたまま、橋本君などに手伝ってもらい、詰めて乗った。車内は大変込み合っていて、永太も車いすだったこともあって、全員乗れるか心配だったけど、何とか乗れた。ワーカー会議でそのことを指摘すると、電車が一両だったということに白木先生もびっくりしていた。 光悦は車いすから降りたがっていたが、最初のうちはとても降ろせるスペースがなかったのでしばらく我慢させた。三つぐらい先の駅でだいぶ人が少なくなってきたので、それから車いすから降ろした。すると案の定、車内の端から端へ歩き回りニコニコしていた。光悦は一人ものすごく楽しんでいたが、乗客はみんな怖がっていた。 駅に到着すると、みんなはスタスタと先に行ったが、光悦だけはホームに座り込んで電車が出発するのを待っていた。しかし、篠栗駅は終点なので、なかなか出発せず、光悦もなかなか立ち上がらない。 《皆が安全に降りられるように、篠栗駅が終点の電車を選んだのですが−−−。一両編成になってしまったのもそのためのようです。(白木先生、談)》 やっと、電車が動き出し、その電車が見えなくなるまで見送った後、「さあ、行こう。」と言うとすんなり立ち上がった。みんなは駅の前で光悦が来るのを待っていた。宿舎までは車いすに乗せていった。 そのまま寝ずに到着。到着すると同時に車いすから降ろした。玄関から入った瞬間、なんと真っ先にエレベーターの所に行った。入り口からは別に見えやすい所にあるわけでもないのに、そのまま一直線へ進んでいった。これは「エレベーターを見つけた」というより、「覚えていた」といった方が正しいと思う。多分ここに到着したと同時に、この建物といい、景色といい、「ここは前来たことがある」と思いだし、エレベーターのある場所も覚えていたのだろう。しかし絶対にボタンを触らせなかった。すると、あきらめたのか、どうでもいいと思ったのか、他の所への探検が始まった。 高い声を出しながら、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、部屋にはいるとこれまたびっくりしたことが、真っ先に自分のベッドを確保した。入り口からはいってすぐ右側の下の段のベッドがいいようで、そこに真っ先に座る。まるでバスに乗ると一番後ろの席が落ち着くのと同じような感覚だと思う。そして多分「こういうところに来ると二段ベッドが何個もあるこういう部屋に泊まるんだ」ということもわかっていて、だいぶ慣れている様子だった。さすがベテランである。 夕べの集いは外であった。その前に駐車場の所に遊びに行っていたので、みんなが集合している場所に連れてきた後も、途中何度か駐車場に行こうとしていた。しかし無理に体を引っ張りもせず、手をつなぐわけでもなく、「光悦、まだ」の一言で集いが終わるまでじっと待つことができた。起立する時も『光悦、立つよ」の一言ですんなり立っていた。 夕食は食堂に連れていき、いすに座らせると、じっとしていた。別にここの食堂の雰囲気は光悦にとっていやなところではないようだ。3分の1ほど食べ、牛乳を2杯ほど飲んだ。「もういらない」と言うように出て行こうとしたが、呼び止めて再びいすに座らせ「まだよ」と言って聞かせると、眠そうにしながらも、僕らが食べ終わるまで、ずっと座っていることができた。何といっても今回は3人旅行なので、自分勝手な行動は慎まないといけない。 夕食後、少し館内を歩き回った後、プレイホールへ。光悦にとって、ここのプレイホールは居心地が良いらしく中に入るとグルグル行ったり来たりする。高い声を立て続けに出しながらニコニコしている。このホールの形といい、響きといい、光悦にとっては最高の場所のようだ。レクの間はみんなと集まる時はきちんと集まり、その場が終わるまでじっとすることができている。 イス取りゲームは恥ずかしながら、かなりワーカーが夢中になってしまった。最後まで残ったのは何と、ミーくんとこうへいと光悦。どれもワーカーが夢中になった所が勝ち残ったようだ。何としても優勝してやると思って、ミーくんチームには何とか勝ったが、最後のイス一つというところで、惜しくもこうへいにやられてしまった。実にくやしかった。 混んでいたので、少し時間をずらして入った。入浴前、トイレに行かせたが便はしなかった。トイレの目の前にエレベーターがあるが素通りした。しばらく脱衣所の鏡で遊んだ後、浴室へ。浴槽に入れようとしたが、熱くていやがっていたので、そのまま体を洗ってあがった。 浴室から、そのまま部屋に帰り、牛乳を2杯ほど飲んだ後、布団をかぶせると、そのまま、すぐに眠った。座薬は入れていない。これで万事うまくいったと思いきや、同室のミーくんは全然寝ずに部屋を飛び出して、廊下を走り回ったり、部屋に帰れば、うなり声を出し続けていた。特に不機嫌な様子はなかったが、声があまりにも大きかったので、ついに光悦が1時半頃から起き出した。それから一睡もせず、朝まで起きていた。ミーくんは白木先生の部屋に連れていかれ、5時頃に寝たようだが−−−。 |
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(二日目) 2月12日 6:00
14:34 15:34 15:38
17:15
17:30
19:15
20:30
21:30
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子ども起床・洗面 朝の集い 室内レク
篠栗駅の一つ前の駅、門松駅そばのロイヤルホストでおやつ 篠栗駅出発 門松駅到着 門松駅出発 篠栗駅到着
夕べの集い
夕食
室内レク
入浴
就寝準備 |
そのまま朝を迎えた。 6時30分頃から中島君を起こし、やっと起きてくれた。とても気持ちよさそうで良かったね。 光悦は、そのままずーと気嫌がよく着替えて部屋から出ると、とてもうれしそうに元気に朝から歩き回った。やっと外に出られたという感じだった。 朝食はパンを1切れほど食べただけであとは全々食べてない。牛乳は、2、3杯飲んだ。朝の間に、けいれんが3回ほどポツンポツンと間かくを開けてあった。やっぱり寝てないことと、何か関係があるのだろうか。 運動会があった。 昨日と同じように、光悦はプレイホール内を歩き回り、声を出し楽しんでいる。学校だったら、こんなに寝てない日は、午前中から眠ってしまうのだろうか。しかし光悦は、何かひとつ、眠そうな気配も見せない。 よりによって僕は、こんなテンションの低くなっている時に応援団長なるものをやらされた。「何かやって下さい」と田中さんに言われたので、とびっきりすごい応援合戦をやってやった。 光悦は、マット運動もし、リレーも一周きちんと走り元気に頑張った。多分、このホールは、もとより、館内全体もキャンプ自体も本当に楽しんでいるんだろうと思う。 食堂で鏡を見つけてしまった。一度はイスに座るがすぐに立ち出し、鏡の前でくぎづけになってしまった。「今から食事」ということは充分理解できていると思うが、食欲がないのだろう。しかし、鏡があると分かってしまい、ご飯どころじゃなくなってしまった。 外に出たとたん、ますます元気になった。 高い声は、やむ時がない。駅までの道のりはものすごく歩きたがっていたので、車イスは後ろの見えない所から持ってきて光悦は、歩ける所まで歩かせることにした。声を出しながらルンルン気分で歩いて行った。 その歩いている途中、びっくりしたのは僕が「もうすぐ電車に乗るね」と言うと、ニコッと笑顔を見せていたことだ。 このキャンプ中ずっとニコニコはしていたが、その笑顔はいつものニコニコとは、明らかに違う笑顔だった。おそらく「電車」という単語を覚えたようだ。僕が度々「電車に乗るね」と言ったので、もしかしたら「もうすぐ電車に乗るんだ」とわかって楽しみにしながら歩いていたのかもしれない。 結局駅まで残り1/3ぐらいの所で座りこんでしまいそれから車イスに乗せたが、2/3は歩けたということは、ものすごくすごいことではないだろうか。しかし、それは自主的に、楽しみながらのことだから、なおさらだと思う。 車イスに乗ると、さすがに眠そうにしていたがすぐに電車に乗ったので、光悦にとっては寝るひまがない。車イスから降ろしそれからもまたニコニコしながら、電車中を歩きまわった。 電車から降りるとすぐに車イスに乗せ、そのままロイヤルホストの中へ入った。店内では、車イスから降ろすかどうか迷ったが、やっぱり乗ったままの方が本人も落ちつくと思い、そのまま入った。 一応、いつものコップを持って行ったが、そのまま店のグラスで牛乳を飲めた。最初少し戸惑っていたが、これは牛乳だとわかった瞬間一気に飲みほした。飲んでしまった後もグラスを握ったまま放さなかったので追加すると、今度は戸惑いもせずまたも一気に飲みほした。ケーキは拒否した。 10分ぐらいした後、少しイライラしはじめたが、これは、店の雰囲気とは別に、多分眠かったのだろうと思う。それでも帰りの電車の中ではまたニコニコ。駅から宿舎までの帰りは、全て車イスで帰った。しかし一回も寝てない。 夕べのつどいまで、少し時間があったので、さすがの光悦もふとんに入り、1時間ばかり寝た。17時になったので、起こすと、何と全く抵抗もなくすんなり起きてまた高い声出しが始まり、廊下を歩き回って、つどいの広場へ。 広場まで歩いて行き、つどいが始まると、その場にいることができた。今日も「立つよ」と言えば立ち、「座るよ」と言えば座り、「まだよ」と言えばその場にいて、本当に何ていい子なんだと思ってしまう。2年前とは想像もつかないほどの変わり様で、本当にうれしく思う。 夕食は、昼に鏡を見つけて以来、くぎづけになってしまった。牛乳は飲むけど、ごはんは、全く食べなかった。 今夜のレクは、豆まきだった。 入浴前、トイレに連れていった。 牛乳しか飲んでいないのに出るもんは出るんだなぁと思ったが、それより何よりもうんちをしてくれたことが、何だか自分でも不思議なことにムチャクチャうれしかった。 4年間の中で初めてのことなので、かなり興奮して外に響きわたるような大声で 「光悦!! やったね、うんこしたね!! わぁ、いい子やねぇ。」 と叫びまくってしまった。 周りの他の団体の人も、いや、当の本人の光悦自身もさぞびっくりしたことだろう。しかし、光悦が便器に座った時、僕がポツリと
「これでキャンプも最後やね」 と言った直後だったので、多分、光悦からの最後の僕に対する気持ちをうんこにして表わしてくれたのではないだろうかという気がする。 入浴は昨日と同様、いたって順調だった。 部屋に戻り、牛乳をまたも2、3杯ガブ飲みした。今回は本当に牛乳をよく飲んでいる。 昨日寝てないので、今回はグッスリ寝せようと思い要求はしてこなかったが、座薬を入れた。その後また外へ出たがり、遊ぼうとしていたけど眠いのと、まだ遊びたいので、しばらく怒っていた。しかしふとんをかぶせるとそのまま眠った。 ミーくんは今日も、寝むれない様子で、廊下に出たり声を上げたりしていた。しかし、今日は、光悦は起きずに朝までグッスリ眠っていた。 中島君は、昨日と同様、光悦とはずいぶん離れた所でグッスリ寝ていた。ミーくんも、昨日よりは、少し早めに寝むれたようだ。
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(三日目) 2月13日 6:00
12:00
13:30 14:00
15:02
15:29
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朝の集い 室内レク
昼食
退所式 退所
篠栗駅出発
博多駅到着 |
今朝は起こされるまでグッスリ眠っていたのにもかかわらず、寝起きはまったく悪くなかった。むしろ「今日も楽しい一日が始まる」と言わんばかりに起きたと同時に高い声を上げ出して、ニコニコしながら廊下に出た。 車イスにも乗らずにそのまま歩いて朝のつどいへ。 朝食は、またしても一口も食べずに牛乳を2杯。その後は食堂の鏡でごきげんに。 今日のレクは、うちわで風船バレーとキーホルダー作りだった。プレイホールでの風船バレーの時は、いつもと変わらず、参加した。 しかし、その後、キーホルダー作りの場所まで移動中、外に行きたがっていた様子だったが、無理にそれを制止してしまったため、やや荒れ気味になった。しかし。それもしばらくすするとおさまり、車イスに乗せると落ちついて少し寝た。 昼食は、車イスに乗せたまま食堂へ。車イスなので鏡には別に無反応で食事に集中することができ、5口ほど食べることができた。 退所式まで時間があったので、車イスから降ろすとプレイホールで、また歩き回って、遊んでいた。退所式の後、駅までは、車イスで行った。多分、最終日にして、疲れたのだろう。一日目、二日目の元気さがなくなったようだった。 電車の中ではやっぱり動き回り、ごきげんになった。本当に好きなんだなと思う。 そういうことで僕の最後の青春時代が終わりました。長い間、キャンプにたずさわってくれた皆さん本当にありがとうございました。 |
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全体を振り返って 〜過去4年間と比較して〜 改めて言うことではないのですが、僕と光悦の関係は、しゃぼキャンだけのものではなくなりました。 この4年間実に様々な活動をしてきましたが、その色々な活動で出会う多くの人々とはまた別の特別な感情が光悦に対してはわき起こります。 しゃぼキャンならしゃぼキャン、おもちゃ図書館ならおもちゃ図書館というふうな「何かの活動ならこの人」という関係では、当然なくて、本当に大学時代に知り会った、一人の友人というような気がします。 しかしながら、そんな友人と初めて出会ったのは、このしゃぼん玉キャンプなので、僕にとってこのキャンプは特別なもので、今回も含め8回全てが光悦とともに歩んできたものでした。 今回のキャンプでは、読んで頂ければ分かると思いますが、最後でありながら本当にびっくりすることが多くありました。しかしそれは全て光悦にとって喜ぶべきことばかりで、逆に言えば、最後だったからこそ、僕がずーと4年間、光悦とともに歩んできた経験があったからこそ、感じることができた驚きだったのかもしれません。 今回のキャンプでは、今までのキャンプと比較しながらずっと光悦を見てました。率直に言うと本当に成長したなぁと感心します。 まず今回本当に大きく感じたことは、指示や言葉かけの理解が、若干2年前のあのひどい状態の時とは、比べものにならないくらい成長したことです。このことは、白木先生もワーカー会議のときにおっしゃられておりました。 遠く離れた所から「光悦こっちよ」と大きな声で呼ぶと、こっちに来てくれるんですよ。前はいちいち光悦のそばまで行き、手をにぎって連れてくることしかできず、しかしそれでもなかなか来てくれなかったのに、今では、呼べば来てくれるんです。初めて来られた佐藤さんという人も「ちゃんと来るんですね」とびっくりしておられました。 このことだけでも考えられないほどうれしいことなのに、それに加え、目標として毎回立てている全プログラムへの参加や時間的な切り換えは、完ぺきに出来るようになったと思います。 何よりもこのしゃぼん玉キャンプを誰よりも思う存分楽しめています。これは何にもまして大きな意義を持つのではないでしょうか。 今回は、エレベーターには、ほとんど見向きもしませんでした。エレベーター以外の楽しみどころか、キャンプ自体を楽しんでおりました。車イスもほとんど使いませんでした。楽しくて楽しくて仕方なくてずっと歩いていたのだと思います。 光悦にずっと関わっていけたのは、今思えば僕自身、本当に光悦のことを大好きだったということに尽きると思います。 何とか、光悦と本当に心が通い合える友達になりたいと懸命に頑張った4年間。 今回のキャンプで僕の言葉に耳を傾け、そして確実に受け入れてくれている光悦の姿を見て、その僕の願いも伝わったと確信できました。 最初の頃、光悦が荒れないように機嫌をとるだけで、くっついて回るしかできなかった自分がまるでウソのようです。光悦とともに僕自身も成長できたこと大変うれしく思います。本当にありがとうございました。 これからもまた光悦とは末永くつき合っていきたいです。
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