エアマネと事件と自己責任と

マネジメントゲームを使用した 授業案 を 考えていました。

概要は こんな感じ…。

1970年代 航空各社は 大きな需要の見込める 太平洋航路 に 相次いで参入。

結果 航空各社は 経営は大きく圧迫されるに至った。

さて ゲームの デブリーフィング での 発問です。

じゃぁ 競争 やめたら いいのかなぁ?

 

ここで 思ってしまった訳です…。

競争社会だから 自己責任−。

でも 大きな企業が経営に失敗したら…実は 社会全体が 当事者 だったりするのです。

でも でも この複雑に絡み合う 情報化社会で 影響を受けそうな凡ての事柄に

当事者となって 関与する 若しくは 制限を加える

−なんて 現実的じゃない。

 

この春 国中を騒がせた事件を 思い起こします…。

「自己責任」−。

それは やはり ひどく 暴力的な匂い が すると 同時に

複雑な社会を説明する キーワード としては 役不足 であることが 見えたように思うのです。

 

目に見える 分かりやすいカタチ で 世界を理解する。

−それは 便利なコト だけれども それが世界だ と 思った瞬間 悲劇が始まる。

 

それでも なを  叫びたい。

−個性は命。

力の無く 弱い者 が 人としての品性を失わずに 生きられること。

 

コタエを 急がず 探してゆきたい。

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