乃南アサ 30 | ||
引金の履歴 |
恐ろしいことに発砲事件など珍しくなくなった今日この頃だが、それでも日本で普通に暮らしていれば拳銃を手に取る機会などまずないだろう。が、もしも偶然手にしてしまったとしたら…。本作は、拳銃が市井の人の手から手へと渡っていく連作短編集だ。
最初の「母の秘密」が最もいい。久しぶりの同窓会で酔ってしまい、歌舞伎町の路上で目覚めた主婦、織江。彼女は家出少女からとんだお土産を受け取った。拳銃を所持することで安らぎを感じる織江の心理は、ナイフを持ち歩く若者のそれにも通じる。
続く「野良猫」は、織江に拳銃を渡した家出少女の物語。銃を手にして自信さえみなぎる織江に対し、わずか14歳のこの少女はすっかり達観してしまっている。拳銃は、少女にとって安らぎの象徴ではなかった。実に好対照な二編である。
「なかないで」。タイトルの意味するところは読んでいただくとして、新人サラリーマンの憂鬱が我がことのようによくわかる。こうした心理描写は、乃南さんの得意とするところだろう。しかし、物語に拳銃を絡める必要はないような…。
「塵箒」と最後の「置きみやげ」は、拳銃が渡る途中経過であって、それ以上でもそれ以下でもない。もっと拳銃の存在をクローズアップしてほしかった。「母の秘密」がよくできているだけに、それ以降の作品は徐々に霞んでしまった感がある。
短編の名手だけに確かにうまいのだが、収録順が災いしてか全体に毒が足りないように思う。収録順と拳銃が渡る順はちょうど逆になっているが、拳銃が渡る順に収録して「母の秘密」を最後に持ってくればもっと効果的だったのではないだろうか。「母の秘密」の後日談が気になる。
なお、文庫化に当たり『冷たい誘惑』に改題されているが、原書のタイトル『引金の履歴』の方が良かったのでは?