東野圭吾 41


白夜行


2000/05/08

 ミステリーにおいて、「過去のトラウマ」ほど頻繁に用いられる題材はない。僕ごときが言うのもおこがましいが、その理由は手軽に伏線を張れることにあるのではないだろうか。僕自身、そうした作品は結構読んでいるし、それぞれに工夫を凝らしているとは思う。本作『白夜行』もまた、「過去のトラウマ」が絡む作品に分類されるのだろう。

 しかし、本作には従来の作品とは決定的に異なる点がある。「過去のトラウマ」を扱った作品は、ほぼ例外なく過去から現在に至る過程が大きく欠落している。少年時代のトラウマが引き金になり、数十年の時を隔てて犯行に及ぶ。そのような事例がまったくないとは言わないが、あまりにも安易すぎないだろうか。一方で、本作は各時代の世情を絡めながら、物語が時系列順に進行する。急に時代が前後することは一度たりとてない。このような作品は、ありそうでなかったと思う。

 本作の中心人物は、亮司と雪穂。二人の小学生時代から物語は始まる。いつの時代も、二人に関わる人々は災厄に見舞われる。ある者は命を落とし、ある者は決して癒えない心の傷を負う。序盤では、各時代のエピソードの繋がりがまったくわからない。しかし、中盤、終盤と読み進むにつれて、二人の奇妙な共生関係が徐々に浮かび上がってくる。読了して最初から反芻してみると、すべてのエピソードが隙間なく組み合わされていることに気付き、読者は驚嘆してしまう。

 亮司と雪穂の関係は、結局何だったのか。作中、二人は一言すら言葉を交わさない。のみならず、一切の心理描写を排除している。読後には、形容しがたい虚無感が残される。一方で、白夜という偽りの昼を生きる二人の背中には、痛切なまでの物哀しさが漂う。僕はただただ圧倒され、呆然とさせられた。

 僕なりに二人の関係について述べるなら、「亮司は雪穂のために、雪穂は雪穂のために」というところか。読者の感性によって、解釈は無限にあり得るだろう。僕としては、とにかく読んでみてほしいとしか言いようがない。ただ、これだけは確信している。誰が何と言おうと本作は傑作だ。他にこの作品に相応しい形容詞を思いつかないのが、もどかしくてならない。

 なお、本作は直木賞にノミネートされたが落選した。徹底した心理描写の排除が、その一因に違いない。しかし、すべては東野さんの巧妙なまでの計算のうちである。敢えて心理描写を排除したからこそ、本作には終始独特の虚無感、哀切感が漂っているのではないか。一般読者にも容易にわかることだ。選考委員のお歴々が、その点を理解した上で落選させたのか、気付かないふりをしたのか、はたまた本当に気付いていないのかは僕にはわからないが。



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