北村 薫 27


ひとがた流し


2006/07/17

 また僕のような汚れちまった人間に向いていない作品が刊行されたなあ。と、手に取る前には思っていたが、読んでみると素直に染みてくる物語だった。

 アナウンサーの千波、作家の牧子、元編集者の美々。三人は幼なじみ。牧子と美々は離婚を経験し、一人娘を持つ身。美々は写真家の日高類と再婚した。一人だけ未婚の千波は、朝のニュース番組のメインキャスターに抜擢された矢先、不治の病を宣告される。

 そういうジャンルがあるのか知らないが、難病物である。映画ともども大ヒットし、最近文庫化もされた『世界の中心で、愛をさけぶ』辺りが真っ先に思い浮かぶが、天邪鬼な僕が読むことはますないだろう。感動を押し付けられるのは勘弁願いたい。

 作中、千波の病名は明記されていないばかりか、病状の進行を描くことさえ極力省かれている。感動を煽るような演出はなく、何だか突き放しているようでさえある。牧子も美々も、千波を思いやる心に偽りはない。しかし、薄情なようだが、たとえ幼なじみが不治の病であろうと、牧子と美々にはそれぞれの生活があるのである。

 父と同じく写真家を志す美々の娘の玲が、突き当たった壁。娘を諭す一方、写真集『北へ』で名を成した類は、とてつもなく大きな仕事を受けたのだった。それは、『北へ』より、ピュリツァー賞よりはるかに重い、生涯一度の仕事ではないか。

 死期を意識し始めた千波の、もしかしたら初めての恋愛。美々と、娘の玲の行動力が思わぬ結果に。友の性格をよく知る美々が骨を折る。泣かせるところのはずなのだが、あくまで筆致は淡々としている。全編に北村薫ならではの耳に心地よい会話を織り込みつつ、自然の流れに逆らうことなく、静かに静かに進んでいくのだ。

 登場人物の流すものとしては《涙》という言葉も使うまいと思った、と北村さんは付記で述べている。僕は思う。なぜなら、明記する必要はないからである。



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