森 博嗣 09

今はもうない

SWITCH BACK

2001/06/10

 小説にも映画にも回想シーンはつきものだが、考えてみると、風景から台詞の一字一句に至るまで正確に再現されるのは何とも不思議である。などと言ってしまっては、小説も映画も成り立たないのだけど。

 もちろん、こんなことをいちいち気にしていたら小説も映画も楽しめない。にも関わらず、どうしてつまらないことを書いたのかというと、「犀川&萌絵」シリーズの第8作である本作は、大部分が回想シーンで構成されているからである。

 西之園家の別荘に向かう車中で、萌絵が犀川に語る事件。嵐の夜、避暑地にある別荘の隣り合った部屋で、姉妹がそれぞれ死体となって発見された。いずれの部屋も、例によって密室である。二つの部屋は映写室と鑑賞室で、死体が発見されたとき、スクリーンは映写中だった…。

 まず、萌絵の記憶力と伝達力が凄い。運転しながら見取り図など使えない。言葉だけで事件が頭に描けるように、また推理が可能なように説明しなければならない。そして、犀川の理解力が凄い。萌絵の意図した通りに事件を頭に描き、なおかつ推理しなければならない。一体どういう頭をしているのさ、この二人?

 事件そのものは、関係者から様々な仮説が披露されるという推理合戦の様相を呈し、なかなかに興味深い。これだけでも十分作品になるだろう。ところが、回想シーンにしなくてもいいんじゃないかというと、そんなことはないんだな、これが。一筋縄ではいかない森作品らしく、ただの回想ではないところがミソ。そしてやっぱり騙される僕…。

 余談だが、フジテレビのドラマ『古畑任三郎』のある回を思い出す。夜行バスの中で出合った女性から、事件を語られる古畑。事件そのものの再現映像は一切なく、車中のシーンを中心に進む。古畑は語られた内容のみから真相を推理する…という趣向であった。今から思えば、視覚に訴えるテレビというメディアに小説的手法を持ち込んだ、極めて大胆な試みだったのではないか。



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