東野圭吾 49 | ||
手紙 |
著作を積み重ねること遂に50作目。東野圭吾さんから、そんな区切りに相応しい作品が届けられた。タイトルは『手紙』。そう、新刊は読者への手紙だ。指折り数えて待つ手紙だ。東野圭吾は、心からそう思える作家の一人である。
強盗殺人の罪で服役した兄の剛志(つよし)と、残された弟直貴(なおき)。両親は既に他界し、頼る身寄りがいない直貴に、常に殺人者の弟というレッテルがつきまとう。そんな弟に、獄中から届く兄からの手紙。
詳しくは書かないが、兄の存在が何度となく直貴の道を閉ざす。夢を奪う。途切れずに届く兄の手紙に、疎ましさを通り越して憎しみを覚える。読者は世間の理不尽さに胸が痛むだろう。だが一方で、日々仕事の愚痴をこぼしつつも、自身が平穏無事でいることに胸をなでおろすだろう。現に僕はそうだった。
日々駆け巡る凶悪犯罪のニュース。現場に群がる報道陣。神妙な顔のリポーター。多くの人にとってはすべて他人事。人はそうしてささやかな幸せを実感する生き物だ。
では、身内に犯罪者を持つ人間が、職場に、学校に、あるいは同じアパートにいたらどうだろう。それは他人事だろうか。今まで通りに付き合えるだろうか。僕はおそらく同情しつつも距離を置く。それが世間というものであることを、本作は突きつける。
刑務所の壁を隔てて兄弟を結ぶ手紙。兄にとっては残された希望の、弟にとっては絶望の淵への道しるべ。手紙を通じて交錯する兄弟の思い。メールで事足りる時代に、直筆の手紙など最後に書いたのはいつだろうとふと思う。
手紙が運ぶものが愛情とは限らない。しかし、メールでは、ワープロの味気ない明朝体では通じないものがある。そして、渡る世間は鬼ばかりでは決してない。だから逃げずに、目を逸らさずに、東野さんからの50通目の手紙を読んでほしい。
読み終えて僕がまず思ったことは、51通目の手紙が待ち遠しいということだ。100通目の手紙が届くまで、僕はファンであり続けたい。