森 雅裕 25


化粧槍とんぼ切り


2005/11/28

 戦国の世から徳川幕藩体制へと移り変わる激動の時代。勇猛にして家康の信頼厚い武将本多忠勝の娘稲は、真田昌幸の息子信幸の許へ嫁ぐことになる。稲姫は、婚礼の引出物としてお家の表道具・名槍「蜻蛉切り」の写しが欲しいという。本作の題にもなったこの名槍は、止まった蜻蛉が切り落とされたことからその名がついたとされる。

 その名槍が盗まれ、蜻蛉切りは村正の作ではないかという話が家康の耳に入る。妖刀村正は、徳川に祟る不吉な刀とみられていた。迷信だと笑うことなかれ。当時、これは十分に謀略の材料になり得たのだ。しかし、忠勝・稲の父娘は器の大きさが違う。理路整然かつ毅然とした対応ぶりに胸がすく。序盤ですっかり稲姫、後の小松殿の虜になった。

 ほどなく、真田父子は袂を分かつ。信幸は家康側の東軍へ、父昌幸と弟信繁(後の幸村)は西軍へ。おいおい、そんな簡単に決めていいのか。だが、一度決めたら振り返ることはない。肉親の縁を切る場面に、不思議と爽快感さえ漂うのはなぜだろう。そして小松も、信幸の妻であるからには昌幸・信繁相手にも筋を通すのである。

 内助の功を美徳とされるこの時代にあって、物怖じしない小松。だが、決して主を差し置いているわけではない。その本質は、時代の流れを読む聡明さにある。そんな小松であるから、忍の望斎は個人的に仕えたのだろう。森雅裕作品に魅力的な女性は数多いが、小松は明らかに一線を画す。小松の願いはただ一つ、真田の家を守ること。

 体制固めの最後の仕上げである大坂夏の陣で命を散らす、両軍の名将たち。やがて、幕閣の中心を担うのは武功派から文吏へ。激動の時代に武士(もののふ)の道を貫き通した武将たちに、敵味方関係なく共感を覚える。その姿に、現代で言う団塊の世代を重ねて見たのは僕だけだろうか。僕自身、時代に乗り遅れた人間である。

 武将だけではない。刀鍛冶。鑑定家。小松を始めとする女たち。本作は、権力の中枢から外れ、時流から外れた人間たちが誇り高く生きた物語である。それに対し、大名潰しに血道を上げ、足を引っ張り合う文吏たちの、何と滑稽なことか。

 紀伊國屋書店のサイトで検索した限りでは、本作は日本書籍総目録に存在する。新品で入手できるかもしれない、数少ない森雅裕作品の一つである。集英社との関係は比較的良好なんだろうか。重版するか文庫化するか、検討しませんか。



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