東野圭吾 21 | ||
ある閉ざされた雪の山荘で |
そのものずばりなタイトル。しかし、東野圭吾が描く「雪の山荘」ものは一味も二味も違う。数ある東野作品でも一二を争う曲者だ。
乗鞍高原のペンションに集められた男女七人。彼らは、ある舞台のオーディション合格者。これから、「豪雪に襲われ孤立した山荘での殺人劇」という設定で舞台稽古が始まる。実際には、早春の山荘周辺には雪一つなく、外部との連絡も可能。しかし、外部と接触した時点でオーディションの合格は即取り消すという。
これこそ是非舞台化すべき作品だろう。原則的に一幕劇でもある。大手じゃないところにやってほしいね。我こそはという新進気鋭の劇団はいないか。その前に、オーディションから面倒みてくれる太っ腹なスポンサーはいないか。いや、マジで。
厳密な意味での「雪の山荘」ものではなく、「雪の山荘もどき」という人を食った設定。しかし、せっかくの合格を取り消されたくないという心理が抑止力になっている点がミソ。これは芝居か現実か? 疑心暗鬼に陥りつつも、役者としての夢は捨てられないのだ。
感想を書くに当たり、再読してみたのだが、思った以上に忘れていた。そしてまたやられました。この時ばかりは僕の記憶力の弱さに感謝したいくらいであった。えっ、負け惜しみじゃないよ。負け惜しみじゃないったら。
再読してみてようやく気付いた。変則的なようで正統的とでも言おうか。設定自体はアイデアの勝利だ。しかし、その設定を生かすも殺すも作家の腕次第。読んでみればわかるだろう。自信がなければ書けない設定であると。論理展開に派手さはなく、極めて正統的。だからこそこの設定が生きるし、本作の真の企みに驚かされる。
売れっ子作家となった現在では、本作のような実験的作品は出せないだろう。しかし、現在の地位があってこそ、本作は絶版を免れている。複雑な気分だなあ。