海堂 尊 監修 | ||
救命 |
―東日本大震災、医師たちの奮闘― |
書店に行くと、東日本大震災に乗じた本が山積みになっている。実家がある岩手県大槌町が被災した僕は、そうした本にお金を出す気は一切なかった。そんな中、海堂尊さん監修の本書は、読んでみようと思っていた。心に響かない提言ではなく、被災現場で医療活動に当たった医師たちの生の声を集めた本だからである。
3月11日の震災発生後、家族と話ができたのは週明けの17日だった。沿岸は携帯も固定電話も通じなかったが、妹が内陸の遠野市まで買い物に行ったとき連絡してきたのだった。幸い実家は被災を免れていた。釜石市の中学校で教諭をしている妹は、避難所になった学校にそのまま詰めていた。母はやはり被災を免れた叔母宅へ避難していた。
初めて地元に帰ったのが4月2日のこと。この時点でも津波の爪痕は十分に生々しかったが、妹には道路が通行可能になった分だけ震災直後よりはずっとましだと言われた。そう、僕は震災直後の本当の修羅場は見ていないのである。
地元大槌町の開業医を含む9人の医師たちは、震災直後の様子を理路整然と語る。新聞、テレビでは伝えられなかったことばかり。しかし、無理もない面もある。マスコミ各社に集められた写真や映像には、とても見せられないものも多かったのだから。
救命・治療に当たった医師だけでなく、心のケアを担った医師や、遺体の身元確認に奔走した歯科医もいる。医師以外に、母校・東北大の知っている先生の名前が出てきて驚いた。震災の一週間前、母校に恩師の最終講義を聴講に行き、その先生にも会っていた。先生は情報工学の立場から、身元確認に貢献していたのだった。
被災地の医師・看護師だけでなく、多数の医療チームが被災地に入った。頭が下がる。僕にはそうとしか言いようがない。そして、僕自身が何もしていない事実を、改めて突きつけられる。被災していない人間は、どんなに頑張っても被災者にはなれない、と海堂さんは言う。僕は地元が被災したけれど、被災者では断じてない。いわんや官僚をや。
津波は実家のある集落のすぐ下まで迫っていた。町の中心部が丸ごと境界線の内側に入った大槌町にあって、我が家は家族も家屋も無事だった。これこそ海堂さんの言う、被災した人間と被災していない人間の境界線。避難所には誰か顔見知りがいたかもしれないが、僕には立ち入る理由も資格もない。もちろん遺体安置所にも行っていない。
ネット上には自分こそ正義と喧伝する人たちが溢れている。その人たちの何人が、被災地を見たのか? 被災地のために何かをしたのか? もっとも、かく言う僕自身が何もしていない。報道に苛立ち、ネットに苛立ち、自分に苛立つ日々。
震災に乗じて名前を売りたい輩と違い、医師たちは純粋に被災者を助けたかった。その点に救われる気がする。ただ、海堂さんに一つだけ聞きたい。医療従事者だけが、境界線を越えることができるのか? もうすぐ震災発生から半年が経とうとしている。