東野圭吾 28 | ||
虹を操る少年 |
私事だが、僕は液晶ディスプレイの開発に従事しているので、「色」という概念とは切っても切り離せない関係にある。あらゆる色は、光の三原色である赤、緑、青を適当な割合で混合することにより表示される。本作の主人公である白河光瑠は、色に関する特異な能力の持ち主だ。
彼には幼いころから、あらゆる色をそっくりに再現する能力があった。色を一目見ただけで、瞬時に三原色の混合比がわかるという。それだけではない。教師に煙たがられ、転校を勧められるほど成績は超優秀。そんな彼が、光の音楽とも言うべき「光楽」を編み出した。
「光楽」とは、さて何ぞや? 簡単に言うと、音楽と光の合体である。彼が奏でる光の調べは、観衆(?)を魅了してやまない。「光楽」を目にした誰もが、心が安らぐのだという。光に吸い寄せられる、若者たち。
「ポケモン事件」が起きたのは、僕が本作を読む前だったか、それとも読んだ後だったか? もっとも、こちらは気分が悪くなったわけだが、その逆だって当然可能じゃないだろうか。そう考えると、決して非現実的とは言えない気がする。光によって人間をコントロールすることさえ、不可能ではないのではないか?
本作は分類が難しい作品だが、全体としては反体制小説と言えるだろう。光瑠の能力の大きさに恐れをなした大人たちは、お約束のように魔の手を伸ばす。しかし、光瑠には「光楽」がある。彼の下に集う仲間たちがいる。大いなる光を覆い隠すことは、誰にもできない。
ラストシーンの受け止め方は、人それぞれだろうか。僕はうまいと思ったけど。光瑠の到達点は、果たしてどこにあるのか…。