宮部みゆき 06


龍は眠る


2000/05/22

 知りたくないことを知ってしまった、という経験はないだろうか? そんなとき、どうしたらいいのだろう。知らなかったことにしてしまえれば一番いい。しかし、それは口で言うほど簡単ではない。そういうことほど、鮮明に記憶に残るのだから。少なくとも、僕の経験上は。

 本作は、宮部さん初の超能力ものであり、日本推理作家協会賞受賞作品である。超能力者を自認する少年、稲村慎司には見たくないものが見えてしまう。不幸な事故の真相が見えてしまったがために、告発せずにはいられない。誰かにわかってほしい。たまたま出会った雑誌記者の高坂昭吾に、慎司は事故の真相を語り始める。やがて、慎司とは違う能力を持つもう一人の超能力者、織田直也が現れる。

 幸か不幸か、僕には超能力者の知り合いはいない。まあ、普通いないだろう。しかし、真実超能力者が存在したとして、その心理は理解できないに違いない。超能力者であることを主張する人間に出会ったら、まず神経を疑うだろう。

 もう少し具体的な例を出そう。世の中には、霊感が強い人がいるらしい。僕の中学以来のある友人は、霊感が強い(のだそうだ)。僕には見えないものが、彼には見えるという。「らしい」だの「そうだ」だの曖昧な書き方をしているのは、僕に霊感というものが備わっていないからだ。特異な能力を備えた者の気持ちは、その能力を有しない者には決してわからない。

 超能力を身に付けた者が苦悩し、自己の存在意義を問う。それが本作のテーマである。語り部を務める高坂昭吾は、超能力者ではないが、心に傷を抱えている。そして、言葉を話せない三村七恵の存在。慎司、直也、高坂、七恵はそれぞれに特殊な事情を抱えている。だからこそ、高坂と七恵は悲しき超能力者を理解してやれたのだろう。また、だからこそ、慎司と直也はそれに報いたのではないだろうか。

 慎司と直也の苦悩は、悲痛なまでに僕に訴えかけてきた。しかし、それを理解できたとは、僕には書けない。書いたとしても、それは理解したふりをしているに過ぎないように思えるから。むしろ彼らに失礼なように思えるから。

 きっとそれは考えすぎだろう。しかし、僕にとって本作は、それほどに考えさせられた作品だ。僕は本作で、宮部作品にはまった。



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