貫井徳郎 20


愚行録


2006/03/27

 ミステリーなんぞ読んでいると、大部分は嫌な話なわけで、それでも読むのがやめられないのだから我ながら因果なものである。どうして次々読んでいられるのかと考えてみる。どれだけ重く暗い話でも、作り話であると承知している醒めた自分がいて、読み終わればさっさと切り替えられるからだ。もちろん、誰もがそうではないだろうが。

 付け加えると、直接的な暴力描写ほど読んだ瞬間の衝撃は大きいが、薄れていくのも早いように思う。よりダメージが尾を引くのはどのような場合だろう。そこで本作である。冒頭には幼児虐待死を伝える新聞記事。読み始めると、一家四人惨殺事件。え、そりゃ直接的暴力だろうって? まあ急かさないで聞いていただきたい。

 本作は、惨殺された一家の夫と妻を知る、関係者たちへの取材記録という体裁になっている。取材対象の多くは、夫を、あるいは妻を快く思っていない。よほど溜まっていたのか、堰を切ったようにしゃべるしゃべる。そこには主観や被害妄想が多分に含まれているのだろうが、饒舌さに圧倒されてすっかり嫌な人物像ができあがってしまう。

 考えてもみてほしい。小説の中の暴力描写よりも、日常でぞんざいに扱われたり見下されたりする方がはるかに辛い。人間は劣等感と嫉妬のかたまりだ。この僕も然り。一つ一つは小さなエピソードでも、それらが劣等感や嫉妬を刺激するものばかりだったら、なおかつ計算ずくだったらどうだ。ありがちな話ばかり読まされるのだから堪らない。

 早稲田、慶応という私学の双璧が実名で出てくるが、両校出身の方の感想を是非聞いてみたい。特に慶応の方。僕は田舎者なので、「内部」「外部」という話はさもありなんと思ってしまったよ…。このくらい強かじゃないと勝ち組にはなれないんだろうけどさ。恋愛物が強い時代に、ここまでニーズのなさそうな作品を送り出した貫井さんに拍手。

 一発一発にストレートやアッパーのような威力はないが、ボディブローのようにじわじわ効いてくるとでも言おうか。本作の真の「嫌さ」は、読み終えた直後ではなく何日か後にわかるのかもしれない。人間とは、かくも哀しきものなり。だから愛おしくもあるのだけど。



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