テーマ:昭和50年代後半のプロモーターとしての馬場さん


 まずは当時のマット界の説明をしよう。昭和50年代と言えば、まだアメリカマット界が、各地のプロモーター
が、他人のテリトリーを侵さないという暗黙の了解が通じていた時である。NWA(現在のNWAは、一応その伝統
の一部は受け継いでいる、別物と考えた方がいい)が、全米マットの80%を支配していた時である。ちなみに
NWAと言うプロレス団体はなく、各地のプロモーターが個人加入で登録をするプロモーターの連合組織と言え
ば良いだろうか。たとえば、当時は全日本も新日本も、NWAの傘下に合ったし、WWFもNWAの傘下であったの
です。NWAは、会員の所属する団体に世界タイトルを認めません。PWF世界ヘビー級も、馬場さんがNWAに
加盟が認められたときにPWFヘビー級と「世界」の文字を外しています。NWAが認定する世界タイトルは、本部
が直轄するものだけなのであり、それが、ジャイアント馬場が3回極めた「NWA世界ヘビー級選手権」なのです。
だから馬場さんは「世界の馬場」と言われたのです。

 結局、馬場さんはNWA世界王座をの価値がなくなったと判断して、NWAと手を切り、その直後にプロモーター
の連合組織としてのNWAは崩壊しています。現在の全日本の看板タイトル3冠ヘビー級、世界タッグは、「世界」
3冠ヘビー級「世界」タッグです。ちなみに、世界タッグの前身、PWF世界タッグは、PWFがNWAの傘下にあった
ときから「世界」が付いていますが、これは当時のNWAにタッグでの世界タイトルがなく、NWAが世界タイトルとし
て認定したからそうなったのです。

 さて、前置きが長くなったが、当時の馬場さんは、NWAの主流派(昭和59年からは第1副会長)であり、当時
大物プロモーターの大半が馬場さんの友人(NWAではドリー、エリック、レイス、バーネット、クロケットジュニ
ア、ガイケルなど。その他に当時の世界NO2団体AWAのガニア、WWWF(のちIWF)のサンマルチノなど)であ
り、まさにそうそうたるメンバーが馬場さんの周りに控えていた。彼等が全米に本拠地を構えていたので、普段の
外人などは彼らに電話一本いれれば用意できたのです。ちなみに昭和56年の、新日がしかけた外人引きぬき
戦争も、すかさず馬場はシンやハンセンを引っこ抜き返したが、その影で馬場の友人である大物プロモーター
が動いてくれたのである。猪木のアメリカでの太いパイプは、WWFのマクマホンくらいであった。

 米マット界での馬場と猪木の力の差は、新日は、坂口と新間(営業部長)が会員であったが、猪木は申請が
却下されたので、会員でないと言う事である。またそこが、当時の全日と新日との絶対的な違いであった。全日
は、馬場さんがレスラー兼オーナーであり(会長時代もあったが、ビジネス面、全米各地のプロモーターとの交
渉は馬場さんが行なう)、新日は、猪木が社長だが、ビジネス、対外交渉は新間、坂口が行なっていた、
つまり、プロモーターとしての猪木は殆ど存在していなかったのである。
 ちなにみ、新日本もNWAに所属していたが、馬場が主流派であったので、NWA世界選手権は全て全日で行
なわれた(藤波が幻のNWAチャンピオンになった頃は、もうプロモーターの連合組織としてのNWAではない)。
前述したが、馬場さんは短命ながらも3回もNWA世界チャンピオンになっている。昭和58年に誕生したIWGPは、
「NWAではない権威」がスローガンであった。

 当時の新日本はそれでも全日本より人気があったが、それは猪木の話題作戦の上手さ、他人がやらなかった
事をやった事などがあると思う。しかし、50年代終盤から、猪木のレスラーとしての力が衰えてからは、色々問題
が起こり、一時はかなりやばかった。その後に新日本が安定したのは坂口政権になってからだと思います。
 全日も、もちろん経営に波はあるが、T選手離脱時以外は比較的安定はしていると思う。それは、馬場さんの
秩序と計画性のある行動があるからだと思うのです。

PS(馬場さんだけ敬称で呼んで、他のレスラーのファンに申し訳ないです)
(2000年1月28日)



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