貫井徳郎 14


神のふたつの貌


2001/09/24

 神とは何か? 救いとは何か? 何ともお堅く重いテーマを持つ本作だが、貫井さんによればあくまでエンターテイメントを目指したとのこと。

 主人公は、牧師の息子として生まれた早乙女輝(ひかる)。第一部では早乙女は12歳の少年、第二部では20歳、第三部では父の跡を継いで牧師となっている。足掛け30年に亘る、早乙女の彷徨の物語だ。

 うーん、感想を書きにくい作品だな…。宗教というテーマがそもそも僕は苦手だし、できれば避けて通りたいのが正直なところ。僕自身の宗教観に触れないわけにはいかないのだから。しかし、貫井さんはこのテーマに真正面から取り組んだ。その一点だけでも賞賛に値すると言っていい。それでいて、難解な宗教用語は一切使用していない。

 早乙女は一心に神の愛を欲するが、拭い去れない疑問が常に付きまとう。正式に牧師となってからも迷いは消えない。現職の牧師の方は、そんな早乙女をどう思うだろう。僕が思うに、早乙女の信仰は人一倍深い。深いからこそ彼は迷い、道を踏み外す。僕のように、祈って救われれば苦労はないと思っている罰当たりが言うべきことではないが。

 詳しくは書かないが、早乙女は幼少の頃から既に道を誤っている。信仰のあり方にこれという正解はない。何度も疑問をぶつけた末に、彼は曲解してしまった。彼の行為は、彼なりの信仰に基づく正当性に支えられているのだ。だからこそ、聖職者にあるまじき男が牧師に収まっていられる。親子三代に亘って牧師を務める早乙女家の、恐るべき血の連鎖は誰にも断ち切れない。唯一、神を除いては。

 本作がエンターテイメントであることは確かだ。貫井さんらしい仕掛けも施されている。宗教はあくまでネタに過ぎない。一方、ネタと割り切るには危険な一面をはらんでいることも、また確か。信徒の方が読んで愉快な話ではないし、冒涜だと感じるかもしれない。しかし、それでも僕は言いたい。これは真摯で、そして勇気ある冒涜だ。

 僕が信仰心に目覚めることは、生涯ないだろう。



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