飯嶋和一 02 | ||
雷電本紀 |
二百五十四勝十敗二引き分け十四預り。名前くらいは聞いたことがある雷電為右衛門の、江戸大相撲における生涯成績である。「預り」というのは何かはさて置き、わずか十敗である。その十敗にしても偶発的なものばかりで、力負けは一度たりともしていない。
拵え相撲、要するに八百長が横行する腐敗した角界に、彗星のように現れた雷電。その巨躯と豪腕で相手をなぎ倒す取り口は、怪我人を続出させる。金を払える上中層は下品極まりないと閉口する。一方で、実際に見る機会のない民衆は快哉を叫ぶ。噂にはどんどん尾ひれが付いていく。その背景には、貧困に追い討ちをかける悪政があるのである。
化け物、厄介者扱いされ、追い出されるように凶作に喘ぐ村を出る。相撲うことしか生きる術はない。当時、それが一見華やかな相撲人の実情だった。雷電もまた、その巨躯と聡明さ故に故郷を後にした一人。土俵上では修羅であれ。そして民衆の希望の光であれ。赤子を抱き上げ厄災祓いをする姿に、悲哀は微塵もにじませない。
そんな雷電のよき理解者である鍵屋助五郎。助五郎もまた、私利私欲に囚われない気骨ある商人だった。本作は雷電の武勇伝を中心としながらも、助五郎との友情の物語という側面を持つ。帰る故郷のない雷電が唯一寛げる場所、それは鍵屋だったのではないか。出会って以降、雷電と助五郎は一蓮托生の生涯を送ることになる。
正直、取り組みの描写は相撲用語が多いこともあり、あまりイメージできない。わかるのは、とにかく強さが桁違いということ。結びの一番前に見物が席を立つほどに。それでも雷電の江戸大相撲最後の一番には手に汗握ったし、十分に熱が伝わってきた。
本作のクライマックスは、実は雷電が一線を退いた後にある。詳しくは書けないが、純粋な行為に対してこの理不尽極まりない言いがかり。しかし、見込みが甘かった。雷電が江戸の民衆の心にいかに強く生き続けているか。雷電は晩年も希望の光であり続けた。そして亡き後も。それこそが「無類力士」雷電の凄さではないか。
執筆期間は足掛け六年。その取材の緻密さ故に決して読みやすい作品ではないが、寡作家飯嶋和一の職人魂を感じる大作である。飯嶋さんもまた、雷電や助五郎に劣らぬ気骨ある作家。相撲人気の低下が叫ばれる昨今にこそ、再評価されるべきだろう。