宮部みゆき 42 | ||
孤宿の人 |
巡り巡って江戸から讃岐国丸海藩にたどり着いた少女、ほう。その名の由来は「阿呆」の「ほう」だという。いくら小説の中でもこりゃひどすぎる…。
名前以上にその生い立ちがあんまりである。序盤で簡単に触れているが、これだけでもたくさんだ。ようやく藩医を務める井上家に落ち着いたところだったのに…ああ、いきなりこんな事件が。このままほうは不幸に見舞われ続けるのかと思ってしまった。
さて、丸海藩に幕府の罪人が流されてくることになった。その罪人、加賀殿は勘定奉行まで務めた人物。罪人にして元高官の身柄を預かるというやっかいな課役は、丸海藩の行く末を左右する一大事だった。やがて、不可解な毒死や怪異が小藩を襲う…。
宮部流時代物としては珍しく、背景に幕府の意向やら藩の権力争いやらが絡んでいる。しかし、市井の人々を中心に描いているのに変わりはない。そう、藩のためという大義名分がどうしたというのだ。いつの時代も、割を食わされるのは庶民。
病、雷害、すべては加賀殿が丸海に来てから。すべては加賀殿のせい。悪霊だの悪鬼だのと噂に尾ひれが付いていく。人心がみるみる荒んでいく様はどうだ。愚かだと断じるのは簡単。人の弱さや醜さをも正面から描き切る、これが宮部みゆき。そして、溜まりに溜まった憤懣は些細なきっかけで爆発した。暴力が暴力を呼ぶ、悪夢の連鎖…。
ところで、ほうはその「悪霊」加賀殿が幽閉されている屋敷に下女として住み込んでいた。市中の騒乱とはあまりにも対照的な、ほうと加賀殿の触れ合い。ほうの無垢さは悪霊の心をも溶かしたのか。それは違う。悪霊は己の心に宿る。ほうの心にはいない。
会社でも役所でも、組織人なら感じるものがあるだろう。長いものに巻かれた者―藩の側の人間が勝手に騒ぎ、「大人の事情」に納得できない者―庶民の側の人間が奔走する。そして板ばさみになる者がいる。本作は時代物だが、現代社会の縮図と言えないだろうか。
この結末は、一件落着と言えるのか。これほどの血が流れなければならなかったのか。ほうの無垢さと真っ直ぐさが救いである。なるほど相応しい字ではないか。ほうは「阿呆」の「ほう」ではない。丸海の海は、何事もなかったかのように凪いでいる。