古処誠二 09 | ||
敵影 |
本作は古処誠二さんにとって3度目の直木賞候補となった。予想通り(失礼)落選したものの、既に新刊『メフェナーボウンにつどう道』が刊行された今頃になって読んでみることにした。何だかんだで、我が道を行く戦争作家の動向は気になるのだ。
敗戦の噂がまことしやかに流れていた沖縄の捕虜収容所。やがて昭和二十八年八月十五日、玉音放送を耳にした捕虜たちは、否応なしに敗戦の事実を突きつけられる。ある者は苦悩し、ある者は開き直り、ある者は元上官に私刑を加える。
物語は終戦前夜から始まるが、本作は終戦後に着目した点に特徴がある。食料も寝床も与えられ、前線とは天と地ほども違う待遇。捕虜になったのが終戦前だろうと終戦後だろうと五十歩百歩。生き残ったことに後ろめたさを感じずにはいられない。
悲惨な描写は必要最低限に抑え、捕虜として生き残った日本兵の煩悶を描き出そうという意欲と着眼点は買いたい。戦争を描き続ける限り、ある程度テーマが似通ってしまうのは避けられないが、古処誠二は戦争を多面的に切り取ろうとしている。
だがしかし、米軍に代わる敵影を探し求める捕虜たちは、ある意味滑稽に映る。決して口にはできないが、捕虜たちの本音は「命あっての物種」に違いないのだ。未だ壕に立てこもり、説得に応じない者たちでさえも。「班長」は立場を弁えている。実際に捕虜だった方は激怒するかもしれないが、それが本作の小説としての感想である。
クライマックスの「異種格闘技戦」に至ってはどうしても茶番にしか感じられない。当人も茶番と知りながら戦っている。その皮肉やおかしみを際立たせる狙いが、もしかしたらあるのかもしれないが。ラストシーンはまさに皮肉。その逞しさに笑うしかない。
なお、本作に登場する米兵カジハラのサイパンでの体験を描いたのが、初めて直木賞候補となった『七月七日』だと思われる。日系二世であるカジハラの立場の方がはるかに複雑だ。戦争小説なのだから悲惨さを強調すればいいというものではないが、読者に訴えるという点でも『七月七日』やそれ以前の作品の方が優れている。